(13)安全速度

 午後の授業を終えた小熊は、アライ・クラシックのオープンフェイスヘルメットをかぶり、昨日ボックスと前カゴを付けたカブにまたがった。

 帰り道が逆方向の礼子は、郵政カブのマフラーから小熊と同じカブとは思えない太く低い音を発し、タイヤを鳴らしながら走り去って行った。

 小熊は帰り道の県道をゆっくり走り出す。

 今までヘルメットバッグに入れて持ち歩いていたヘルメットを、カブのスチールボックスに入れておけるのは面倒くさくなくていい。それまで背負ってたデイパックをカゴに入れ、荷物を何も身につけてない状態で走れるのは気持ちいいと思った。

 昨日より身軽になった小熊は、県道が甲州街道と交差する信号を右折した。

 今日もショッピングセンターに行こうと思った。特に何か買う物があったわけでも無いが、一km少々の寄り道はさほど時間の無駄にならないし、実際に行ってみれば何か買う物が見つかるかもしれない。

 それに、新しい装備をつけたカブを乗り回したい。

 小熊は甲州街道を東へと向かった。


 平日午後で混んでいるような空いているような幹線道路。小熊のカブを他の車やバイクが追い抜いていく。

 このカブを買って以来、スピードメーターの針は目盛りの頂点付近までしか動かしていない。

 それでも今まで乗っていた自転車よりまだ速いし、小熊の用を果たすには充分だったが、自分一人だけが走っているわけではない公道では、最適な速度では無い気がした。

 他車に抜かれつつゆっくり走るより、他の車と充分な距離を取りつつ、速度を合わせて流れに乗ったほうが安全だということは、走っていればわかる。小熊も後ろから車が来たら道の端に寄って追い抜かれるのが上手くなったが、それでもイヤがらせのように至近距離をかすめていく車は時々居る。

 小熊がカブで理想的な速度に達するには、このスピードメーターの針を頂点から右へと傾けなくてはならない。カブにはそれが出来る実力がある。小熊は前後に車が居ないのを確認して、カブのスロットルを回した。


 エンジン音と風切り音が変わる。カブは安定して速度を上げつつあったが、小熊はスロットルを戻した。

 今まで出したことの無いスピードへの不安や恐怖はあまり無かったが、ヘルメットには顔を覆う透明なシールドが無い。風が顔に当たって目が痛くなる。

 小熊はスピードを緩めた。交差点から約一km先のショッピングセンターにはすぐに着く。カブをめた小熊はスーパーマーケットに入って店内を見回し、すぐにカブを停めた駐輪場に戻った。

 月一度の奨学金支給日を前にして、財布の中身が寂しいということもあったが、小熊にはお買い物より先に確かめたいことがあった。

 カブに乗ってヘルメットを被り、いつもより丁寧にストラップを締めてグローブを装着する。紺スカートにブラウス、紺ベストの田舎臭い夏制服の襟を整え、ボタンをきちんと留める。

 カブのエンジンをかけた小熊は、国道に出てすぐにカブを加速させた。


 スピードメーターの針は頂点に達し、そこからさらに向こう側へと傾いていく。

 中古で買ったカブながら不調らしい不調も無く、まだ余力を残していることは小熊にもわかる。小熊はカブより自分自身のスピードへの順応を慎重に確かめた。

 制服が風でバタつくのが気になるけど、自らの動体視力や三半規管が、速度に比例して増す入力情報を受け入れていることはわかった。

 自宅アパートの方向に曲がる交差点に達したけど、小熊は交差点を直進してもう少し走った。

 やっぱり、今の小熊にはスピードメーターを半分くらいまでしか使えない。

 今より速く走るのに充分な性能を備えたカブ。速度に適応しつつある小熊。

 でも、顔に当たり目が痛くなる。この風を何とかしないことには、これ以上の速度は出せない。

 小熊は国道をターンしてアパートに帰った。この問題を解決しなくてはいけない。

 ガス欠、荷物箱と来て、今度は風対策。買って以来続けざまに小熊に課題を与えるカブ。

 小熊は不思議とそれを苦痛や負担だとは思っていなかった。

 少なくともカブに乗り始めてから、小熊は退屈していない。

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