二回裏 恋のささやき戦術。（１）
「——というわけで、陸には気付いてもらえませんでした」
昼休みの教室。
私は昼食を摂りながら、昨日の空き教室での顛末をさーやちゃんに話した。
「いやあ……碧の前でこう言うのもなんだが、アホだろ巳城」
自分が逃亡した後の一部始終を聞いたさーやちゃんは、陸の鈍感さに呆れたような感想を漏らした。
普段だったら陸のフォローに回るところだが、話をしているうちに私もやりきれない気持ちがぶり返してきてしまったので、さーやちゃんの評価を甘んじて受け入れる。
「普通、そのくらい言われたら気付きそうなものだがねえ……なんか、巳城って色恋が絡むと極端に鈍感にならないか？ 普段、そこまで察しの悪い男ではないだろ、あれ」
そう、普段の陸は割と気が回るほうだ。
デートの時、私が足を怪我したことを隠していても見抜いたし、普段だってそれとなく助けてくれている。
なのに、私のアプローチにだけ完全スルーを決め込むのには、理由があるのだ。
「……異性と親友になるっていうのは、それだけ大変なんだよ。相手のことを変に意識しちゃうと上手くいかなくなるの、分かってるからね。だからお互い、ずっと相手のことを変なふうに意識しないよう決めてたから」
そして、それが五年間もの長きに亘って積み重なった結果がこれだ。
想像もしたくないが、私が今までにやったアプローチを他の子がやった場合、陸は即座に相手の好意に気付くだろう。
彼がこうなるのは、私が相手の時だけだ。
「なるほど。うーん……それ、どうやって距離を縮めるんだ？」
さーやちゃんは私の話に納得した表情を浮かべた後、腕組みして小首を傾げた。
「……さあ？ ここ一年、私もどうしたらいいのか考えてるけど分かんない」
どんな名探偵でも解決できない、令和の未解決事件である。
「改めて、厄介な相手を好きになったもんだな、碧」
「まあね」
溜め息交じりに呟くさーやちゃんに、私も苦笑を返した。
相手を意識しないように努力して、気を付けて、ようやくそれがお互いに身に付いたと思ったら、その全てがハンデになったのである。
そこに後悔はないが、前途の多難さに気が遠くなることはある。
「正直、私としては手詰まりだから、こうしてさーやちゃんに色々と相談してるわけですよ。何かいいアイディアないですかね」
万策尽きた私は、藁にも縋る思いで友人に問いかける。
「そうだなあ……ベタだけど、スキンシップとかは？ 女子にくっつかれて意識しない男はそういないだろ」
その答えに、私は思わず乾いた笑いを零した。
「ふ……この間の空き教室では、めちゃくちゃスキンシップした上で鈍感決められたんですよ、私」
「マジか」
「マジです」
こうして冷静に振り返ると、単に鈍感なんじゃなく、陸のほうに死ぬほど脈がないからスルーされてるだけなんじゃないかという気すらしてくる。割と本気で。
三人寄れば文殊の知恵と言うが、今は私とさーやちゃんの二人しかいない。
そのせいか良案は浮かばず、重い沈黙だけが流れる。
「…………いっそ、もうキスするか」
その沈黙を破ったのは、あまりにも刺激的なさーやちゃんの一言だった。
「キ、キスって、そんな」
唐突な刺激に、私は顔を赤らめて戸惑う。
が、さーやちゃんは至って真面目らしく、真っ直ぐに私を見つめてきた。
「だって、そこまでしても駄目なら、もう直球勝負しかないだろ。腹を括れ」
「うぅ……」
そういえば、さーやちゃんはソフトボールでも強気な配球をする捕手だった。
ここ一番は直球で戦えと言われるのは、ある意味当然の流れだったかもしれない。
「け、けど、いきなりキスっていうのは……」
「一生友達止まりでいいのか？」
「うぐ」
致命的な一言をぶつけられ、私は反射的に呻いた。
