第一章 夢のように楽しいお話 その2
「この世界は人の手で作られた物です」
異能学校にある体育館に全校生徒が集められ、始業式が行われていた。
そこで新任教師として赴任する事になった神永カムイは全校生徒の前で演台に立ち、マイクを手に持ってスピーチを行っていた。
「今、我々が立っている校舎も、町の家々も、全ての建造物が人の手で作られた物です。そして、君達が毎日食べている食事も、農家の皆さんが育てた作物や、畜産業に従事している方々が育てた家畜、そして漁業に携わる方々のおかげで提供される魚介類です。それらは全て人の手で作られ、育てられ、捕獲され、運搬に携わる方々の手で運ばれ、または加工され、親御さんの手で調理され、皆さんの口に入ります」
神永カムイの発言は熱を帯びていく。
「皆さんは自分の身体が三年後には全て作りかえられている事を知っていますか? 皆さんの身体では日々、細胞分裂や新陳代謝で古い細胞が捨てられ、新しい細胞が作られています。そして、三年たった頃には全ての細胞が新しいモノに作りかえられる事になります。つまり、卒業後の皆さんは文字通り生まれ変わった状態になりますね?」
神永カムイ的には面白い話をしているつもりなのだろうが、集められた生徒達は退屈な話だと感じ始めたのか、近くの生徒同士で雑談に花を咲かせ始めていた。
「皆さんの身体を構成する細胞も、他の誰かのおかげで作られた物です。この世界では、自分一人の力だけでは生きる事も出来ないわけです。しかし、それは悲観すべき事ではありません。何故なら皆さんは決して一人ではないからです。昨日も、今日も、明日も、この世界にいる一人一人の力が働き、この世界を新しく作りかえていく事でしょう」
カムイの声が熱を帯びると共に、体育館内がざわついていく。
むろん、カムイの発言に感銘を受けた生徒のどよめきが起きた訳ではなく、雑談してもまともに注意する者がいない為、生徒同士の会話が激しくなっているだけだった。
もう誰も、カムイの話を聞いていない。
「だから皆さんも、他の誰かを支え、世界を作っていく人達の一員に成長してほしいと思っています。その為の手伝いが出来れば幸いです。一緒に頑張っていきましょう」
カムイの話が終わった後、しばらくしてから、控えめな拍手が体育館の中で響いた。
*
「いやあ、感動しちゃったなあ。先生の言葉に私は胸を打たれちゃったなあ。誰も聞いてませんでしたけど」
「うるせえ! 解ってんだよ!」
スピーチを終えた後に近づいてきた雪姫に対して、カムイは怒鳴り声を浴びせる。
「大体俺以外に教師がいないってどういう事だ!? 職員室が無人だったぞ? 校長室に校長いただけだったぞ?」
「少し前までいたんですけど、皆辞めちゃったんです。元々教師の数は少ないし」
「限度があるだろ! なんなんだ! 校長と俺だけでどうしろっていうんだ!」
「そんな事私に言われましてもねえ。とりあえず校長先生に聞けばいいんじゃないですか? 私はもう教室に戻るんで」
「あ、ああ」
「お昼は一緒に食べましょうね」
雪姫は上機嫌に手を振りながら、カムイから離れていく。
カムイのスピーチが終わった事で、体育館は既に生徒の姿もまばらだ。
これから授業が始まるのだろうが、そもそも生徒の数も、クラスの数も把握していないし、自分が担当する事になるクラスも解らない。
そもそもこんな広くて生徒数が多い学校で、教師が一人なんて無茶苦茶にも程がある。
カムイの担当科目は歴史だが、他の科目は一体どうするつもりなのだ。
憤然としながら、カムイは足を踏み入れたばかりの体育館を後にし、校長室に向かった。
「神永君。ここからスピーカー越しに聞いてたけど、良い演説だったよ。君の言葉に私は感銘を受けたよ。誰も聞いてなかっただろうけど」
先ほどの雪姫と同じような事を言う校長に対して、カムイは顔面を引きつらせていた。
事前に何の説明も無しに、いきなり全校朝礼をやらされた割には、自分はよくやった方だと思っていたカムイは理不尽だと思っていたが、校長にそんな事は言えない。
眼の前にいる校長の席には、銀髪を長く伸ばし、スタイル抜群の肢体を、軍服のような、看守服のような、奇妙な形のスーツで纏う女がいた。
この学校の校長であり、神永カムイを教師として呼び寄せた張本人だった。
陽子の年齢は二十代後半くらいに見える。
「それにしても感慨深いなあ。まさか私の教え子の中で一番の不良だった君が教師になるとはねえ。出来の悪い子ほど可愛く感じる私は嬉しいよ」
しかし、騙されてはいけない。
この白銀陽子。神永カムイが小学生の頃から今の容姿だったのだ。
