第一話 天才と天災が入れ替わった日(好きな子が嫌いなあの人と入れ替わった日)(2)
「「…………」」
周りには俺達と同じように何を見せられているんだと唖然となった議員達。が、そんな周囲の反応などどうでもいいといった様子で、尚も総理は愚挙を続ける。
『これってあれだよね。漫画やアニメでよくある異世界転生?ってやつだよね? うぉーわたし総理大臣に転生かすげぇー。チートおっぱいだぁ』
おしい。かすってるようでかすってない。
にしてもこの動揺よりも興奮が勝る、異世界転生ものの主人公顔負けの前向きな順応力。どうやらあの総理大臣の中身は、マジで俺の知る桃島うるはその人らしい。
「う、嘘だろ……。本当にうるはとあの鮫島総理が入れ代わったとか……」
絶句して息を呑む。馬鹿げた話ではあるが、実際に目にしてる二人が俺の知る二人ではない以上、受け入れるしかないようだ。うるはと鮫島総理の心が今、入れ替わっていると。
「そう。こんなお伽話みたいな状況を、すぐに理解してもらえたみたいでなによりよ」
血の涙を流し、ちっともよくなさそうな涙ぐんだ声。
そりゃあ全国ネットと配信で盛大に自分の痴態を晒したんだ。議会からもまるでテレビに初めて出た芸人が盛大に空回りしたかのような、触れていいのかわからない空気が漂っているというか、流石に心中お察しします。
『──こほん。さ、鮫島総理、ふざけてないで長谷川議員の質問に答えてください』
議長と書かれた席に座る男が、咳払いして議会を進めるよう促した。
『鮫島総理……? それってやっぱりわたしのこと、なんだよね? さっきあそこに指さされて言われたとおり、鮫島冬華さん。それが今のわたし……』
大臣席へと振り返った鮫島総理(うるは)がすぐそばの空席に置いてあった黒い四角柱──氏名票をまじまじと見つめる。なるほど、今の話から察するに、入れ替わったうるはは、誰かに自分が鮫島冬華であることを説明されて把握したのか。俺と鮫島総理が「誰だお前」とか一悶着やってる間にうるはもうるはで色々とあって──それでまぁあのダイナミックな胸に目がいった結果、興奮がおさえられずにハッスルしたと。流石はうるはだ。
『総理、早く』
『わ、そうだった。……ええっと、質問ってなんの質問ですか?』
『……質問は質問ですよ。まさか鮫島総理、聞いてなかったとでも?』
『えへへー。そのまさかかなぁって』
てへっと鮫島総理(うるは)が頬を掻きお茶目にはにかむ。瞬間、議会にどよめきの声が走った。
『長谷川議員。すみませんがもう一度、お願いします』
『わかりました議長。では総理、今度こそよく聞いていてください』
『おぉー。おじさん、いい声してますねー』
『……』
「いやぁ……私の築き上げてきたイメージがぁ……」
見るに堪えないといったように、うるは(鮫島総理)が顔全体を手で覆った。
『──というわけでして、私としてましては、国民の購買の自由性を損なわないためにもこの法案は慎重に進めるべきであり、先送りを進言します』
「お、お願い! 頼むからなんかそれっぽいこと言ってちょうだい!」
うるは(鮫島総理)が手を合わせ、祈るようなポーズで状況を見守る。
『んーなんかよくわかんないけど、困ってそうだし。いいよー』
手で丸を作ってにっと痛快に笑った鮫島総理。いまどきの女子高生のような軽いノリは場内全員を騒然とさせていて──まぁ中身は正真正銘いまどきの女子高生なわけだけど。
「おぃいいいい、なにやってんのよ私ぃいいいいいい!? なんでよくわかんないのにオッケー出来るのよ!? なにが『困ってそう──』よ! これで誰が一番困ると思ってるの、私自身なのよ!?」
俺からスマホをぶんどったうるは(鮫島総理)が、スマホに食いつくようにで叫んで荒ぶる。
「終わった……私の苦労が全て水の泡となってはじけ飛んでしまった……。八十七のシミュレートが全てぱぁに。はは、はははははははは」
うるは(鮫島総理)は目をうつろに生気を失った顔でぺたんとその場にうな垂れ座り込むと、念仏を唱えるようにぶつぶつと独りごちた。よくわからないが、察するにどうやら彼女もまた俺と同じように何かしらの大勝負に挑んでいる最中だったらしい。それも自身の人生どころではなく、国の明日を左右するレベルの。
「はぁ──。まぁいいわ。終わったことをうじうじ言ってても何も始まらないものね。気を切り替えて現実と向き合うことにしましょう。そう、非常事態にどう立ち回れるかで国のトップとしての器量が見えるというもの」
スケールの違いにどう声をかければいいか分からずにいると、うるは(鮫島総理)は腹の底から深い息を吐き出して立ち上がった。
