第二話 【わたしオルタナティブ】(2)
*
「──今から向かう収録は、来期放送の『乙女チックディストーション』第三話です」
スタジオに向け走る車の中。
斎藤さんが、わたしに説明を始める。
「アニメオリジナルの、サイバーパンクなバトルものですね。制作はお洒落で高品質な作風のスタジオSCOPE。紫苑はメインキャラ、山葉メイ役で出演しています」
言われて資料を見る。
山葉メイ、主人公の相棒の強気な女の子らしい。
蛍光色のサイケデリックな服を着て、不敵な笑みを浮かべるキャラクターイラストが載っている。
「今日からしばらく山田さんには、プロダクションモモンガの新人バイトとして紫苑に付き添ってもらいます。まずは、現場の雰囲気や仕事の流れを把握してください」
「はい! わかりました……!」
「ちなみにアニメのアフレコって、大体十時からと、十六時からの二パターンがあってね」
香家佐さんが、斎藤さんの話を引き継ぐ。
「『乙女チック』は十六時からの現場だね。こないだ出てもらった『ゆるけんどー』もそう。ちなみに今日は十時からの仕事もあったから、そっちを終わらせて二件目って感じ」
「そ、そうなんですか! お疲れ様です……」
持ってきたノートにメモをガリガリ書き込み、ほうと息を吐いた。
もうすでに、一話分アフレコしたんだ。なのに香家佐さん、ずいぶんと元気だな……。
わたしなんて、咳払い一つするだけでくたくただったのに……。
「ちなみに良菜は学校、普段は何時まで?」
「えっと……」
唐突な質問に、わたしは時間割を思い出しながら、
「最後のショートホームルームが、十五時二十分くらいに終わる感じですね」
「となると、午前の仕事はNGかな。その前提でスケジュールを組みましょう」
ハンドルを切りながら、斎藤さんが言う。
「午後の現場も、わたしが迎えに行きます。車内で準備してからスタジオ入りする流れでいきましょうか」
「ありがとうございます。助かります」
頭を下げつつ、わたしはふーと息をつく。
学校が終わってすぐにお仕事。なかなかそれは、ハードな毎日になりそうだな。
半年しか猶予はないし、これから放課後は「身代わり声優」の準備で忙殺されそうだ。
ちなみに、両親にはバイトを始めたと伝えておいた。
声優事務所に知り合いができて、しばらくそこでお手伝いをすることになったと。
受験との兼ね合いはあるけど、これで少しの間怪しまれることはないはず……多分。
「……というか、そんな時間にアフレコやるとなると」
と、そこで素朴な疑問が湧いた。
「香家佐さん、学校はどうしてるんですか? 授業は出れてるんですか?」
十時からと十六時から。どちらもそこそこ学校生活と被りそうな時間帯だ。
香家佐さんは毎クール当たり前のように複数のアニメに出ているし、そんな生活の中で学校には行けるのかな。
「やー正直あんまり出られてないね」
案の定、そう言って香家佐さんは苦笑いする。
「一日仕事があると一、二時間目くらいしか出られないし、昼休み過ぎに登校することもあるよ。遅刻も早退も日常茶飯事だから、それはちょっと寂しい」
「わー、やっぱりそうなんですね。勉強追いつくのも大変そう……」
「あ、でも紫苑」
そろそスタジオに着いたらしい。
建物脇の駐車場に車を停めながら、斎藤さんが声を上げる。
「こないだもテスト、結果良かったんでしょ? 学年三位だっけ?」
「えっ!?」
「いや、二位だよ。生徒会長にだけ負けた」
「ええっ!?」
こんなに忙しい上に、成績まで良いの!? しかも、学年二位……!?
「ど、どうなってるのそれ……」
隣に座る女の子が改めて別次元の存在に見えて、わたしはまじまじと彼女の顔を眺めてしまったのでした。
*
「──おはようございます!」
「──今日もよろしくお願いしまーす!」
本日の収録会場、アフレコブースに併設されたコントロールルーム。
録音のための機材がぎっしり組み上げられ、司令室みたいになっているその部屋で。
香家佐さんと斎藤さんが、スタッフの方々に挨拶する。
「こっちは、新しく入ったバイトの子で……」
「は、初めまして、山田と言います!」
うながされて、わたしも皆さんに自己紹介した。
「まだまだ不慣れですが、よろしくお願いします!」
「はい、よろしくねー!」「よろしくお願いします!」
監督やプロデューサー、音響監督やミキサーさん、ミキサー助手の方。
そこにいる誰がどんな役割なのかを、ざっと斎藤さんに説明してもらう。
先週のアフレコでは、緊張で周りなんて見ていられなかった。
必死で咳払いするうちに気付いたら収録は終わっていて、そこに誰がいたかもどんな流れだったのかもよく覚えていない。
けれど──バイトとして参加した今回は。
あのときよりは落ち着いて、冷静に周囲や段取りを観察することができそうだった。
ひとまず、スタジオやそこにいる人たちの様子を手元のノートに書き込んでいく。
実はわたし、結構なメモ魔だ。映画を見るときや本を読むときも傍らにノートを置いて、気付いたことをガンガン書き込む癖があった。