「神永君。くれぐれも学生時代みたいなヤンチャは控えてくれよ? 無理だろうけど」
おそらく、何らかの異能で見た目年齢を誤魔化しているのか、そもそも老化という概念の無い化物なのかは解らないが、とにかくカムイが知る限り、常にどこかの異能学校の校長の席に、白銀陽子は存在していたらしい。
異能者が集まる場所で、深くツッコミを入れるのは野暮なのだ。
「白銀校長。いくつか確認したい事があるんですが、俺以外の教員は何処にいるんですか?」
「いないよ。この学校の教師は君だけ」
「……何故ですか?」
「う~ん。色々な理由で皆辞めちゃってさあ。何で辞めたのかは覚えてないや」
「はあ!?」
「……いや、神永君。『はあ!?』とか、そんな怒鳴り声出すなよ。まるで私に責任があるみたいじゃないか」
「あるだろ! アンタが校長なんだから!」
カムイの剣幕に、陽子はやれやれと肩をすくめる。
「そんな事言われてもさあ、私もこの学校にだけ関わってる訳にはいかないんだよ。他の異能学校の校長も兼任してるしさあ」
「校長の職務を兼任!?」
「そうそう。いわば私ってこの学園島全体を一つの学校と見なした校長なんだよ。この島にある学校の校長、全部私ね」
「……」
カムイはもう、何処から突っ込めばいいのか解らなくなって絶句した。
複数の学校で校長の職務を兼任。
異能学生に対する教育の現場を、全て一個人に押し付けようとしているようだ。
「さすがに他の学校では教員の数がゼロになるような事は無いけどね。ここの生徒は他の異能学校の生徒に比べて、圧倒的に偏差値が低いし、飛び抜けてガラが悪いからさあ。赴任してくる教師は皆ビビって辞めちゃうんだよ」
「そういう問題ですかね……いくらなんでも教員の数がゼロって有り得ないと思いますけど……不登校の生徒が何百人もいるって話よりも現実味無いですよ」
「まあね。もの凄い田舎に行けば、生徒数が一ケタ台になったりするくらい過疎化が進んでるけど、教員の人数は確保してるしね。どう考えても人件費無駄だと思うけど」
「授業はどうしてるんですか? まさか全部自習を……」
「ああ、違う違う。学園島は最新鋭の設備を充実させているからね」
「……?」
カムイは校長の言葉の意味が解らず、首を傾げた。
設備が充実しても、教員の数がゼロになって良いとは思えなかったのだ。
「学園島の学校で行う授業はね、黒板もチョークも使わないし、生徒はノートも鉛筆も使わないのさ」
「は?」
「モニター使って超一流講師達の録画授業を連日流して、完璧な授業スケジュールを管理しながら、PCを操作して生徒は授業を受けるんだ。テストもタブレットを使う」
「デジタルすぎる! 俺が授業を出来るとは思えねえ!」
「は? 君みたいな教員歴の短いポンコツ使うわけないだろ。録画授業の内容は完璧だよ? 『いつやるか? 今でしょ!』な人の授業を筆頭に、教材は揃ってるのさ」
「……それで、偏差値が低いのは何故です」
「生徒がアホだからだろ」
「……」
教育に対する情熱が欠片も感じられない校長の言葉に、カムイは絶句するしかない。
というか、ずっと絶句していた。あまりにも衝撃的すぎたのだ。
人類の中で異能者が誕生し、自分もその一人だった事で、自分や周囲の異能に翻弄されてきた人生だったが、カムイにとってはそれ以上に衝撃的だった。
教師が黒板にチョークで何も書かず、生徒がノートに鉛筆で何も書かない。
教師と生徒が実際に会わず、画面越しに授業を受ける。
デジタル化。合理化。効率化で無駄を省くのは良い事だろう。
金銭のやり取りも、電子通貨を用いて現金を使用する事が減っている。
アナログ時代のように、無駄な物を使わず、電子的に済ませてしまう方が良い。
そういう考えもあるだろう。
しかし、カムイはどこか
「便利な時代になったものだね神永君。人間様様だよまったく」
「はあ、そうですかね……」
「その内、ドローンが全ての仕事を人間の代わりにしてくれるようになるんじゃないの」
「……」
「それで、人間は全員働かずに生きて、政府の言う事を聞くだけで食うに困らなくなるというユートピアに……」
「それはディストピアだよ! アンタわざと言ってるだろ!」
「きゃははは!」
「きゃははじゃねえよ! 年齢考えろ!」
瞬間、カムイは身体を明後日の方向に曲げながら校長室の壁に叩きつけられた。
何か、念動力のような力で吹き飛ばされたのだ。
「んん? 今なんて言ったのかなあ?」
「な、何でもないです」
カムイは明後日の方向に曲がった関節を元に戻しながら、フラフラと立ち上がる。