第一章 Wild bunch(5)

    5


「動くな」

 低い脅し文句は、車外の喧騒の中でもよく聞こえた。だから二度も言わなくていい。

 向かい合って座る俺とクロニカを見下ろす男たちは三人。そしてどうやらこの場で騒ぎを起こす気はないのか、彼らは落ち着いた口調で脅迫文を述べた。

「この駅で、我々と一緒に降りてもらう」

 そう言うと、一人が袖口からちらりと銃口をのぞかせた。他の二人もコートの下が膨らんでいる。そして全員が、クロニカを見ようとしない。つまり、知っているのだ。

 一体、こいつらは何者なのか。それは今現在どうでもいい。

 重要なのは、どうすればこの降って湧いた窮地を切り抜けられるのか。しかし誠に残念ながら、俺には自慢できるような腕っぷしもなければ、銃も持っていない。

 視界の端でクロニカの様子をうかがう。紅雪の少女は慌てる様子もなく、ただ無表情でテーブルをじっと見つめていた。

 ふと思った。無関係だと言えば、コイツはともかく俺だけは助かるのではないだろうか。

「立て、一緒に来い」

 言うや否や、クロニカの方に詰めよる二人が目隠しのつもりか黒い布を取り出した。

 そして、乱暴に少女の髪を掴むのが見えて――気が付けば、俺は動いていた。

「おっと」

 言われた通り、恐る恐る立ち上がる、ふりをして、膝でテーブルを軽くかちあげる。

 すると、水の残っていたグラスが音を立てて倒れ、派手に中身をぶちまけた。

 結果、男たちは反射的に視線をそこへ向けた。その時丁度、木立を抜けた車窓から強い西日が差し込んで――。

 倒れたグラスから滴る水に、開眼した紫水晶アメジストの左眼が反射した。

 途端、三人の男たちは糸が切れたように、どさりとその場に崩れ落ちる。

 何事かとこちらを向いた他の乗客たちは、そのままクロニカが視線を向けると、本当に何事もなかったように、元通りに向き直った。

「……今、何したんだ」

第二眼セカンドアイ。記憶をメチャクチャにシャッフルしてあげたの。しばらく起きられないはずよ。……ああ、他の人たちは、今見たものを忘れてもらっただけ」

 改めて背筋が凍る。逃げる隙ぐらいは期待していたが、一瞥でこれとは想定外だ。

 向き直ったクロニカは、褒めてあげると言わんばかりに微笑みながら、言った。

「やるじゃない、カッコよかったわよ」

「……お前がやったんだろ」

 咄嗟に口をついた否定は、後ろめたさからでは断じてないと思いたい。

 ひとまず動かない三人を窓際に座らせる。それと同時に出発の汽笛が鳴り響き、重たい鋼鉄の箱が再びゆっくりと前進を始めた。

「で、こいつら一体何者だ」

「知らない」

「とぼけんな。こいつらはお前の眼を知ってた。……追われてたんだな」

 すると悪戯がバレたように、クロニカは小さく舌を出した。

「そう、実を言うとね。だから助けが欲しかったのも本音の一つ」

「なら詐欺師じゃなくて警察に頼め。心配すんな、牢屋は誰でもタダで入れる」

 それじゃダメよ、とクロニカは頬杖とため息を同時についた。

「私は旅が好きなの。色んなものを見て、聞いて、触れて、味わって、そうして歩いた証をこの世界に刻みたいし、私の心にも思い出を刻みたい。檻の中の鳥になるのはごめんよ」

 危機感があるのかないのか、歌うような語り口に、俺は嘆息混じりに訊き返した。

「くだらねえ……それより、こいつらについて教えろ」

 自分が、取り返しのつかない泥沼に入り込んでいる確信が生じる。しかしもう引き返せない以上、せめて可能な限り沼の深さを測りたいのが人情だ。

「彼らは、自分たちを〝騎士団〟と名乗っているみたい」

 紫苑の揺らめきが視界を掠め、内心の疑問への答えが寄こされた。

「あなたの想像通りよ。騎士団とは、少数の残党貴族とその従者たちからなる秘密結社。共和国コロニアルズ各地での反政府的な破壊行為が、主な活動内容ね」

 月一の頻度で新聞を賑やかすありふれた反政府組織という説明に、クロニカは一転、落とした声で補足した。

「そして騎士団かれらの目的は、〈王〉を蘇らせること」

 鼓膜に飛び込んできた単語に、思わず、耳を疑わざるを得なかった。

〈王〉。人間を超えた貴族たちの更に上に立つ存在。それはかつて、王国レガートスを千年間支配していた、不老不死の君主の名だ。

「……実在、するのか。〈王〉ってヤツは」

 しかしながら、今となってはその存在は疑わしい。貴族たちが超常の力を持っているのは事実だが、その頂点に君臨する存在は語られこそすれ、その目で見た者は誰もいない。革命で陥落した王都からも、遂にその死体すら見つからなかったという。

 そのため一説では、〈王〉など最初から存在せず、貴族たちが利害調整役として必要とした記号に過ぎなかったと言われている。もちろん、俺もその意見に賛成だ。千年生きる不死身なんて、信じる方がどうかしている。しかしながら、

