二回表 好きな人の好きな人。(2)

「頼む! お前しかいないんだ! 教えてくれ、碧に好きな人がいるかどうか!」

「碧のかい!」


 丸めた教科書でスパーンと頭を叩かれた。

「何故主語を略す! 出来の悪いミステリ小説みたいなミスリード使いやがって! 人と会話するの初めてかお前は!」

 二条に鬼の剣幕で詰め寄られ、俺はたじろいだ。

「す、すまん。ちょっと必死になりすぎてて……」

「まったく……傍迷惑な奴め」

 俺が謝ると、二条もそれで落ち着いたようで、深々と溜め息を吐いた。

「それで、碧の好きな人がなんだって?」

 話を促してくる二条に、俺は再びそわそわした気分になりながら口を開く。

「いや……ほら、碧って好きな人いるのかなって」

 俺の問いかけに、二条はじっと何か考え込むような顔をした。

「……そんなの、私よりお前のほうが知ってるんじゃないのか? そういう人ができれば真っ先に巳城に言うだろう」

 内心の読めないポーカーフェイスで、俺の問いを曖昧に受け流す二条。

「そう思うんだけど……ほら、異性には言いづらいってこともあるだろ?」

 というか、もし直接言われたら俺はその場で吐くかもしれん。

「なるほどな。けど、仮にそれを知っていたとして、碧が言いづらいと思ってることを、私が勝手にバラすわけにもいかんだろう」

「う……確かに」

 正論を返されて、俺は何も言えなくなる。

 同時に、ちょっと反省した。

「……ま、そうだな。確かに直接聞くのが筋だ。すまん、二条。このことは忘れてくれ」

 不安のせいで我を忘れていたらしい。真実がどうあれ、友人が勝手に自分の秘密をバラしたら碧もいい気はしないだろう。

「ん。そうしとく」

 俺の言葉に、快く頷いてくれる二条。

「それと——」

「碧には内緒だろ? 分かってるさ」

 さすが二条、空気の読める女だ。

「話はそれだけか? じゃあそろそろ私は部活に行くが」

「ああ。時間を取らせて悪かった」

 そうして、俺たちの密談が終わった時だった。

「あ、陸。こんなところにいたんだ」

 空き教室の入り口から、碧がひょっこりと顔を出した。

「お、おう。どうしたんだ? 碧」

 噂をすれば影が差すというやつか、さっきまで話題の中心にいた人物が現れ、俺は軽く動揺する。

「今日暇だったらカフェに……って、さーやちゃん?」

 と、そこで碧の視線が俺の陰に隠れていた小柄な友人を捉えた。

「き、奇遇だな」

 二条もぎこちない動作で手を上げる。

 ……なんか妙に気まずい。

 本人のいないところで話題に上げていた後ろめたさが、俺たちの所作をぎこちないものにしていた。

「……二人揃って何やってるの? こんなところで」

 と、そんな俺たちのことをどう勘違いしたのか、碧がじとっとした目で訊ねてきた。

「そ、それは……」

 思わず、俺は言葉に詰まった。

 お前に好きな人がいるか聞いてました、なんて言えるわけもない。

 視線で二条に助けを求めるも、彼女も気まずそうに俺から目を逸らした。

「ええと、ちょっと世間話をな。それより、私は部活があるからもう行くよ。じゃ、二人ともまた明日な」

「お、おい!」

 俺は咄嗟に引き留めようとするが、それより早く二条は空き教室を抜け、廊下の向こうへ消えてしまう。

 に、逃げやがった……!

 残されたのは、俺と碧と重い空気だけ。

「……陸? なんでこんな人気のないところにさーやちゃんを連れ込んでたのかな?」

 何故か俺が連れ込んだことが前提になっていた。いや、実際呼び出したのは俺だけど。

「いや、なんというか人間関係の悩み的なことをね?」

 嘘を吐かないまま、曖昧に誤魔化してみたりする。

「ふーん……人間関係の悩みを、私じゃなくさーやちゃんに相談するんだ。そんなに頼りないですかね、私」

 しまった、藪蛇っぽい!

