第一章 Wild bunch(9)

     9


 この世で確かなものは一つ。

 それは、苦痛いたみだ。

 拷問吏。グラキエルは十二歳の時に因子を発現し、同時に父の役職を引き継いだ。

 初仕事は、連行した男の前で、その妻子を拷問することだった。

 最終的に、針のむしろと化した死体二つを渡して、男だけは無傷で解放した。

 程なく、男はかつて家族だったものの前で首を吊り、自ら見せしめとなった。

 平民にんげんはすぐに忘れる。与えられた分際を、自らが下等ないきものであるという自覚を、放っておけばすぐに忘れ、貴族に歯向かいだす。

 だから彼らには教え込まなければいけないのだ。決して忘れないように、その体と心に未来永劫の苦痛を刻み込み、愚かな大衆への見せしめとしなければならない。

 言うまでもなく汚れた仕事だ。しかし、これは誰かがやらねばならぬ仕事であり、そしてきっと、過ちを犯してしまったのは、貴族われわれの方なのだ。

 我々、尊き血を宿す者たちが、正しく家畜どもを教育できなかったから、奴らに与える痛みと絶望が少なすぎたから、革命などが成功してしまったのだ。

 故に、騎士団の使命は一つ。癌細胞ドローキャンサーを治療し、〈王〉が御復活を遂げられた暁には、今度こそ完璧に平民どもを教育してやらなければ――。

「うっ……げ、くそ、最悪の気分だ」

「これでも、大分端折ったのだけれど……大丈夫?」

 大丈夫だと、痛む頭を振って返答する。

 クロニカの視線を介して伝えられた、グラキエルの記憶が脳裏を過ぎ去ってゆく。そのあまりにも凄惨な光景の数々に、俺は若干以上に後悔しつつ吐き捨てた。

 そこには奴の、言葉にならない矛盾した悪意も乗っていた。

 不潔な生き物と関わるのは耐え難い。しかし、同時にどうしようもなく楽しいのだ。平民クズがクズらしく、人のカタチを失って壊れていく様がたまらない。

 歪んだ支配欲と同情無き残虐さの化身。その人間性は、端的に言って終わってる。

「胸糞悪いが……大体わかった」

 無論、話が通じるような手合いじゃない。相手はこちらが、交渉に値する生き物だとは夢にも思っていないのだ。しかしだからこそ、そこに付け入るスキがある。

「時間がねえ、急ぐぞ」

 タバコに火を点け、ふらつく頭に活を入れる。そして俺は準備を進めた。

 こちらを殺すためにやって来る、奴を殺すための準備を。


 数分後、厨房車の後方入り口を、荒々しい圧力がぶち破った。

「来たか」

 俺達は調理台の陰に身を隠していた。横には逆さに伏せた寸胴鍋が一つ。中にはクロニカが入っている。俺の分はない。最初の試練は、ともかく生き延びることだ。 

 そして倒れた扉を踏みつけて、続々と侵入して来たのは、後方の客車の乗客たちだった。

 ただし、その有様は正視の許容を超えていた。全身に無数の棘針を生やしたおぞましく真っ赤な仙人掌たちが、しかし絶命すら許可されぬまま歩かされている。

 体内に貫入した針が、まだ生きている神経を強引に刺激し駆動させているのだ。そんな 悲痛極まる棘人間の死行進デスマーチは、キッチンの中程で不意に停止した。

 そして一斉にぶるぶると、不規則かつ小刻みに震えながら、予兆のように絶叫して。

「っ‼」

 様子見の頭を引っ込めた瞬間、彼らは一斉に爆発した。体内の血液を爆発的に吸い上げ成長した棘針が、骨肉の破片とともにはじけ飛び、周囲を無差別に破壊する。

 車両は一瞬で穴だらけになったのだろう。轟音とともに激しい風が吹き込んできた。

 そして程なく、破片を踏みつける靴音と神経質な声が聞こえた。

「どうした……姿を見せろ。まだ生きているだろう」

 爆風と破片に切り裂かれた、痛む手足を動かし、俺は調理台の裏から立ち上がった。

「ああ。おかげさまで、一張羅が台無しだ」

 すぐ隣の足元で、あちこち凹んでボロボロの寸胴鍋が内から軽く持ち上げられた。いつでもいけるという事らしい。

 グラキエルは、こちらと目を合わせるなり不快気に眉をひそめてみせた。

平民ヒューマン風情が……一体誰に許可を得て、オレに向かってドブ臭い口を開いている。許せんな。許さんよ。よって殺す」

「そりゃこっちのセリフだ。ヘッジホッグ野郎」

 不意の怒りに瞠目した顔に向けて、俺は効きもしない銃を構えた。

「お前ら貴族様は、今じゃ社会に歯向かう立派な害獣だって知ってるか。善良な市民の義務ってワケじゃないが、ここで駆除してやるよ」

 あからさまに過ぎる挑発は、しかし有効だと俺は知っている。

 何故なら、先ほど少女の左眼が伝えてくれたのだから。平民にんげんの苦痛と絶望に酔いしれる優越種、そのプライドに引っかき傷でもつけようものなら、必ず反応するはずだ。きっと最大限にこちらの尊厳を踏みにじるため、一手間を凝らすに違いない。

