第四話 【紫電】(2)
*
結論から言うと、大失敗をした。
ブースに入りマイクの前に立ち、
「プロダクションモモンガ、香家佐紫苑です」
そう挨拶をするところまではよかった。
頭の中にいる紫苑、そのお芝居をきちんとできていたと思う。
けれど──、
『よし、じゃあいってみようか』
据え付けられたスピーカーから、浜野さんのトークバックが聞こえる。
『ひとまず台本、頭からつらっとお願いします』
「わかりました」
そう返事して、コントロールルームに目をやって──それがまずかった。
防音ガラス越し、こちらを見ている大人たち。
浜野さんとミキサーさん、ミキサー助手の方。その奥にいる何人かの男性。
その景色に──一発でやられた。
心臓が大きく跳ねて、すさまじい速度で脈打ち始める。
全身に汗がぶわっと噴き出して、唇がガタガタと震える。
結果──、
「──ど……どっちが、す、好きなの……」
「目の前にいるわたしと……ぶ、VTuberとしての……わた、わたし……」
泣き出しそうな声になった。
かすれて震えて、たどたどしい声になった。
まずい。おかしい、どう考えたって変だ!
キャラと絶望的に合っていないし、紫苑がこんなことをするはずがない!
泣きたくなったし帰りたくなった。
けれど──ここはプロの現場で、わたしは香家佐紫苑としてここにいる。
逃げ出すことはできない──。
「ス、スパチャなんて……しないで。わたしは、たっ、ただ……ク、クラシュメイトとしての、わたしに──」
『──ちょちょちょ、ちょっと待った!』
スピーカーから、トークバックが割り込んできた。
ビクリとしてみると……浜野さんは頭をかき、背もたれに体重を預ける。
『……一体どうした?』
困ったような笑みを浮かべて、彼はそう言った。
『紫苑……何があった?』
冷や汗が、どっと背中に噴き出す。
……やばい、バレる!
このままのお芝居を続けたら──わたしが紫苑じゃないってバレちゃう!
考えてみればわたし……浜野さんの前で咳払いの芝居をしたことがあるんだ。
なんとなく、知り合いがいて安心していたけど。
浜野さん優しいしなんとかなりそう……とか思ってたけど。
むしろ……この人が一番、わたしの正体に気付いちゃいそうじゃない!?
一番の危険人物だったんじゃない!?
『……珍しく、緊張でもしちゃった?』
けれど……浜野さんは優しい声でそう言ってくれる。
『大丈夫だよ。リラックスしていつも通りにやりな』
見れば、彼は気づかうような笑みでこちらを見ていた。
そして──声。
スピーカー越しでもはっきりとわかる、優しそうなニュアンス──。
──ふいに、わずかに気持ちが落ち着くのを感じた。
ずっと、紫苑の声を聞いてきたからわかる。浜野さんは……心配してくれている。
わたしを、紫苑を責めるのではなく「大丈夫だよ」となだめてくれている。
……一度、大きく深呼吸した。
そして──頭をバシッと切り替えて、
「……あー、すみません!」
紫苑モードで浜野さんに答えた。
「わたしこれ、原作の大ファンで。久々にガチガチになっちゃいました! ごめんなさい!」
『ああ、そうだったんだね』
「もう一度頭からいいですか? 今度はちゃんとやるので」
『うん、大丈夫ならそれでお願い』
「はい、大変失礼しました!」
頭を下げて、もう一度マイクに向かう。
さっきまでの緊張は、もうずいぶんとほぐれていて、
「──どっちが好きなの!? 目の前にいるわたしと、VTuberとしてのわたし!」
紫苑らしい芝居を、わたしなりに見せることができたのでした。
*
一通り、お芝居を終えて。
『──はい、ありがとうございました』
トークバック越しに、浜野さんがそう言った。
『以上です。お疲れ様』
「お疲れ様でした!」
わたしもマイクの向こうに、晴れやかな気持ちでそう返した。
「すみません、最初だけテンパっちゃって」
『いやいや、大丈夫だよー』
笑顔でそう言って、手をひらひら振ってみせる浜野さん。
まあ……悪くない芝居ができたと思う。
正直、受かるかというと厳しいだろう。初っぱなから派手にこけたし。
けど、及第点ではあったはず。紫苑の特長は、わたしなりに再現できた気がする。
『……あー、あとごめん紫苑、実はちょっと別キャラもやってみてほしくて』
もう一度、浜野さんの声がブースに響いた。
『乃々役のオーディションは次の子で最後だから、それが終わったらまたブースに来てもらえない?』
「ああ、別キャラ!」
そっか、そういうこともあるんだな。
「はい! わかりました! もちろん大丈夫ですよ!」
『おっけー。じゃあまたあとで、よろしくね』
「よろしくお願いします! ありがとうございました!」
スタジオの皆さんに頭を下げると。肩の荷が下りた気分でわたしはロビーに戻ったのでした。