第二章『なんの変哲もないごく普通の「楽しい」一日』その4
少女は名を、
「さんねんせいなのです。したしき者は《こころちゃん》とわたしを呼ぶでしょう」
とは当人の談で。大人ぶっているつもりなのか、なんだか口調だけは固い女の子だ。
まあ、愛らしい背伸びだと言っていいのかもしれない。声は年相応なので、ちぐはぐな感じを受けるけれど、それも愛嬌と言えよう。
「で、どうして学校行ってないワケ?」
僕の代わりに天ヶ瀬が訊ねる。天使を被るのは諦めたらしい。
当の僕はといえば、事案と見做され当局のご厄介になる羽目を防ぐため、こころ少女の半径二メートル圏内への接近を(天ヶ瀬に)禁じられていた。
別段まあ文句はない。
実際、僕の如き氷点下男が女児の近くにいるとなれば、付近を通りかかる善意の父兄に要らぬ心配を与えかねない。外面は少なくとも天使である天ヶ瀬に、中和してもらおう。
「ひとさがしです」
果たして、問いにこころ少女はそう答えた。
「人探しって……誰を?」
首を傾げる天ヶ瀬に、ふんす、となぜか自慢げに少女は胸を張って。
「ぱっちーです」
「……誰て?」
天ヶ瀬は首を傾げたが、僕のほうは《パッチー》を知っていた。
つい先日、灯火が着ていたパジャマのキャラクターだ。……たぶん人ではない。
「失くしたのか?」
だから、僕はそう訊ねる。声をかけるくらいは許してほしい。
おそらくキャラクターもののグッズか何かを、この公園で落としたのだろう。
この推測は当たっていたようで、こくりと無表情に少女は頷き、
「昨日、砂場のところで旅に出てしまったのです。ゆめを見つけたのかもしれません」
どうして詩的に表現をするのだろう。
最近の小学生は、意外と侮れない語彙力をお持ちだった。
「ですが、朝になりましたので。ゆめから、さめる時間なのです」
「……何言ってんのか、ぜんぜんわかんない……」
呆れたように口許をひくつかせる天ヶ瀬だが、そうか? と僕は軽く笑う。
「昨日、遊んでるうちに《パッチー》の人形か何かを落としたんだろ。で、今朝になって探しに来た。──そういうことだろ?」
こころに確認する。
彼女は、妙に表情の乏しい顔で。
「しっけいですね。旅に出ようとするだんじの、背を押さぬこころではありません」
「……、な? あってただろ?」
「わかんないけど、否定されてなかった今……?」
失くした、とは言いたくないんだろう。たぶん。僕も若干、自信なくなってきたが。
僕は砂場のほうに向かい、それから少女に向き直って。
「この辺りで失く……あーっと、旅に出たってことでいいんだよな、パッチーは」
「さばくのおくにはおたからがあります。前にえいがで観ましたので」
「なるほど。この砂の中には宝が埋まってるわけだ。パッチーもがんばるもんだな」
「いっぱつせんきんなのです」
「一攫だな、それは」
「得だな、まいぞーきん」
「……徳川か? 誰から教わってんだろうな、そういうの……」
「ひらけ、こら」
「ゴマだって強制されたらやる気なくしちゃうぞ……っと、それよりも」
なんか面白い少女なので、危うく結構気に入りかけてしまったが、それはよくない。
善行は一過性に限る、というのが世の真理だ。さっさと探し出してしまおう。
僕は砂場に入り、それから天ヶ瀬に向き直って言った。
「悪いが少し待っててくれ。このままだと遅刻するし、先に行くってんなら引き留められないが、小学生の女の子とふたりきりってのもな。証人になってくれれば礼はするぞ」
「……わざわざ探してあげるワケ?」
眉を顰めて、天ヶ瀬は言う。何を今さら、という問いだが、素直に答えた。
「乗りかかった舟だろ。ここまで訊いておいて帰るほうがおかしい」
僕は正論を言ったつもりだったが、なぜか天ヶ瀬は納得していないような顔だ。
まっすぐ、彼女は僕を見つめている──なんなら睨んでいる。
ここで僕が、見ず知らずの少女のために時間を使うなんてことが、まるで異常だとでも言わんばかりの視線。いや、普段の評判を考えれば、当然の反応かもしれないけれど。
しばらく僕を見つめていた天ヶ瀬は、やがて大仰に溜息をついてから。
「──大きさ。どのくらいなの」
砂場へとやって来て、こころに訊いた。
実に嫌そうな表情なのに、どうも立ち去るという選択肢は持っていないらしい。
