#2/嘗てダリアの日々 Oh, Dahlia

#2-1_kawauso/ 先輩と私の話

 カワウソはなるべくアクセルペダルを一気に踏みこまない。ブレーキも同じだ。あくまでもじわじわと。おおな言い方をすれば、加速も減速も真綿で首を絞めるように。

 そう教わったのだったか。カワウソは十八歳になってすぐ普通自動車の運転免許を取得した。教官に褒められた覚えはある。きみ、本当に初めてなの、とかれた。はいざきくん、センスあるね。上手だよ。ちなみに、灰崎というのはカワウソの本名だ。

 いってより、慎重なんじゃないかな。カワウソ自身はそんなふうに思っている。できるだけ無理はしない。仕事柄、スピード違反で切符を切られることはないから、急がないといけない時は急げるだけ急ぐ。でも、ちやは絶対にしない。滑らかで無駄のない運転。それが信条だ。

 カワウソは黒いセダンを路側帯に寄せて停車させた。まるべくして停まる。そんな停まり方ができた。

 ちょっとした達成感に浸っていたら、何者かが後部座席のドアハンドルを思いきり引っぱった。ガンッ。ガガガガガッッ。ものすごい音だ。引っぱりまくっている。べつに驚きはしない。いつものことだ。

「いや、先輩、ロック……」

 カワウソがロックを解除すると、即座に後部座席のドアが開いた。そこから大型犬というよりおおかみに似た生き物が素早く車内に滑りこんできても、カワウソは動じない。

 厳密に言えば、生き物じゃないわけだが。

 ガルム、と呼ばれているそれは、奥の座席に座った。ずうたいが大きいので、ぎりぎりだ。間髪をれず八頭身の女性が乗りこんできて、力任せにドアを閉めた。

 行って、早く、とうながされる前にカワウソは車を発進させた。

 先輩が長い髪をかき上げて、くすりと笑う。

「わかってんじゃん、カワウソ」

「先輩に教育されちゃってるんで」

「まだまだだっつーの。だいたい──」

 先輩はカワウソに苦言を呈そうとしたのかもしれない。でも、携帯がピリリリ鳴った。先輩は携帯で誰かと話しはじめた。

「ダリア4。はい。今、カワウソと合流したとこです。はい。ええ。はい。ああ。はい。ええ。はあ? はい。ええ……」

 相手は先輩とカワウソの上司だろう。ダリア4は何を隠そう暗号名というやつだ。部隊名。班名だろうか。むしろ、コンビ名か。

 ダリア4のメンバーは先輩とカワウソの二人だ。ガルムと、それから助手席にちょこんと収まっているイタチのようなオルバーは、人員としてカウントされない。見てのとおり、ガルムもオルバーも人じゃない。

 ダリア4は二人組だ。ダリアという名を冠された部隊の第四班。それで、ダリア4。

 もちろん、カワウソも暗号名だ。カワウソはカワウソのはいざきさんじゃない。れっきとした人間だ。

 カワウソはルームミラーで後部座席をちらっと見た。ちょうど先輩が携帯を耳から離すところだった。電話は終わったらしい。恐ろしいほど精巧に作りこまれたような先輩の顔がゆがんでいる。

 そんなふうに顔を歪めても、カワウソの先輩はちっとも醜くならない。

 初めて先輩に会った時、これ済みなんじゃないの、とカワウソは疑った。どう見ても詐欺レベルの厚化粧とかではない。だとすると、めちゃくちゃ整形してなかったらおかしいでしょ。目鼻立ちにぼやっとしたところが一個もない。おおかみ似のガルムを連れているわりに、先輩の顔はネコ科系統だ。最上級の猫顔というか。体形も、頭ちっさくて手脚長すぎで、海外のファッションモデルみたいだし。自分と同じ人間だとは思えない。種族が違うんじゃ? 宇宙人だったりして。

 あまりにも整いすぎていて、なかなか直視しづらいものがあった。しばらくの間は。

 さすがにもう慣れた──と言いたいところだが、いまだに油断すると、うおっ、と思ってしまう。何だ、この人。美人とはこういう人のことなのだろう。美人すぎる何とかとか、よくテレビだの雑誌だので使ったりするじやつくだが、あんなのは全部インチキだ。本物はここにいる。カワウソが知る限りでは、ここにしかいない。

「先輩。課長、何て?」

「とくに何も」

 先輩は右手で持った携帯を親指で操作しながら、左手の小指の爪で左眉の端っこのほうをバリバリいた。すっぴんじゃないにしても、先輩のメイクは薄めだ。眉毛すら描かないと言っていた。それであの仕上がりだ。仕上がっているというか、天然物なのだろう。本人はどう思っているのか定かじゃないが、ルックスお化けだ。

 ルームミラー越しの視線に気づいた先輩が「あ?」と威嚇してきた。片方の眉だけががっている。

「……ドール先輩、たまにヤンキーっぽいっすよね」

 先輩の暗号名はドールという。ドールはドールでも、人形のDOLLじゃない。DHOLEだ。そういう名の生き物がいる。イヌ科の哺乳動物だ。別名は、アオオオカミ。ドール先輩が、ヘッ、と笑う。

