辺境都市の育成者

　……まさか、本当に？

　私が目を離（はな）せないでいると、青年は小首を傾（かし）げた。

「どうかしたかな？」

「あ……な、なんでもないわ」

「そうかい？　多分、今日、君が持ってきてくれたのも似たような品じゃないかな」

「！？！！」

　思わず持っている小箱を凝視する。

　え……？　こ、これも……？

「さ、行くよー」

「あ、う、うん」

　そのまま進んで行った先にあったのはまた重厚な扉。木のような、金属のような素材……材料が全然分からない。

　あと、どう考えても、廃（はい）教会の敷地以上の広さなのは……魔法？

　でも、こんな魔法が存在するなんて、聞いたことも……。

　青年は私に構わず扉を開け入っていく。私は慌（あわ）てて追いかける。

　──そこは整理が行き届いている居住空間だった。

　年代物の木製テーブルと椅（い）子（す）が数脚（きやく）。ゆったりとしたソファ。多くのジャムや茶葉が保管されている硝子（ガラス）棚（だな）。台所も設置されている。

　青年が手に持っていた紙袋をテーブルに置くと、食材を出して棚へ仕（し）舞（ま）っていく。

　天窓から陽（ひ）の光が柔（やわ）らかく差し込んでいて、眩（まぶ）しい。

　窓の外には花々が咲（さ）き誇（ほこ）る広い内庭。鼻（び）腔（こう）を花のいい香（かお）りがくすぐる。

　きょろきょろしていると笑い声があがった。

　途（と）端（たん）に恥（は）ずかしさが込（こ）み上げてきて、思わず青年を睨（にら）んでしまう。だけど彼は特に気にした風もなく、一枚板のテーブルの傍（そば）の古い椅子に座るよう勧（すす）めてくる。

「そこに座って。今、飲み物を淹（い）れてあげよう」

「……結構よ。すぐに帰るから」

「そう言わずに飲んでおいきよ。とても美味（おい）しい珈琲（コーヒー）だよ？　甘い物もつけよう」

　美味しい珈琲！

　私の故郷であるレナント王国では紅茶よりも珈琲がよく飲まれていた。

　けれど、帝（てい）国（こく）では紅茶が主流。結果、珈琲はとても高い……。

　まして、ここは辺境。美味しい珈琲は然（そ）う然（そ）う飲める物ではない。

　私は誘（ゆう）惑（わく）に抗（あらが）えず、おずおずと頷（うなず）く。

　それを見た男は満足気。口笛まで吹（ふ）いている。

　……龍を倒すような冒（ぼう）険（けん）者の師（し）匠（しよう）には、とても見えないわね。

　椅子に腰（こし）かけたものの、男が珈琲を準備する間、手（て）持（も）ち無（ぶ）沙（さ）汰（た）なため、周囲を観察する。

　綺（き）麗（れい）に整（せい）頓（とん）されている部屋。私が泊（とま）っている宿の部屋よりも余（よ）程（ほど）綺麗だ。

　本（ほん）棚（だな）には古びた書物が並んでいる。

　興味をひかれ、本棚に近づいてしげしげと眺（なが）めてみる。

　手前にあったのは、百数十年以上前、全世界を旅したという世界最高の射手が記した大旅行記『千射夜話』。これは私も読んだことがあるわね。この世界の形を私達が何となく分かっているのは、この本の影（えい）響（きよう）が大きいと思う。装（そう）丁（てい）が随（ずい）分（ぶん）古い。

　他（ほか）にも『六英（えい）雄（ゆう）と三神　その時代背景について』『八六合戦始末　序』『大魔導全書』『偽（にせ）錬（れん）金（きん）術（じゆつ）大全』『螺（ね）子（じ）巻き街発展記　上』など……分厚い怪（あや）し気（げ）な古書がずらり。帝国以外の物も多い。

