【2巻試し読み】先輩、ふたりで楽しい思い出つくりましょう!

第一章『かわいい彼女が生えてきた』その2

 一限の現国が終わり、休み時間になった。

 僕は昨日、結果的に無断で学校を欠席したはずなのだが、どうやらその辺りは星の涙によるが影響したらしい。担任から突っ込まれることはなかった。

 それとなく遠野に訊ねてみたところ、「昨日も普通にいただろ」と実に胡乱げな表情で答えてくれたので、まあ欠席扱いにならなくてラッキーだったと思っておこう。

 とはいえ、二限の英語では油断できない。教科担当が毎回の授業で宿題を出し、次回の授業で適当に指名された生徒が答えることになっているからだ。昨日──火曜日も英語の授業はあったはずだから、順当に進んだであろう分の課題は今のうちに解いておこう。

 と、思っていたのだけれど。

「なあ冬月。……そろそろ構ってやっちゃどうだ」

「……ああもう」

 小声で話しかけてくる遠野。僕は盛大な溜息をつかざるを得なかった。

 なんの話かといえば、答えは実に単純で。

 さきほどから、教室の外でずっとこちらを見ている下級生のことを遠野は言っている。

「──じ~……っ」

 恨みがましい視線がもう全身に刺さる刺さる。

 誰が見ても明らかに不機嫌とわかる双原灯火ちゃんが、扉の陰から僕を睨んでいた。

 その方向を見れば、視線がバッチリと合う。

 瞬間、灯火は自分の両手の人差し指を立てると、それを両のこめかみに合わせて立てるようなポーズを取った。ええと、鬼のポーズっていうことですかね……?

「ぷんすか!」

 しかもなんか言い始めちゃったよ。

 恥ずかしい。やめて。本当にやめて目立つでしょ……。

「ぷんすか!」

 教室まで入ってくることはせず、ただ扉の陰に隠れて(丸見え)何かしらの《わたしはとっても怒ってますっ!》オーラだけを飛ばしてくる灯火。やだ、めっちゃ厄介……。

 が、僕も伊達や酔狂で氷点下とは呼ばれていない。別に呼ばれたくもないが、その点は今は措こう。

 結論から言って、無視が正解のはずだった。

 用件があるなら声をかけてくればいい。そうすれば僕だって無視はしない。忙しいから帰れと丁重に話してあげるつもりだ。なぜ遠くから存在感だけアピってくるのやら。

「ぷんすか!」

 喧しい。そんなことで僕が折れると思ったら大間違いだ。

「ぷんすか……」

「…………」

「ぷん……、うぅっ……せんぱいが、わたしを見捨てましたぁ……」

「…………」

「……ぐすっ」

「あああああああああああああ、もうっ!」

 いいよ。わかったよ。

 僕の負けだよ。行けばいいんだろ、行けば。

 教室中の空気が「うっわ氷点下男が後輩泣かせてる最低ゲス野郎キモ」みたいな感じになっちゃってるじゃん。これ、僕が悪いんですかね……。

 僕は立ち上がって教室を出て行く。そして扉の陰の灯火を見降ろした。

 果たして、灯火は言った。

「──き、奇遇ですね、伊織くんせんぱいっ!」

 この後輩、この期に及んでさも偶然でした感を演出してきやがった。

 僕はふうと息をつく。

 それから片手を伸ばすと、鬼の角を外した灯火のこめかみをがっと掴んで引き寄せ。

「こんな作為的な奇遇があって堪るか何が目的だ」

「ヘッドロック!? 放してくださいっ!」

「答えないなら徐々に絞めていくが」

「デッドロック!! 話をさせてくださいっ!!」

「お前、実は結構、余裕あるだろ……」

 僕も強く力を込めているわけではないけれど。

 はあ、と息をついて手を離し、改めて灯火に問い直す。

「なんの用だ? 話があるなら前みたいに入ってくればいいだろ……ったく」

 その瞬間、灯火はくわっと目を見開いて。

「なんの用だ、じゃないですよ伊織くんせんぱい! どういうことですか! 説明を要求します強く要求します回答があるまで放しませんからね覚悟の準備はいいですかっ!」

「長い」

「ああっヘッドロックやめてくださいっ! わたし、そんな覚悟してませんっ!!」

「元気だなお前は本当に……」

「ぜんぜん元気じゃないんですけどおっ!?」

 これで? これで元気じゃないの? まあいいけど……。

「何か用件があるなら聞くから、ちゃんと話してくれ。説明しろって、いったい何をだ」

 朝、与那城と話した踊り場まで、灯火を誘導しつつ訊ねた。

 さすがの灯火も、ここらで冷静になったのか、少しだけ耳を赤くしつつ小声で言う。

「……朝のことに決まってるじゃないですか。なんですか、彼女って。そんなのわたし、聞いてないんですけど。寝耳にお水なんですけど。わかりますか? つまり弱点属性ってことですよ、灯火だけに。火だけに! 朝からお水をぶっかけられる気分たるやっ!」

「消えそうには見えないけどな……」

「いえいえいえ、もう風前の灯火ちゃんと言っていいです! 言いますか!?」

「言わない……」

「なんとか薪をくべて熱を保ってる状況ですよ、こっちは。ドッキリ大成功のパネル待ちなんですから。出すなら早くしてください、伊織くんせんぱい。灯火ちゃんが消えちゃう前に! 早くっ! パネルの木材を燃料にすれば、なんとか間に合いますからーっ!!」

