第二章 努力の影響(2)
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「あぁー、ヒック……」
Aランク冒険者『ザック・カリソン』のここ最近の日常は、日がな一日酒に溺れること。酒に酔っている間だけは全てを忘れられるからだ。
そう――あの身の毛もよだつ恐怖を忘れられるのである。
「……クソっ」
またしても脳裏に過ぎるその光景をかき消すため、ザックは勢いよく酒を流し込む。宿の主人が朝から酒に溺れる男にため息をつくが、そんなことはどうでもいい。
もう、全てがどうでもいいのだ。
――『英雄』に憧れていた。
吟遊詩人の詠う冒険活劇が好きだった。
だから冒険者になった。だが、現実はそう甘くなかった。何度も壁にぶつかった。
それでも、ガムシャラに努力した。コツコツと積み上げた努力はついに実を結び、齢三十を迎える頃ザックはついにAランク冒険者となることができたのである。
そう、頑張ってきたのだ。本当に頑張ってきたんだ。……なのに、
――『なんだ、この程度か』
ゾワリ、と背筋に氷を当てられたように身震いした。
(……死ぬまで忘れられねぇだろうな)
ザックのメイン武器はルークと同じ『ロングソード』である。
だからだろう。
ほんの数回剣を交えただけで理解した。
理解させられてしまった。
――どう足掻いても勝てない、と。
そして極めつけはあの目だ。全てを見下すあの目。
これまでやってきたことなんて何の意味もないのだと言われているようだった。
ザックはまた酒を飲む。嫌な記憶を洗い流すように。
その時、ギィィ、と音を立て宿の扉が開いた。
何となく目を向ける。
入ってきたのは、平民という身分でありながら王国騎士団副団長という地位にまで上り詰めた男、『アルフレッド・ディーグ』その人であった。
「アルさん」
「……チッ、ガキが。見てらんねェなァ」
返ってきた言葉は辛辣そのものであった。
実の所、ザックはアルフレッドと同じ村の出身なのだ。ゆえに、『あの依頼』はザックにとってとても都合が良かった。尊敬するアルフレッドに今の自分を見せることができる。
Aランク冒険者となった、今の自分を。
だが、その結果はザックの望むものではなかった。
「……すんません」
ザックは目を逸らした。何も言い返せなかったから。
いや、本当に目を逸らしたかったのは弱い己自身だろう。
「テメェがなりたかった『冒険者』ってやつは、随分と軽いなぁザック」
「…………」
「まぁいい。お前に客が来ている」
「……客?」
少し考えてみるが何も思い当たることはない。そんなザックを他所に扉は開く。
入ってきたのは親子と思わしき女性と子供だった。
「あの、『灰狼の爪痕』のザックさんでしょうか?」
「え……あ、はい。俺はそのザックですが……」
ザックがそう言うと、途端に女性と子供は花が咲いたような笑顔となった。
「『バジリスク』を倒していただき、本当にありがとうございました! 私達だけでなく、村の皆が感謝しています!」
「ありがとうおじさん!!」
それは嘘偽りない感謝だった。
「……い、いや……俺は依頼をこなしただけですんで」
「それでも、本当にありがとうございました」
ひとしきり感謝を述べた親子は、何度も頭を下げながら帰っていった。後に残ったのは、ただ呆然とするザックと事の成り行きを黙って見守っていたアルフレッドのみ。
「アルさん、こりゃあ一体……」
「さぁな、俺は頼まれただけだ。もう行くぜ。こんなしみったれた野郎に構っているほど暇じゃねぇんでな」
それだけ言うとアルフレッドも去っていった。
ポツンと取り残されたザックは少しだけ呆気にとられ、それからグラスに僅かに残った酒をグビっと飲み干した。
「……ありがとう、か」
面と向かって言われたのは随分と久しぶりのことであった。
依頼を受け、金を稼ぎ、名声を高める。
そんな日々だった。だから、いつしか忘れていたのだ。
なぜ冒険者になったのか、どうして英雄に憧れたのか。――その本当の理由を。
