「しまえないのが、私の悪いところ、ね」
今、私の目の前には廃教会がある。
確かに古びてはいるが、思ったよりもボロボロじゃない。
でも、見たところ屋根も壊れているし、敷地自体は大きいみたいだけどこんな所に人が住んでいるわけ?
錆びついて壊れている表門のアーチを潜り、敷地内に入る。
まだ真昼。……お化けの気配はなし。
『エルミア先輩が廃教会の中に入って行くところまでは確認が取れています』
ジゼルの言葉を思い出しつつ、教会の扉をそっと押す──開いてる。
覗いてみると中は意外な程、広かった。
割れたステンドグラスから十分な光が入ってきて明るい。
少なくとも見える範囲には人影はなし。気配や魔力も感じない。
木製のベンチが幾つか置かれている。
一番前のそれには毛布? ……はっ!
「まさか、あの似非メイド。さぼってここで昼寝を?」
「普段は奥で昼寝してるよ。それはこの前、エルミアを見張っていた冒険者君の持ち物じゃないかな?」
「ああ、なるほど。ここで見張りを──……」
ん? 私は今、誰と話しているの?
ゆっくりと後ろを振り返る。
すると、穏やかに笑う、小さな眼鏡をかけた細身の青年が立っていた。
「やぁ、こんにちは」
「…………」
青年は軽く左手を上げてきた。
見たところ二十代前半。大陸では極めて珍しい純粋な黒髪。背はやや高めで、黒の魔法衣と中には白いシャツを着ていて、手には食材が入った大きな紙袋を抱えている。戦闘する意思はなさそうだ。
それにしても何時の間に……。
警戒する私に対して、朗らかに問いかけてくる。
「買い物で外へ出てみたら、こんな可愛らしいお客人と遭遇するとは。さて、僕に何か御用かな?」
いきなりの遭遇に動揺する。とりあえず、素直に回答。
「ギルドからのお遣いで……」
「お遣い?」
「え、ええ。宛名は違うけど……これ、貴方宛なの?」
布袋から小箱と封筒を取り出し、見せる。
青年は私に近づき、困った表情を浮かべた。
「こういう品を持ってくるのは、あの子の仕事にしているんだけど……。まさかこの仕事さえも人に任せるなんてね。今度、お灸をすえないといけないかな?」
「? オキュウ???」
「ああ、こっちの話。助かったよ、ありがとう」
青年がにこやかに答える。
……なんか変な奴だ。調子が狂う。とっとと帰った方がいいわね。
封筒と小箱を見せる。
「はい、これ。後で揉めるのは嫌だし、紙にサインをくれない?」
「ちょっと待ってね」
男は外套のポケットや懐をまさぐり……困った顔。申し訳なさそうな声で告げてきた。
「ごめん、手元にペンがないんだ。中でするよ。お茶も飲んでいくといい」
「い、いや私は……」
「いいから、いいから。ここで会ったのも何かの縁。偶には君みたいな可愛らしい中堅冒険者さんと話すのも面白そうだ」
青年はそう言って表の扉を押すと、廃教会の中にさっさと入って行ってしまった。
なんなのよ、あいつ。……正直、入りたくない。
けど、サインを貰っていないし、少し興味が湧いているのも事実。
先に奥の部屋へ入っていった青年を目で追う。意を決して、私も扉の中へ。
「こっちだよ、早くおいで」
奥から声。どうやら、居住空間は別らしい。
だけど……そんなに奥行きあったかしら? 疑問を感じつつも追いつき、尋ねる。
「ねぇ、どうしてこんな所に住んでいるの?」
「単に巡りあわせかな。あと、案外部屋が広くてね、物置に便利なんだよ」
「物置?」
「見てもらった方が早いかな。さ、どうぞ」
そう言って、やけに重厚な黒い扉を開けた。
扉には精緻極まる紋章が彫り込まれている。これって魔法陣?
でも、魔力は、何も感じないし、見たこともない。
「? どうかしたかい?」
「……何でもないわ」
強がりつつ扉を潜り抜けると、そこには──
「!?」
私は立ち竦み、青年が楽しそうに笑う。
「ふふふ。その反応、初々しくて嬉しいね」
「な、何なの、よ、こ、これ……」
そこは、まるで博物館のような場所だった。
言葉が出てこず、周囲を見渡す。
天井はアーチ状になっていて、凄く高く、所々に色鮮やかなステンドグラス。
そして、天井に届くほど高い巨大な木製の棚、棚、棚。それが数十列も続いている。
手前の棚に収められているのは、無数の剣、槍、斧等の武具。私が持っている剣とは格が違う。全部、魔剣、魔槍、魔斧の類なんじゃないの、これ……。
身体が自然と細い通路に引き寄せられていき、
「慣れないで入り込むと迷子になるよ? 気になるなら今度、案内しよう。今日はこっちだけを通っておくれ」
という青年の言葉を受けて、止まった。
振り返ると通路なのだろう、一列だけかなり広めに幅が取られている。
おっかなびっくり青年の後をついていくと、その通路だけでも次々ととんでもない物が目に飛び込んできて、心臓がその都度、動揺してしまう。
明らかに上級と分かる魔石や宝石の原石が無造作に置かれている。こんなの実家にいた時でさえ見た記憶がない。
その横の棚には強い魔力を帯びている無数の本がずらり。あの青い表紙の本。もしかして禁書じゃ?
そうこうしていると、生物由来の素材がまとめられている棚の列が目に入って来た。
牙、爪、毛皮、骨──どれもこれも、私が何時も狩っているような魔獣じゃない。素材なのに凄い魔力を──……え? 一抱え程の大きさの深紅の鱗の前で立ち止まる。
……まさか、そ、そんな……恐る恐る近づく。
先を進む青年へ問いかける。
「ね、ねぇ……これ、龍の鱗……じゃないわよね?」
「ん? ああ、それかぁ。炎龍らしいよ。『仕留めそこなった!』って手紙が来てたね」
「…………」
何を言ってるのか理解出来ず茫然とする。
龍、龍と言ったのか、この男は。
冒険者を志したならば、誰もが倒してみたいと夢想する、あの龍と。
青年の顔をまじまじと凝視する。先程と変わらず、そこに驚きはない。
彼は少しだけ困った表情を浮かべると、歩を進めながら、言い訳じみた口調で語り出す。
「昔、後押しをした子達が未だに色々と送ってくるんだ。手紙だけで良い、と言っても、みんな聞き入れてくれなくてね……。また、棚を増やさないと」
その瞬間、私はジゼルの話を思い出した。
『その男は【育成者】を自称している』
『その男に育成を頼んだ冒険者は今や皆、大陸級である』