第一章 Wild bunch(4)

    4


 貴血因子レガリアとは、貴族の血に宿るという、形なき遺伝要素を指す一語。

 かつて、貴族たちはこの特別な力により平民を従属させ、王国を絶対的に支配していた。

 しかし革命が彼らの支配に終止符を打った。貴族たちは続々と戦場で死に、あるいは断頭台の露に消え、多くの貴血因子レガリアが家系もろとも断絶した。

 以来一般に、貴血因子レガリアの力を目にする機会はほとんどなくなった。しかし千年にわたって平民を圧倒した異能への恐怖は、社会からまだ抜けきっていない。

 ゆえにそうした逆風の中で現在まで生き残り、家名と因子ちからを残すことが出来たのは、いち早く革命側に寝返った一部の革命派貴族たちか、あるいは、その逆か。

 ――気付けば、午後も三時の食堂車には空席が目立っていた。幸いにも、こちらの悶着に注目した者はいなかったようだ。お互い、世間に顔向けできる身の上ではない。

「残党貴族が……俺に一体、何の恨みがある」

 視線を下に逸らしたまま、俺は努めて抑えた声で吐き捨てた。

「恨み? 別にないわよ」

 あっさりと。形のいい、小さな唇がそう言ってのけた。

「ただ単に、目があったあなたが悪い人で、面白そうだったから、つい」

 こみ上げてきた、殺意にも近い怒りを、間一髪で腹の底にしまい直す。

 そして何を言おうか手をこまねく間に、細い指が机の上のメニューに伸びた。

「まだ怒ってるの? 教えてあげる。そういう時は、おいしい食事が一番よ」

 遅めのお昼にしましょう、と勝手に呼び鈴を鳴らされる。汽笛と車輪の騒音、その間を縫うような特徴的な高音が響き、ほどなくベルボーイがやってきた。

「御用でしょうか。レディ」

「ええ。お水を二つ、それと……おススメはなあに?」

 勝手に注文を始める少女の左眼はいつの間にか、また瞼を下ろしていた。

「今日は上等の仔牛肉が入っておりますので、当車自慢のシェフが腕によりをかけてビーフシチューにいたしました。是非ご賞味いただければと」

「そう。じゃあそれを一皿。パンもつけて頂戴」

「かしこまりました」

 注文を済ませると、少女は閉じたままの己の左眼を指さして、こう続けた。

「〈真理の義眼アイオブザプロヴィデンス〉。これが私の因子ちから、他者のこころが見える左眼。……ただし、目を合わせなければ効果がないの。だから、そんなに警戒しないでもいいのよ?」

