一、目覚めた女心に嘲笑うカボチャ(3)
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「姉さん、入っても良い?」
「藍那? 良いわよ」
既に外も暗くなった夜のこと、あたしは姉さんの部屋を訪れていた。
姉さんは椅子に座って机に
「頬杖はあまり突かない方が良いらしいよ? 顎に負担が掛かるし後になって顎関節症とかに悩まされるって」
「……そうね。でも……はぁ」
あたしの言葉を聞いて姿勢を正したけれど、姉さんはまたため息を
あたしは姉さんの後ろから抱き着くようにして身を寄せると、姉さんもあたしの手に自分の手を重ねてきた。
「そんな風にため息ばかり吐いてもあの人には会えないよ?」
「分かってるわ。でもあの日からずっと考えてしまうのよ……あの方に会いたい、私たちを助けてくれたあの方に」
その言葉にあたしも頷いた。
数日前、あたしたち家族は家に入り込んだ強盗に襲われるという
そんな絶体絶命のピンチに現れたあの人──カボチャの被り物をした男性にあたしたちはまんまと心を奪われてしまった。
「
「そうよ……だから私は会いたいの。会ってお礼がしたい……会ってお返しがしたいの。私の全てを使って、あの方に私の全部で──」
姉さんは完全に自分の世界に入ってしまった。
目の前に居ないはずの彼を思い浮かべるように、姉さんは虚空へと語りかける。
「私……あなたに隷属したいわ。体だけでなく、心も……魂も全てあなたに
誰も居ない空間に伸ばされた手をあたしが握ると、姉さんはふと我に返るようにしてあたしを見つめた。
「……ダメね私ったら。藍那が
「別に良いじゃん。あたしだって似たようなものだもん」
そう、あたしだって姉さんと似たようなものだ。
あの出来事はあたしたちに強烈な恐怖と悔しさを植え付けた後、助けてくれた彼を求めてやまない欲も植え付けた。
「姉さんのこんな顔をクラスの男子が見たら何て言うかな?」
「下劣な連中の話はやめて。あの告白のことを思い出して吐き気がするわ」
「おっとごめんごめん」
一昨日、クラスの男子に姉さんは呼び出されて告白をされた。
あの告白が無意味なものであることは当然だったけど、その時も姉さんはこんな風にあの男子に対して思いつく限りの罵声を口にしていた。
「姉さんは大変だねぇ」
「
「まあね。本当に面倒ったらないよ」
嫌悪感から無意識に声が低くなったのが自分でも分かった。
「藍那は男子に少しでも触れられるのがダメでしょう? その点においては私よりも
「仕方ないじゃん。本当に触れたくもないんだから」
そう、あたしは男子に触れたくもないほどに嫌悪している──不注意か何かで体がぶつかったりしない限り、絶対にあたしは男に触れることはない。
「……っ」
「藍那?」
誰にも触れることはないと、そう思ってたけど、今日の昼休みのことを思い出す。
姉さんが気になってしまうほどに、急激に頬が熱くなったあたしは姉さんに背を向けて扉に向かう。
「戻るの?」
「うん」
「そう……あぁそうだわ。藍那、別に無理にとは言わないけど同じクラスの男子の名前くらいは覚えなさい。
「あ~、まあ頑張ってみるよ」
あたしはクラスの男子の名前を
名字はともかくとして、名前を呼ぶ必要性をあたしは全く感じないので覚えようと思ったことは一度もない。
「それじゃあ姉さん、おやすみなさい」
「おやすみ藍那」
そう言葉を交わしてあたしは自分の部屋に戻った。
「……ふぅ」
頬の熱はまだ引いてくれず、きっと今のあたしの顔は真っ赤になっているはずだ。
それもそのはずであたしは気付いてしまったから……彼のことを、隼人君のことに気付いてしまったからこんな風になってしまっている。
「あぁ♡」
熱を持つのは頬だけでなく体全体にまで及んでいく。
体の
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男なんて下劣で野蛮、下品というのは亜利沙にとっても……そして妹である藍那にとっても同じ考えだった。
もちろん最初からそんな考えを持っていたわけではなく、彼女たちが歩んできた人生がそう思わせることになってしまった。
「おいで藍那ちゃん、少し先生とお話ししようか」
まだ何も分からなかった小さな頃、その時から姉妹二人は周りから浮いていると思わせる魅力を放っていた。まだ小学生でありながら担任すら狂わせる幼い色香、幼さと色香は矛盾しているが……それだけ彼女たちはある意味で異質だったのだ。
担任の教師に体を触られ、それに気持ち悪さを感じても一体それが何を意味しているのかは分からない。藍那は気持ち悪さを感じてその場から逃げたが、それ以降も担任から呼び出されることが続いた。
もちろんこれは明らかな犯罪であり、この出来事を疑問に思った藍那が母に相談し事件は明るみになった。このような経験があり藍那は無意識に異性から見つめられることに嫌悪感を抱くようになり、
「……気持ち悪い……気持ち悪い!」
気持ち悪い、そんな一つの感情だけが藍那の心を支配した。
姉の亜利沙もそうだが、二人とも男から欲望にまみれた目を向けられることが多かった。同級生からもそうだし大人だってそう、早くに亡くなった父以外の男に心を許すことが出来ないような環境が彼女たちの周りに形成された。
「よろしく新条さん。俺は○○って言うんだ」
そう言って差し出された手を藍那が握り返したことはない。名乗られても
「好きです新条さん!」
「ごめんね? 恋愛には全く興味がないんだよあたし」
母から受け継いだ
