第二章 気が付けばいつも一人になっているような後輩 6

「どうも、体験入部のはなびしです。一緒に美術部を体験しましょう」

 作戦が始まる。準備万端の俺は爽やかに、下級生の目線を共有した。

「あっ、そうなんですね。よ、よろしくお願いします」

 戸惑いの反応を示す下級生。三年生がこの時期に文化部の体験入部をするなんて、普通は想定しない。俺は見学者になりすまし、入部を促すためのサクラ。受け身で物静かな初対面の女子同士を二人きりで閉じ込めるよりは、にぎやかしのアホ男子がまぎれ込んでいたほうが雰囲気も温まる。

 用意された椅子に下級生が恐縮しながら腰掛けたところで、パネルとたいしたまま背を向けていた渡良瀬が立ち上がり、こちらへ振り返った。

「…………」

 仁王立ちしたわたは、何かを言いたげに口を半開きにするも……しばらく続く無言。

 視線を頭上に向けたり、床に落としたりしながら立ち尽くす。

 事態を察した俺はスケッチブックをめくって、前方を注視する下級生には気付かれないように鉛筆で文字をつづり、対面の渡良瀬にこっそりと掲げた。

【美術部で部長をしている二年の渡良瀬です。見学中に分からないことや質問などがあったら気軽に聞いてくださいね】

 この文面が書かれたスケッチブックを目視した渡良瀬は、

「……美術部で部長をしている二年の渡良瀬ですー。見学中に……何かがあったら……どうにかしてくださいー。お願いしますー」

 律儀にて読み上げたものの、読まされてる感が際立つ棒読み! 後半部分はアドリブで指導の放棄を匂わすというツカミの失敗っぷりを披露してしまった……。

 部長として軽く挨拶する流れにもかかわらず、渡良瀬は緊張のあまり簡単な文面すらど忘れしていた。即座に察知した俺はカンペでしのごうと試みたが……速筆を重視した文字が読みづらかったらしく、渡良瀬の細めた目つきと眉間のシワが遺憾の意を物語っている。

 やれやれ、困った部長様だ。ごめんなさいね。

「……それでは、さっそく今日の活動を始めます」

 事前に打ち合わせた渡良瀬の台詞せりふを言い終え、まずは基礎となるデッサン。

 あらかじめ卓上に準備していたワインの空き瓶とリンゴをモチーフにした渡良瀬が、長方形のパネルに手を掛けたタイミングを見計らい、

「部長、それはどのような作業なの?」

 ど素人っぽい質問を入れていく。

 渡良瀬は一度集中しだすと絡みづらいオーラを発散するため、初対面の下級生が質問するのは荷が重い。下級生と似た立場を自称するやつが、初心者目線で解説を引き出してやるのが最適だと思ったのだ。

「……デッサンを始める前に環境を整えます。スケッチブックでも簡単なデッサンはできますが、今日はせっかく見学してもらえるので……何かしら勉強になればと」

 ぎこちないものの、渡良瀬はどうにか答え始めた。彼女なりに初心者のことを考え、まずは関心を引くために基礎的な手順から説明していくらしい。

「……絵を描く前に木製のパネルへB3サイズの画用紙を〝水張り〟していきます。に水を染み込ませて……画用紙の裏側に塗っていきましょう。ムラにならないよう、紙の中心から……外側に向かって塗っていくのがポイントです」

 渡良瀬は分かりやすい言葉を用いながら、裏返した画用紙に刷毛を走らせる。中心からバツを描くように水を塗り、れた刷毛で続けざまに十字を引いた。

 水の塗り残しがないかどうか目視で確認し、渡良瀬は刷毛を置く。

「……紙が水を吸うまで、少し待ちます」

 そう言うと、わたは棒立ちのまま唇を結ぶ。

 ……当然ながら美術室には静寂が訪れ、耳に残るのは吹奏楽部が吹く管楽器のみ。全員が沈黙するがゆい間は、緊張気味の新入生にとってストレスになるかもしれない。

【フリートークでつなぐ】

 テレビ番組のADをたカンペをチラつかせてみるが、渡良瀬は両手の人差し指を胸元で交差させて『無理に決まってるだろアホ野郎』みたいな意思表示を透けさせる。

 よく考えなくても、場を繋ぐためのフリートークなど荷が重すぎるか。

「部長が日頃からやってる鉛筆の削り方を教えてください」

 手を挙げ、俺なりの助け舟を出す。

「……えっと……鉛筆というのは、力任せに削ればいいというものではありません」

「えっ? 鉛筆削りは使わないんですか?」

 下級生のうっかり発言が、カッターを持つ渡良瀬の動作を一時的に止めた。

 鉛筆に関して同じような台詞せりふを、どこかの帰宅部も言っていたような……。

「……ナンセンス。鉛筆デッサンにおいては、自分が使う鉛筆はカッターナイフで削るのが一般的です。鉛筆を寝かせて太い線を意図的に描く場合も多々あるため、通常よりも芯を長く突き出しておかないといけません。寝かせて使いやすいよう、削ったときにしにする木部もなだらかな傾斜にしておきましょう」

「は、はあ」

「B系の鉛筆は芯が柔らかくて丸くなりやすいので、描いている途中でもこまめに研磨することが大切です。結構折れやすいので、芯は1・5センチくらい出せば大丈夫です。H系は硬いのですが、そのぶん減りにくいので最初に頑張って削りましょう。芯は2センチくらい出しておくと、寝かせても使いやすいと思いますよ」

「ほ、ほお」

 とうの語り口に圧倒された下級生から、間抜けなあいづちが連発した。

 フリートークは不可能でも、好きなジャンルの雑学ならペラペラと舌が回るのが渡良瀬よしという後輩だ。初心者の下級生が渡良瀬のスイッチを無自覚に切り替えてしまい、不燃性だった瞳に布教の火がともっている。

「……削りますか、鉛筆」

「え、その~、あの~」

「……削りましょう、鉛筆。楽しいですよ」

 真新しい鉛筆とカッターナイフを握りながらじようぜつに語りだした部長と、気後れした様子の下級生。この対比が外野目線だと実に愉快で口角が勝手に上がってしまう。

 孤独なイメージはあるが、これは普段の渡良瀬で。少なくとも、最近の俺はよく存じ上げている高揚の声音を惜しみなく披露していた。

 根拠のない憶測だけど、渡良瀬はこういう部活をやりたかったんじゃないかな。一人の部室で黙々と描き進めるだけではなく、自分の好きなものを誰かと共有し、分かち合いたかったのだとしたら、とても不器用で愛らしい。

 こんな自分好みの妄想、わたにとっては最高に迷惑だろうけど。

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