「ええ、〈王〉はいるわよ。少なくとも、私はこの眼で見たことがあるもの」

 にわかには信じがたい供述を、左眼を伏せた少女はあっさりと言ってのけた。

「だからこそ、騎士団は私をつけ狙うの。今となっては私の左眼だけが、奴の玉座に繋がる唯一の道だから」

 はぐらかすように、要領を語らないクロニカを、しかし追及する気にはなれなかった。

 革命、貴族、〈王〉……それらは俺の人生とは、次元の違う領域の問題だ。関わったところで、ロクな事にならないのは目に見えている・。

 しかし残念なことに、何もかもがもう遅すぎた。この少女に眼を付けられたことで、俺の人生はゆっくりと、別の世界から侵食されつつある。

 だから今はもう、それを認めて切り替えるしかなかった。無事生き延びて金を取り戻すには、迫りつつある脅威から目を背けても仕方ない。

 昏倒した三人に視線を戻す。確か、前の駅で降りろと言っていた。つまりは、そこに仲間がいたのだろう。他の情報は読めなかったのか訊ねると、クロニカは首を横に振った。

「いいえ、ダメだったわ。この人たちは『私を連れて駅で降りる』という命令以外、何も聞かされていないみたい」

「下っ端ってワケか。ったく」

「お金にならない面倒は嫌い?」

「ああ。あと、生意気なガキも嫌いだ」

「でも、見捨てなかった」

「金のためだ」

 吐き捨てたついでに、再度訊ねる。もう一つ、まだ明らかにしたい事があった。

「それで、一体どこまでだ」

「何が?」

「ゴールだよ。具体的に何処まで、お前に付いていけばいいんだって聞いてんだ。その騎士団とやらに追われてる状況で、何の当てもなく旅してるわけじゃないだろ」

「だとしたら困ってしまうわね。あなたはこれから、人よりも少し目がいいだけのか弱い美少女と、どこまでも、終わりのない逃避行をしなければいけなくなっちゃうもの」

「この野郎……」

「安心して。ちゃんと目的地はあるから」

 細い指先が、車窓の先に見える白い山稜、その先を指してこう言った。

「海」

 希望か、あるいは憧憬か、少女が口にした単語は隠しきれない熱を帯びていた。

「港で船に乗って、大海原を渡って外国へ、そのままずっと、ずっと遠くへ逃げ続けるの」

 そして微かに潤んだ右目は、車窓に広がる山裾の先に、見えない海原を見ているようで。

「だからライナス。あなたには、私がこの国を出るまで手助けして欲しいの。海まで着いたら、記憶を戻してあげるわ。その先も一緒に来ると言うのなら、止めはしないけど」

「もちろんお断りだ……分かった、海までだな」

 知らず知らずのため息が口をついた。気乗りしない。現在、俺たちが乗るのは中央山脈沿いの東南部路線。鎖国が解かれた西部海岸は、千マイルも離れた真反対の方角にある。

 鉄道や乗合馬車、船舶を最短距離で駆使したとて、ざっと見積もって三か月。遠すぎる。なによりその間ずっとこちらの考えが筒抜けだと思うと、死んだ方がマシかもしれない。

 だが俺にとって金は命より重いのだ。よって諦めるという選択肢はなく、それに何より。

「? どうしたの、ヒトの顔をじっと見つめて」

「何でもねえよ。……何でもねえから目を合わせようとするな」

 この澄まし顔を、このまま勝ち誇らせたままにしておくのは、我慢がならなかった。

 心を読む瞳。そんな反則技に苦渋を飲まされてしまった自分が、悔しくてたまらない。

 このままで終われるほど、俺の詐欺師人生は安くはないのだ。よって、見ていろ。

「絶対、吠え面かかしてやる」

「……見えなくても、聞こえてるわよ。つくづく面白い男ね、あなたって」

 呆れ混じりの微笑を聞き流して、俺は考える。ひとまず目下の問題は次の駅だろう。この三人がしくじった以上、先回りした仲間がそこで乗り込んでくるかもしれない。

 その時だった。汽笛と車輪の間を縫うように、別種の音が耳に入った。

 硬い何かの先端が、線路上の砂利を叩くようなその調子を、奇妙に感じたその瞬間。

 天井から響いた衝撃が、車両全体を揺るがした。

 テーブルと座席が波打ち、何事かと上を見上げた乗客たちのざわめきが広がる。

 それから一拍遅れて、天井を突き破った人影が、重々しく車内に降り立つと同時。

 その場の全員が、息を飲む音が確かに聴こえた。

「……臭い」

 不気味なほどに低い、錆びた牢獄の奥から響くような声が無言の中に木霊する。

 病的なほどの痩身に、丈の長いコートを被せた男。神経質なほど撫でつけた鳶色の髪の下、丸い黒目が死肉を啄ばむ鳥のような不吉さでぎょろりと動いた。

「――――」

 俺には、他人の心など見えない。けれど分かる。どうしようもなく分かってしまう。 

 視線の先の瘦身からにじみ出る、暗く淀んだ、血錆びたその匂いが。

 それは、自らの手で他人の命を握りつぶし、誰かの人生を靴底に踏みつぶしてきた者特有の、隠しきれない血の臭気。

 俺のような詐欺師こものとは違う、生粋の殺人者の匂いだった。

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