今日はせっかくプロの現場を見せてもらっているんだ。目についたもの、漏らさず全部メモってしまおう。
「よーし、みんな集まったね。テストやろうか」
そうこうするうちに、参加者全員が到着した。ずらりと並んだ、十数人の声優さんたち。音響監督から短く話があって『テスト』が始まる。芝居の調子を見たり録音の段取りを決めたりする、リハーサルみたいなものらしい。
『──はぁッ! やあッ!』
『──ふふふ、無駄だよ。君は、ディストーションの座に届かない!』
『──くっ……確かにわたし、今はまだただのエコーだよ。あなたみたいなファズにもなれないかもしれない。でも……でも!』
『──ん!? な、何だこの歪みは!?』
『──ゲインだけは、負ける気がしない!』
「はいありがとうございまーす。大丈夫そうですね」
一通りテストが終わったら、次は本番だ。
まだ完成していない映像を見ながら、並んでいる四本のマイクに入れ替わり立ち替わり声を吹き込んでいく。その後、失敗した部分や音声を被らせたくないパートの別途録音、通称別録りをして、最後に街の喧騒、いわゆる『ガヤ』を録ったら収録は完了。
「──お疲れ様でしたー、失礼します!」
「お疲れ様でしたー」「お疲れ様でした」
そんな風に挨拶して、わたしたちはアフレコスタジオを後にした。
他の声優さんやスタッフさんたちに頭を下げ、駐車場へ向かう。
「……すごかった」
廊下を歩きながら、気付けばそうこぼしていた。
「アフレコ、何度見ても本当にすごいです……」
視聴者が継続して見てくれるかが決まるという第三話。
物語も一つの大きな盛り上がりを見せるところで、ぐりぐり動きそうなバトルシーンが満載。声優さんも、戦う登場人物たちを全身全霊で演じていた。
「どうして、あんな迫力を出せるんだろう……」
鬼気迫る叫びや感情のこもったセリフ。
メモを取りながら何度も鳥肌が立ったし、泣きそうにもなった。
それに──初めて間近で見た、香家佐さんのお芝居。
『──大丈夫だよ、エコー!』
『──チューニングはばっちりあってる! ハーモニクスも上々、だから!』
『──わたしたちで、あいつを倒そう!』
──眩かった。
香家佐さんの芝居は、本人と同じく極彩色でまぶしいものだった。
声には芯と艶があり芝居には自信が満ちて、キャラクターの手触りが感じられた。
オーラ、というものを初めて直接体感した気がする。
彼女が生み出すものや立ち姿には、他の誰にもない独特の輝きがある。
そんな光に心をわしづかみにされてしまって、好きなバンドのライブを見たあとのような満足感さえ覚えていた。
「この間よりも、現場の雰囲気もわかったでしょ?」
さっきまでの激しい芝居がウソだったように、香家佐さんは軽やかに言う。
「どういう手順でアフレコするのかとか、どういう人たちが現場にいるのかとか」
「ええ、そうですね」
ノートを胸にぎゅっと抱き、わたしはうなずいた。
「色々見えた気がします。皆さん優しかったですし」
「まー、キツい雰囲気になる収録も結構あるけどね」
「そ、そうなんですか……?」
「役者同士ギスることもあるし、お芝居の解釈で音響監督に異議を唱える先輩がいたりもするし。熱い人も多い業界だから。今回の現場は超平和だよ」
マジかー……。
ちょっと予感はしていたけど、そういう雰囲気になることもやっぱりあるんだ。
舞台の世界では、めちゃくちゃスパルタな稽古があるって聞いたことがある。
昔気質の演出家さんだと、気に入らない芝居をした役者に灰皿を投げたりとか……。
そこまで破天荒なことはないんだろうけど、やっぱりアフレコも「お芝居の現場」なんだな。どうかそういう修羅場に巻き込まれませんようにと、わたしは心の中で祈った。
「で、このあとなんだけど」
駐車場に着き、車に乗り込みながら香家佐さんは言う。
「ラジオとかその他の仕事がなければ、家に帰って翌日の収録のチェックをする人が多いかなー。台本ざっと確認したり、リハ
「なるほど……じゃあ香家佐さんも、明日の準備って感じですか?」
「ううん、わたしは帰ったらすぐ寝る」
「……へ?」
「家に着き次第、さっさとお風呂入ってスキンケアして寝る。寝不足ってさ、波形でもはっきりバレるんだよ。だからしっかり寝て、仕事のチェックは朝早起きしてする」
「そうなんですね……」
メモを取りながら意外に思う。休みも仕事のうち、って感じなのか。夜遅くまでバリバリ働いていそうなイメージがあったから、早寝早起きしているのは予想外。
「ち、ちなみに」
動き出した車の中で、わたしは恐る恐る香家佐さんに尋ねる。
「早起きって、何時くらいに起きてる感じですか……?」
香家佐さんと入れ替わるなら、その辺も本人に合わせる必要があるだろう。
寝不足が簡単にバレちゃうなら、生活のリズムから一緒にしてしまった方がいい。
「んー、最近は」
と、香家佐さんは小さく顔を上げ、
「五時台なことが多いかな!」
朝日を思わせる爽やかな笑みで、わたしにそう言った。
対するわたしは──深夜ラジオのファンで夜ふかしの多いわたしは。
生活のリズムを大きく変える必要がありそうで、ガクリと肩を落としたのでした。