「このままじゃ本当にそうなるぞ。状況を動かしたいなら、告白かキスくらいはいけ」
確かに、それくらいしないと駄目かも……。
心の天秤が承諾と拒否の間でぐらぐらと揺れる。
と、そこで承諾の秤に重りを載せるように、さーやちゃんが優しく呟いた。
「大丈夫だって。絶対巳城も脈あるから。私を信じろ」
捕手にそこまで言われて勝負にいけなかったら、投手としての名が廃る。
「わ、分かった……！ 私、やってみる！」
不安と緊張の中、私は二人の関係を動かす決意をした。
放課後。
重大な決意を秘めながらも、いつも通り陸と一緒に帰ることになった私だったが、いったいどうすればキスまで持ち込めるのか、さっぱり分からない。
これはもう親友だからとか意識してもらえないからとか以前に、単に恋愛経験皆無なため、この手の引き出しがないせいだ。
なので、必死に頭を捻っているのだが、良案と言えるものは一向に出てこない。
「もうすっかり暖かくなってきたし、春も終わりって感じだな」
私が静かなる野望に燃えている中、そんなことは何も知らない陸がほのぼのとした話題を振ってきた。
「そうだね。前はここも桜で一杯だったのに」
見上げれば、通学路の桜並木は既に葉桜となり、初夏の風情を醸し出していた。
「桜並木って花が咲いてる時は綺麗でいいけど、葉桜になると毛虫だらけになるのが難点だよなあ」
「分かる。桜並木最大の欠点だよね」
陸の言葉に、私は深々と頷いた。
流れ星もかくやという勢いで通行人の肩や頭に落下してくる毛虫たちは、この時期特有の脅威である。
「そう考えると、微妙に憂鬱な季節だな」
小さく溜め息を吐く陸。
これからキスを企んでいる身としては、彼のテンションが下がるのはまずい。
なんとか前向きなことを言わなければ。
「まあでも、さくらんぼの季節でもあるし？ この時期のカフェはさくらんぼフェア多くて楽しみだよ」
「カフェか。そう言えば碧、この前カフェに行こうとか言ってなかったか？」
話の流れで、陸がふと思い出したように訊ねてきた。
「あ、うん。カフェの新メニューが出来たっていうからさ」
その話をしに行った時に起きたのが、陸とさーやちゃんの空き教室事件である。
この話はあのままうやむやになったと思っていたのだが、陸はちゃんと覚えてくれていたようで、ちょっと嬉しくなる私だった。
「へえ。じゃあ今日行ってみようか」
「ほんと？ うん、行く行く！」
陸の誘いに、私は笑顔で頷いた。
ちなみに陸は知らないだろうが、その店はカップル御用達のカフェである。
ここで男女二人並んで座れば、カップル扱いされること請け合いだ。
キスまでいけるかはともかく、いい雰囲気を作るきっかけにはなるだろう。
「気になってるメニューいっぱいあったんだよね。どれ食べようかなあ……どれも食べたいなあ」
にわかに盛り上がり始める私に、陸が苦笑を向けてきた。
「おいおい、そんなに食べたら太るぞ」
「う……そんな禁句を」
確かに足を怪我した影響で、最近は微妙に運動不足だ。甘いものは控えたほうがいいかもしれない。
とはいえ、せっかくカップル扱いされるチャンスを逃すのも困る。
「じゃ、じゃあカフェに行く前にちょっと運動でもしない？」
罪悪感から逃れるため、私は苦し紛れにそんな提案をした。
「しょうがねえな。じゃ、バッセンでも行くか。久しぶりに勝負しようぜ」
陸も私の罪悪感を察してくれたのか、その提案に乗ってくれる。
——と、その時、私の脳裏に閃くものがあった。
カフェ……バッティングセンター……勝負……。
見えた！ これならキスまで持っていける！
「うん、やろう！ よし、思いっきり打っちゃうよ！」
「お、おう。そんなに本気で運動しなきゃいけないほどやばかったのか……」
光明が見えた勢いでぐっと拳を握る私に、陸は何やら呟いていた。
