二、本格的な彼女たちとの時間(1)
あたし、
日常的な変化はまだ何もないけれど、恩人である彼のことを考えるだけで幸せに浸ることが出来る……もっと欲しい、もっと彼との
「藍那はこれからどうするの~?」
「あたしはちょっと休憩するよ。姉さんにも伝えてくれる?」
「分かった! それじゃあまた後で合流ね!」
「うん」
隼人君のことばかり考えてしまうけれど、それは決して表には出さない。
彼の前だと
「……何だろう、こっちから隼人君の気配がする」
あたしは彼の気配に誘われるかのように歩き出した。
今は体育の時間だけれど金曜日最後の授業ということもあって、先生からは一週間頑張ったご褒美にとある程度の自由があたしたちには与えられていた。
勝手に教室に戻ったりしなければ極端なことを言えば居眠りさえも許されるので、さっきまでソフトボールを楽しんでいたあたしを含め、他の子たちも思い思いに休憩をしている。
「さてと、隼人君はどこかなぁ……」
体育の時間とはいえ、クラスの違う隼人君をどうして探しているのか、その理由は単純で本日の体育は彼のクラスとの合同だったからだ。
いつもと違う面々の視線も集まって嫌な気分にもなったけど、時折隼人君と視線が合うだけでその気持ち悪さも軽減される……ううん、それどころか逆に体が
「姉さんごめんね。もう少し……もう少しだけあたしに隼人君を独占させて。一番最初に見つけたあたしの特権ってことで♪」
傍に居ない姉さんに謝罪をしてから改めて隼人君を探す。
彼の近くに誰か……それこそあの仲の良さそうなお友達が居たら流石に近づけないから諦めるしかないけれど。
「……あ」
しかし、案外あっさりと隼人君は見つかった。
校庭の一角に植えられている大きな木の陰で、彼はその木に背を預けるようにして気持ち良さそうに眠っていた。
あたしは足音を立てないようにゆっくりと彼に近づき、その隣に腰を下ろして彼の寝顔を見つめた。
「……良いなぁ」
ジッと見ているだけで吸い込まれそうになるほどに穏やかな寝顔だ。
テレビなどで見るようなイケメンとは言われないかもしれないけれど、あたしにとっては世界で一番かっこいい人だと思っている……ねえ隼人君、それだけあたしは隼人君に夢中なんだよ?
「……匂いくらい嗅いでも良いよね?」
ドキドキする心を抑えてあたしは隼人君に近づく。
すんすんと鼻を鳴らすようにしながら近づくと、男性だと感じさせる香りがあたしの鼻孔をくすぐってきた。
「っ……マズいかもこれ」
こうして彼の寝顔を見ているだけでも
「……ごくりっ」
あたしが目を向けたのは隼人君の無防備な左手だ。
気付かれないかな、目を覚まさないかなとドキドキしながらあたしはその手を握ると、持ち上げた。
「すぅ……すぅ……」
良かった、隼人君は全然目を覚ます気配がない。
それを知ったのをいいことに、あたしは隼人君の手を自身の
直接頬に当たっている彼の手に幸せを感じながら、あたしは更に大胆な行動に出てみた。
「ねえ隼人君、隼人君は大きな胸は好きかな?」
そう問いかけながら、あたしは自分の胸に隼人君の手を添えた。
自分で言うのもどうかと思うけれど、あたしの体は多くの男子が求めるほどに成長したものだと理解している。
姉さんよりも僅かに大きなあたしのバストは最近になって九十という数値を突破したけど、まだまだ成長している。
「隼人君には
あぁ……まだまだ満足出来そうにない。
あたしは慎重に様子を見ながら、隼人君の手を下半身の方へと移動させた。
「……ああっ♪」
パクッと食べちゃう、そうは言ったけどあたしとしては逆に隼人君に貪ってもらいたい……なんてね♪ もちろん本心だよ?
