Chapter1 わずかな金で満足すること、これも一つの才能である(4)
ここ、
一つ目。AO入試。中学三年生の夏頃という早い時期に第一次出願が受け付けられ、面接や小論文、その他、個人が刻んできた社会的な実績や保有する資質を、書面・対面の両方で評価。最終的には四桁近い出願者の中から、学園側が選出した学生が合格対象となる。
二つ目。一般セレクション。こちらに関しては前者と異なり、完全に一発勝負。また、編入や補欠合格といった救済措置も無いらしく、ここで振り落とされてしまえばもう二度と、この学園に足を踏み入れられなくなる。事実上の、最終関門ということだな。
そして、当該セレクションを受験する学生は、三月一日から三月七日までの一週間、学園に滞在するスケジュールが組まれていて──初日となる昨日はオリエンテーションを兼ねた学園の概要説明や、学力・体力考査などのタスクが、忙しなく行われていた。
で。今日も十六時からは、とある説明会が予定されている。
……もっとも、ただの説明会、ってわけじゃあないはず。
なんせ──セレクションの合否に直結するのは、明日からの五日間だと言うんだから。
「無事にお互い名乗り終えたわけだが。早速、俺から在歌に伝えたいことがあるんだ」
「……乗り気はしないけれど。助けてもらった以上、少しだけなら話を聞いてもいいわ」
若干の戸惑いを見せていた在歌へ、俺は再び、口を開いた。
俺にとって本当に大切なことを──明確に、言葉にした。
「──将来的には結婚を視野に、俺と交際しないか?」
「………………………………………………は?」
「後、ついでに時間まで、俺と一緒に学園内を巡らないか?」
「……ま、待って、ついでで括らないで、それに話を勝手に進めないで」
例の説明会までは、まだ二時間ほど余裕がある。加えて、入学セレクションの受験生が学園敷地内を散策することは、オープンキャンパスの一貫としてなのか許されていた。在歌や他の受験生とおぼしき連中ががうろついていたのも、俺がトラブルの発生現場を見かけたのも、元を辿れば今がフリータイムという部分に帰結する、というわけだ。
「ちょうど食事も終えたところだ。ソロ徘徊よりかはコミュニケーションを交わす相手が欲しかったし、何より、それが在歌のような美しい女子なら……文句の付けようがない」
Do you understand? 理解してくれたなら、さあ行こうぜ──と。
一通り俺の提案を聞き終えたであろう在歌は、とことこと歩き始めていた。
……行き先は告げずに。俺の誘いに対して、容認も拒絶もしないままで。
「これほど強く、危機意識が発動することってあるのね……良い経験になったわ」
何やら学びを得ていたらしい在歌。その後ろを、子ガモのように付いていく俺。
「聞くまでもないだろうが、念のため返事はしてくれ」
「言うまでもないことだと思っていたのだけど。悪いけれど、謹んで遠慮する」
……
二つの驚嘆と同時に──そこでようやく、俺は彼女の異変を察知した。
繊細な変化だったものの、在歌はどこか怪訝な表情になっている。そのせいでさっきまであった小さな団欒は消え失せ、しかも俺を見る目は、あの
「……前提として、君には感謝してる。仲裁に入ったのは私が勝手にやったことなのに、君はトラブルをわかったうえで協力してくれた。だから正直、嬉しい気持ちもあった」
「助けになったなら、俺も喜ばしいよ。なら、結婚を視野に……」
でも、と。自分の心に蓋をするかのように、在歌の態度は硬化してしまう。
「それとこれとは、話が別。君も私も、各々が各々の目的のために、ここじゃなければいけない理由があって、入学セレクションにも臨もうとしているはず──そうでしょう?」
「……ま、一応は、そうなるな」
在歌はそこで、ほっと一息吐いていた。その仕草はさながら、地球に不時着した宇宙人とようやく言語交流が行えた時のような、ヘビーな苦労を伴った挙動にすら見える。
「その点をわかってくれるなら……そんな意味がわからないこと、言わないで」
「意味がわからない──どこがだ? 俺は在歌と交際してみたいと心から思って、それを口にしただけだ。それとも、俺では満足できないのか? だとしたら、贅沢なんてもんじゃあないな。この獅隈志道を振るだなんて、余程の事情が無いなら有り得ない選択だ」
それこそ、既に永遠の愛を誓い合った相手がいる──くらいの話じゃない限りは。
「内容の話じゃなくて、この場でそんな提案することがおかしいでしょうって話をしてるのよ……そもそも、その過度な自信は、いったいどこから来てるの?」
「俺自身から無際限に。できるなら、発電に使ってもらいたいだけのエネルギー量だよ」
「ああ、そう……それだけ魅力的だって自負があるなら、そんな君のことを気に入ってくれる人を見つければ良いわ。私以外の相手を、できれば、ここ以外で」
「……午前中は、そうしていたんだけどな」
いきなり三時間ほど前を想起させられたせいで、俺はうっかり、首を傾げてしまう。
「ただ、俺が交際を求めた女子は皆が皆『緊張してるし』『君のことよくわからないし』『噂されたら恥ずかしいし』なんて消極的なことばかり返してきて……あまり国民性がどうのと括るのも良くないだろうが、しかし、日本の女子はあまりにシャイすぎないか?」
「内気かどうかはともかく、ほとんど正論でしょうに……え?」
ぴくり、身体を小さく反応させる在歌。
「さっき、その……結婚を視野にどうこうって、言ってたと思うんだけど」「言ったな」
「でも、午前中に君は、他の女の子にも声をかけていたって」「かけてたな」