「無茶言うな」

 いつ瞬き一つで腹の内を見透かされるともしれないのに、平気でいられる詐欺師などいない。首に刃物を突きつけられた人間が落ち着かないのと一緒だ。

 そんな俺の心中を他所に、少女は聞いてもいない自己紹介をはじめた。

「私はクロニカ。訳あって、旅をしてるの」

 女の一人旅に訳がないワケがない。しかし少女、クロニカはその理由を言うことなく、

「初めて見たわ、あなたみたいな人」

 会話の文脈すらも無視して、勝手気ままにこう告げた。

「まるで仮面みたいに、こころに別の顔を貼りつけていた。……でも、読めたのはそこまで。仮面の裏の底が見えない。あなた、そこに一体何を隠しているの?」

「……何を、言ってんだ」

 言われた意味は理解不能ながら、しかし、頭の奥で不吉な警鐘がけたたましく鳴り響く。

 こいつは、あの眼は、ヤバい。もう逃げろ今すぐ逃げろと、心臓がバクバクと叫び出す。

「ねえ、詐欺師さん。私、あなたに興味が湧いちゃった」

 鼠をいたぶる猫のような笑顔に、しかし危険と分かりつつ逃げられないのはどういう訳か。脳裏に焼き付いた紫苑の輝きが魔力じみて、俺の内なる深みを掴んで離さない。

 まさか、「俺」は、この少女の眼に――。

 その時、すぐ横にキャビンの音が響いた。ボーイが注文を持ってきたのだ。

「お待たせ致しました、ではごゆっくり」

 列車の震動にも慣れた様子で、ボーイは鮮やかに給仕を終えた。すると待っていましたと言わんばかりに、少女は俺からさっと視線を外すと、目の前の一皿と向き合った。

 赤い仔牛肉の頂上に白いミルクが垂らされる、ホロホロに煮溶けたそれがスプーンに乗って小さな口に運ばれた。小さくふくらんだ頬が、嬉しそうにほころぶ。

 流れていく車窓には、残雪の化粧を落としそびれた中央山脈アレゲニの、碧羅の山裾と蒼穹。そんな景色と食事を満喫する少女は、図らずも絵画のような構図を作っていた。

 いつの間にか、ひどく喉が乾いていた。俺はボーイが置いていった、コップの水を少し飲む。生温い水が胃の腑に流れ落ちた、と同時。

「――そういう訳だから、ライナス。あなた、私と一緒に旅をしてくれない?」

「一体どういう訳だ。あとお前正気か? 俺は詐欺師だぞ」

「そうね、でもこれからは私の護衛と道案内役よ。路銀や食べ物、お水、着替えその他必要な物の調達と荷物持ち、あと身の回りの世話をお願いね」

「ふざけんな! そりゃ要するに、ただの奴隷じゃねえか!」

 その提案を受け入れるのに、心の敷地にどれ程の余裕が必要かは知らないが、少なくとも、俺の胸がそこまで広大でないのは確かだった。

「あら、ご不満かしら? でも残念だけど。もうあなたに選択肢は無いのよ」

「……どういう意味だ」

 少女は閉じた左眼、その瞼の裏を読み上げるように諳んじた。

首都銀行スミスバンク、ルーク州立銀行、海上保険組合、西部鉄道基金……」

 唐突に羅列される単語。俺には、すぐさまその意味が理解できた。

 それらは全て、俺の財産の預け先。いままで詐欺で儲けてきた金を貯めてある口座と投資先。文字通り俺の全財産であり、今まで積み上げてきた価値の全てだ。

 そして無意識に連鎖してゆく記憶が、一つの異常を報せた。

 思い出せない。そこに、財産を預けているのは知っている。しかし、どうやってそこにアクセスしていたのか。口座番号、使用していた偽名、窓口、証券の在処それらの記憶が無い。頭に空いた暗闇をどれだけ探っても、一片たりとも思い出せない。

 思わず吐き気と眩暈に倒れそうになったその時、クロニカの口が小さくスプーンを舐めるのが見えた。まるでその銀の匙で抉り取ったように、不在の記憶の行方が告げられる。

「〈真理の義眼アイオブザプロヴィデンス〉――第二眼セカンドアイ。ごめんなさい、一つ言い忘れていたわ。この左眼は、こころを見るだけじゃない。視線を介して記憶や感情、思考を切ったり貼ったり繋いだり――まあ、イロイロと出来ちゃうの」

