第一章 夢のように楽しいお話 その3
「そ、それで、授業は全て録画映像を使うという事ですが、俺は一体ここで何をやればいいんです」
「おいおいおい、神永君。自分が何をすればいいのか解らないなんて困るなあ。いつまで学生気分でいるんだい? 社会人は指示されなくても『何すればいいのかなあ~』とか言って自主的に仕事を探すんだよ」
「はあ!?」
「自分が何をしなければいけないのかを第三者に聞くなんてナンセンスなんだよ。自分で考えて自分で行動するんだ。それが社会人なの。大人になれよ神永君」
「いやいやいや! 赴任して初日ですよ! 手続きとか、ノウハウは教わりますよ普通は!」
「私は校長になった初日から誰からも何にも口出しされなかったもんね。だ~れも何も教えてくれませんでした~」
「……」
カムイは、何か悪趣味な冗談に付き合わされているような気分になってきた。
しかし、白銀校長の言わんとしている事も解る。
命令や指示なしでは何もしないし、自分で判断して行動出来ない。
そんな人材は社会で必要とされないだろう。
如何なる職種であろうと、自ら貢献する方法を考えるべきだと、つい今しがた、生徒の前で偉そうに演説してしまったカムイは、返す言葉が見つからない。
しかし、新任教師に担任するクラスも無い、担当する授業も無いと言われて、途方に暮れるなというのは、いくらなんでも無茶苦茶ではないかと思った。
「まあ、私は慈悲深い方だから、人生の先輩としてアドバイスくらいはしてあげよう」
「はあ」
「とりあえず、録画映像ではカバーしきれない体育の授業を君に担当してもらいたいんだよね」
「え!? ちょっと待ってください! 俺の担当は歴史です! 保健体育の教員資格は持っていません!」
「どうでもいいんだよそんな事は。勉強より運動の方が得意な癖に何を言ってんだよ」
白銀校長は突然命令口調になった。
段々と、カムイは返事をする気力を失ってきた。
「あと、この校舎は用務員も出入りする事をビビって嫌がってるから、割れた蛍光灯とか、備品の整備するヤツいないんだよね。やっといてね」
「え……一人で……?」
カムイは、顔面を蒼白にした。
熱血教師として赴任し、可愛い教え子に囲まれるファンタジーな学園生活を夢見ていた訳ではないが、多少なりとも自分なりの教師像があり、それを目指して邁進する覚悟を決めて校舎に足を運んだのに、道行に暗雲が立ち込めるどころか、道に迷って右往左往しているような気分になってきた。
近年、就職した若者が、一年以内に離職する比率が上昇し続けているが、こういう「思っていた職場と違う」という感覚が原因ではなかろうか。
「まあ、君は教員免許とか関係無しに、勉強だけはバカみたいに全教科出来るんだから、授業についていけない生徒とかに、追試の授業とかしてやればいいんじゃないの? 誰も追試なんか受けないだろうけど」
「……なるほど……」
カムイは顎に手を当てて考え込むと、それはそれで悪くないような気がしてきた。
どちらかというと、成績の良い生徒ばかりを優遇し、成績の悪い生徒を放置する傾向のある、今の教育機関のやり方には文句があったのだ。
授業についていけない生徒や、苦手科目がある生徒を相手に、親身になって勉強を教えてやる。それが神永カムイの目指す理想的な教師像なのだ。
「……今の私の提案に嬉しそうになるなんて、君は本当にバカなんだな」
「え? 何故ですか?」
「勉強なんか苦にならないヤツがドンドン成績上げて、苦手なヤツは一生苦手なままなんだよ。全員が君みたいな勉強バカじゃないの」
「さっきから気になってたんですけど、何で勉強できる俺をバカ呼ばわりするんですか?」
「いや君ってかなりバカだよ? 私も長い間校長やって、色々な異能学生見てきたけど、異能を戦闘力じゃなくて成績を上げる為に使ったヤツは見たことないしね」
「……」
この世界の異能者には、それぞれ固有の異能があり、大別すると二種類に分類される。
