第三章 お勧めのCDを貸してくるような後輩 5

〝希望〟と〝慰め〟を与える流れ星に願いを託し、全ての感情を手放しましたから


 すみさんの姿が鮮明にフラッシュバック。

 登坂が発した言葉と重なり、容易に言い表せない気持ち悪さを覚えた。

「そんなどもだましの非現実的な迷信、俺は信じられないですよ……」

「オレだって迷信に尾ひれが付いた作り話だと思いたいが……あいつが感情を手放してから今日までの八年間、オレはこの現象について調べ続けたんだ。書籍やネットにはうそっぽい体験談や過度に脚色された情報も転がってたが、あいつと同じ時期に同じような体験をしたと訴えるブログの記事や掲示板への書き込みも僅かにあった」

 信頼のおける身近な人物が不可思議な現象に陥り、同時期に同様の現象へ陥っていた人間が世界のどこかにひっそりと存在していた。登坂のように迷信を信じなかった生き方をしていた人間であっても、彗星やスノードロップとの因果関係を否定できはしない。

 それが──今日までの八年間で導き出された結論。

「オレはSNSでコンタクトを取り、何人かと電話で話したり実際に会って話を聞いたが……全員から何も感じ取れなかった。会話はできるのに、笑ったり苦しそうだったりもせず、ひたすら淡々とごとだけを話すから……まるでAIや人形と話してる気分だったよ」

 ウチの喫茶店を訪れる新規客が伊澄さんに抱く第一印象と似ていた。

 人間相手に話している気がしない……あの人の雰囲気に慣れるまではげんまなしを向ける客も少なくなかった。八年前からの登坂も、そんな印象を得ていたのだとしたら。

「ただ、嘘をついたり演技をしている素振りはじんもなかった。今思えば……嘘をつくという醜い感情すら喪失していたんだろうな」

 実際に目撃していない彗星の存在は信じられないけど、自分の五感で確かめた体験談は信じざるを得ない。最も信頼している大切な人が訴えるのなら、なおさら。

 さかの心境は、そんな狭間はざま彷徨さまよっているのだろうか。

「感情を失った人たちに話を聞いていく中で、不思議な共通点にも気付いた」

「共通点? 星に願い事をしてそれがかなった……とかですか?」

「それはそうなんだが、願いの対象が同じだったんだよ。よしのために願ったあいつも含めて、すいせいへ祈ったんだ」

 一般的には、願い事は自分のために使う。叶えたい夢、出世や飛躍、受験の合格祈願、金銭の所有、成就させたい恋愛、不本意な現状からの脱却、健康の維持……願い事とは自己中心的な欲望の塊であり、神社でお参りする際も大抵は自分の願い事を唱えるものだ。

 しかし、大切な他人のために祈る人もいる。

 どこかのおひとしな女子高生が、幼かったわたのために願いをささげたように。

「どうして自分のために祈ったやつがいないのか……小さな疑問を持ったオレは、SNSの書き込みを頼りに、自分の合格祈願や恋愛成就を祈ったらしい人たちと会ってみようと思った。だけど……本人たちには会えなかったよ」

 登坂は重い一呼吸を挟み、息を吹きかけるように言う。

うるうどしの最後に星が流れたとされる夜──亡くなっていたらしいからな」

 喉が詰まり、俺のあいづちつかえる。

 そんな、まさか、どうして。情報の整理が追い付かず、駆け巡る衝撃を吸収しきれず、すんなりと受け入れられそうにない思考の渋滞がせんじように絡み合ってほどけなかった。

「そいつらの家族や知人に聞いた話だから間違いねえ。四年周期の二月二十九日……そいつらの書き込みも同時期に止まっていた」

「様々な要素が重なっただけの偶然……だと思いたいです」

「それが普通の感覚だろうな。四年に一度の一ヵ月間しかスノードロップ彗星が流れる機会がないうえに、あの彗星と本当にかいこうしたとされる人数が少なすぎる。ロマンチックなうわさばなしだけが独り歩きして、大事にならないのはそのためだ」

 確かに、この手の怪奇談や迷信は昔から多々ある。不思議な超常現象に乗っかり、作り話や脚色をする連中なんて現実にもネットにも無尽蔵にうごめいているし、それをみにしている人も数多い。でも、登坂は最も近い人物を介して現象を目の当たりにし、自ら駆け回って真実を確かめ、俺に語ってくれた答えに行き着いたのだ。