「そんなパネル、用意してねえよ。ていうかドッキリじゃない」

「ふぁややーっ!」

 灯火は『ふぁややーっ!』と言った。

 しかも両手を上げてのけぞるようなポーズつきで。

 ……何それ? 燃えてるの? 燃えてるってことなの、それは? なら解決ですけど。

「信用したくないってんなら別にいいけど。そんな恥ずかしい嘘つかねえよ」

 それくらい、灯火だってわかっていると思うのだが。

 それでも灯火は食い下がってくる。そんなに納得いかないのだろうか。

「い、いやでもっ、そんな……だっていきなりっ! いきなりすぎますよ、これはっ!」

「そんなこと言われてもな。だいたい、別にお前には関係ないだろ」

「かっ──……!?」

 瞬間、灯火は絶句した。

 あり得ないものを見る目で僕を見ていた。

 その小さな口を、まるで池の鯉みたいにぱくぱくさせながら。

「い、いや、だって昨日、その……わたしは、あのっ!」

「……昨日の件でまだ何かあるのか?」

 引っかかりがあるなら、それは潰しておきたいところだ。

 訊ねた僕に、けれど灯火は狼狽えた様子で。

「あの、いえその、そゆこと、じゃ、なくて……、あぁうぅっ」

「……?」

 灯火が何を言いたいのか、それがいまいちわからない。

 まっすぐに見つめる彼女の顔が、次第に赤く染まっていくことだけがわかった。

「だ、だってわたし、……せんぱいの、こと……っ」

「……僕が?」

「…………………………………………………………………………やっぱむりっ!」


 だってわたし

 せんぱいのこと

 やっぱむり


 ……え、なんか急に、川柳チックに罵倒されたんですけど。

 それ割と普通に傷つくな……。ショックかもしれない。灯火には結構、好かれていると思っていただけに、急に罵倒されると思ったよりも悲しいらしい。

 もちろん氷点下男としては、そんな感情を顔に出したりしないけれど。

「まあ、なんでもないってんならそれでいいが」

「──あ……っ」

 僕がそう言った瞬間、灯火は少し悲しげに瞳を揺らがせた。

 いや、悲しいのはむしろ僕のほうだが。謎に文句を言われた挙句、いきなり無理とまで言われてはさすがに落ち込む。いったい僕が何をしたっていうのか。ちょっと願いを強制的に捨てさせたり、からかって遊んだりしているだけではないか。じゃあそれだわ。

 ……あ、あれ? よくよく冷静に考えてみれば、僕って灯火に好かれる要素、ひとつもなくない? むしろ嫌われてて当然のことしか、これまでやってないんじゃない……?

 僕が今日まで灯火といっしょにいたのは、大前提として彼女に星の涙を捨てさせるためである。初めから、僕は灯火の意に背く目的で近づいたということ。

 灯火から見た僕は、あの手この手で目的の邪魔ばかりしてきた奴である。あらゆる手を使って女の子の邪魔をする男……ああ、そういうことか。

 そんな野郎に彼女がいるだなんて聞けば、優しい灯火が心配に思うのも無理はない。

 事実、天ヶ瀬は数少ない灯火の友人でもある。心配に思っているのだろう。

「い、伊織くんせんぱい、は──」

「──いや、すまん。よく理解したよ、灯火」

 皆まで言わせる必要はない。僕は灯火を片手で制し、理解を示す。

「大丈夫、心配するな。説得力はないかもしれんが、僕だってちゃんとわかってる」

「えっ。えっ!? 急に何がわかったんですか!?」

 驚く灯火。そんな彼女を心配させまいと、僕は宣言した。

「天ヶ瀬のことは、きちんと責任を持って僕が幸せにしてみせる」

「────」

「お前のときとは違うからな。僕は、ちゃんとあいつには優しくするよ」

「────────」

「なにせ彼女だからな。いくら僕だって、自分の彼女を優先するくらいの甲斐性はある」

「───────────────────────────────────」

「ところで灯火。どうした、なんか目が死んでないか?」

 灯火は僕の問いに答えなかった。

 無表情を通り越した、完全なる虚無の無表情でそこに立っていた。

 え、どうしたの。生きてる? ていうか息してる……?

「──ハイそこまでー」

 と、そんなふうに突如、会話に入ってくる奴が現れて。

 そいつは棒立ちの灯火の腕を掴むと、そのまま引っ張るように連れ去ろうとする。

 その姿には、僕としても驚かざるを得なかった。

「よ、与那城? なんでお前、こんなとこに」

「いいから」問いかけた僕の言葉を、与那城はすぐ遮って。「冬月は教室に戻ってて。話ややこしくなるだけだし。この子はあたしが預かっとくから、ほら、さっさ行け」

「いや、でも」

「いいから。──邪魔」

 しっし、と犬みたいに追い払われる僕だった。

 そのまま与那城は、微動だにしない灯火を引きずるように連れ去っていく。

 このふたり、そんなに仲がいいとは思っていなかったのだが。なんだったのだろう。

「ほら。しっかり歩きなよ、もう」

「……なぜ、わたしは、こんな目に……?」

 そんな言葉と共に廊下を去っていく灯火と与那城。

 見送る僕に、目の前の光景の意味はまるでわからなかった。……なんだこれ?

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