第一話 天才と天災が入れ替わった日(好きな子が嫌いなあの人と入れ替わった日)(4)
「ちなみに、先の総理の失態を受けての支持率の動向についてですが、“支持する”が、“どちらかといえば支持する”を含め70%から52%まで下がりました」
斉藤さんがタブレットを操作してとある円グラフを表示させた。
●あなたは今の鮫島内閣を支持しますか?
支持する 30% どちからといえば支持する 22%
支持しない 13% どちからといえば支持しない 17%
どちらともいえない 18%
これは鮫島総理が就任してすぐに導入された、マイナンバーに紐づいた、世論調査システムだ。そのシステムによりいまや有権者は手元のアプリやネットを通じお手軽に今の国政に対する意見や意思を表明でき、その結果はリアルタイムで即座にアプリやネットに反映される仕組みになっている。
「ええっ、そんなに!?」
鮫島総理が驚きと連動するかのように、アホ毛をぴんと立てて目を丸くする。
「失態による不信は言わずもがなですが。それよりも転売ヤー取締法に期待していたメーカーや小売店や若者の期待を裏切ったのが一番の影響かと思われます」
「うぅ。別に裏切りたくて裏切ったわけじゃないのに……」
しょぼんと背を丸め見るからに落ちこんだ様子の鮫島総理。
「そこまでショックを受けることか? 支持率って極端な話、単なる一指標にしかすぎないわけだよな。むしろ蔑ろにされてるイメージしかないっていうか」
実際、俺が知る鮫島総理なら正義は我にありって世論ガン無視で突き進みそうだし。
「残念ですが、この人にとっては違うんですよ。このシステムが導入された際の会見の場で、『このシステムは皆様の税金で作ったものです。ですから、やるからには、有効活用しないと意味がありません。もし支持率50%を切るようなことがあれば、即座に衆議院を解散します』などとマスコミの前で大見得を切ったこの人にとっては」
「あ、あぁ……」
そう言えばこの前うるはと一緒に見てたニュースでそんなこと言ってたわ。あん時はこんな自分の首を絞めるだけの発言、こいつどんだけ自分に自信があるんだよ──って嫌気通り越して呆れてたっけ。
「ようするに、このままうるはがやらかしを続けて支持率を下げまくった場合、鮫島総理は総理をクビになっちゃう可能性が十分にあると……」
「ええ、そうよ。そしてそれを防ぐためには、現状思いつく限りやっぱりこれしかなさそう。──彼女に、私に代わって鮫島総理を演じてもらうしか!」
そう叫ぶように言い放った鮫島総理は、うるはに顔をぐっと近づけた。
「桃島うるはさん」
「ほへ?」
逃がさないとばかりにうるはの肩をがしっと掴むと、彼女──たった数時間前までは自分だった顔を真剣な表情でじっと見つめる。
「よく聞いて。誠に遺憾な話ではあるけど、入れ替わりが起きている間は貴女に鮫島総理として私の代わりに職務をこなしてもらうしかないの。突然こんな大役を押しつけられて戸惑っているとは思う。その気持ちはこうして逆に貴女になってしまった私自身が一番理解しているつもりよ。心配しないで、この私と斉藤が最大限のバックアップをするから」
鮫島総理が勇気づけるように優しく微笑む。
「だからお願い。私の代わりに総理大臣として──」
自分がいかに馬鹿なことを言ってるかわかる。けど、今はこれしかない──そんな苦悩の末の誠心誠意が込められた一国の総理のお願いにうるはは──
「おっけ♪」
両の指で丸を作り、にっこり笑ってあっさり受けいれた。
それはこれまで政界の猛者達を巧みに相手取って総理の座に最年少でのし上がった彼女にとってもよほど想定外の展開だったらしく、ぽかんと口を開けたまま呆然としていて。
「あの、やってくれるのはもちろん嬉しいわ。けど何故か頼もしさよりも不安を感じるというか……事の重大さをちゃんと理解してくれた上で引き受けてくれてるのよね?」
「わかってる、わかってる。私が冬華さんに変わって総理大臣をやればいいんだよねー? うん、わたし頑張るから。こうなったからにはわたしがこの国をよくしてみせるよ。たはー漲ってきたー!」