 表面上はしんぴようせいを疑う俺だったが、完全なデタラメと切り捨てるほどの自信は、もはや持ち合わせていなかった。

「佳乃は彗星の存在を信じて、ずっと待ち焦がれていただろ」

 そうだ。渡良瀬はスノードロップ彗星が流れる瞬間を待ち続けている。

 渡良瀬が星を見たいと願うのは、スノードロップ彗星の絵を描きたいからだと思いたかったけど……しかし本当は、願い事があるからなのだろうか。

 もし、星に願いを託してしまったら、渡良瀬はどうなるのだろう。

 この部屋から夜空が眺められないのも、渡良瀬に彗星を見てほしくないから。胸に秘めた願いを託してほしくないから。

 さかが言う〝あいつ〟のような人間の抜け殻になるのを恐れて。

「だったら、わたが屋上で夜空を眺めるのを止めないと駄目じゃないですか。俺なんかと星空を見に行く約束を許しちゃ……駄目じゃないですか」

「窓がない部屋にでも閉じ込めない限り、夜空を完全に隠すなんて不可能だろ。行動を制限したところで焼け石に水だしな……よしを束縛する保護者には死んでもなりたくねえ」

 すいせいを懸念する登坂の行動は矛盾しているが、親代わりとしては……これ以上はない。

「……初めてだったんだよ。学校で誰かと楽しそうに絵を描いていたり、友達とどこかへ行く約束をする佳乃は初めてだったから……好きなようにしてほしかったんだ」

 この人は叔父であり、父親。小さい頃から一緒に暮らす娘も同然な渡良瀬が好きなものに夢中になっているところを、無粋に邪魔することなどできはしない。

 たとえ、奇跡的に彗星とかいこうすることになったとしても。

「それに……お前と佳乃が仲良くするのを見守りてえっていう……不思議な感覚もある。最近のオレは甘すぎるっていうか、お節介すぎてしゃーないわ」

 ここ最近の自分自身に疑問は感じつつも、深刻には捉えていない様子の登坂。

 まだ、心の末端では信じきれていない。少なくとも俺は夢見がちな性格じゃないし、いくら能天気とくくられようが現実とファンタジーの区別はできているつもりだ。

 でも……登坂やすみさんがまいごとを言い聞かせる人じゃないことも、分かっている。

「これからも佳乃のこと、よろしく頼むな。お前がいれば、たぶん……佳乃が願い事をする必要もないと思う」

「無責任なこと言わないでください……」

 優しげに微笑ほほえんだ登坂が、そのまま立ち上がると、

「星に願わなくても……佳乃の願いはかなっているからな」

 聞き取れないような小声で何かを言い残し、冷蔵庫へ追加の酒を取りに向かった。

 酒がくなるゆうな話題はおしまいとでも言わんばかりに、登坂は本棚に収納してあったフォトアルバムや使い古しのガラケーをテーブルに並べ、意気揚々とあさり始める。

「佳乃の写真がいっぱいあるから、酒のさかなとして観賞しようや」

 にんまりと口角を上げ、魅力満載の提案をしてくる登坂。ここまでくると親バカの領域であり、娘の成長を自慢したい父親そのものである。酔いも回ってきたためか、サービス精神旺盛なのが俺にとっては好都合だ。

 俺と登坂は堅すぎる握手を結び、小中学校時代の渡良瀬を網膜に浴びた。

 小学生の渡良瀬は当然ながら身長も小さく、あどけない顔もふっくらと丸みを帯びていた。犬にえられて泣いている。誕生ケーキの前で笑顔になっている。ブランコで遊んでいる。授業参観で挙手している……九歳から共に暮らし始めた軌跡を登坂が見守り、記録してきた成長の物語がそこにはあった。

「おいおーい、小学生の佳乃が可愛かわいすぎるのは分かるがれすぎだろ~」

「あっ、いや、えーっと……俺は……」

 さかのイジリを返せず、紡ごうとしていた言葉が吹き飛ぶ。

 俺はこの子を──。一週間前に彼女と出会った瞬間からちりばめられていた既視感のピースがすべてつながり、パズルが完成したのだ。

 充電したガラケーの電源を入れると、中学の制服を着たわたの写メが大量に保存されていた。緊張した面持ちの入学式、湖のほとりで風景を模写している横顔、マイクを両手持ちしながらカラオケで歌う意外な一面、登坂がこっそり撮ったと思われる可愛かわいらしい寝顔。

 どれだけ写真を眺めていても、まだ知らない渡良瀬の姿を欲し、朝までオールできそうな気分になっていく。星空を見には行けなかったけど、それ以上な秘蔵コレクションを無償で拝めた満足度は計り知れなかった。

「あと、あれも見るか? よしが小学校時代に描いていた絵」

 気分を良くした登坂は、クローゼットに保管していた渡良瀬の過去の絵を引っ張り出す。

 どれも風景画。小学生の頃、めちゃくちゃ好きだった絵に酷似していた。

 一際目を引いたのは、色鉛筆で描かれた紫まみれの絵……ページの裏に記されていた『紫レタス畑』というタイトルを見知りすぎていたのは、だから。に落ちた感動が深呼吸となって熱く漏れる。

 そうか、昨日の未完成だった星空の絵は……俺は渡良瀬の絵を、以前から。

 ひっそりと闇雲に探していた心残りの相手は──

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