第二章 紅林鈴音の本性を僕たちはまだ知らない その3
——一時間後。
「さぁて、お掃除が終わったわ。お風呂もとっくに沸いているみたいだし、早速入りましょうか。ね、要くん?」
ぴかぴかになった僕の部屋で、鈴音さんが衣服を脱ぎ始めていた。
「ま、待ってください鈴音さん! ホントに入るんですかっ?」
「当然よね。——あぁ大丈夫。今回は取って食うなんてことはしないから」
今回は……っ!?
「さあほら、私も脱ぐんだから要くんも脱ぎ脱ぎしちゃってね?」
言いながら、鈴音さんはどんどん脱いでいく。エプロンを外して、ニットセーターも脱いで、ロングスカートまで脱いで、ついには下着姿に……と思いきや——
「……あれ? 水着ですか?」
そう、あらわになったのは下着じゃなく水着だった。ビキニではあるけれど、フリルがついた清楚な感じのヤツだ。色は白。
——ていうか待って! 水着を着込んでるってことは、最初からお風呂に入るつもりで僕の部屋に来てたってことなの!?
「あら要くん、何を絶望したような表情を浮かべているのかしら。もしかして水着じゃなくて裸の方が良かったとか? もぅ、えっちね」
あなたの計画性の高さに絶望しているだけなんですが!
……でもこの感じ、正直嫌いじゃない。
ハチャメチャに振り回され、もてあそばれるこの感じは、少しだけ《お姉ちゃん》を想起させてくれる。もしかして鈴音さんが《お姉ちゃん》本人なのかな?
「ところで要くん、どうかしらこの水着?」
鈴音さんが白いビキニ姿でセクシーなポーズを取り始める。深い谷間を強調したり、臀部を強調したり……もはや感想としては素晴らしいのひと言だ。なんかもうジッと見ていることが出来ないくらい扇情的というか、ビキニ自体はさっきも言った通りむしろ清楚系なんだけれど、鈴音さんの体がえちえち過ぎて清楚は別次元に旅立ってしまっていた。
「あら要くんったら、お顔が真っ赤よ?」
「だ、だって鈴音さんがそんな格好だから……っ!」
「あぁもうっ、ウブウブな要くんも素敵っ♪ もういいわ私の感想なんていらないから要くんも水着に着替えて早いところ一緒にお風呂に入って汚れを落としちゃおうねっ!」
そう言って僕にトランクスタイプの水着を手渡してくる鈴音さん。
「よ、用意してくれたんですか?」
「ええ、元々持っていたのよ」
「なんで男モノの水着を持ってるんですか!?」
「もしもの時に役立つかと思って災害セットと一緒にね」
非常食みたいなノリ!?
「それより要くん、一人でお着替え出来る? 出来ないなら手伝ってあげるのだけど」
「で、出来ますから先にお風呂場まで行っててください!」
「手伝いたかったのに残念だわ」
もはや本性を隠すつもりがないんだね……。
「じゃ、必ず来てちょうだいね?」
この隙に逃げようかと思ったけれど、それはさすがに不誠実だからやめることにして、僕は大人しく水着に着替えた。それから緊張と共に鈴音さんが待つお風呂場に移動する。
「あら~、水着はぴったりだったようね? ふふ、良かったわ」
風呂場への戸を押し開けると、鈴音さんは洗い場に佇んでいた。僕もその場に入ろうとしたものの、正直狭くて躊躇する。完全に一人用なんだよね、このお風呂場。洗い場と浴槽に一人ずつなら、なんとか二人で入れるだろうけれど……。
「どうしたの要くん?」
「え? あ、あの……狭いから入りづらくて」
「しくしく……いきなりお風呂の間取りをディスられて非常にショックだわ」
「べ、別にディスったわけじゃ……!」
「——でもね要くん、狭いからこそ、いいことだってあるのよ?」
鈴音さんは悲しげな表情から一転、目をきらんと輝かせたかと思えば——僕の手を引っ張ってお風呂場に強制入場させたのだった。
「わわっ……!」
引っ張られた僕は意図せずして、鈴音さんの懐に飛び込んでしまう。次の瞬間には、ふにょん、と鈴音さんの胸元に顔を突っ込ませていた。や、柔らかい……!
