第二章 楽しい学園生活の始まり その1
昼休み。
校舎内にある学食で、カムイは雪姫と向かい合って昼食を食べていた。
といっても、食欲が無かったカムイはホットコーヒーを飲んでいるだけだった。
「先生、顔色悪いですね。コーヒーしか頼まなくていいんですか?」
「ちょっと……気分が悪くなってきてな……」
カムイは俯き加減になりながら呟く。
午前中やる事が何も無かった為、とりあえず校舎を見回りし、間取りや、学校設備の把握を試みたが、授業中の教室を覗きこんで愕然とした。
中高一貫校だからクラスの数、生徒の在籍数は膨大なものだったが、各教室にいる生徒の姿がまばらだったのだ。
机に空席が多い。
それも、高学年になるにつれて空席率が上がっている。
中には無人の教室で、超一流講師による熱弁が響きわたっていたりもした。
『やらなければ出来ない。ならやるしかないだろ!』
という熱い教育論が、誰もいない教室で流れているのを見つめた時、カムイは何か形容しようの無い虚無感に包まれたのだ。
「なあ、雪姫。何でこんなに出席率低いの……」
「ああ、そんな事気にしてたんですか」
雪姫はカムイとテーブルを挟んでうどんを啜りながら答える。
「授業は全部保存された映像ですから、いつでも寮のPCで視聴出来るんですよ。単位を取得できる最低限の時間授業に出たり、必要な授業映像だけ見てテスト勉強するわけです。テスト問題も大体使い回しだから、ちょっと裏技使って情報収集すれば高得点取れますし」
「……なんて適当な学校だ……」
「勝手の解らない低学年の子は真面目に教室に来ますけど、単位を取るコツが解った子はサボりまくりです。でも、必要最低限の出席で単位を取ってる生徒はまだマシですよ?」
「どういう意味だ?」
「半分以上の生徒は、端から単位取る気が無いんで、何も考えずにサボりまくりです。怒る先生いないし」
「……何だと? 単位を取れなかった生徒はどうなるんだ?」
「留年するだけです。その場合、衣食住が保障されていた学生寮の家賃とか学費とか、生活費諸々を自分で支払う事になるんですけどね。大体は奨学金で払うようになります」
「待て待て。奨学金は後で返さないと駄目な金だろ? 要するに借金だぞ?」
奨学金制度を使う事が多いアメリカの学生は、卒業後に奨学金の返済に追われ、ロクな生活を送る事も出来ず、老後になっても返済を終える事が出来ない者まで現れるなど、社会問題化していた。
日本でも、多額の奨学金を返済出来ない学生は存在する。
その事を知っていたカムイは眉をひそめたが、雪姫は苦笑するだけだ。
「異能学生なんだから、借金を返す手段はいくらでもありますよ。マグロ漁船とか、民間軍事会社に就職とか、医療関連の人体実験とか」
「進路がそうならないに越した事はないだろ? 何で誰も注意しないんだよ。この学校の設備見てると、金の無駄遣いにも程があるぞ」
「注意する先生もいたんですけどねえ。皆辞めちゃったし」
「それだ。そこが気になってたんだ。校長に聞いてもはぐらかされたんだが、何でここには教師がいないんだ。どうなってる?」
「だから元々いたんですけど、皆辞めたんです」
「何で?」
「ええっと、三人は女子に暴行未遂事件を起して校長に半殺しにされて……」
「何だと!?」
「男子を注意してボコボコにされて辞めちゃった先生も二、三人いますし」
「……」
「美形の男子を宿直室に入れて、ちょっとエロい悪戯して辞めちゃった女の先生もいました」
「宿直室で……! 女教師と男子生徒が……!」
「イジメで悩んでいた女子を相手に親身になって相談していた優しい先生もいたんですけど、その女子生徒を宿直室に入れたのがバレて辞めさせられました」
「マトモな教師はいないのか!」
「マトモな大人は教師なんか目指さないと思いますけど」
「おおい! 全世界の教師に失礼な事を言うのは止めろ! というか、まず俺に対して失礼だろ!」
「……?」
雪姫は再びキョトンとした。
「何で意味が解らないかのような態度を取る!? 今ここに! お前の眼の前に! 教師を目指して実際に教師になった男がいますよ! マトモな教師が!」
「いや、さすがに私も世界中の教師がマトモじゃないとか暴論言う気はありませんけど、先生ってマトモじゃない人の筆頭ですし」
「何処がだ!」
「何処がって……まあ自覚してないならいいですよ別に」
雪姫はやれやれと言いたげに肩をすくめた。
*
昼食を終えた雪姫が教室に戻ってしまったので、再びカムイはやる事が無くなった。
「ヤバい……ヤバいぞこれは……」