 演技でなく、握った銃が小刻みに震えた。すぐさま、見抜いたような嘲笑が寄越される。

「くく、虚勢を張るな、下等生物。怖いのか? 震えているぞ」

「ああ、怖いね。喋るハリネズミは初めて見た」

 見え透いた挑発を畳みかけると、見えない殺気が、俺に焦点を合わせるのを感じた。

 今、決めたな。この生意気な獲物を這いつくばらせ、命乞いを聞きながら殺そうと。

「……おい劣等。オレはたった今、少しだけ気が変わったぞ。その度胸に免じて一度だけ、命を拾う機会チャンスをやろうという気にだ」

 粘度を濃くした殺気と裏腹に、ひどく落ち着いた声でグラキエルは続けた。

「足元に隠している小娘を差し出せ。そうすれば、貴様だけは生かしてやろう」

 当然ながら、俺が漏らしたのは失笑だった。

「あんた、嘘が下手だな」

「なんだと?」

「今のセリフは、真実から出た言葉じゃない。それに本音が顔に書いてあるぜ。期待を裏切られた俺の絶望が見たい……合ってるだろ?」

 男の表情が、苛立ちに歪んだのが分かった。針が蠢き――来る!

「今だ! クロニカッ‼」

 発砲しながら座り込むように台の陰に落ち、撃ち出される棘針を躱す。当然、こちらの弾も外すがどうでもいい。俺の役目は、最後まで注意を引き付けておく事なのだから。

 入れ替わりに立ち上がったクロニカが、足元のそれを両手で放るように投げ付けた。

 少女の細腕には重かったのだろう。それは回転しながら、不格好な放物線を描いて。


『……本当に、それを投げつければいいの?』

『ああ。ヘタに触るなよ。使うまでは寸胴被せて守るぞ。最悪、俺たちが吹っ飛ぶ』

 その物体を前にして、クロニカはあからさまな疑いの視線を向けてきた。

『この列車は、蒸気帝国エルビオーンから輸入した中古品だ。だから、厨房の設備も向こうのもんを付いてきたそのままに使ってる』

 俺は火を止めて、かかっていた調理中の両手鍋を持ち上げた。ねじ切り式の密閉蓋の上、そこに空いたベル付きの小さな蒸気孔を、詰め物をしてしっかりと塞いでいく。

『……一体何なの、それ』

『あのシチュー、美味かったか』

 クロニカへ背を向けたまま、俺はどこかで仕入れた雑学を語り聞かせた。

『揺れる上に狭い車内だと、ひっくり返った時に面倒な大鍋は嫌われる。だから基本的に走行中の煮込み料理はコイツで作る。小さくて密閉できるし、何より客を待たせず短時間で具材が柔らかく仕上がるからだ』

 盛り上がった熱い鍋蓋を爪先で叩きながら、その下にある力の大きさを確かめる。

『圧力鍋。コイツは使い方を誤ると――』


 どうなるのか。その答えが、今現実に示された。

 自身に向け緩やかに飛来する物体へ、グラキエルは妥当に対処した。針を伸ばし、串刺しに射止めて投げ返す。普通の投擲物なら有効だろう。だが、この場合は間違いだ。

「‼」

 すさまじい破裂音が轟く寸前、俺はクロニカを押し倒して床に伏せた。

 何が起きたのかは見るまでもない。高温高圧の調理器具に内容された具汁と気圧が、針によって穿たれた穴から、恐るべき破壊力として解き放たれたのだ。

 その単発威力は先の針人間にも劣りはしない。爆音の耳鳴りを振り切って顔を出した先、グラキエルは右上半身を失った状態で車両の内壁にめり込んでいた。顔面には鍋蓋が突き刺さり、頸が真横にへし折れている。しかし、これで死んだとは思えない。

 半壊した調理台を乗り越え駆け寄り、俺は奴の胴体へ全力で蹴りを入れた。それで、ボロボロだった壁はついに限界を突破し、グラキエルはそのまま車外に投げ出された。

「悪いが、お前はここで乗り換えだ」

 血まみれの拷問吏は後ろ向きの慣性に引かれるまま、砂利の上を数度跳ねて、そして回転する車輪の地獄に巻き込まれた。

 骨肉が挽潰れる凄まじい異音が響く。そうして飛び散る人体の破片と血飛沫が、けれど見る見るうちに後ろへ流れていくのを見届けて。

 俺は身体から、どっと力が抜けていくのを感じた。

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