第一話 天才と天災が入れ替わった日(好きな子が嫌いなあの人と入れ替わった日)(3)
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マジ、かよ……!?
官邸に一歩踏み入れた俺の感想はそれに尽きた。まさか夢に見ていた首相官邸にこのような形で入ることになるなんて。感情が軽く交通渋滞を起こしていて今どんな気持ちなのか自分でもよくわからない。
あの後、うるは(鮫島総理)は第一秘書の斉藤さんという方に連絡をとり、俺達は即座に駆け付けた斉藤さんの車に乗って官邸へとやって来ていた。
ちなみにたとえ第一秘書といえど、よくもまぁこんな荒唐無稽な話をあっさり信じてくれることになったなぁって話だけど──
『もしもし、どちら様でしょうか?』
「もしもし斉藤、私よ。貴女が仕える美人天才総理大臣、鮫島冬華よ」
『…………』
「ああ、切らないで斉藤! よく聞いて。貴女は
『──! ほ、本当に貴女は鮫島総理なのですか……?』
と、こんな風に彼女が恐らく二人の間だけでしか知らなかったんだろう週刊誌垂涎ものの秘密を口にしてからは、それはもう驚くくらいスムーズにことが運んで現在に至る。
というか、そんな歩くスキャンダルみたいな人を一国の首相が第一秘書として横に置いとくのはどうなんだ? まぁ主の方だってその豊満な肉体を武器に数多の男を誑かして今の地位まで上り詰めたってもっぱらの噂だし。あれか、師弟関係みたいな感じで彼女達にとっては普通ってことなのか? こう、どれだけ男を手玉に取ってるかがステータス的な。いやいやハニトラで国が回ってるとか、この世の終わりもいいところだろ。いずれ俺がなんとかしてみせないと。──って、今はそんなことよりもうるはだ。待っててくれ今助けにいくから!
斉藤さんに「あちらです」と案内された部屋に駆け足で入る。
「あ、ひーくんだ! おーい」
ソファーに座っていたスーツ姿の女性が、俺の姿を見た途端嬉々とした表情で手を振り俺の下に駆け寄ってきた。
そうして初めて対面した鮫島総理は、ずっとテレビで見てきた怜悧で艶やかな雰囲気とは違い、人懐っこい空気が滲み出ていて、まるでというかやはり別人のようだった。
「お前、本当にうるは、なんだな……?」
「うん、そうだよー。わたし、桃島うるは。華の女子高──ってあ、今は違うんだった。リテイクリテイク。──わたし、桃島うるは。……えーっと満開の後だから……あっ。散り始めの社会人!」
手を頭にバーンとまるで奇妙な冒険が始まりそうな謎の決めポーズ。その強調された彼女の右手には、うるは(鮫島総理)と瓜二つのハート形の枠のような痣があった。ん、なんでまったくそっくりな痣がこの人の手にもあるんだ? 偶然、じゃないよな?
