02.夜想曲~nocturne~『例えばそれは、死神と魔女が出会う話』 1

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「自殺だってさ」

 席を立った瞬間、なんとも物騒な単語が聞こえてきた。

 ホームルーム後とはいえ未だ教室に残る生徒は多く、たとえ声を潜めた内緒話だったとしても気持ちの良い内容ではない。

 元アイドルの袋とじ写真集を入手したとかいう話なら喜んで飛び付いたものだが、話題がならば速やかに帰宅するとしよう。

「あれ……? もしもーし、聞いてるー?」

 鞄よし、財布よし、ケータイよし。

 よしよし忘れ物は無いな……っと、いけない。数学のプリントがあったのだった。

 あの先生は今のご時世でも平気で生徒を怒鳴りつけるくらい厳しいから、危うく「廊下に立っていろ」なんてことも起こり得た。ふう、危ない危ない。

? おーい、くーん?」

 さて、お昼は何を食べようか。

 いつもは味気ないコンビニパンなどを食しているが、なんと本日は午前授業!

 忙しく歩くサラリーマンを尻目にファストフード?

 それともお昼から優雅にフレンチでも決めてしまおうか?

 いやいやそれとも、それとも、それとも──。


「うおーい、無視すんなああああーっ!」


「おわっ──!?」

 近くより響く大声に、僕は仰け反りながら驚いた。

 慌てて目線を下げてみると、そこには僕の進行を阻むように立つ女子生徒が一人。

 我らが二年B組の学級委員長・ひいらぎトモリが首の後ろで束ねた髪を揺らし、なにやらご立腹の様子でいらっしゃった。

「きゅ、急に大声だしてどったの委員長? 怒った顔も可愛いけど、委員長には笑顔が一番似合うと思うよー、僕は」

「えっ……あ、う、うん? アリガト……って、そうじゃないよぉ! わたしは緋野ひのくんに話し掛けていたんだよ!」

「あ、そうなの?」

 やけに鮮明な囁き声だと思えば、先ほどの世間話は僕へと振ったものだったのか。

 これは失敬。僕が素直に謝罪を口にすれば、

「と、というか、女の子に気軽に可愛いとか言ったら駄目なんだからっ……!」

 勘違いしちゃったらどうするの、と委員長はゴニョゴニョと口ごもった。

 そんな愛らしい反応には思わず加虐心が刺激されたが、委員長は神妙な顔付きでこちらを見上げてコホンと先手を打つように咳をする。

「というかそんな話はどうでもいいの! 緋野くん、わたしの話ちゃんと聞いてた?」

「あー……自殺、だっけ? んー、最近亡くなった芸能人とかいたかな?」

「ううん、違うよ。これは非公開情報だからあまり大きな声で言えないんだけど──」

 委員長は口の前に手を持ってくると、内緒話をするように一層声を潜めた。

「自殺したのはだよ」

「……スミレ先生が?」

 スミレ先生といえば、今年で還暦を迎えるお婆ちゃん先生だ。

 穏和で面倒見が良いのが評判で、僕たちは去年、担任教師としてお世話になっていたのだけど……。

 そのスミレ先生が自殺した、と。

 にわかには信じがたい話であったが、柊トモリという少女はイタズラに嘘を吹聴したりはしない。

 なにより事件に関する情報源がであった場合、経験上それはほぼ事実となるのだ。


『わたしのパパ、警察官なんだよね』


 それは丁度、一年くらい前のことであったか。

 出席番号が連番であるという縁から彼女とは高校入学日から話すようになり、お互いの自己紹介をする中でそう教えてもらったことがある。

 委員長のお父さんはいわゆる親バカとでもいうのか。話に聞くかぎり娘の溺愛っぷりが凄まじく、仕事で得た機密情報をこうして娘に教えてしまう始末なのだった。

「睡眠薬の瓶と錠剤が転がるなか、苦しんだ様子もなく眠るように亡くなっていて……。だからパパは、自殺だろうって言ってたよ」

「……たぶん?」

 言葉のあやだろうか。

 曖昧な表現に引っ掛かりを覚えると、委員長はああそれはね、と続けた。


「スミレ先生には、自殺する動機がないからだよ」


 曰く──人間関係は良好で金銭面に問題はない。

 身体や心を病んでいたなんて話もなく、遺書や死を仄めかすような日記は発見されず、アルコールの類も検出されず……。

