第四話 【紫電】(3)
*
そして──数十分後。
もう一度やってきた、スタジオ内。
「どのキャラをやればいいですかー?」
コントロールルームで待っていた浜野さんに、わたしは尋ねる。
「わたし、原作読み込んできたんで。どの子でもばっちりやらせてもらいますよ!」
ただ──そこまで言って。わたしは違和感に気付いた。
人が減っている。
さっきのオーディションのときには、もっと沢山いたはずなのに、今コントロールルームにいるのは音響監督の浜野さんだけ。つまり……わたしと彼、二人しかいない。
追加のオーディションだよね? 他のスタッフさん、いなくて大丈夫なの……?
「えーっと。名前は何だっけ……」
そんなわたしに、浜野さんは考える顔になり、
「確か、うーんと……そうだ」
と顔を上げる。
「山田さんだ」
わたしを見て──そう言った。
「山田良菜さんだよね? 紫苑じゃなくて」
「……えっ」
呆けてしまった。
思ってもいなかった名前で呼ばれて、反応が遅れてしまった、
「……えー、何言ってるんですか!」
慌てて『わたしの中の紫苑』を呼び出す。
「あの子には、一回代役を頼んだだけですよ。今日は普通に紫苑本人ですって」
「いやいや、思いっきり声震えてるじゃない」
困ったように笑って、浜野さんは言う。
「ブースにいるとき気付いたよ。今さら隠さなくっていいって」
「……でもわたし、本当に紫苑で……」
「大丈夫、他は誰も気付いてないから。監督もプロデューサーも、普通に本人だと思ってるし」
「……その、あの……」
脚がガタガタ震え出す。
自分でも、顔が真っ青になっていくのがはっきりわかる。
「ほら。紫苑はそんな顔しないよ」
相変わらず、苦笑している浜野さん。
「あの子のことは、デビュー前からずっと見てるんだから」
……これは、ダメだ。
もう、隠し通せない。
わたしが山田良菜だって……香家佐紫苑じゃないって、白状するしかない。
「……すみ、ませんでした」
ガクリと肩を落とし、泣きそうになりながら打ちあけた。
「浜野さんの、おっしゃる通りです。山田です……」
言いながら──わたしの頭の中を『失敗』の二文字が躍っていた。
終わった、全部終わった……。
ごめん、紫苑。一発目のオーディションから正体バレちゃった……。
……これから、どうなるんだろう。
最悪のビジョンが、頭の中を駆け巡りまくる。
きっと、めちゃくちゃ怒られて、この話が色んな関係者にもバレるんだ……。
最悪、炎上して大事件になったり、そういうこともありえるんじゃ……?
紫苑もわたしも、死ぬほど叩かれるんじゃ……!?
「マネージャーさん、呼んできてもらえる?」
そんなわたしに、保育士さんみたいな笑みで浜野さんは続ける。
「一度ちょっと、話を聞かせてよ」
「……はい」
そう答えると、わたしは一度深く頭を下げ。
幽霊みたいな足取りで、斎藤さんの下へ向かったのでした──。
「──はー、なるほど。そういうことねえ」
一通り、斎藤さんからも事情を説明したあと。
浜野さんは、椅子の上で伸びをしながら言う。
「入れ替わりかあ、まためちゃくちゃなこと思い付いたなあ、紫苑は」
「……本当にすいませんでした」
そんな彼の前で──紫苑の格好のまま。
針のむしろに座る気分で、わたしは深く頭を下げる。
「こんなありえないことをしちゃって……どう、お詫びをすればいいのか……」
「いえ、謝るのはわたしです」
斎藤さんも、深刻な表情でわたしに続いた。
「山田さんは、わたしと紫苑に巻き込まれただけで……責任は、わたしたちにあります。申し訳ありませんでした……」
コントロールルームに満ちる重い空気。
呼吸も上手くできなくて、窒息しそうになる。
わたしも、そして多分斎藤さんも、完全にまな板の上の鯉だ。
これから下されるお沙汰を、大人しく受け入れるしかない……。
けれど──、
「……まあいいんだけどね」
なんだか抜けた声で浜野さんは言う。
「別に紫苑が、誰かと入れ替わろうと」
「……ほ、ほんとですか?」
その反応が意外で、声を裏返しながら尋ねた。
「お、怒って、ないんですか……?」
「うん。別に怒らないさ。俺はね、仕事さえちゃんとしてもらえればOKなんだよ。その辺の事情に立ち入る気もないし」
「じゃ、じゃあ!」
斎藤さんが身を乗り出す。
「見逃して、もらえるんですか? 今回のこと……」
「ああいいよ、今のところ迷惑かけられたわけじゃないからね。誰にも言わないよ」
「……そう、ですか」
はぁぁあぁあ……と安堵の息を吐く斎藤さん。
「すいません、ありがとうございます……」
その隣で、わたしも思わずうずくまりかける。
……よかった、本当によかった。
わたしと紫苑の入れ替わり生活、初オーディションにして終了かと思った。
最悪、業界全体の大騒ぎになるところまで想像しちゃってた……。
「ただ、まあ……」
浜野さんは、柔和な笑みをわたしに向け、
「このままだと……本格的に入れ替わるには、まだまだ時間がかかりそうだね」
「ああ、ですよね……」
「普段の振る舞いもそうだし、何より芝居だ。仮に全力でできても、全然紫苑には及ばないかなあ」
「そこは、自覚してます……」
オーディションであんな失敗して、あっという間に紫苑じゃないのがバレて。
そのうえ──芝居のレベルには雲泥の差がある。
こんなんじゃ、完全に入れ替わるなんて夢のまた夢だ。四ヶ月後に迫ったタイムリミットで、斎藤さんに「いける」と思わせるのだってかなり厳しいはず。
「とはいえ確かに」
けれど、浜野さんはわたしをじっと見る。
「ちょっと、光るものも感じるんだよなあ。紫苑の芝居の核は掴めているっていうか、おいしいところはよくわかってる。センスはあるね。芝居勘みたいなものは」
「そ、そうなんですか……ありがとうございます」
思わぬ褒め言葉に、きょとんとしながらお礼を言った。
まさかこの流れで、そんな風に言ってもらえるとは思ってなかった……。
「だから多分君は、憧れが大事なタイプだろうなあ。憧れるものを追いかけて、強くなる役者なんじゃないかな」
「そう、かもしれませんね……」
バンドをやっていたときも動画を撮っていたときも、わたしは『憧れに近づきたい』って欲求に突き動かされていた気がする。
好きなバンドや映画監督。彼らの作品にかかった魔法を、再現したいという気持ち。
そして今も──お芝居に受けた感銘が、わたしを駆動している。
「ちなみに、今養成所に行ったりはしてる?」
「ああはい、行ってます! 斎藤さんに紹介してもらった、角筈ボイスカレッジに……」
「あー、角筈ね! だったらそうだな……」
と、浜野さんはにやりと笑い、
「ちょっと、面白い人を呼べるかも」
「面白い人……ですか?」
「うん」
浜野さんはポケットからスマホを出すと、それをのんびりいじり始めた。
「これが山田さんの刺激になればいいんだけど……」
何やら、悪巧みするような表情の浜野さん。
そんな彼を前に……一体何が起こるんだろうと。誰を呼ぶつもりなんだろうと、わたしは首をかしげたのでした。