「何なのその悪意しか感じられないリテイクは。言っとくけど、私はまだ二十代前半。その気になればまだこの制服だって全然着こなせるわよ」
遅れて入って来たうるは(鮫島総理)が、自分の制服をぴしっと引っ張り不服を訴えるように主張した。いや魔女と呼ばれてる本物のあんたが着たらどう見てもコスプレだよ。
「うぉー! すげー! わたしだぁー。わたしがいるー!!」
自分を目にした鮫島総理(うるは)が、好奇心満々に目を輝かせて詰め寄った。
突然の急接近に「へ?」と目を丸くして困惑しているうるは(鮫島総理)を余所に、鮫島総理(うるは)はくるりと背後に回ると、胸を一心不乱に揉みしだいた。
「ひゃっ、な、なに!?」
「む、このハリのある瑞々しい感触。ひーくんこれ、正真正銘本物のわたしのボディだよ」
「お、おう。そうか……」
そんなこと俺に嬉々として告げられても、どうリアクションすればいいんだよ。
「ちょ、こういうのは普通顔とかを触って確かめるものじゃないの──あっ」
堪えきれないとばかりに漏れ出た艶やかな声。なんだろう罪悪感がはんぱない。
「自分自身におっぱいを揉まれる経験をしたのは恐らく貴女が人類で初めてのことでしょうね総理。日本初の女性総理かつ歴代最年少での就任。そして人類で初となる自分の身体におっぱいを揉まれた女。きっと後世において、貴女の偉大な記録を凌駕する者はそうそう現れないことでしょう。おめでとうございます」
「最後のは名誉でも功績でもなんでもないただの汚点じゃない! というか、そんな冷静に評定している暇があったらさっさと何とかしなさいよ斉藤!」
「は。総理、お戯れはそれくらいに」
「およ?」
「なんか、それはそれで私が咎められているみたいで遺憾だわ……」
斉藤さんに抑制されて手を放した妖艶な女性(うるは)を横目に、金髪ギャル(鮫島総理)が腑に落ちない様子でジト目で愚痴をこぼした。
黒縁の眼鏡にショートヘアーの斉藤さんは、一見では仕事が恋人のキャリアウーマンなのだが、さっきの電話内容が真実なら相当な遊び人らしいから人というものは恐ろしい。
そんな感慨を挟みつつ、席についた俺達はようやく本題──うるはと鮫島総理の間に起きた、この魔法のような入れ替わり問題について話し合うことになった。
四人掛けのテーブル席には右から俺、鮫島総理(うるは)、テーブルを挟んで斉藤さん、うるは(鮫島総理)の順で座っている。
ああっもうややこしいから二人のことは中身で呼ぶことにしよう。俺にとっては、うるはの姿形がたとえ嫌いな鮫島総理に変わったところで、うるはを好きだという事実は変わらない。大切なのは中身だ、よし。
「まずはおさらいよ。非常に受け入れ難い現象ではあるけど、どうにもこの私──鮫島冬華がこの子──桃島うるはさんと入れ替わったのは紛れもなく現実みたいね」
「そのようですね。『勝利は確実よ!』と意気込んで出て行った総理がいきなり国民に向けて痴態を晒した時は、流石の私も『忙しすぎて遂に頭がやられたか。もうあれは駄目だ。今から誰に取り入るのが私のこれからの政治生命にとってベストな選択だろうか』と考えたりもしましたが──なにはともあれ、鮫島総理がご無事だとわかり安心しました」
「それ、冗談よね斉藤?」
「もちろんです」
この人、淡々としすぎてて、ジョーク言ってるのか本気なのか区別がつかねぇ。見た目以上にお茶目な人なのは理解したけど。
「一体、原因はなんなんだろうな? 新手の病気……いやそれだと二人の人間が同時に発症しなきゃいけないから無理があるのか? 例えばウイルスを同時に打ち込むだとかならなんかそれっぽい気がするが……」
腕を組んで懊悩する。漫画やアニメだと出会い頭にぶつかって入れ替わり──とか、よくあるパターンだが、今回は全然違う場所にいた赤の他人の唐突な入れ替わり。謎すぎる。
「それ、馬鹿げた話にはなるけどあながち的外れではないかもね。少年の推測のようにもし本当に人体の入れ替わりを意図的に起こせることが可能だとするなら、冷静に考えて国家の転覆を狙った他国による侵略行為。あるいは快晴党を筆頭とした、政権交代をもくろむ野党の謀略──と考えるのが妥当でしょう」
「総理。その手の話をするなら身内……三嶋派の可能性も大いに視野に入れるべきかと」
「……そうね」
「三嶋派? それって青空党の一大派閥のことですよね? いくら総理と別派閥とはいえ、そこまでするものなんですか? 一応は同じ理念の下に集った仲間ですよね」