笑顔で元気よく両腕を突き上げるうるは。うん、絶対にわかってないな。
「うるは。一応聞くけど、お前、総理大臣がどんな仕事なのかちゃんとわかってるのか?」
「うーん……前にひーくんと一緒に見てたテレビでの感じ的に、女王様って感じに偉そうにふんぞり返って家来に命令するお仕事かな?」
「わ、私のイメージって一体……」
「ま、だいたい合ってますけどね」
「は?」
「冗談はさておき、桃島さんが総理を演じるにあたって、そのイメージがどうのこうのという話は大事な部分かもしれませんね。私が、桃島さんと総理の心が入れ替わってるという、普通ならお医者さんを紹介して終わるような与太話を信じるに至ったのは、彼女の口から、私と総理しか知らないプライベートな内容が出たことが一番の理由ですが……その前に入れ替わったアホオーラ丸出しの総理と実際に会話していたことが大きかったと思います。姿は冬華でも、まるで別人になってしまったようにしか思えないと。極端なイメチェンは、国民はいわずもがなですが、野党や他派閥につけいる隙を与えることになります」
「斉藤の言う通りよ。これから私としてやっていくに当たって、そのふわっとしたノリはもう少し何とかして欲しいわね。桃島さんにはこれから鮫島冬華総理としての立ち振る舞い──日本のリーダーとして国民のみんなから尊敬される、知的でクールな大人の女性の立ち振る舞いを心がけてもらわなくちゃ」
「大人の女性……」
「そう、大人の女性よ」
「あ、そっか。今のわたしって非処女なんだ」
「へ?」
ぽんと手を打ったうるはの言葉に、鮫島総理が間抜け顔で固まる。
「鮫島総理ってあれだよね。ひーくんとテレビ見てた時に教えてもらったけど、このえっちな身体を武器に男を食い散らして総理になったんだよね?」
「お、おい、うるは!?」
「……ふぅん」
鮫島総理の突き刺すような冷たい視線。確かにあのすました顔見てたら無性にイライラしてそんなこと口走った気がするけど、できれば今は黙っていて欲しかった!
「そういや初体験を終えた友達のさなっちが、大人の女性になって世界の見え方が変わったとか言ってたっけ。やっぱその辺は実際に経験してないと実感出来ないものなんです?」
「ちょ、えっ、そ、そんな、私に聞かれても……ねぇ……」
思春期少女の純粋な好奇心の眼差しに、顔を真っ赤にしどろもどろになる鮫島総理。
「安心してください。総理は未だに処女どころかファーストキスすら未経験の、ユニコーンが膝枕を求めるレベルでの生娘ですので。その辺りは特に意識なさらず、普段通りで構わないかと」
「なーんだ。よかった」
「おい、アンタ達。処すわよ」
「…………」
なんか、とてつもないことを聞いてしまった。
鮫島総理といえば、そのこの世離れした美貌と夜の技術を武器に業界人を巧みに虜にしながらここまで上り詰めたハニトラの天才ってもっぱらの噂だった。
その鮫島総理が、実は魔性の女とは真逆な、ちょっとした下ネタで恥じらうような乙女だったなんて。こんなの、入れ替わりと同じレベルで誰も信じないだろ。おまけにどっちかっていうと、隣の真面目で堅物そうな秘書の方が魔性の女って話だし。
というかこれ俺達にすんなり口外していい話だったのか? 皆が持つ鮫島総理のイメージの根幹に関わる部分というか──喩えるならお馬鹿キャラで愛されてる芸能人が、実は東大卒でしたぐらいの大問題だよな。なにはともあれ、俺の中での鮫島総理に対する見解を少し変えなきゃいけないのは確かで──ま、プライドの馬鹿高そうなこの人が否定しなかったってことは、その方が周囲に恐れられて都合がいいから利用しようと思ったってことだろうな。……或いは、まさかとは思うけどその年齢で経験がないのを思った以上に気にしてるとか……。
「な、なによ少年。その何か言いたげな目は?」
「い、いやぁその、人を見かけで判断するのはもう金輪際止めた方がいいなぁなんて……。ほら、ヒール役のレスラーがプライベートではめっちゃ礼儀正しくて子煩悩とかよくあることですもんね」