何らかの特殊な体質や強靭な肉体を得る『超人化』。
何らかの特殊な能力を持つ道具を作る『具現化』。
それが異能者の持つ異能だ。
神永カムイの異能は、一度視認した物を全て一瞬で記憶する『瞬間記憶』だ。
一応、『超人化』を使用した異能だが、その異能を駆使し、カムイは教科書の内容を暗記し、常に好成績を収めてきた。
そして教員資格も得て、今まさに異能教師としての第一歩を踏み出そうとしているのだ。
「自分が得意だった分野を仕事に選ぶのは普通の事でしょ」
「っは。君は暗記が得意なだけで、人に教える事は出来ないだろ。一応言っておくけど、君以外のヤツは誰も『瞬間記憶』なんて出来ないからな。本を読んで、全ページ、一言一句全て正確に記憶したり出来ないの」
「サヴァンシンドロームの患者に俺と似たような事が出来る人はいるみたいですけど」
「あ~うるさいうるさい。訳の解らない事は聞きたくない」
白銀校長は鬱陶しそうに手を振り、カムイから眼を逸らす。
「さっきも言った通り、授業内容は全部プログラム任せだ。君は校舎を見回ったりして、生徒が授業をサボらないようにしたり、校内の備品の管理とかしてればいいんだよ。解らない事があれば自分で考えろ。私に聞くな。以上」
適当極まりない説明で、話を終えようとする白銀校長に、カムイは溜息を吐いた。
これ以上話しても得るものは無いと判断し、校長室から出ようとしたが、
「あ、そうだ校長。俺は教員用の寮に住むんですよね? 荷物が先に届いている筈ですが、寮の場所を教えてくれませんか?」
一番肝心な事を聞きそびれていた事を思い出した。
カムイは学園島の外にある全寮制の学校に入学し、教員資格を得た。
そして荷物を先に届け、学園島に上陸したその足で、この校舎に来たのだ。
つまり、今日から自分が住む事になる部屋を、まだ見ていない。
退職しなければ、数年から数十年は住む事になるであろう、その部屋が、どんな空間なのか、結構気になっていたのだ。
「ああ、君は寮じゃなくて宿直室に住んでもらうから。荷物もそこに届いてる筈だよ」
「…………え?」
その時、もう何度も絶句したり、驚愕していたカムイは、全身を硬直させた。
「宿直室……?」
神永カムイは知っている。宿直室という言葉の意味を知っている。
宿直とは、勤務先に交代で宿泊し、夜の番をするという意味だ。
つまり宿直室は、職場で夜の見回りをする職員が宿泊する為の部屋。
まだ昭和だった頃の日本では、学校にも宿直室があった。
監視カメラや防犯ブザーなどの設備が無かったような時代だ。
夜の学校に侵入する不審者に備えて、教師達が泊まり込みで警備していたのだ。
「……」
そして、神永カムイは知っている。学校で宿直という職務が無くなった理由を。
それは、宿直室で寝起きしていた教師が酒を飲んでどんちゃん騒ぎしたり、女を連れ込んで破廉恥な行為に及んでしまったりしたからだ。
「……」
その、破廉恥な行為とやらが、具体的に何処まで破廉恥だったとか、相手が女子生徒だったりしたのか、とかは、さすがに知らない。
しかし、カムイの記憶の中では、確か宿直室では殺人事件も起きていた筈だ。
ネット検索の最中に目にした無数の情報や、根も葉も無い噂話を全て『瞬間記憶』で覚えていたカムイは、そんな宿直室に対する偏見を本気で信じていた。
カムイにとって、学校の宿直室とは、エロとグロが起きやすい魔境なのだ。
その宿直室に、自分が住む事を考えたカムイは、何か得体の知れない恐怖を感じた。
「この学校、高額な備品とかあるし、異能学生の能力値とか記録してるしさあ。結構侵入者が来るんだよねえ、テロリストとか」
「……テロ……リスト……?」
「だからまあ、教師一同、交代で宿直室に泊まって警備してもらう事になるんだけど、今君一人だから、住みこんでもらうって事でよろしく」
更に現実離れした単語が聞こえてきたが、もうカムイに返事をする気力は無かった。