第三章 お勧めのCDを貸してくるような後輩 3
夕方の五時には仕事をあがらせてもらい、いかにもなカフェの仕事服からカジュアルな私服へ着替える。伊澄さんが言った非現実的な
すでに日没を迎えた街並みには街灯が点灯し、通り掛かる車両はヘッドライトで進行方向を照らす。地元の風景は夜の訪れに身を預けていた。
適量のワックス。両手で練り上げたら髪全体を持ち上げながら空気を含ませ、無造作に
好意を寄せる女の子と休日に会う……青少年にとって特別なイベントが控えていれば、できる限りの
「よしっ!」
往生際の悪さを自室の姿見で確認し、往復のガソリン代や免許証の入った財布だけは忘れないように携帯したのち、伊澄さんに一声かけていくため店舗へ降りる。
「それじゃあ、出掛けてきます。そろそろ母さんも帰ってくると思いますけど、それまでは店をお願いしますね」
「──はい。いってらっしゃい」
店を任せられた伊澄さんが、俺を店舗の出入り口まで見送ってくれた。
「伊澄さん、さっきのことですけど……」
「──待ち合わせに遅れますよ。女性を待たせてはいけません」
先ほどの真意を深掘りしようとしたが、
店舗の横に駐車していたクロスカントリー車の運転席に乗り、白い吐息がこもる車内で震えながらエンジンをかけ、暖房が効き始めるのを待たずにアクセルを踏み込んだ。
店舗の前を左折する初心者マークのランクル。
学校近くの駐車場に車を
敷地内には教師の車が数台ほど駐車されているものの登下校する生徒の姿はなく、大半の窓に照明が
待ち合わせの五分前。いくらアウターを着込んでも、深まりゆく冬季の低温が
渡良瀬
ポケットからスマホを取り出し、ロック画面の時計を確認する。待ち合わせの五分前に到着していたのだが、今は待ち合わせの五分後。つまり渡良瀬の遅刻だ。
美術室には渡良瀬のほうがいつも先にいるんだけどな。
心の中で笑い飛ばしつつ、地図アプリで目的地への経路を再確認したりしながら、宵闇に浸る寒空の下であいつを待ち続ける。
結構……いや、かなり後悔した。お互いの連絡先を交換していなかったことに気付き、
あれこれ不測の事態を考えず、余計な心配をしなくても済むのに。
待ち合わせをしているので渡良瀬を探しにも行けず、俺は校門前に
テンションは上がらなかった。どう見ても背格好が男性であり、ポケットに手を突っ込んでいる
「待たせてごめんね。どうも、渡良瀬佳乃です」
俺の前で立ち止まったアラサー男が、女性とは程遠い低音ボイスで話しかけてくる。
「冗談はオヤジ顔と寝ぐせ頭だけにしてください。あいつはそんな
「佳乃、タバコ吸いたいな。
「高校生が堂々とライター持ってるわけないでしょ」
「ちっ、
渡良瀬の名を語るおっさんに理不尽な舌打ちをされる。
もしかしなくても、この男は
登校日には顔を合わせる担任教師が
「
……登坂が現れた時点で予測はしていたが、露骨に落胆はする。夜の屋上で約束を交わした瞬間から心待ちにしていた反動に襲われ、
「待ち合わせするなら連絡先くらい交換しとけ。オレは佳乃の
登坂のボヤキなど、放心の耳には入らない。
「渡良瀬はどうして来ないんですか……?」
「お前のことが嫌いだってよ。能天気でアホだからキモいって文句言ってたなぁ」
渡良瀬にそこまで軽蔑されていたなんて……もう、立ち直れない。
「なーんてな、佳乃もそこまで鬼じゃねえ。お前のガチへこみ、まじウケるわ~」
「てめぇ! 純粋な教え子の恋路を弄ぶんじゃねぇよ!」
「辛気臭せぇツラしてるアホな教え子を励ましてやったんだろうが! 感謝しろや!」
「給料泥棒の不良教師に感謝する要素がないだろ!」
静まり返っていた校門前に、幼稚な男二人のアホくさい口論が響く。
時間の無駄だとお互いに察し、ほぼ同時に反論をやめたことで神妙な空気が張り詰めた。
「……佳乃は体調を崩したんだよ。本人はここに来るつもりだったらしいが、大事を取ってオレが休ませたってわけだ。すまんな、お互いに楽しみにしてたっぽいのに」
「……それなら仕方ないです。俺が登坂先生の立場でも、渡良瀬を休ませると思います」
ふざけた
そんな登坂の選択を納得して受け入れたが、ここで
「渡良瀬の叔父なのは分かりますけど、たまに親みたいな距離感で接しますよね」
「まあ……今は親みたいなもんだからな」
しきりに
元を
「もしかして、渡良瀬と一緒に住んでるんですか?」
「ああ……ちょっと訳ありでな。オレが保護者として面倒見てる現状だ」
登坂はそう
「星空スポットに行こうとしてたってことは、どうせ親の車を借りてきたんだろ。寒いからオレのアパートまで乗せてってくれ」
「歩いて帰ってくださいよ……!」
「佳乃に会わせてやらんこともないが、どうする?」
そのエサは
「……
「それじゃ、決まりだな」
なぜか
「うわっ、初心者マークのランクル! ダサっ!」
うざっ! 駐車場で馬鹿笑いするクソ教師を
物騒な冗談を思い浮かべながら、当初の目的地とは異なる方角へ出発。
不機嫌な曇り空の下に敷かれたアスファルトを初心者マーク付きの車で快走し、