#2/嘗てダリアの日々 Oh, Dahlia

#2-2_kawauso/ あなたのことなんて何一つ知らなかった(1)

 携帯電話のアラームで目が覚めた。

「……んあ」

 チャンチャカチャカツカ腹立つ音だなと思いながら、カワウソは枕元に置いてある携帯を手に取った。アラームを切る。大丈夫。アラーム。何回も鳴るから。セットしてるから。平気。心の中で言い訳しながら掛け布団を巻きこんで抱き枕にする。

 あれ?

 アラームの音と違くない?

 ま、いっか。

 おやすみなさい。

 その瞬間、また携帯がチャンチャカチャカツカ鳴りだした。

「……んだよもぉ」

 無視しちゃおっかな。

 そんならちなことを考えた瞬間、左耳に痛みが走った。

「いでっ! ちょっ、オルバー、おまえ……」

 オルバーの仕業だということはすぐにわかった。カワウソはこの1LDKで一人暮らしをしている。孤独な男の耳をかじったりするのはオルバーしかいない。

「……わかったって。わかりました……」

 再び携帯を手にする。重いまぶたをこじ開けて携帯のディスプレーを見ると、先輩、と表示されていた。

「うっ、おっ! アラームじゃないし! で、でで、電話──やばっ……」

 カワウソは跳び起きて電話に出た。

「は、はい、もしもしもし、お、おはようございます、カワウソでございまーす……」

『もしが多くない?』

「すす、すみませんっ。ねねね寝起きで……」

『べつに責めてはないよ。ていうか、いちいち謝んな。謝りすぎだから』

「ご、ごめんなっ──あぁっ。また謝っちゃった……」

『一回、舌引っぱり延ばして固結びにされなきゃ、わかんねえのかな』

「こぉぉーわっ! 舌、固結びにするとか、怖すぎなんすけどっ!」

『マジでやるわけじゃねえし』

「やりかねないっすよね、先輩なら……」

『あたしのこと何だと思ってんの?』

「もちろん、偉大な先輩だと思ってますけど。尊敬してます。マジ、リスペクトっす。もはやこの気持ちは崇拝かな……」

『べつに崇拝されるような人間じゃねえけど、そんなおもろい拷問みたいなこと、カジュアルにやったりはしねえから』

「おもろい拷問っていうとらえ方は、かなりやばいんじゃないかと……」

『無駄話はもういいわ。被害者が見つかったって』

「えぇぇっ。またっすか!?」

『そう。また』

「わわわかりましたっ。すぐ出ます! 可及的速やかに!」

 カワウソは光の速さで、光の速さは言いすぎか、音速で、いや、音速も誇張しすぎか、とにかく全速力で身支度をした。

 本名に灰の字が入っているからというわけではないのだが、カワウソが持っているスーツはなんとなくほとんどがグレーだ。今日もグレーのスーツをチョイスして、シャツはネイビーのものにした。鏡の前で派手じゃない柄物のネクタイを締めてみた。

「いいじゃん、いいじゃん。あっ。靴下、靴下。髪も跳ねてるし……」

 オルバーを左肩に乗せて駐車場に出てから夜明け前だと気づいた。携帯電話で時刻を見たはずなのに、まるで意識していなかった。

「こういうとこだよ……」

 カワウソは車を出した。途中で先輩とガルムをピックアップして現場へと向かう。先輩はいつもの黒いパンツスーツと白いスニーカーで、髪が少しれていた。シャワー浴びた直後だったりする? ついそんなことを考えてしまって、微妙にむずむずした。

 そういえば先輩って彼氏いるんすか。

 いたら蹴られそうだ。とても訊けない。

 先輩のことだから、意外と答えてくれそうな気もする。

 さらっと、「いるけど?」みたいに。

 いるのだろうか。もちろん、恋人の一人や二人いてもおかしくはない。いなくても納得できる。気性が荒い、というのとはまた違うが、かなり激しい、強烈な人だ。仕事も仕事だし。ガルムもいるし。ガルムが見えない相手なら、とくに問題はないか。

 カワウソだって、オルバーが見えない、普通の女の子と付き合ったことがある。これでも若かりし頃は、それなりに浮き名を流したものだ。今もまだ若くないこともないのだが、こんな仕事をしていると、なかなか、という事情もあったりする。

 恋愛にうつつを抜かしている場合じゃない。そんな余裕がいったいどこに?

 だからきっと、先輩もフリーだろう。どう見ても仕事人間だ。フリーに違いない。自由人だし。フリーであって欲しい。そうだ。フリーがいい。

 おそらく先輩はフリーだ。

 何せ、先輩だけに。

 たとえば、もし先輩に恋人がいて、どうせいしていた、といった事実が判明したら、カワウソはたぶんヘコむ。確実にヘコむ。

 何だろう。応援しているアイドルがいきなり結婚したら、ファンとしては絶望せざるをえない、みたいなこと? 先輩がアイドル? カワウソは先輩のファンなのか?

 先輩は黙々と携帯をさわっている。恋人と連絡をとっていたりして。ない、ない。先輩に限ってそんなことはありえない。

 本当にありえないのか?

 カワウソはダリア4のドール先輩しか知らない。先輩が仕事中に見せる顔しか。プライベートな話はしない。出身地も、家族構成すら知らない。いつだったか、軽いノリで誕生日を尋ねてみたら、「教えねえよ?」とキレられた。キレるようなことか?

 色々気になる。いったん気になりだすと、気になって気になってしょうがない。

 おかげで普段よりも運転がちょっと雑になってしまったが、先輩には何も言われなかった。いっそのこと怒られたかった。

 今回の現場は先日、老女が変死した団地から、直線距離で二キロも離れていない高架下だった。付近には警察がいて非常線が張られていた。カワウソはその手前に車をめた。

 その一帯の高架下は駐車場、駐輪場、公園などになっている。被害者は、駐車場と駐車場の間、歩行者と自転車だけが通行できる通路で見つかった。たまたま通りかかった男性が、落書きだらけのコンクリート橋脚に背を預けて座っている被害者を発見、異変を察知して通報したようだ。

 現場には、紺色ブルゾンのいかついコグレ刑事がいた。

「ありますよ。あの傷が」

 コグレ刑事が額の生え際あたりをボリボリきながら教えてくれた。そのぐさを目にした瞬間、カワウソは思わず「あっ」と声を発してしまった。

「……はい? 何か?」

「いや、何でもないです」

 カワウソが慌てて取り繕うと、コグレ刑事はそれ以上、突っこんでこなかった。

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