「まあ……誰かの役には立っていたらしいな」
高みはある。
どんなに手を伸ばそうとも届かない、高みが。
それでも、必死に足掻いて積み上げてきたものが無駄なんてことは決してないのだ。
なぜなら、きっと誰かがその力を必要としているのだから。
なぜなら、どんなに偉大な英雄であろうと人類全てを守ることなどできはしないのだから。
「……ははっ、ガキだなぁ俺は」
この日、ザックのグラスに再び酒が注がれることはなかった。
数日後、Aランク冒険者パーティー『灰狼の爪痕』が活動を再開することになる。
そして更にその数日後――ザックはこの出来事が、冒険者ギルドの現状を聞いたアルフレッドの取り計らいであったことを知ることになる。
§
ミレスティア王国の旗を掲げた精巧な模様の施された馬車が走る。
様々なマジックアイテムを惜しみなく使われているそれは、どんなに荒い場所を走ろうとも中に乗る者が大きな揺れを感じることはないだろう。
その馬車の周りを十人の純白の鎧に身を包んだ者達が馬に乗り並走している。王国騎士団の者達だ。
彼らは馬車に乗る者の護衛がその任であるのだが、これはいわゆる体裁にすぎない。
なぜなら――馬車に乗る者の一人は『属性魔法使い』なのだから。
「ギルバート家。極めて高い魔法適性を持つ家系ですが、ここ数年、“属性”の発現はみられないようですね」
「あぁぁぁぁ、早く帰りたいぃぃぃぃ。……なんで私なんだろう。外は辛い。家にいたい。陽の光が憎い」
「……ギルバート家は力を持った大貴族です。くれぐれも失礼のないようにお願いしますよ。できるだけ私もフォローしますが」
「分かっているよ補佐官くん。私を誰だと思っているのかね」
――『アメリア・フォン・エレフセリア』
様々な肩書きを持つ彼女だが、その最たるものは『属性魔法研究局長』というものであろう。
魔法省において様々な研究を行う魔法研究部。その中でも、属性魔法をメインに取り扱うのが属性魔法研究局である。
二十二歳という異例の若さで属性魔法研究局長という座についた彼女は、紛うことなき逸材だろう。そして、この国で最も属性魔法に対して造詣の深い人物の一人でもある。
だが、現在のアメリアの肩書きは異なる。
彼女は今、『魔法鑑定官』という魔法適性や属性の有無を判断する役職の人間としてこの馬車に乗っているのだ。
「はぁぁぁぁ、こんな資格とるんじゃなかったぁぁぁぁぁ」
属性魔法の研究をする上で便利そう、という単純な理由で彼女はこの資格を取得したのだが、それが今回災いした。『“最も優秀な”魔法鑑定官を派遣しろ』というのがギルバート家からの要請であり、それに対しアメリアはあまりにも都合が良すぎたのである。
ギルバート侯は王に次ぐ領土を持つ大貴族の一人であり、保有するその軍事力と財力はとても軽視できるものではない。
そのため、王宮は今回の要請も無視することができなかったのだ。
たかが魔法適性の鑑定であるのにもかかわらず、なぜ“最も優秀な”という条件を出してきたのかに関してかなりの議論がなされた。どういった意図があるのか、どういった裏があるのか。
様々な憶測が飛び交ったのだが、実はそれが単にルークを溺愛する結果であることは知る由もないだろう。
「そう気を落とさないでください。もしかしたら、“希少属性”を発現させているかもしれませんよ? 例えば――」
「――『光』とか?」
補佐官として派遣された男の言葉を遮るようにアメリアは言葉を被せた。
「んー、だったらいいんだけどねぇ。期待はできないかなー。だって最後に希少属性が確認されたのいつだっけ? えっと確か……アスラン魔法学園の前学園長、そのお師匠さんが確か『光』じゃなかった?」
「えぇ、記録ではそうなっておりますね」
「はぁぁぁぁ、見たいなぁぁぁぁ。前学園長は三つの属性を極めた超激ヤバ魔法使いだったはずだけど、噂ではそのお師匠さんに手も足も出なかったらしいからねー」
「信じ難いです」