「はっきり言いなさいよ! どうせ貴方もこの歳で恋愛経験もろくにないとか、天然記念物かよって思ってるんでしょう!」
「いや、流石にそこまで──」
「ええそうよ! 私は彼氏いない歴=年齢の生娘よ。だいたい、ここまで上り詰めるまでどれだけ私が苦労してきたと思うの!? 恋愛なんかにうつつを抜かしてる暇なんてあるわけないじゃない! なのに、どういうわけかやけに変な噂ばかりが流れて、気がつけば百戦錬磨の魔性の女だの令和の魔女呼ばわりのビッチ総理。おまけに女性の味方を謳ったら、『総理は恋愛で苦労したことないから、恋する女性の気持ちは絶対にわかりあえないし、ある意味女の敵──』だとかネットでインフルエンサーとかから謎のバッシングを受けるし。そうね確かに苦労したことないわよ! だってゼロだもの! だいたいなんで恋人がいない=人生負けてるみたいな風潮があるのか理解できないわ。私は二十三歳で総理になった超勝ち組よ。なのに彼氏がいないだけで、リア充じゃなくなるの? ねぇ、私以上に充実した人生歩んでる人そうそういないと思うけど!」
長年ため込んだ鬱憤がこの異常現象によるストレスで爆発したのか、鮫島総理は土石流のような勢いで言葉を吐き出した。それは彼女がその風評被害によってどれだけ苦労してきたのかが深く伝わってくるようで──というかこの人、どんだけ負けず嫌いなんだよ。
「──はっ!」
皆の生暖かい視線から気まずそうに顔を赤らめた鮫島総理は、こほんと咳払いして冷静さを取り戻すと、再び口を開いた。
「とにかく、今は貴女が鮫島冬華で、私が桃島うるは。このふざけた現象がいつまで続くのかわからないし、もしかして一生──だなんて、考えるだけでぞっとするからそうは思いたくないけれど……。なにはともあれ、元に戻れるまではお互いに今まで通りの自分達を演じて、この鮫島政権始まって以来──いえ、人生最大の窮地を乗り切るのよ」
「うん、頑張るよう! この国をよりよく導くヒーローにわたしはなるっ」
「ほんと、大丈夫かしら……。不安しかないわ……」
片ややる気満々の総理大臣(ゆるふわJK)に、片や遠い目で肩をすくめるゆるふわJK(総理大臣)。そんな配役も温度差もてんで真逆な二人を前に、
「あの」
俺は──
「それ、俺にも協力させてください。入れ替わりの秘密を知る者として、きっと俺にだって力になれることがあるはずです。うるはが巻き込まれている以上、俺にとっては他人事ではないし……それに総理には敵が多く頼れる人が全くいないって話なんでしょう。だったら一人でも信用出来る人がいた方がいいに決まってますよね」
決意を胸に立ち上がり、気付けばそんなことを口にしていた。
ふと思ったのだ。この状況、政治家を目指す俺自身にとってはまたとない経験を積むチャンスなのでは──と。
「実を言うと俺、将来政治家を目指していて、同世代の中では人一倍政治事情に精通している自信はあります。だから、きっと役に立てると思うんです」
そう、金もコネもないしがない高校生の俺にとって、これは自分を政界に売り込める願ってもない状況なのだ。俺みたいな一般人がこの世界に飛び込んで一旗揚げようとなったら、正攻法や綺麗事だけでは絶対に通用しない。だからこそ俺は天堂院に入学した。名門たる天堂院の高等部で生徒会長を務めれば、政界との繋がりができると知ったから。
だが、現状ではそれは叶わない。あの学園に蔓延るクソみたいなルールによって。
そんな俺にふって湧いた好機。これは掴みとるしかないよな。たとえそれがあの鮫島総理の下だったとしても。今までの人生散々理不尽な目にあってきた俺だ。政治の世界なら嫌いな相手だろうが表面ではにこにこするずぶとさが必要だってのは心得ている。
勉強は自分を裏切らない。
これは俺が今までの人生の中でクソみてぇな理不尽を体験して抱くようになった持論。どんな理不尽な目に遭おうと、それを乗り切る実力や経験が自分にあればいいだけの話だって。ああ、この先夢に向かって進む中でまたどんな理不尽があるかわからないからな。それを乗り越える力を得るまたとない学びの機会。絶対にものにしてやる!