「……顔が良ければ何でも許されると思っているのなら、それは大間違いよ」
「急に褒められてしまうと、流石に照れるな……」「褒めてないっ」
どうやら価値観の相違が発生していたらしく、在歌の顔は紅に染まっていた。
「誰かれ構わず手を出そうとするなんて、そんなのおかしい。間違ってるわ」
「誰でも良いわけじゃないぞ? より知りたい、交際したいと思えた女子だけに、だ」
「……判断基準は? 外見だけ、とかなら……悪いけれど、幻滅する」
「最たる例は、まあ、ビジュアルになるんだろうな。否定はしないさ」
顔や身体が美しいと思える女子は、やはり魅力的だ。オフコース、当然のこと。
「ただ、それだけじゃあない。俺は内面や精神性も同じくらい大切だと思っているし、そもそも、外見の善し悪しはイコールで、個人の努力が形になったモノとも捉えられるはずだろ? 男が髭や眉を整えるのも、女性が化粧をするのも、俺が日頃から筋トレに勤しむのも、全ては努力──そして、努力できる人間は、人として美しいと思わないか?」
「……」俺のロジックにある程度の妥当性を感じたのか、在歌は別軸の反論をしてくる。
「じゃあ、複数の女性に同じ事を言うのは? 客観的に見て、それは誠実じゃない」
「一人に固執して、ひたすらに想い続けるのが美徳だと──不自由じゃないか? サムライの娘じゃあるまいし、運命の赤い糸は、待っているだけじゃ見つからないぞ? それにそもそも、男女関係における客観正誤を判別できるほど、在歌は経験豊富なのか?」
「……」またしても黙る在歌。別段、言葉でやり込めたいわけじゃないのにな。
「わかった。君の軽薄さについては、もう、そういう人だってことで納得する……」
ただただ公式を暗記するかのような口ぶりで、芹沢在歌は眉をひそめていた。
「窓から飛び降りてまで私を助けたのも、大方、恩を売るためだったんでしょうね」
「……いや、それは違う。単純に、お前や店員を助けたいと思ったから助けただけだよ」
「今さら、取り繕うための嘘なんて──」
「誰かのためになりたいと思うことに、具体的な理由が必要なのか?」
「……」この短時間で、早くも三度目の沈黙。在歌は口下手な方なのかもしれない。
「だいたい、強請る気なら初めから、そうしている。助けてやったんだから俺と交際しろ。ベッドで一夜を共にしろ──それで、はたしてこれはスマートか? ……ファッ○ン有り得ない。獅隈志道はこんな強引な手段を選ばないし、選ぶ必要も無いからな。自分自身の魅力を最大限にアピールしていけば、自ずと、相応しい女性だって見つかるはずだ」
「い、一夜って……そ、そういうの、初対面の相手には避けるべき表現よ」
「そうか。なら今後は注意するよ」「許可無く今後を作らないで」
はぁ、と。溜息を挟んだ後で、在歌はまだまだ否定の言葉を並べ立ててくる。
「仮に。私と君が必要以上に打ち解けたところで、意味なんてないじゃない」
「対人関係にまで意味を求めると、心が荒んでしまうぞ?」
「……ねえ。この学園の、去年のAO生とセレクション生の合格者比率は知ってる?」
俺のアグレッシヴさを華麗にスルーしつつも、在歌は急に、話を変えてきた。
「さあ、どうだったっけな」「95:5よ」「や、やけに早いな……暗記してるのか?」
「年間の入学者数定員は、毎年二百人程度。そして、そのうちのたった5%だけが、セレクション生──それだけ厳しい倍率だってこと、わかってくれた?」
「どうせどちらかは落ちるんだから、親しくなったところで無駄だろって? ……狭き門だってのは理解できたが、それは今、この瞬間の対人交流を諦める理由にはならないな」
「受かるだけの自信も、君にはあるってこと?」
「あると言えば、あるな。したくもないことですら、俺にはできてしまうんだから」
「なんだか、答えになっていないような気が……いえ、もういい」
相互理解を放棄するとでも言いたげに。在歌は遂に、会話を断ち切ろうとしてくる。
「ちゃんと、助けられたことへのお礼は言ったから……これ以上、私に付き纏わないで」
「へえ。普段は美人だが、怒った顔は可愛いんだな」「ば、馬鹿にしてるの?」
なんともまあ、頑固な在歌だったが。俺のセンサーは、強くなる一方だった。
魅力溢れる容貌。節々から感じる知性。他人を気にかけ率先して行動できる正義感。
もしかしたら、彼女こそが──俺の目的のための、運命の女性、なのかもしれない。
「わかった。ここまで言って懲りないようなら、本気で事務局員を呼ぶから」
「自分を引っ叩こうとした相手にすら、躊躇していたのに?」
「君の場合は厳重注意でセレクションの受験自体はできそうだし、なんの憂いもないわ」
「……それはまた、計算高くて何よりだよ」
ともあれ。次の言葉は、選ぶ必要がありそうだ。これ以上に触れたら爆発しそうなラインというのはそれなりに関知できるつもりだし、それが今だってことも肌感覚でわかる。
よって。俺は掘り下げるためでなく、あくまで裏付けるために──その問いを投げた。
「……ところで在歌。余談で一つ、引っかかっていた点を聞いてもいいか?」
「何」
「いや、な。違ったら悪いんだが──お前の父親、今の日本の首相か?」
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注意はしていたはずなのに、見事に爆発した……もとい、答えは返ってこなかった。
どうもこの話題は、芹沢在歌にとっての一発アウト級の質問だったらしい。彼女の表情は完全な無になった末、一言も発さず、俺の下から去ってしまった。
だから。それが事実で、彼女がどうしてここへ来たかを知るのは──まだ、先の話だ。