▼▽
「……あ?」
ふと目が覚め、俺は辺りを見回した。
「……あぁそうか。運動した後に疲れてそのまま寝たんだっけな」
週の最後の体育は教室に戻ったりしなければ何をしても基本的に良いとのことで、こうして寝てても怒られたり成績に関わったりしないのは控えめに言って最高だと思う。
「??」
ただ、俺はそこで横からジッと見つめてくるような視線を感じた。
「……え?」
「やっほ♪」
そこに居たのは藍那さんだった。
俺の肩にピッタリくっつくとまではいかないが、それほどに近い距離に彼女の顔があったせいで俺は反射的に腰を浮かせて距離を取った。
「ああん! なんで離れちゃうの~?」
そんな近くに君が居たら誰だってそうなるのでは……でも、離れようとするとムッと不満そうな表情を浮かべたのでやめておいた。
「……あと十五分もあるのか」
授業の終わりまであと十五分、もう少しゆっくりしていようかな。
「どうして藍那さんがここに?」
「ソフトボールしてたんだけどもう休憩しようかなって思ってね。それで静かになれる場所を探していたら隼人君を見つけたの」
「なるほど」
確かにここはちょうど木陰で太陽の光も遮られているし、心なしか届くクラスメイトの声も遠い気もして
「なんかさ……本当に最近よく藍那さんと話してるなって感じがするよ」
「それはあたしもだねぇ。凄く新鮮な気分♪」
ニコッと笑って藍那さんはそう言った。
相変わらず
「そういえばお姉さんの
「むぅ、隼人君はあたしとお話するのが嫌なの?」
しかしまさかのカウンターが俺に襲い掛かった。
決して嫌なんてことはなく、むしろ
「気後れするんだよ少し。美人姉妹として有名な藍那さんと話してるとさ」
これはお世辞なんかではなく本音だ。
藍那さんは一瞬下を向いて体を震わせたかと思えば、すぐに顔を上げてまた嬉しそうに笑ってくれた。
「美人って言われるのは悪くないねぇ。そっかそっか、隼人君はあたしのことをそんな風に思ってくれてるんだ」
「俺だけじゃなくてみんな思ってるよ」
そうじゃなかったらこうして学校単位で有名になってはいないだろう。
「……要らないよ。隼人君以外の言葉なんて」
「え?」
「何でもな~い♪ あ~あ、もう少し話していたいのに時間だね」
「……うん!?」
時計を確認すると、そろそろ先生のところに集まらないといけない時間が近づいていた。
慌てるようにして俺たちは立ち上がったが、その拍子に藍那さんが少し体勢を崩してしまいそうになり、俺はすぐに彼女の体に手を添えた。
「あ、ありがとう隼人君……」
「……おう」
しかし、ここで一つ問題が発生してしまった。
こちらに倒れ込むような姿勢だったせいで、俺の片手が藍那さんの豊満な胸元に当たってしまったのである。
「っ……」
「隼人君、怒ったりしないから安心してね? 助けてくれたんだから逆にありがとうだよ♪」
変態
「最近、隼人君はあたしとよく話すことがあるって言ってくれたけど、あたしの方としては隼人君に助けられることが多いね本当に」
「……あ~、前も辞書が落ちることあったもんな」
「どうして……そんなに助けてくれるの?」
「え? そんなの当たり前じゃないか?」
困っている人が居たら助けるのは当たり前だ。
もちろん状況によりけりというのはあるのだが、誰かを助ける……或いは守るという姿を俺は父さんから学んだというのも大きいのかもしれない。
「……………」
家族のことを考えて黙り込んでしまった俺を藍那さんが心配そうに見つめてきた。
「ごめんごめん、ちょっと思い出すことがあってさ。ていうか話をしてる場合じゃないって藍那さん!」
「そうだね! 急ごう隼人君!」
前もそうだったけど藍那さんと関わると時間に追われるのは気のせいかな?