「仲間、ね。言っとくけど私は彼等のことを一度も仲間だなんて思ったことはないわ。無論、それは向こうだって同じでしょうけど」
俺の言葉に鮫島総理は鼻で笑って反応すると、冷たい声音でそう言った。
そういえばさっきから苦手な難しい話が続いてるからか、うるはは入れ替わった自分の身体を眺めたりと手持ち無沙汰そうにしながら黙ったままだ。
「少年。こんな、ともすれば国家の明日を揺るがすような緊急事態を、党内幹部の誰にも声をかけず、何故たったこれだけの人数で話し合っているのかわかるかしら?」
「それは……そもそもこんな漫画みたいなこと話しても、誰も真面目に取り合ってくれるわけがないからじゃ──」
「確かに、それだって一理あるわ。けど、中には真剣に話せばわかってくれる人もいるわよね。斉藤みたいに」
「そ、そうですね」
熱心にしていた話の内容はさておき。
「答えは明白。斉藤以外に話すに値する信頼出来る相手がいないのよ。こんな、裸を見せるのと同然な、私の政治生命がかかってると言っても過言ではない重要な案件をね」
「新しいことをするには、それだけ批判が伴うということですよ。本来なら女房役と言われる官房長官のポストも対立する三嶋派の人間と、相容れぬ情勢。正直に打ち明けますと、今の総理には敵が多すぎて誰が信頼できる人間か見当がつかないといった状態です。情けない話、貴方のような高校生の手を借りたいと思えるくらいに」
歯がゆそうに顔を歪めた鮫島総理の後を引き継ぎ、斉藤さんが淡々と補足した。
「な、なるほど……」
斬新な改革を口実に、傍目からすればやりたい放題してるように見えても、色々と柵はあるらしい。ま、ワンマンスタイルである以上、自業自得な気はしないでもないけどな。
「ま、こんな海に貝殻でも放り投げてまた見つけ出すくらい途方もない原因捜しは一旦おいとくとしましょう。今私達が最優先で考えなきゃいけないことは現実に向き合うこと、どうしてこうなったのか──ではなく、これからどうすべきかについてよ」
「これからどうすべきか──それってどうやったら元に戻れるかを考えるってことだよな」
「いえ、私が言いたいのはその話じゃないの。そりゃ戻れる方法があるなら今すぐ試したいに決まっているけど、原因が不明な以上悩むだけ徒労に終わるのが目に見えているもの。それよりも今急ぎで対処しなきゃいけないのは、明日からの鮫島政権をどうするかについてよ。ああなった以上、私に対する批判や支持率の下落は免れないでしょうし……」
鮫島総理が運の悪さを呪うように天を仰ぐ。
「総理、そのことについてですが、まずこちらを見ていただけると」
斉藤さんがタブレットを取り出してみんなに見えるよう机の真ん中に置いた。
そこにはある新聞紙の一面が映されていて、
『総理ご乱心! お疲れか?』『プレッシャーに負けた説』『党内幹部からは、やはり一国を背負うには若すぎたとの声も』
と、煽った見出しから始まり、記事の内容もタイトルに沿うように鮫島政権の挙げ足をとり批判するような中身ばかりだった。
「これは私が独自のルートから手に入れた今日のとある夕刊の一面です。ご覧の通り、先の議会での総理のハッスルぶりがまぁ何とも面白おかしく好き放題に書かれています」
「なによこれ! ほんとマスコミのやつらはろくな仕事をしないんだから。斉藤、差し押さえよ」
「無理に決まってるじゃないですか。ちなみにどこの新聞社からも似たような記事が出るとのことです」
「ちっ。だいたい党内幹部ってどこのどいつよ。こんな短時間で、仕事もせずにこんなくだらない質問に答えてるとか何してるわけ?」
「むー冬華さんってばわたしの顔でそんな苛つかないでよ。小じわが増えたらどうするの」
「何で貴女は私に腹を立ててるのよ! 言っとくけど、今ズタボロに叩かれてるのは、総理になっちゃった貴女なのよ。怒るならそっちよね」
「うーん、それはそうなんだけどさぁ。でも、嘆いてたってなにも始まらないでしょ。大事なのはこれからどうするかだよね。バイブスあげてこー!」
「うっ、正論だけど何かモヤモヤする。というか、私の身体でバイブスって発言するの止めてくれる? 何かバカっぽく見えるじゃない」
「えー」
「えーじゃない! えーじゃ!」
まるでお菓子買ってと駄々をこねる幼児を宥めるように、腕を組んだ見た目ゆるふわな女子高生が、不満げに頬を膨らました一国の総理大臣を相手に窘めている。何だこの光景。