「見たいなー、超見たいなー。あー寝る。着いたら起こしてね」
「かしこまりました」
そう言って、アメリアは常に眠たげなその目を静かに閉じた。
§
馬車を降りたアメリア達を出迎えたのは、ギルバート家当主『クロード・グレイ・ギルバート』、そして執事のアルフレッドに加え数人の供回りであった。
クロードの顔立ちはとても彫りが深く、綺麗に整えられた口髭がその威厳を更に際立たせている。しかしその眼光は猛禽類のように鋭いため、彼を目にする者に畏怖を与える。
初見でクロードが超がつくほどの子煩悩であることを見抜くことはとても至難だろう。
「お初にお目にかかります、ギルバート卿。本日魔法鑑定を担当させていただきます、アメリア・フォン・エレフセリアと申します」
「あぁ、よく来たなアメリア殿。君のことは聞いている。安心して息子の鑑定を任せられるというものだ」
「恐縮です」
今のアメリアには、もはや馬車で見せたような気だるげな雰囲気はなかった。
「さっそく頼むよ。アルフレッド、部屋に案内してくれ。私は息子を連れてこよう」
「かしこまりました、旦那様。どうぞこちらへ」
アルフレッドに案内された部屋でアメリアが待つこと数分。ガチャリ、と扉が開かれる。
そこには三人の人物、ルークとその両親である。
「……なぜお前まで来るんだ」
「息子の魔法鑑定よ! 見逃せるはずないじゃない!」
「はぁ……アメリア殿、すまないが我々も同席させてもらっても構わないかね?」
「もちろんです」
そのやり取りを意に介することもなく、ルークはアメリアの対面に座った。
「お前がそうか。優秀だそうだな」
「……恐縮です」
当然のようなルークの上から目線。それにほんの僅かにムッとしてしまうアメリアであったが、それを表に出すことは決してない。
「まあいい。さっさと始めてくれ」
「その前に一つ確認させていただきます。鑑定の結果もしも何れかの『属性』を有していた場合、『属性魔法行使資格』の取得義務が発生致します」
「……つまりどこかの魔法学校に入学し、卒業しないといけないわけか」
「その通りです」
「ふむ」
ルークは少し思案する。
(まあ、これは“鎖”だな。属性魔法使いの国外流出を避けたいんだろう)
色々考えてはみるが、どのみちここで魔法鑑定を受けないなんて選択肢はない。
「構わない」
「かしこまりました。それでは、“情報魔法”の『鑑定』を使わせていただきます」
そう言うと、アメリアは片手をルークに向けた。
そこに幾何学的な模様をした魔法陣が現れ――そして消えた。
「……え」
「なんだ、どうした?」
魔力が吸われる感覚。
アメリアの明晰な頭脳はその答えを即座に導き出すが、彼女自身が信じられなかった。
故に数秒間フリーズしてしまう。
「……もう一度」
冷や汗が垂れる。
――まさか、という思い。
再び『鑑定』を発動させる。やはり、魔力が吸われる感覚がある。
だからそれ以上に魔力を注ぎ込まねばならない。
そして、疑惑は確信へと変わる。
「――ヤミ」
鑑定結果を確認したアメリアがポツリと呟いた。
「なんだ、なんと言ったのだ。息子に属性魔法の適性はあるのか?」
ルークの何十倍も緊張し、その結果を待っていたクロードの声が響く。
しかし、その返答はあまりに予想外のものだった。
「――『闇属性』だァァアァァアァアアッ!!! やっべぇぇッ!! マジやっべぇぇッ!!」
突然の奇声。
アメリアの豹変。
誰もが言葉を失う中、ルークは静かに落胆していた。
(『闇』って……悪役のそれじゃん……)
§
――バタフライエフェクト。
ルークが剣術を始める。
一日たりとも欠かさず剣術の鍛錬に励むルークの姿にクロードが心打たれ、彼の子煩悩が大きく悪化。
その結果、魔法鑑定官を召喚する際に『最も優秀な』という文言が追加される。
王宮はギルバート家の要請を無下にできなかったため、優秀だが魔法狂い気質のあるアメリアを派遣。
本来、後々聞かされるはずだったルークの『闇属性』を直に確認。
そして――アメリア、魂の絶叫。