　間には脈（みやく）絡（らく）なく絵本。

　小さい頃（ころ）、母に読んでもらった、子供向けの英雄譚（たん）がある。

　ふ～ん……こういうのも読むんだ。少し可愛（かわい）らしい。

　思わず笑（え）みが零（こぼ）れ──ふと気が付く。あれ、ちょっと、待って。

　私、客観的に見たら──、

（見ず知らずの男の自宅に連れ込まれてる!?）

　棚に手がぶつかり、がたん、と椅子が音を立てる。

　台所から青年が心配そうに話しかけてきた。

「おっと。大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）かーい？」

「だ、大丈夫よっ！」

　過去最大の動（どう）揺（よう）。家族じゃない男の部屋に入った経験なんて今までにない。

　息を整え、木製の椅子に座る。

　するとちょうど珈琲を淹れ終えた青年が、カップをテーブルへ置いた。

「何か気になる本があったかな？　はい、どうぞ。お口に合えば良いけれど」

「あ、う、そ、その……」

「変な子だなぁ。さ、お食べ」

　青年はカップと一（いつ）緒（しよ）に、お菓（か）子（し）が載（の）った小皿を差し出してきた。

　三角形に切られていて白い？　真ん中に苺（いちご）が載っている。

「食べたことあるかな？　ショートケーキと言うんだ。帝（てい）都（と）では売っている店もあるみたいなんだけど。珈琲が冷めない内にどうぞ」

「……………」

　普（ふ）段（だん）の私なら、こんな得体のしれない男に出された物を口にはしないだろう。

　でも……でも、嗚（あ）呼（あ）！　懐（なつ）かしい、珈琲の香り！

　小さい頃、母さんにミルクと砂糖をたくさん入れてもらって飲んだのを思い出す。

　それに……「？」と小首を傾げながら私に微笑（ほほえ）む黒（くろ）髪（かみ）の青年。

　……何でかしら、彼を見ていると信用しても大丈夫だと思ってしまうのだ。

　まぁ、いきなり毒を盛られやしないだろう。大（たい）概（がい）の毒対策もしているし。

　お皿に添（そ）えられた可愛らしいフォークを手に取り、小さく切って、お菓子を口に運ぶ。

　──瞬間、大衝（しよう）撃（げき）を受ける。

　何これ！　何これ!!　何これっ!!!

　白い部分はとても甘いクリーム。土台部分はスポンジで、中にも苺と白くて甘いクリームが層を作っている。どういうケーキなの？？

　こ、こんなの食べたことないわ。お・い・し・い～♪

　はぁ、幸せ……。世の中に、こんな幸せになれるお菓子があるなんて……。

　今日の依（い）頼（らい）受けて良かった……。

　夢中になりつつも、小さい頃からの習慣通りに、フォークとナイフで綺麗に切りながら食べていると、穏（おだ）やかな視線を感じた。

「美味しそうに食べるねぇ。作った甲（か）斐（い）があったよ。僕のもどうぞ」

　青年は笑（え）顔（がお）で二個目のショートケーキが載った小皿を差し出してきた。

　……はっ！

　わ、私は、な、何を、何を!?

　──……ケーキは食べたいし受け取るけど。

「う…………あ、ありがとう。そ、その、と、とっても美味しいわ」

「良かった。はい、サイン」

　青年はペンを右手で回しつつ、左手で小さな紙を差し出してきた。

　……すっかり忘れてたわ。

　受け取り、代わりに封（ふう）筒（とう）と小箱を手（て）渡（わた）す。青年が名乗った。

「自己紹（しよう）介（かい）もまだだったね。僕の名はハル。育成者をしてるんだ。ここで知り合ったのも何かの縁（えん）だし、役に立つ助言はいるかな？　第八階位冒険者のレベッカさん」