こころは、ぽやぽやと答える。
「抱えきれないくらいにおおきな」
「はあ? そんなもん、さすがに砂場の中にはないって──」
「そんなぬいぐるみが欲しい、今日のわたしです」
「訊いてないっつの! なんだこの小学生!!」
「パッチーはこれくらいです」
実にマイペースに、こころはジェスチャーでサイズを示す。
だいたい小学生の手のひら大で、かなり小さい。キーホルダーか何かだろうか。
もし本当にこれが砂場に埋もれているなら、探すのはだいぶ骨だろう。見ればこころの両手も汚れている。探し続けて、それでも見つからなかった──だから思わず涙が出た。
天ヶ瀬は、僕の隣にしゃがみ込む。
「……面倒見がいいな」
「別に。つか私、ホントは子どもとかそんな好きじゃないから」
だとすれば、面倒見がいいことの傍証でしかないだろうに。僕は思わず苦笑した。
「……なんで笑ってるワケ?」
「いいや。それより巻き込んで悪かったな」
「……それは、別に。いいけど」
「でも、砂場はいいよ。制服や爪が汚れるだろうし。お前はほかの場所を探してくれ」
砂場に落とした──というのはこころが言ったことだが、正確だとは限らない。
落とした瞬間に気づいていれば、そのとき拾えばいいだけの話。だが落とし物とは基本的に、落とした瞬間に気づかないから失くす羽目になるものだ。
おそらくこころは、家に帰ってから失くしたことに気づいたのだと思う。だから今朝になってから探しに来た。昨日、この公園の砂場で遊んでいたから、落としたとすればここだと当たりをつけただけなのだろう。──つまり、見つからない可能性だってある。
「一応、辺りにないか、念のためにな。そっちは任せた」
言って、僕はさっそく手で砂場を掘り始める。
天ヶ瀬は数秒だけ僕を見ていたが、結局は何も言わずに公園の端へ向かって行った。
──失ったものを取り戻すために、必要なものとは果たして何か。
それは決して、願いを叶える奇跡の石なんかではない。この両手と、意志さえあれば、それで充分だと思うのだ。
別に、そのために探しているだなんて言わない。こんなものは偶然の成り行きだ。
けれど今、天ヶ瀬の目の前で、探すことには意味があると僕は思った。
爪の間に砂が入り込む、わずかな感触とともに砂場を掘り返す。そんな僕の真横まで、とてとてとこころが歩いてきた。
しまった、半径二メートル以内に入り込んでしまった。ブザーはやめてねマジで。
「……かえってきますか?」
そう問われる。僕に、そう訊ねてきた。
現実的なことを言えばわからない。砂場どころか、この公園の中にはない可能性だって十二分に考えられた。その場合、パッチーとの再会は非常に困難を極める。
安易に見つかるだなんて、答えることは僕にはできない。相手が小学生だろうと。
「大事な友達なのか? パッチーは」
だから、代わりにそう訊ねる。
こころは僕をまっすぐに見て。
「……あやしいお兄さんはお人形とお友達になれるのですか?」
「どうしよう、想定外の角度から心を抉られている」
お人形とお友達になれるなんてすごいね! 的な小学生らしい感動であってくれ。
いい年して人形と友達とか何言ってるの? 的な小学生らしからぬ罵倒は応える。
「パッチーは、えりちゃんからもらったものなのです」
小学生に不安にさせられていると、そこでこころが零すように呟いた。
「……えりちゃん、ってのはクラスの友達とかか?」
「同じクラスだと嬉しかったのです」
「クラスは違うんだね、なるほど。でも同級生なのか」
「えりちゃんは四年生です」
「君はわからんね本当」
天ヶ瀬にはああ言ったが、僕も結構、こころが何言ってるのかわかっていない。
まあ要は、ひとつ上の学年の《えりちゃん》からの贈り物なのだろう。
──大事なものだという、ことなのだろう。
「なら、がんばって探してやろう。今日は特別サービスだ」
絶対に見つけるとは答えてやれない。
いつだって、願いとは叶わないかもしれないものなのだから。
僕にできる約束は、だから、ただ僕が全力を尽くすだけという──なんの根拠も保証もない、吹けば飛ぶような約束だけだった。
「……あやしいお兄さんは」
と、こころは言った。
なんだ? と問い返す僕に、どこまでも淡々と。
「実は、やさしいお兄さんだったのですね」