そう問いかけると藍那さんはそんなことはないと言いつつも、もしかしたらそうかもと表情がコロコロと変わり、そんな彼女を見ているのは本当に楽しかった。
「ねえ隼人君、あたしは徐々に糸を絡めていくから」
「糸?」
「うん。言ったでしょ? あたしは蜘蛛が好きだって」
どういう意味なのか分からなかったのは勉強不足ではないと思いたい。
その後、俺と藍那さんは無事にみんなと合流し、二人で戻ったことで少し視線を集めたが大したことはなかった。
それというのも……まあ俺みたいな
「珍しいな。隼人が新条妹と一緒だったなんて」
「ちょいそこで一緒になっただけだよ。色っぽい話は
「ははっ、そいつは分かってるよ」
とはいえ、彼女と至近距離で話をしたり胸に触れてしまうようなアクシデントはあったが、当然それを友人たちに話すわけにもいかない。
「それじゃあみんなお疲れ様だ。解散!」
先生の声を聞いて一斉に俺たちは動き出す。
そんな中、俺は藍那さんと話をしていて実は気になっていたことがあった。
「……なんだ?」
それは左手の指にヌルヌルとした液体が付着していたのだ。
そこまで粘り気はないのだが、僅かに糸を引く程度で……おまけに匂いとしては酸っぱいような甘いような、表現の難しい香りだが嫌な感じはしなかった。
「藍那はどこで休憩していたの?」
「あたし? あたしはねぇ……?」
「どうしたの──」
「何でもないよ~。早く戻ろうよ姉さん」
「え、えぇ……」
そのまま藍那さんは振り返ることなく歩いていったが、今のウインクに反応したのは俺ではなかった。
「な、なあ……今新条さんウインクしたよな?」
「俺にしたんだよきっと!」
「いいや俺だね!」
傍を歩いていたクラスメイトの男子がそんな風に盛り上がる中、今のはたぶん俺に向かってだよなと口には出さずとも思えるくらいには、藍那さんと仲良くなれたんだなとちょっと嬉しかった。
(こう言うとあれかもしれないけど、藍那さんって嵐みたいな人だよな)
亜利沙さんの告白現場に居合わせ、何が彼女に気に入られたのかこうして話をするような間柄になったけれど、俺からすれば藍那さんのように容易に内側に入り込んで自分のペースに誘い込むのは嵐そのもののような勢いだ。
(……まあでも、藍那さんにしても亜利沙さんにしてもあのことは気にしないで過ごしているようで良かった)
女性にとってあのような経験は本当に恐ろしくトラウマが残ってもおかしくはないはずだ。
それでも普段通り……いや、俺は別に彼女たちの普段を知っているわけではないものの、傍に居る友人たちが変わらない様子で接しているということは彼女たちも普段通り過ごせているんだろう。
(それだけでも俺があの時、頑張った
体を張って良かったなと、俺はまた心からそう思うのだった。
「どうしたんだ隼人」
「何ニヤニヤして……まさか、エロいことでも考えたな!?」
「なんでそうなるんだよ」
せっかく人が悦に入っていたというのに、邪魔をしてきた友人二人に文句を言いつつ教室に戻るのだった。
週の最後の授業も終わりを迎えたことで後は帰るだけだったが、俺はふと教室の窓際に置かれていた花瓶に目が向いた。
「……おいおい、水換えてねえじゃん」
他のクラスがどうかは知らないが、うちのクラスでは基本的に花瓶の水は日直が換えるのが決まりだった。しかし、既に今日の日直の姿は教室に残っておらず濁った水のまま……俺はため息を
「換えとくか。こいつも綺麗な水の方が嬉しいだろうし」
水道のある場所まで向かい、綺麗な水に取り換えた。
別にこれくらい気にしなくて良いだろうって言う人は多いと思うけれど、母さんがよく花の水を換えたりしたこともあって、それでこういうのに気付くと見過ごせないんだ。
「よしっと、こんなもんで良いだろ」
新鮮な水を手に入れてこいつも心なしか元気が出たようだ。
「……こういう小さなことでも、亡くなった母さんとの
もちろん父さんのことも……ったく、こうやって家族のことを思い出すと仕方ないとはいえセンチメンタルな気分になってしまう。
「とっとと帰るか」
その後、俺は花瓶を元の場所に戻して学校を出た。
家までの帰路を歩く中、本当に今週は色々あったなと物思いに
「気のせいかもしれないけど……何かこう、色々と変わりそうな予感がするな」
まるで自分が予言者にでもなったような感覚だったが、不思議と笑い飛ばすことも出来ずに、俺はその予感を感じながらハロウィン当日を迎えた。