Chapter2 汝、解と黄金を求めよ(1)

 クロエと別れ、ちょうじゃばら学園へ初めて足を踏み入れた、昨日。

 受験者確認の際、自分のスマートフォンを事務局に預けるのと引き換えに、学園側からは便宜上、個別の携帯端末の貸与を受けていた。

 Libertasリベルタス. この学園の第一期首席卒業生が作り上げた国産携帯端末には、果実ともヒューマノイドとも異なる、ラテン語で自由を示す名が冠されている──トリビアはおいておくにしろ、それを常に持ち歩き無くすなと念を押されたら、従うしかないよな。

 と、いうわけで。体内時計だけでなく端末でも確認すると、現在時刻は十五時三〇分。

 場所は学園事務局本部棟、第一カンファレンスルーム──。


「入学セレクション、今年は何やると思う?」「わかんないけど、とりあえず五日間ってのは長いよね」「普通は学力考査が試験の代わりになるんだろうけど」「体育科じゃあるまいし、体力考査っているか?」「シャトルラン、ガチきつかったわ……」「なあ、ストリートの方、行ったか?」「行った行った。いやあ、マジでなんでもあってビビったわ」

 室内には円卓が順々に配置されていて、それを囲むようにして大勢の学生らが、起立したままで待機していた。構図としては、会食形式のパーティー会場に近いだろうか?

 加えて。どこか煌びやかな印象に比例して、場の空気もそこまで重苦しくない。

 この場に集まっている学生は、皆が皆、入学セレクションの受験生。よって、大なり小なり張り詰めた緊張感に包まれているのが、自然と言えば自然なのかもしれないが……。

「お飲み物、いかがですか?」「ああ、どうも……ミネラルウォーター、あります?」

 声をかけてきた男性ウェイターから、グラスを受け取りつつ──こういった部分部分での細やかなサービスが利いているのかもな、なんて、漠然とした納得をしてしまう。

 なんなら、学園側は俺たち受験者に最大限の配慮と歓待をしてきていた。滞在先の斡旋だったり、自由時間によるリラックスだったり、その他、枚挙に暇がないレベルで。

 これだけ丁寧に扱われたら、抱えていた緊張がいくらかは、解きほぐされるのかもしれないな──で。どうも特定の円卓に集まれと割り当てられているわけではないらしく。

 よって。俺は一番に目についた卓へ、ゆるりと近づいていった。

「グッドアフタヌーン。さっきぶりだ、な……」「……………………」

 起立していた在歌は俺に、黒く光沢を帯びた銃火器のような視線をぶつけてきて。

 そのまま、手に持っていたラムネ菓子の袋を、心なし強めに引き裂きながら一言。

「ここはもう、定員オーバーよ」「せ、席は無いんだよな?」「皆まで言わせないで」

 ブドウ糖の塊を放り込んだきり、在歌の口は、固く閉ざされてしまった。

「……風の噂で、が受験しているとだけ耳にした。フルネームを聞いた時点で在歌だろう、とも思っていた」「……」「迂闊だった。その点は、謝罪させてくれ」

 あそこまでの過敏な反応は想定していなかったが、とはいえ非礼は詫びるべき。

 それに、彼女は、この入学セレクションに対して非常に前向きな姿勢を見せていた。だったら、説明会でも可能な限りは集中したいはず。

 彼女に対する興味は捨て切れていないものの……この場は引こうか。

 そうでなくとも、考える時間が必要なのかもしれないしな。いきなり俺ほどの男に誘われたら、驚きが先行してしまうのも頷ける──ああ、そうか。異様に断られ続けていたのは、つまりはそういうことだったのか。ここに来て、ようやく理解できたよ。

 深慮の末。俺は在歌から離れ、うろうろ室内を一分ほど歩き回って──。

 最終的に、その卓へ誘われた。

「……壮観だな。Theプラ devilダを wears着た Prada悪魔でもいるのか?」

 他の卓の周りには一定数、受験者の姿が散見されるものの──ここだけは違った。

 まるで空間ごと切り取られたかのようにひとがなく、代わりに、卓の上には各種ハイブランドのロゴが印字された紙袋が大量に、乱雑に置かれている。

 そのは、一目瞭然だった。

「参考までに教えておくと、その辺の事務局員に言えば、荷物の類は預けられるぞ?」

 伝えると。その卓で唯一の滞在者だったが、面を向けてくる。


「……………………あら」


 気付いてすぐ。彼女は付けていたオーバーサイズのサングラスを、前頭部に引っかけた。拍子にヘーゼル色の瞳が露わになり、淡いツーサイドアップの先端が僅かに揺れる。

 ──深窓の令嬢という形容表現は、きっと、彼女のためだけにあるんだろうな、と。

 なんとなく、そう思った。

 風格と気品はありながらも、どこかあどけなさの残る童顔。格好は純白のワンピースを思わせる見慣れない制服で、両の指にはリングが一つずつ。頭から爪先までの言い知れないゴージャスさは本人そのものからも、服装やアクセサリーからも伝わってくる。