 碧は頬を膨らませて、さらに不機嫌オーラを出し始めてしまった。

「いやあ……ははは。たまにはそういうこともあるよ」

 碧から顔を逸らす俺だったが、彼女はわざわざ俺の顔の前に回り込んできた。

 くそ、どうやって誤魔化すか……ていうか近くで見るとやっぱ可愛いな。怒ってても可愛いあたりマジで美少女。

「りーくー?」

 どんどん脱線していくこっちの思考とは裏腹に、碧は直球で俺を追い詰めてくる。

「ほ、本当になんでもないって」

 下手な嘘は逆効果と見た俺は、黙秘権を行使することにした。

「むー……逃げた。まあいいけどね、私には話せないことだってあるだろうし」

 口ではそう言いつつ、碧は抗議するように俺の脇腹をつついてきた。

 まずい、これはアレだ。碧が拗ねた時に入るモード。

「お、おう。まあそういうこともたまにはね?」

「うん。分かった」

 と言いつつ、碧は抗議するように俺の服の裾を引っぱってきていた。

「あの、碧さん?」

「なに?」

 恐る恐る名前を呼んだ俺に、碧は普段通りの表情で答える。

 その間も俺の指をつまんでみたり、ぎゅっと握ってみたりとやりたい放題だった。

 ——そう、これこそが恐るべき碧の癖。

 碧は拗ねると、やたらスキンシップが多くなるタイプなのである……!

「えと、少し離れていただけないでしょうか」

「やだ」

 抵抗するように、俺の肩に額をこつんと当ててぐりぐりと動く碧。

 やばい、昔から拗ねると態度でアピールする奴だったし、こういうのは慣れているつもりだったが、今は俺の気持ちが昔と違う。

 そのため、慣れたはずの碧の仕草が、致命傷になりかねない。

「分かった、ギブ! 言います! 言いますから離れてください!」

 二人きりでこんなくっつかれたら理性が保たないと判断した俺は、早々に白旗を揚げた。

「しょうがないなあ」

 俺の降参でちょっと機嫌がよくなったのか、碧は破壊力抜群なスキンシップをやめて離れてくれた。

「で、さーやちゃんと何を話してたの?」

「その、碧のことを……」

 親友歴が長いだけあって、下手な嘘は通用しない。俺は諦めて事実を話す。

「私のこと?」

 意外な情報だったのか、碧はきょとんと目を見開いた。

「ああ。ほら、この間遊びに行った時、碧が結構雰囲気変えてただろ? それで、もしかしたら誰か好きな人でもできたんじゃないかなあって話を、二条と」

「そ、そうなんだ」

 碧は少し赤くなりながらも、納得したように頷いた。

 うぅ……こんなみみっちい心配を本人に話すなんて、気まずい上に恥ずかしい。

「へー、ふーん……陸、私に好きな人ができたんじゃないかって心配だったんだ?」

 恥ずかしがる俺とは対照的に、碧は何故か少し機嫌がいい。俺を降参させたのが嬉しかったのだろうか。

「そ、そりゃあな。相手がよくない奴だったりしたら大変だし、心配くらいする」

「そっか。まあ、そうだよね。ふふっ、心配してくれてありがとう、陸」

 そう楽しげに言われてしまえば、俺の恥ずかしさも更に上がってしまう。

「でもさ、陸。もし私に他に好きな人がいたとして、その状態で陸と二人で遊びに行くと思う?」

「……そりゃ、思わないけど」

 銀司に窘められた時と同じことを言われ、俺も少し冷静になる。

「だよね。もし好きな人ができたとしたら……私、その人としかあんなデートみたいなことしたりしないし」

 そう、恥ずかしそうに呟く碧。

 俯き、赤くなったままちらりとこちらを窺う視線に、思わず俺はドキリとする。

「碧……それって」

 その言葉の意味を察し、俺も目を見開いた。

「う、うん」

 碧は、俺の想像を認めるようにおずおずと頷いた。

 それで、俺も確信を得る。


「つまり……碧には好きな人がいないってことだな!?」


 俺はここ数日続いた疑問と緊張から解き放たれ、清々しい気持ちで結論を出した。

「そう……なるかぁ……!」

 俺が出した結論に、碧は何故か頭を抱えてしまった。

 が、自分にまだチャンスがあると分かって浮かれ気味な俺は、その意味を深く考えず、気さくに話しかける。

「どうした? 碧。なんか暗いけど」

「いやあ……ちょっと人間関係の悩みがね?」

 どっと疲れた様子で溜め息を吐く碧。

「む、そうか。なら俺が相談に乗るぞ」

 そう申し出る俺だったが、碧は不思議と白い目でこっちを見てから、ふいっとそっぽを向いてしまった。

「結構です。さーやちゃんに相談するんで」

「何故!? さっき俺が同じことを言ったらめっちゃふて腐れてたのに! そんなに頼りないですかね、俺!」

「その通りだよ! 陸のばかっ」

「なんでさ!」


 ——その後、碧の謎の不機嫌は、しばらく続いたのだった。

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