一人学食に残ったカムイは頭を抱えた。
今の所、雪姫からしか『先生』と呼ばれていない。
昔から先輩と連呼していた後輩から先生と呼ばれるようになっただけで何もしてない。
ふと一瞬、カムイの頭の中にひらめくものがある。
誰にも咎められないなら、宿直室で昼寝でもして過ごして、適当に校内の管理だけしてれば給料にありつけるかも。
三食昼寝付きで給料がもらえる夢のような生活が、今まさに始まる。
「おいテメエ!」
現実逃避をしていたカムイの前に、男子生徒が立っていた。
気がつかなかったが、カムイの周りに学ラン姿の男子生徒がわらわらと集まっている。
ざっと十人近く。
「氷室と何をしてやがった!」
「……」
質問の意図が解らなかったカムイは沈黙する。
「氷室に手出してんじゃねえだろうなコラ!」
「表に出ろクソオヤジが!」
「黙ってんじゃねえぞボケが!」
あまりに幼稚で酷い悪態が、十人近くの男子生徒の口から飛び出す。
それを聞いて、カムイは納得した。
雪姫の話では、この学校では女子生徒に手を出した教師が三人もいたという。
つまり、この学校の生徒は教師に対して信用が無い。
にも拘らず、自分は雪姫と二人きりで話すという行為に及んでしまった。
雪姫の友人が心配してもおかしくはないだろう。
「ああ、悪いな。誤解を招いたかもな。大丈夫だよ。俺と雪姫は昔からの知り合いでな。たまたま再会したから話してただけなんだ。何もしてないよ」
「うるせえんだよクソ野郎が!」
「氷室を下の名前で呼んでんじゃねえぞ!」
「殺すぞコラ!」
だが、男子生徒達の剣幕は収まらない。
「何をそんなに怒ってるんだよ。俺は雪姫に何もしてないって。それよりお前ら、今は授業中だぞ? 教室に戻らないと」
「テメエに言われたくねえんだよ!」
「教師の癖に学食で女子とダベってんじゃねえぞ!」
「殺してやるよ! マジで殺してやるよ!」
「……」
カムイは心底呆れていた。
学校の先生に対する生徒の態度としては酷すぎると思ったのだ。
すると、カムイの足を、一人の男子生徒が蹴った。
足を蹴られたカムイは、学食の椅子に座ったまま、キョトンとした。
間の抜けた表情で蹴られた自分の足を見つめていたカムイは、足を蹴った男子生徒に胸倉を掴まれ、無理矢理立たされる。
「俺らを舐めてんじゃねえぞ!」
「氷室は皆が狙ってんだよ! 手出してんじゃねえぞ!」
「俺らが殺すって言ったら本当に殺すんだよ!」
「これは脅しじゃねえんだよ!」
「身の程を解らせてやろうか!」
「なんか言えやコラ!」
「黙ってんじゃねえぞテメエ!」
立たされたカムイは、男子生徒に四方から殴られ、蹴られた。
罵詈雑言を浴びながら、顔や腹、背中を何度も殴打される。
しかし、
「こらこら。暴力は良くないぞ? 止めろって」
何故か、カムイは苦笑しながら微動だにしない。
人間を遥かに超越した身体能力を持つ異能学生の、それも腕っ節に自信があるであろう不良の暴行に晒されながら、カムイはそれに対して無反応だった。
「……!」
その時、一人の男子生徒が本気でキレた。
ヘラヘラと、笑いながら殴られ、蹴られているカムイの顔面に、渾身の拳を叩きこむ。
本気で、殺す気で下顎を狙い、殴りつけてやった。
グシャリ! という嫌な音が響いた。
カムイの頭蓋骨か、鼻の骨か、下顎が砕けた音のようだ。
殴った男子はニヤリと笑う。
だが、当のカムイは、
「うげ! お前何やってんの!?」
全くの無傷で、男子生徒を心配そうに見つめている。
何故なら、砕けたのは男子生徒の拳だったからだ。
明後日の方向に曲がった指が、プラプラと揺れている。
「え? 痛! 痛え! 痛えええ!」
殴られたカムイではなく、殴った男子生徒の方が負傷していたのだ。
「ろくに鍛えてないのに思い切り殴るからだよ」
カムイはその男子生徒の手を掴み、折れた骨を掴んで位置を調整する。
すると、ゴキリと嫌な音が鳴る。
「ぎゃああああああ!」
「よし。この状態で固定しろ。異能者なんだからすぐに治る治る」
しかし、痛みが原因で男子生徒が失神した。
その時、男子生徒全員が気付いた。
骨折こそしていないが、さっきから殴ったり蹴ったりしている自分達の手足に激痛が走っている事を。
今、目の前にいる教師の身体が、異様に硬い事を。
得体の知れない恐怖に襲われている男子生徒を見つめ、カムイは首を傾げるが、
「とりあえず、コイツを保健室に連れて行ってやれよ?」
なんて事を言いながら、カムイはスタスタと食堂を出て男子生徒達から離れて行った。