 ともすれば、不用意に近づくのが躊躇われるほどに、彼女はキュートで……。

 ……振られに振られ続け、終いには在歌にも追い出されてしまった傷心の俺を、そんな彼女にどうしても、癒やして欲しくなってしまった。

「ここ、良いか? ……THXありがとう。ようやく俺も、腰を据えて待機できるよ」

「まだあたし、返事してないんだけど……でも、ええ、良いわよ?」

 快く滞在を許可してくれた彼女は、紙袋の林立する卓の上から、自らのグラスだけを手に取っていた。ドリンクのチョイスがアイスティーな辺り、余計にお嬢様感が際立ってるじゃあないか……なんてことを考えていたら、不意に向こうから声をかけられた。

「あなた、帰国子女でしょ」

 ……おいおい。それはこれから、俺の方から教えようと思っていた情報だぞ?

「さしあたっては、思考プロセスを披露してもらおうか」

「そうね。わかりやすいのは香り、かしら? 香水にしろルームフレグランスにしろ、日本のモノはできるだけ主張を抑えがちだから、そのぶん海外製のモノは目立つ──あ、嫌な匂いだって言ってるんじゃないわ。むしろ爽やかで、良いセンスしてると思う」

 上品な所作で、グラスの紅茶を含み。その後も彼女は、俺の一言二言しか発していない単語の発音だとか、染めたにしては自然すぎる髪のブロンドだとか、FBI捜査官でも目指しているのかと疑いたくなるだけのプロファイリングを披露してきて、最後に。

「──観察眼には、特に自信があるの」

 白く、細い指先。薄桃色に艶やかなネイルは、彼女自身の目元へと当てられていた。

「……大正解だよ。俺はLAロサンゼルスのハイスクールから、ここに来ている」

「へえ。アメリカからも、入学手続きってできるんだ……その割に、日本語流暢ね」

「母が日本人なんだ。もっとも、向こうじゃ基本的に、英語話者ネイティブスピーカーの立場だったけどな」

「バイリンガルってことね……ふぅん。じゃあ、結構頭も良い感じ?」

「良いし、頭脳以外も何もかも、良いぞ? それが本当か確認したいなら、セレクションが終わった後にデートを一度二度すれば、いくらでも理解できるだろうが……どうだ?」

「……お誘い、どうもありがと。だったら、前向きに検討させてもらおうかしら」

 これまでの経験を生かし、当社比で控えめに口説いてみたわけだが。

 悪くないどころか好感触だったようで、彼女はその表情を、無邪気に綻ばせてくる。

「あたし、──あなたは?」

ぐまどう。以後があることに期待しつつ、とりあえず今は、よろしくな」

「志道、ね……うん。こちらこそ、どうぞよろしく」

 イセミルカコ──琉花子はどこか満足そうに、それでいて柔和な笑みを作っていた。

「当たり前だけど、色んな所から受けに来てるみたいね。あたしも神戸からだし」

「お互いに、遠路はるばるご苦労なもんだ」

「ほんとほんと。ま、あたしの方は、そんなに長いフライトじゃなかったけど」

「俺と違って、そっちは国内線だろうからな──で、机の上の荷物は全部、実家から?」

「まさか。午前中、銀座の方にショッピングに行ってて、その成果物ってとこね」

「学園から出ていたのか? それはまた、肝が据わった大物ムーブだな」

「だって、つまんなそうだったし。見て回るのは勧められてただけで、強制されてたわけじゃないし。それに──見学なんてのは入学した後で、いくらでもすれば良いでしょ?」

「……ま、そうかもな。それに安心してくれ。咎めようなんてことは、思っていないさ」

 この場で知り合った琉花子と、とりとめのない談笑を交わしながら。

 同時に俺は、ファンタスティックな達成感を覚えていた──というのも、これ以上の説明をするまでもなく、院瀬見琉花子は類い稀なる美少女だったから。この国に来てからはやんわりと拒絶されがちだったぶん、こんなにも華やかな女子と穏やかに会話ができている現実は、俺にとって熱烈歓迎、喜ばしすぎるシチュエーションでしかない。

 それに、だ。そりゃ場合によっては二度と会うこともなくなるんだろうが、ただ、だからと言って最初から壁を作り周囲を寄せ付けないというのは、獅隈志道の流儀に反する。

 特別な理由なんて、無くても良い。そうじゃなくても、人と人との出会いは、無条件で尊ばれるべきものに違いないはずで……どうだ。見ているか、芹沢在歌!

 得意気なまま俺は、琉花子との会話の隙間を縫って──彼女の姿を視認した。

「…………な、何をやってるんだ、あいつは」

 直前の冷ややかな反応からして、こっちを見ているわけないことは重々わかっている。

 だが──澄ました顔で待機しているだろうという予測は、ド派手に外れていた。

「…………………………」

 陣取っていた円卓の前で在歌は──両の手でトランプらしきものを、忙しなく動かしていた。自分の頭がおかしくなったのかと何度か目を擦ってみたものの、彼女の近くに陣取っていた他の受験生連中が露骨に困惑している図も相まって、まごうことなき、現実。

 どっから持ってきたんだ。何で持ち歩いてるんだ。まさか武器なんて言わないよな?