 まるでその日に死ぬことを決め、実行してしまったようなのだと。

「だから他殺もあり得るって……。まあ、部屋は荒らされていなかったらしいんだけどさ」

 なんだか怖いよね、と委員長は話を締めくくるように眼を伏せた。

「そうだね……それは──と?」

 昼の教室でするにはやはり気持ちの良い話ではなく、ふと視線を泳がせれば、クラスメイトの数人がこちらに顔を向け気にする素振りを見せていた。

 距離的に内容は聞こえていないだろうけど、どうも不穏さを感じ取ったらしい……。

 公式に発表される以前に教職員の訃報が広まれば委員長も困るだろうし、ここいらで暗い話は切り上げてしまおう。

 僕は正面へと視線を戻し、不安から俯く委員長に笑顔を作った。

「まあ仮に他殺だったとしても、委員長は恨まれるようなことしてないし大丈夫だよ」

「……そんなのわからないじゃん。意図しない発言や行動が恨みを買うなんてのは良くある話だし、スミレ先生なんて凄く優しかったんだよ?」

「あっはは、だから心配いらないってば〜」

 重苦しい空気を吹き飛ばすように笑い、僕は自身の胸の前で親指を立てる。

「うん、他ならぬ僕が保証するよ!」

「? 僕がって、どうして当事者じゃない緋野くんがそんな自信満々なの?」

「ん? そりゃ、さ」

「…………へ?」

 作った満面の笑みに、委員長はこてんと小首を傾げた。

 何を言われたのか処理するまでに時間を要しているようで、思考停止した表情と動作はフレーメン反応を起こした小動物のように愛らしい。

 思わずわしゃわしゃと頭を撫でまわしたい気分になっていると、

「こらっ! ダメだよ緋野くん!」

「あいてっ」

 素早い動作で額を小突かれた。

 本当は頭を叩きたかったのかもしれないが、僕と彼女とでは身長に二十センチ以上の差があるため狙いがズレてしまったらしい。

 それが悔しかったのか、委員長は語気を強めながらも極めて絞った声量で言った。

「流石に不謹慎だよ! それは!」

「えー? 僕はただ空気を和ませようかと……って、ごめんごめん! 謝るからそんな怖い顔しないでよ〜。さっきも言ったけど、委員長は笑っている方が可愛いよ、ね?」

「なっ──! だ、だからそんな簡単に可愛いとか言わないの! もお、バカ! ほんとに知らないんだから!」

 教室中に響く声を上げると、委員長は逃げるように廊下へと駆けて行った。

「……あーらら、嫌われちゃったかなぁコレ?」

 注目を集めたついでに、僕はクラスメイトに肩をすくめてみる。

 すると返って来たのは「また緋野がバカやっているよ」という白けた声だった。

 先程まで不穏がっていた者達も似たようなもので、無事ごまかしは成功したようだ。

 委員長の好感度が下がってしまうのは痛手だったけれど、ジョーク一つで彼女の顔から陰りが消えたのでまあ良しとしよう。

 うんうん、これにて一件落着っ!


 ……なーんて、スミレ先生は本当に僕が殺したわけだけど。


 目を閉じれば、瞼の裏には昨夜の光景が甦る。

 人々が寝静まった月明かりの中、僕は事前に入手していた合鍵で部屋へと忍び込み就寝中のスミレ先生と顔を合わせた。

 当初の予定通り、まずは拳銃を突きつけながら情報の有無を確認。確認後はスプレー麻酔で意識を混濁させ、あとは特殊な睡眠薬を飲ませればそれでおしまい。

 多くを不幸にしてきた悪人には似合わない最後だが、教師の彼女に救われた者がいるのもまた事実。

 苦しませずに終わらせたのは……僕なりの、せめてもの慈悲だった。

 委員長の話によれば警察は自殺以外も視野に入れているみたいだけど、むろん隠蔽に抜かりはない。

 たとえ他殺が発覚しても、警察は僕までたどり着けはしないだろう。


 なぜなら死神に────顔は存在しないのだから……。


「さってとー、それじゃあ僕も帰りますかねぇー? お昼だ、お昼〜」

 引き留める者はもういない。残るクラスメイトにテキトーな挨拶をして、そうして僕は学校を後にした。

 たんたん、たたん……と、奏でるように靴音を響かせて。

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