「幸いなことに後は連立与党からの答弁台本ありきの物価高騰への質問にズバッと答えるのみ。秘書が用意してくれた原稿を読み上げるだけの猿でも出来る簡単なお仕事だから失敗のしようがないでしょうし。まぁ本来なら、原稿を即座に暗記して一切読まずに相手の目を見て喋るのが私の流儀で、そこを踏まえてのアピールだったのだけれど、今回ばかりは目を瞑るしかなさそうね。それよりもこれからどうするかを考えないと……」
「はぁあっ!?」
「ど、どうしたのよ少年? 急に大声あげないでもらえるかしら。心臓に悪いじゃない」
「い、今からあのうるはが、秘書が用意した原稿を読み上げるって本当かよ?」
「そ、そうだけど……」
「それって、ちゃんと漢字にはふりがなが振ってあるんだよな?」
「なに、もしかして馬鹿にしてるの? そりゃあ歴代の総理大臣の中には、中学生レベルの漢字さえあやうい人がいたし、一時期全漢字にふりがなが振られていたことがあったのは紛れもない事実よ。しかし、私は飛び級で海外の大学を卒業し最年少で総理になった天才。私だけが読む原稿にふりがななんて振ってあるわけがないでしょ」
「確かにあんた自身が読むなら何も差し支えないし、何一つ問題ないんだろうよ。けど今、実際にその原稿を読むのは総理ではなく、うるはなんだぞ。……こんなこと、本来あんま大きな声で言うことじゃないけどさ、彼女──桃島うるはは、中学レベルどころかたまに小学生で習う漢字まで危うい時があるというか、どのくらい学力がやばいかというと、過去に全国模試最下位を取ったことがあるくらいおバカだったり……」
「…………は? ──全国模試最下位!? 嘘でしょ。人間業じゃないわよそれ……!?」
うるは(鮫島総理)が目を点にする。
その直後、再生しっぱなしだった動画から不穏なざわつきが聞こえだした。
俺達はもう一度スマホの画面に釘付けになる。すると映像は、鮫島総理(うるは)が周りに説明されながら、答弁の原稿を片手に壇上にあがったところで──
『質問に、お答えします。我が国は、国際的な、はらあぶら価格高騰による』
「は、はらあぶら?」
まさか原油のこと?
『国内でのガソリン、ともしびあぶら販売価格の高騰』
「灯油よね。こんな間違え方する方が逆に難しくない!? 高騰は読めてるのに!」
うるは(鮫島総理)が顔を青くして呆然とする。高騰やらところどころ難しい漢字が読めているのは、漫画かなんかで見たのを偶然覚えてたとかたぶんそんなところ。そんなうるはが奇跡的にも氏名票の鮫島冬華の名を読めたのは、この前一緒にニュース番組を見てた際に俺が教えたからだろう。
『また同時に、国際的、な、小麦価格高騰を、受けたパンやうどん、ラーメン等の麺類等、国民生活に、きょくめて密接に関わるもろ物価が』
「極めて、諸物価! ねぇ、わざとやってないわよねこの子!」
『近年み……。み……。み……ん、なんて読むんだこれ?』
「み、ぞ、う!」
『──これらの政策をか、すい……? ああ、かのてきか。かのてきはややかに行うと共に、また不足するところには、ぜんるべき補ちんを──』
「もうやめてー。いっそ誰かそこの私を殺してー」
うるは(鮫島総理)が両手で顔を押さえる。その右手にはハートマーク形の枠のような痣があって──んん? あんなタトゥーみたいなの前からうるはの手にあったか?
そんな俺の違和感はよそに、その後も鮫島総理(うるは)はどんどんと誤読を連発。それはもう、見るに堪えない放送事故、地獄絵図だった。
頭を押さえ絶句する与党。プロレスで質問を投げた連立与党のひだまり党の議員なんて、まるで自分がやらかしたかのように青ざめた表情で凍りついている。
一方で野党の方は実に活き活きしていた。正義は我にあるとばかりに野次や嘲笑の嵐。
そして本来ならすました顔で原稿を暗唱するはずだった鮫島総理本人といえば──
「ほ、ほへー」
ムンクの叫びみたいな顔になって固まっていた。
「お、おい鮫島総理……」
おずおずと声を掛けると、うるは(鮫島総理)は俺の胸元をぐっと掴んで、
「もぉー一体どーなってんのよこの子は! 国会の場で勝手に私のおっぱい揉むわ、勝手に法案先送りをオッケーするわ、おまけに小学生レベルの漢字すらまともに読めないってどういうことよ! この国の教育レベルはここまで落ちてるの!? ねぇ、違うわよね? あんなのがこれから社会にどっと出てくるとかそんなんじゃないわよね?」
俺の身体をぶんぶんと揺さぶりながら癇癪を起こすように言葉をまき散らした。
「い、いたい、その──とりあえず落ち着けって!」
「はぁはぁ……。こうしちゃいられないわ。とりあえず行くわよ。少年もついて来て」
「へ? 行くってどこに……?」
「官邸によ!」