それになによりも──突然の困難に悲観することなく前向きに進もうとしている惚れた女の子の力になりたいって、そう思ったから。
「ひーくん!」
「ほう……将来政治家を……」
うるはが嬉しそうに顔を綻ばせ、斉藤さんが興味深そうな表情で値踏みするように眼鏡の縁をくいっと触る。けれど──
「は? いらないに決まってるじゃない。貴方の手なんて」
当の本人である鮫島総理だけは、冷ややかな顔で拒否した。
「いいかしら少年。これは遊びじゃないの。確かにゲームみたいな状況ではあるけど、一歩間違えればその先にあるのは私の政治生命のゲームオーバー。いえ、下手すればこの国のゲームオーバーだってあるわ。当然現実にコンティニューなんてものは存在しない。そんな状況でいくら人手不足とはいえ子供の手を借りるとか流石にナンセンスよ」
お呼びじゃないと冷酷な表情でばっさりと切られる。
「まぁ桃島さんになった私が代わりに行くことになる天堂院学園の方では、色々と貴方のサポートが必要不可欠になってくるでしょうし、その辺はもとよりお願いするつもりだったわ。けど、正直言ってこっちの仕事は足手まといにしかならないと思うの。興味本位で首をつっこんでやっぱ駄目でした──となった時にはもう遅いのよ。その覚悟が貴方にはあるのかしら?」
厳しい正論に胸がきゅっと締め付けられる。顔が熱を帯び、反発したい感情はあるもののなまじ理性が彼女の発言は尤もだと受け止めている部分もあり、中途半端で未熟な俺には何も反論する言葉が見つからなくて──けど、夢のため、うるはのため、ここで「はいわかりました」と素直に諦めるって選択肢だけはねぇよな。
そう決意した矢先、
「ひーくんは必要だよ!」
うるはが否を唱えて唸った。
「ひーくんはうちの学園でずーっとトップでいるくらい頭がいいからいた方が絶対いいに決まってる! 今までも困った時はひーくんにいっぱい助けてもらったもん!」
「うるは……」
彼女がうるはだと一目でわかるような真っ直ぐな熱い視線を受け、胸がいっぱいになり目頭が熱くなる。なによりも好きな人が自分を必要だと擁護してくれたことが嬉しかった。
「あのねぇ……学園と国会じゃ困った時のレベルが違いすぎるでしょう」
「総理。ここはこの中で彼を一番知る桃島さんもこう言ってることですし、彼自身の厚意を受け入れるべきかと。私個人の意見としては、このファンタジー極まりない状況の中、全ての事情を知っていて協力してくれる存在はかなり重宝できるものだと思います。今は一人でも多くの信頼出来る協力者がいるにこしたことはないかと」
斉藤さんの言葉に、鮫島総理は何やら小難しい表情で首元をとんとんと叩くと、
「はぁ……そうね。斉藤の言うことも一理あるわね」
小さく嘆息して俺に目を向けた。
「少年──いえ、桜庭弘樹君だったわよね。わかったわ。貴方の協力を歓迎します」
言葉ではそう言いつつも、その態度は投げやりで余り乗り気ではないのは一目瞭然。ま、今は許可してもらっただけでもよしとしないと。ここから結果で示して認めさせればいいのだ。俺が使える存在だってことを。
「ありがとうございます。俺、頑張ります」
「うわーい。やったね。ひーくん! 一緒だよ一緒。うんうん、ひーくんがいればあれだねあれ。鬼に豆鉄砲だね」
「それ、色々ごちゃ混ぜになってるぞ……」
かくして、二人の入れ替わり生活をサポートする日常が始まることになったのだった。