「……ま、まだ自由時間だしな。それがあいつのチル手段なら、しょうがない……のか?」

「ねえ。どうせ暇なんだし、もっと志道のこと教えてくれない?」

「うん? ……ああ、良いぞ。むしろウェルカムだよ」

 揺れる意識は、琉花子の声で引き戻された。

 ……しかし、どうも彼女は、俺に興味津々らしい。そうだよな。この場が入学セレクションという前提があったとしても、これが普通の反応だ。いやぁ、安心できる。

「すごく体格が良いように見えるけど、何か運動してたの?」

「運動自体は、常日頃からやってる。ただ、アメフトやらバスケやらの集団スポーツは一度もやったことがないな。この肉体は主に、ジム通いと規則正しい生活習慣で作り上げた」

「それだけで? だったら余計、凄いわね……」「HAHA。ま、弛まぬ努力の産物だな」

 ぐにぐにと。琉花子は特に許可を得ることもなく、俺の右の二の腕を鷲掴みにしてくる。

「…………………………」「……そ、そんなに俺の身体は、触り心地が良いか?」

 計、二〇回近くは揉みしだかれている。悪い気はしないが、その没頭っぷりにはどこか病的なものを感じざるを得ない。俺の魅力は、時として人を惑わしてしまうのか……?

「……うん。とりあえず、最初のハードルはね」

 しかも、知らんうちに何がしかを通過していた──詳細内容は不明だが、奇しくも俺が凄いということだけは、ごちゃごちゃと説明を受けなくてもわかってしまう。

「……凄いかどうかの話をするなら、お前も相当、ナイスバディだが」

 自分自身の尊さを再確認しながらも。俺は院瀬見琉花子の全身を、再度眺めた。

 ──感服にして、眼福。彼女の双丘は銀河系に匹敵するだけの豊満さを誇り、スカート裾部分から広がる大腿部は、ふにっとしている。ふむ。生ハムの原木と太腿は太いほうが俺好みだと自覚していたが、またしても、その嗜好性が強化されてしまったな……。

 ひとしきり、感動していた俺。

 一方で琉花子は、自身の胸辺りに視線を落としてから……さらりと訊ねてくる。

「そっちも、触りたい?」

 …………どうも彼女は、随分と奔放な性格をしているらしい。

「日本には、据え膳食わぬは男の恥、という言葉があるそうだな」

「ふぅん……なら、別に良いわよ」

「ジョークを真に受けるなよ。第一、こんな場所じゃムードも何もあったもんじゃない」

「冗談じゃなくって、普通に提案……まあでも、タダってわけにはいかないけどね?」

 琉花子が半身ほど乗り出してきたこともあって、俺のシトラスの香水は彼女のフローラルブーケの香りに、完膚なきまでに蹂躙されてしまう──いつの間にか、琉花子の手は俺の二の腕から手首へと添えられていた。こちらの脈拍でも、測ろうとするかのように。

 そうして。琉花子は両の眼に、言い知れない妖しさを揺蕩わせながら──。

「ねえ、獅隈志道。あなた──」「そこの二人」

 野太い声が割り込んできたことで、俺も琉花子も、咄嗟に振り返ってしまった。

「公衆の面前だ。不純な行為は、場を選んで行っていただきたい」

「……俺たちの年齢を考えると、そもそも推奨してはいけないような気もしますがね」

「わかっているなら、余計に控えてくれ──それと、卓上の物品について、手荷物検査は通っているのか? 事務局の承認が無い場合、すべてこちらの預かりになるはずだが」

 筋骨隆々の男性事務局員は、自らに与えられた職務を速やかに行おうとしてくる。

 ま、俺がわざわざ口にしなかっただけで、こうなることは目に見えていた。なんせ、自分名義のスマートフォンすら、事務局側に預けなければいけないくらいだからな。学園側が不要だと判断した物品の持ち込みは、固く禁じているんだろう。

 ……トランプは、良いのか? いや、良いからこそ、在歌は弄ってるんだろうが……。

「言っただろ? 頼めば預かってくれるって」

 ともあれ、この場は大人しく指示に従っておけと、俺は琉花子に、そう促した。


「……っ、うっせーな……これからだってのに邪魔すんじゃねーよ、クソカスが……」


 ……Oh.

 琉花子は事務局員への恨み言を、舌打ちと共にぼやいていた──瀟洒で可憐な人物像はハリケーンの通過後のように木っ端微塵に吹き飛んでいき、代わりに侮蔑に近い冷淡さと口調が変わるほどのバイオレンスさが、今の彼女からは、ひしひしと伝わってくる。

 なるほど? 綺麗な薔薇には棘があるように、彼女は表と裏があるタイプ、と。

 それも個性であり魅力、なんだろうが……度が過ぎるのは、少しばかり考え物だな。

『…………』『……いやぁ、モテる男は辛いもんだよ』

 遠方からの視線に肩を竦めてみせると、彼女は再び、視線を手元に戻してしまった。

 ──在歌の方も、まったく脈が無いわけじゃないのかもしれないな。

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