「……その評価は早いな、こころ。天使みたいな素振りをしてる奴ほど、悪魔なんだろ」
「……? だからお兄さんは安心さんですよ?」
さいですか……。
それ、ぜんぜん褒めてないと思うんですけどね。ていうか貶してますよね……。
「まあ……それならよかったよ」
僕はかなり傷ついたが、うん。いいならいいや、もう、なんでも。
自分が天使だと言い張るつもりも別にない。
「──先輩っ!」
と、以降は無心で砂を掘ろうと決意した僕に、天ヶ瀬の声が届いた。
手を止めずに、声だけで僕は訊き返す。
「なんだー?」
「ねえ。その子が失くしたのって、これなんじゃない?」
「──見つけたのか?」
その言葉に僕は振り返った。
立ち上がり、とてとてと天ヶ瀬のほうに駆けていくこころの後を追う。
「これ。──そこの看板の上で見つけたんだけど」
言って天ヶ瀬が指差したのは、公園の入口脇にある、丸太を立てたような看板だった。地面に突き刺さった丸太の側面が削られており、平らになった部分に《流宮第一公園》と刻まれている形だ。その看板の上に、小さなキーホルダーが乗せられている。
見覚えのある、なんとなく不安になるフォルム──パッチーだった。
「……これがこころのであってるか?」
そう訊ねた僕の言葉を、こころは聞いていなかった。
「わあ……!」
手に取って見せた天ヶ瀬に、少女は瞳をキラキラ輝かせて、笑った。相変わらず無表情な小学生だったが、溢れる喜色はひと目でわかる。
勢いきって迫ってくる小学生を前に、天ヶ瀬はつまらなそうに鼻を鳴らして。
「ったく……探せばすぐ見つかんじゃん。面倒臭い」
小声で、零すように呟く天ヶ瀬。
わずかに耳を赤くして、顔を背ける姿が──照れ隠しに見えるのは気のせいだろうか。
「はい。──もう失くすんじゃないわよ」
天ヶ瀬が手渡すパッチーのキーホルダーを、こころは受け取って笑みを零す。
「こんなところにいたとは。くぅ、ふかくです……」
小学生っぽいんだか違うんだかわからないことを呟くこころ。
まあ言う割に嬉しそうな笑顔を隠せていないところは、やはり年相応なのだろう。
僕もそちらに近づいて、言葉を作った。
「こころの身長よりは高いからな、この看板。見えなかったんだろう」
「ああ……」
納得したように頷く天ヶ瀬。
誰かが拾って見つけやすいところに置いておいてくれた、と言ったところか。こころの身長が足りなかったせいで、逆に見つけにくくなったわけだが、まあ壊れずには済んだ。
結果的には、砂場を掘り返す必要もなかったわけだ。
「──ありがとうございました」
大事そうにキーホルダーを握り込んだこころが、僕らに向かって頭を下げた。
うん、お礼を言えるのはいいことだ。ご両親の薫陶が行き届いているものと見える。
「どういたしまして……と言っても、結果的には役に立たなかったが」
僕は軽く言い、
「次からは、失くしたことを人に言いなさいよ……まったく」
天ヶ瀬はぶっきらぼうな忠告をした。
こころは天ヶ瀬を見上げて、
「旅……」
「それはもういい!」このふたり、もしや相性が悪いのだろうか。「先輩も。終わったんだから、さっさと学校行かないと本当に遅刻しちゃうでしょ。ああもう面倒臭い……!」
「ん、ああ、そうだな」
思いのほか捜索も早く終わった。これならまだ、始業のチャイムには間に合うだろう。
僕はこころに向き直る。
「というわけだ。僕たちも学校に行く。こころも学校あるだろ。大丈夫か?」
「ところで、しんせつなお兄さん。ひとつおねがいがあるのですが」
「────────、何?」
質問をすっ飛ばして急にお願いとか言い始める小学生。
なかなかにいい性格だ。この先の展開を予感して、内容を訊ねた僕に、こころは。
「学校まで、おくってください」
「…………」
「いつもはしゅうだんとうこうですゆえ」
「…………」
「ひとりはきけんだと、いちやを外であかしたぱっちーも、言うことでしょう」
僕は隣を向いて。
「天ヶ瀬」
「聞きたくない」
「遅刻決定」
「図々しい小学生だなあ!」
その辺はお前も大概だろうと思うし、
「おほめにあずかりえいこうです」
「光栄! いや、光栄でもないわ褒めてない! もう、なんで今日に限って……うー!」
ならついてこなければいいのにとも思うのだが。
僕はもう、それを言葉にはしなかった。