しかし、この顔も体も母から生まれ、父にも
成長するにつれ、姉と共に美しさに磨きが掛っていく藍那だったが、ある日こんなやり取りを聞いてしまった。
「新条さんたちマジで美人だよなぁ」
「あぁ。あんな人たちとエッチしてえ!」
「胸もデカいし
吐き気がする会話だった。
彼らは同じクラスの男子、当然名字は知ってても名前は分からない。藍那は静かにその場を立ち去った。
「……やっぱり男なんてゴミだよ。誰も彼も体のことばかり」
少女漫画で描かれるような恋愛に憧れがなかったわけではない。だが現実の男子が話をするのは藍那の外見のことだけだ。エッチをするということは愛し合う行為、その延長線上が子作りになるわけだが……そのことを考えただけで藍那は猛烈な吐き気に襲われるようになってしまった。
そのように男に対する嫌悪感は日々募っていき、そうした日々を送っていた時にあの事件が起きた。家に強盗に入った男は愛する母を人質に取り、亜利沙と藍那に服を脱ぐようにと命令した。
「なんであたしたちがこんな目に……こんな……っ!」
結局、どこまでも自分たちは不幸なんだと思うしかなかった。
藍那たちが高校に入学してから、急成長した下着ブランドを展開する会社を経営する母のおかげもあり、お金に困ることはなく、母も姉も大きな愛を藍那に注いでくれた。
「おいガキども、母親を殺されたくなかったら服を脱ぎな」
「……っ!」
ずっと守り続けていた純潔がこんなところで失われるのか、もう藍那の中には諦めがあったもののこれで少しでも姉と母が救われるなら安いモノだと考えた。そうして全てを諦めていた時、彼が……カボチャの
突如現れた彼は瞬く間に男を無力化し、藍那たちを助けた。
「もう大丈夫だ」
大丈夫だと、その一言にどれだけ救われただろう。
目元のくり
姉も母も彼の言葉に安心をしたと同時に心の支えを求めてしまうほどに、藍那たちはあの瞬間完全に彼に心を奪われてしまったのだ。
「どこに……どこに居るのかなぁ」
名前も名乗らずに去っていってしまった彼、だが再会は思ったよりも早かった。
姉や友人たちと共に学食に向かったその時、藍那は自分を見つめる一人の男子と目が合ったのだ。
「……っ!?」
その時の彼の瞳、それがあのカボチャの中から覗いていた瞳と一致した。そのことに驚いてすぐに目を
藍那と目が合った男子の名前は
「……あはっ♪」
まだ確定じゃない、それでも藍那の心は彼があのカボチャを被った彼だと叫ぶ。姉に一言入れて藍那はその後ろ姿を追った。彼らが席を立った後、話していた内容はハロウィンのことだった。
隼人がカボチャの被り物とレーザーソードという
男子との会話に楽しみを
それからはもう藍那の頭の中は彼のことだけだった。
今まで嫌悪していた男という枠の中から隼人が外れ、完全に己の内側に入ってきた瞬間……そして当然こんなことも想像した。
自分とエッチしたいと言っていた男たちの会話、気持ち悪く吐き気を催すようなその行為の相手が隼人だったらと想像してしまったのだ。
「……はぁ……隼人君……隼人くぅん……」
彼が藍那の体に触れ、隅から隅まで愛してくれることを想像した。それだけで藍那の体は歓喜に震え、脳を
エッチをするその延長にあるのは子作り、この体の中に彼の子供を身籠る……その響きのなんと甘美なことか。嫌悪していた行為は相手が変わるだけでここまで藍那を変えてしまった。
「欲しいよ……隼人君が欲しいよぉ」
もう元には戻れない。
それを藍那は実感し、それでも構わないと情欲に染まった笑みを浮かべた。
まだ姉は彼のことを知らない、だからそれまではどうか自分が隼人のことを独占しようと
「
愛し合いたい、その上で彼の子供を身籠りたい……そんな溢れ出しそうになるとてつもない
ふと想像の中の隼人が口を開く。
『藍那、俺の子供を産んでくれ』
「……っ~~~~~~~!!」
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「……うああああああああんっ♪」
あたしはついつい甲高い声を上げてしまった。
自分のことを思い返していたら途中から隼人君のことばかり考えてしまい、彼に対する想いが溢れて体が絶頂へと導かれた。
「ふぅ…ふぅ……ふぅ♪」
息は絶え絶えなものの体と気持ちは
「……素敵だよ隼人君♪ 好きぃ……好きなのぉ♪」
人間、心持ち一つでこうも変わるんだと自分でビックリするくらいにあたしは変わってしまった……ううん、姉さんだってそうだ。
「あたしは隼人君の子供が産みたい……姉さんは隼人君に隷属したい……ちょっと濃すぎるんじゃないかな、あたしたち」
それでも構わない、彼の
でも一つだけ気に入らないことがあった。
「隼人君、中学生の時に恋人が居たって言ってた」
それを聞いた時、あたしの中に沸き起こったのはとてつもない嫉妬だった。
どこの誰とも分からない人があたしの知らない隼人君を知っている、あたしたちがまだ手に入れていない居場所を手に入れることの出来た相手に嫉妬したのだ。
「ふふっ、でもだからなんだって話だよね。そんな過去の相手なんて忘れさせてあげるよ。だから覚悟してね隼人君……あたし、隼人君のためなら何だってするから」
今のあたしは一体どんな顔をしているのだろうか、自分で言うのもなんだけどもしかしたら他人には見せられない顔をしているかもしれない。
「ふふ……アハハハハッ!」
隼人君のことを考えると気持ちが抑えられない、せっかく発散したのにまたしないとなとあたしは再び自分の体に手を
「隼人君、次はいつ会えるかな?」
そう