「結構よ。有り体（てい）に言って、あんた胡（う）散（さん）臭（くさ）い──……!?」

　！　どうして、私の名前と階位を知って！

　私は咄（とつ）嗟（さ）に腰の剣（けん）に手を伸（の）ばそうとして──止（や）めた。

　そして、ふっーと息を吐（は）くとフォークを握（にぎ）り直し二個目のショートケーキを小さく切って、口に運ぶ。

　青年は目を丸くしつつも楽しそうに言う。

「おや？　斬（き）りかかってくると思ったのに」

「……美味しいお菓子を食べる方を優先しただけよ。こんな時に、無（ぶ）粋（すい）な真（ま）似（ね）はしないわ」

「それはどうも」

　笑顔で勧めてくる青年。こうして近くで見ると童顔だ。一見、人族だけど……外見通りの年（ねん）齢（れい）じゃないだろう。

　長命種の代表格であるエルフやドワーフ、獣（じゆう）人（じん）でもなさそうだ。

　着ている服はかなりの高級品。それと先程見たあり得ない品の数々と、本棚に置いてあった古書からも、こいつが只（ただ）者（もの）じゃないのは分かるわ。

　敵意はなし。単に歓（かん）待（たい）しているだけ。私への視線は最初から穏やかそのもの。

　もしかして、いい奴（やつ）……なのかも？

　……って、違（ちが）うっ!!!

　あ、会ったばかりの男に、何、気を許しかけているの、私は！

　誤（ご）魔（ま）化（か）すように質問。

「……どうして、私を知ってるの？　それと……単刀直入に聞くわ。あんた、エルミアとどういう関係なわけ？」

「さーて、どうしてだと思う？　ああ、エルミアは……他人（ひと）様（さま）に説明するのは難しいね」

　こいつと私は初対面。それは間（ま）違（ちが）いない。黒髪は目立つ。一度会えば印象に残る。

　と、なると……

「……エルミアの入れ知（ぢ）恵（え）ね」

　青年はカップを掲（かか）げた。

「正解。あの子とは、毎日、お茶の合間に色々な話をするんだ。君の名前はよく聞いてたから、すぐ分かったよ。『捨て猫（ねこ）がずっと拗（す）ねてる。助けてあげて』ってね。こういうやり方をするとは聞いていなかった」

「だ、誰（だれ）が捨て猫よっ!!!　……けど、エルミアがそんな……」

「意外かい？」

　私は苺に、フォークを突（つ）き立てる。

「……不（ふ）吉（きつ）ね。何時（いつ）もなら『面（めん）倒（どう）くさい。私は眠（ねむ）い』だけで終わるもの。話は、その、た、たくさん聞いてくれるけど」

「言いそうだね。君への助言は後でするとして、ちょっと失礼するよ」

　青年はそう言うと、こちらの返答を聞かないままに封筒をペーパーナイフで開け、読み始めた。

　中身は予想通り手紙らしく、文字を目で追いながら時折笑い出す。まるで子供からの便りを喜んでいる父親みたい。若い男が見せる表情じゃない。

　読み終わると次は小箱を手に取った。表のリボンを解（ほど）き、蓋（ふた）を取る。

　すると──恐（おそ）ろしく強い魔（ま）力（りよく）の波動があふれ出す。

「きゃっ！」

「ああ、ごめんごめん」

　紅（あか）い波動が肉眼で見える程だ。これは炎（ほのお）属性？

　今まで感じなかったのは小箱に封（ふう）がしてあったせい？

　こ、こんなに強い魔力を封じていたっていうの!?

　……こ、こんなの、並の魔（ま）法（ほう）士（し）が出来ることじゃないっ！

　私は驚（きよう）愕（がく）して声も出せずにいるのに、青年はいとも簡単に小箱から綺麗な紅色をした小さな硝子玉のような物を取り出して少し苦（く）笑（しよう）した。

「……また大変な物を送ってきたなぁ。この前、話したことを覚えてたのか」

「ね、ねぇ、それは何？」

　おそらくは魔（ま）石（せき）。しかも、恐ろしく質の良い。

　競売にかけたら、金貨数百じゃ……そんな私の予想を軽々飛び越（こ）え、青年はあっさりと、口にした。

「炎の宝（ほう）珠（じゆ）だよ」