 茶目っ気すら帯びた微笑が、形だけのような同情を呟いた。

「辛いでしょうね。見るまでもなく、お察しするわ」

 背筋を駆け抜けた戦慄は、しかし、そんな気休め程度の衝撃では断じて無い。

 自分を支えていた確かな価値が、一瞬にして奪われた。絶望が腹の底から渦巻いて、一気に脳天まで駆け上がる。それを一抹の理性で堪えながら、俺は掠れた声で言った。

「……取引か」

「ええ。一緒に旅をしてくれたら、思い出せるようにしてあげる。でも断れば、あなたの記憶とお金は二度と戻らない」

 果たして俺の返答は、魂まで抜け落ちていくような、深い、深いため息だった。

 これは、報いだろうか。今までさんざん他人を騙してきた罰なのだろうか。まさか心を読み、記憶を奪う化け物に目を付けられるなんて。

「良かったじゃない。こんな美少女と一緒の旅なんて。言っとくけど、詐欺じゃないわよ」

 それよりも、よっぽど質が悪い。なんて言葉は、きっと口にする必要もないのだろう。

「これからよろしくね、ライナス」

 こうして、詐欺師ライナス=クルーガーは生涯最大の敗北を喫したのだ。

「……で、何だって、俺なんだ」

 車輪の震動が、投げ出した足裏を叩く。俺は座席にもたれたまま声を発した。

 どうして、もっと利用しやすそうな善人や、報いを受けてしかるべき極悪人でもなく、日々を真面目に生きるだけの詐欺師が、こんな目に遭わなくちゃいけないのか。

「なんとなく、楽しそうだからよ。詐欺師と一緒に旅をするのって、きっと退屈しないし、いい思い出になると思わない?」

 ヒトの記憶を奪っておいて、思い出とはよく言えたものだ。

「それに、あなたは嘘つきだから、虚構わたしにぴったりって思ったの」

 意味が分からない。この少女が一体何を考えているのか、目の前しか見えない俺には、その真意など読み取れない。だがしかし、遊ばれているのだけは確実で。

 だから、それがとてつもなく悔しくて、無性に腹が立って仕方がなかった。

 ふと、食事を終えたクロニカが、ナプキンで口元を拭いながら問うてくる。

「……私としては、あなたをもっと知りたいわ。どうして、詐欺師なんてしているの?」

「金が欲しいからだよ」

 それだけ? と言いたげな視線から目を逸らしながら、言葉を続ける。

「誰だって、自分の長所を自分のために使うもんだろ。俺は人を騙すのが得意で、それが一番活きるのがこの職業、つか……ああもう。心が読めるんなら一々聞くな」

 俺の言葉に、少女は車窓の陽に透けるような紅雪の髪を梳かしながら、言った。

「確かに私は他人のこころが見えるけど、時には見え辛い相手もいるの。あなたの場合は特に、張り付けたものが邪魔だから、自分から言葉にしてくれると助かるわ」

 さらりとなされた要求は残酷極まりない。種を明かせと言われた手品師は死ぬしかないというのに、クロニカは好奇心に任せて殺し文句を重ねてくる。

「その心の上っ面、あなたは仮面と呼んでいるようだけど……本当に、そんなもので人を騙せるものなの? 言ってしまえば、ただの思い込みじゃない」

 計算づくか、その言葉は絶妙に俺のプライドを引っ搔いた。しかし普段なら聞き流せる挑発に、乗ってしまったのはやはりここ数分の状況が目まぐるし過ぎたせいか。

「……嘘を吐くときのコツ、知ってるか」

「いいえ」

「その一、真実だけを話すこと。自分がマジに確信してる、真実だけをな」

「嘘を吐くのに、真実を話すの?」

 想定通りの疑問だった。閉ざされた左眼へ向けて、俺は強く頷いてみせる。

「本音で嘘をつくのは簡単だ。嘘を本当だと思ってる人間に成りきればいい」

 たとえ事実とは異なることでも、それは真実だと本気で信じている人間はいる。だからそういう人間に成りきれば、どんな嘘でも正直に口にできる。

「つまり、あなたは嘘を吐くたび別人を演じているのね」

「そんな感じだ。自分をそういう人間だと思い込む。んで使い終わったら、仮面みたいに引っぺがす。コツさえ掴めば誰にでもできるさ。職場や家庭に世間体ってあるだろ」

「無いけど?」

「……お前以外の世の中の全員にはあるんだよ。そこで皆、何かしらを演じてるもんなんだ。そのくせ他人には本当を要求する。だから騙される」

 神妙に寄った少女の眉根が、にわかには信じがたいと額に書いた。

「どれだけ本人がそう思っていたって、嘘はしょせん嘘でしょう。実際に真実じゃない思い込みをつき通すなんて、いくらなんでも無理があると思うのだけれど」

「違うな。まず一つ、お前は誤解してるだろ。真実とは、事実じゃない。事実ってのは、誰がどう思っていようが関係なく現実に起きる出来事だ。けど真実ってのは、その事実がどういう意味を持つのかって言葉なんだよ」

 この世の事実に本来意味などない。ただ、意味という名の真実が後付けされるだけだ。

 例えば、ある人間が死んだとしよう。それは事実だ。だが、ソイツがどんな人間だったか、要は周囲からどう思われていたかという真実によって、死人は蘇らないが葬儀の列は長くも短くもなるし、香典の額も変わる。

 だから俺は、嘘をつく。現実に存在する事実を変えることはできないが、人の心の中にしかない、真実という名の思い込みを変えることなら、いくらでも可能だから。

「真実と嘘の境目なんて、コインの裏表みたいなもんだ。人は自分の信じたいものを信じられなくなった時、さっきまでの真実を嘘へとひっくり返す。その逆もまたありき――だから要は、何が嘘で何が真実かなんて、そいつの心一つであっさり覆るのさ」

「……心、一つ」

 そこまで言った時、クロニカは俺の言葉を反芻するように小さく呟いた。まさか感銘を受けたわけでもあるまいが、一体何が気にかかったのだろうか。

 そう考えていると、車輪の振動が次第にゆっくりとしたペースを取り始めた。そして程なく、列車は一際甲高い到着の汽笛とともに、長閑な田舎町の駅に停車した。

 車窓を開けて覗いてみると、山裾に広がる田園風景を背に、乗務員たちが燃料補給を始め、まばらな乗客たちがホームで乗降していく。停車時間は十数分程度だろう。

「どうする、降りるか」

 俺としても、もうこの列車に用はない。

 テーブルの上、飲みかけのコップを挟んで、対面の少女に問いかけた。

 その時だった。乱暴に扉を開く音と、それに続く靴音が、俺の思考に差し挟まれる。

 否応なく、そちらに注意を向けた瞬間。

「動くな」

 後方の貫通扉から現れた男たちが、素早く俺たちの席を取り囲んだ。

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