「ふふ、いらっしゃい。狭いとこうして密着出来るのだし、悪いことばかりではないでしょう?」
「ふごご……!」
悪いことではなくても不健全ではある気がして、僕は離れようとするのだけれど、
「ダメよ要くん。離れようとしてはダメ。プライドなんか捨てて密着しちゃおうね? 親御さんが居なくて寂しいでしょうから、今はいっぱい甘えてくれていいのよ?」
そう言って鈴音さんが僕をより強く抱き締めてくる。ふにふにのおっぱいに包まれてすごく気持ちがいいものの、しかしだ。そのおっぱいから顔を上げて僕は反論する。
「ぷはぁ……ぼ、僕はもう親に甘える歳じゃないですし!」
「じゃあ私のことを恋人だと思ってくれていいのよ? 年上の恋人に甘えるのは当然のことよね?」
「こ、恋人!?」
「そうよ要くん。ふへへ……私は今だけあなたの恋人よ?」
なんか悪い笑顔になってるんだけど……っ!
「は、離してください! 今の鈴音さんは恋人じゃなくて変人です!」
「そうね、変人で結構よ。もうたまらないわ、要くんのほっそりとした体って素敵よね」
「ふあっ!」
顔に頬ずりされ、僕は変な声を出してしまう。
「あらぁ、可愛い声ね。もっとそういう声を聞かせてくれる?」
「い、イヤですぅ!」
「あぁんっ、ダメよ要くん。そんなに暴れたら危ないわ」
僕は身をよじって鈴音さんのハグから必死に脱出を図ろうとする。
しかしそれがいけなかった。
ほのかに湿ったお風呂場のタイルが、身をよじる僕の足元をずるんと滑らせ——
「——ぁ」
そうなった時にはもうどうしようもなくて、僕は背中から倒れていく。
鈴音さんをも巻き込んで、直後には——
どんがらでげでんっ。
と盛大な騒音と共にお風呂場の床に体を打ち付けていた。
いてて……。とりあえず意識は無事だけれど、やけに息苦しいことに気が付いて、僕は衝撃で閉じていた目を開ける。
——と。
「ぃ……っ!?」
目の前に、ぱつんぱつんの桃があった。
桃というか、鈴音さんのお尻だった。
何がどうなってこんな状態になってしまったのかはてんで分からないのだけれど、僕は鈴音さんの臀部に顔面を圧迫されてしまっていた。
「やんっ……くすぐったいわ……」
僕の息遣いが大事な部分に当たっているからか、鈴音さんは体を悶々と震わせていた。
その一方でドン! ドン! と隣の部屋と下の部屋から何かを叩くような物音が聞こえてくる。それはこっち側の隣室住人であるいなほさんと、下の部屋の住人であるゲーム廃人さんが奏でる壁ドンと天井ドンの音だった。
……多分僕たちの転倒がうるさかったんだと思う。
ごめんなさい! と心の中で謝罪しつつ、僕は鈴音さんのお尻をどかそうとする。口元が塞がれているので、どいてくださいの意味を込めて鈴音さんのお尻をぺちぺち叩く。
「あぁんっ……要くんったら、こんな時にスパンキングだなんて……!」
「んんー!(違いますよ!)」
「というのは冗談で、ええ、分かっているわ。今すぐどいてあげるからね?」
鈴音さんはお尻を上げてくれた。それから僕を気遣うように抱え起こしてくれる。
「大丈夫だった? 怪我はない?」
「……い、一応大丈夫です」
「ふふ、私のお尻はどうだったかしら?」
「……なんですかその質問」
ハリがあって最高でした、とでも正直に言えばいいのだろうか。
「なるほど、ハリがあって最高だったのね?」
心を読まれた……っ!?
「それと、いなほちゃんたちに本来の意味での壁ドンをされてしまったようだし、ここからは大人しく湯船に浸かっちゃいましょうね?」
そんなこんなで、僕たちは狭い湯船で向かい合うように座って、なんてことない話をし始めるのだった。
※
やがて僕たちはお風呂から上がった。その後は鈴音さんに町案内と称されて、千石町を久しぶりにきちんと見て回ることになった。
「あんなところにコンビニってありましたっけ?」
「この間オープンしたのよ。前まではアダルトショップだったのだけど」
「イヤなコンビニですね……」
散歩も兼ねて、僕たちは歩きで千石町の風景を観察していた。
「それより要くん、そろそろ疲れたんじゃないかしら。おんぶしてあげましょうか?」
「外に出てまだ一〇分くらいですけど!?」
どんだけ低体力に見られてるの僕!
「じゃあおててくらいは繋ぎましょうね? 迷子になられたら大変だもの」
鈴音さんが僕の手をそっと掴んできた。ドキッとしたけれど、その動揺を表に出したら尋常じゃなく可愛がられそうな気がしたから、僕はグッとこらえてみせた。
というか。
何気に鈴音さんが車道側を歩いているので、僕はそそくさと場所を入れ替わる。
「あら、どうしてそっち側に行ったの?」
「ぼ、僕男ですから、車道側を歩くべきかなって」
「——っ、素敵! お小遣いあげちゃう!」
鈴音さんがまた万札を扇状に展開してきたんだけど!
「し、しまってください! 受け取れませんから!」
そもそも一瞬で展開したけどどういう技術なの? マジシャンか何か?
「あぁ……要くんは謙虚でいい子ね。お金に目がくらまないだなんて……」
鈴音さんが感激しながらお金をしまっていく。
「それはそうと要くん、あなたは車道側に行く必要はないのよ。私が車道側でいいの」
「? どうしてですか?」
「ショタのために死ねるなら——私は本望よ」
そう語る目はガチだった。素直にかっこいいって思ってしまったんだけど。
「あ、でも待って。そこにジムがあるからちょっと行ってくるわ」
急にそう言い出したかと思えば、鈴音さんは歩道の隅に向かっていく。
ジムって何? もしかして某位置ゲーやってるのかな?
「おまたせ。それじゃあ行きましょうか」
結局車道側を鈴音さんに取られつつ、僕たちは引き続き町を見て回っていく。
一〇年前に比べると、さっきのコンビニのみならず色々と変わっていた。
だからきっと——……《お姉ちゃん》も変わっているはずだ。
隣の人がその変わった姿なんじゃないかと、僕は少し疑いの目を持ちつつ歩いている。
そうじゃない確率も当然高いから、あくまで数ある可能性のひとつとして見ているだけだけれど。
「そろそろお昼ね。どこかで昼食を食べるとしましょうか」
市街地を練り歩いていると、時間の経過が早かった。
「あそこの喫茶店がおすすめなのだけど、どうかしら?」
鈴音さんは目の前に迫っていたオシャレな喫茶店を指差した。
なんだろう、タイミング的にここを狙って来た感じがするよね。
「なんでおすすめなんですか?」
「ふふ、入れば分かるわ」
不敵な笑みだった。何が待ち受けているんだろうか。
僕は鈴音さんと一緒に目の前の喫茶店に足を踏み入れていく。
すると——
「いらっしゃいませーっ!」
と、弾けた笑顔で僕たちを出迎えてくれたホールスタッフのお姉さんに、僕は見覚えがあった。
「あれ……一夏さん?」
「うわっ、要っちと鈴音っちじゃん!」
そう、そのホールスタッフは一夏さんだった。ヒラヒラのめっちゃ可愛い給仕服を着用していて、白ギャルウェイトレスとでも言えばいいのか、とにかくキュートだった。
「ゴミ出し後に戻ってこないと思ったら、そのままバイトに行ってたんですね」
現状、動画投稿だけじゃ生活が厳しいのかな。ちょっと世知辛い。
「なんで来ちゃうかなぁ。鈴音っちさあ、これもう完全にわざと乗り込んできたよね?」
「ダメだったかしら?」
「ダメじゃないけどさぁ……ハズいじゃん。微妙にこれ、似合ってない気もするし」
一夏さんは給仕服を見下ろしながら照れていた。
「あ、あのっ、僕は可愛いと思いますよ。絶対にもっと胸を張るべきです」
この格好で動画を出したらバズって登録者数が伸びるんじゃないかって思うほどだし。
「そ、そうかな? えへへ、ありがとね要っち」
「要くんに褒められるだなんて羨ましいわ……一夏ちゃんの家賃、今月は二倍ね?」
「なんでっ!?」
そんな横暴なひと幕もありつつ、僕と鈴音さんは席に通された。ナポリタンが一番のおすすめとのことで、僕たちは二人ともナポリタンを注文した。
「美味しいですね」
手元に届いたナポリタンを早速食べ始めているのだけれど、とても美味だ。
「あぁ、いいわね~。お口の周りを真っ赤にしてナポリタンを頬張るショタって素敵……」
対面に座る鈴音さんが変なことを言っているけれど、僕は気にしないことにした。