「根がそっちだからね」

「そうなんすか?」

「冗談だよ。んなわけねえだろ」

「んなわけないってこともないでしょ。ダリアが誇るエース、ドール先輩元ヤン説。けっこうしんぴようせいありそうな感じはしますよ」

「ねえよ。あたしのどこがヤンキーなんだ。要素ゼロだろ。適当なことばっかり言ってるとケツ四つにたたき割んぞ」

「……表現、怖いっす」

「ハァ? どこが。ケツ四つだぞ? 想像してみろよ。もはやファンシーだろ。ユーモアに満ちあふれた表現だろうが」

「お尻が四つに割れちゃったら、そんなのホラーでスプラッタですってば……」

 カワウソの黒いセダンは高速道路の下を通る橋を渡って、角張った浮島みたいな埋め立て地に入った。

 この埋め立て地には公営の集合住宅がたくさんある。団地だ。それから、学校。整備された公園や運動場もある。海側まで行けばとうがあって、倉庫が並ぶ。

 団地の向こうにはタワーマンションがにょきにょき立っている。しけた団地とあのきらきらタワマン群とは運河で隔てられていて、地名は一緒なのにこちらとあちらはほとんど別世界だ。

 カワウソは交差点で車を右折させた。左手に団地の二十二号棟、その向こうに二十四号棟がある。二十四号棟の前に人だかりができていた。パトカーが数台、救急車も一台、まっている。

「人、かなり集まってますね」

 カワウソはやさしくブレーキを踏んで道脇に車を停めた。ハザードランプを点灯させながら振り向いて、どうします、とこうとした時にはもう先輩がドアを開けていた。

 先輩は行くよとも何とも言わなかったが、まあ通常運行だ。カワウソがハザードを消してシートベルトを外す頃には、先輩もガルムも後部座席に乗っていない。

「行きますか」

 カワウソもオルバーに声をかけて車から降りた。オルバーはすぐにカワウソの背中をよじ登ってきた。カワウソの左肩の上がオルバーの定位置だ。オルバーの体は五百ミリリットルのペットボトルくらいの大きさで、これとは別に尻尾もある。でも、重いというほどの体重はない。

 ガルムを従えた黒いパンツスーツ姿のドール先輩は、早くも人だかりに突っこんでゆこうとしている。カワウソの先輩は脚が長いだけじゃない。足が速い。靴は決まって白いスニーカーだ。ハイヒールどころか、パンプスやローファーを履いているところすら見たことがない。あのスタイルなら、さぞかし似合うだろうに。

「はい、どいてどいて」

 先輩は近隣の住人らしい老若男女をかき分けてどんどん進む。先輩に、え、何この人、みたいな顔をする者はいても、ガルムを目にして腰を抜かす者はいない。

 彼らにはガルムが見えていないからだ。ガルムだけじゃない。カワウソの左肩にしがみついているオルバーも同様だ。ガルムもオルバーも、普通の人間には見えない。

 先輩を追いかけながら、ネクタイをしていないことにカワウソは気づいた。カワウソはグレーのスーツを着ている。中はピンクのワイシャツだ。ノーネクタイだと砕けた印象になる。何しろ、先輩が先輩なだけに、後輩の自分はなるべくきっちりした感じで現場に臨みたい。常日頃、心がけているつもりなのに、わりとよくネクタイを忘れる。

 そういうところだぞ。自戒しつつ、しょうがないか、と瞬時に切り替えられる。自分の性格がカワウソは嫌いじゃない。

 人だかりの先にライト付きの誘導棒を持った警察官がいた。先輩が身分証を見せて通してもらったので、カワウソもするっと行ってしまおうとしたら、しっかり制止された。

「あっ、何、あなた。だめ、だめ。勝手に入らないで」

「……すみません。おれ一応、こういう者なんで」

 結局、カワウソも身分証を見せる羽目になった。先輩に追いつくと、叱られた。

「何やってんの。恥ずかしい」

「ごめんなさい……」

 二十四号棟に入る前に、カワウソは振り返って人だかりを見渡した。一見して大半が六十代以上だ。そもそも、この団地の居住者は高齢化しているらしい。三十代、四十代くらいの男女は二人か三人だが、若者はちらほらいる。ストリート系のファッションに身を包んでいたり、髪を派手な色に染めていたり。総じてあまり柄がよろしくない。見た目だけで判断するのもよろしくはないか。

「いない、か」

 カワウソはつぶやいて、先輩のあとを追おうとした。その前に念のため、もう一度、確かめた。やはりいない。

 普通の人間には見えない、カワウソたちが扱うは確認できなかった。

「いたら、とっくに先輩が見つけてるって話ではあるんだけど……」

 カワウソは二十四号棟に入った。問題の部屋は三階にあった。305号室。靴は脱がない。土足で入った。古くさい、何かしょっぱいような、他人の家の臭いがカワウソの鼻をついた。先輩はすでに室内にいた。むろん先輩だけじゃない。制服姿の警察官が数名と、ナイロンのブルゾンやスーツ姿の刑事もいた。

 汚いというより物がひたすら多い。多すぎて片づいていない。もはや片づけようがなかったのかもしれない。

 リビングの真ん中にこたつが設置されている。暖房器具が必要な季節じゃない。年中出しっぱなしだったのだろう。こたつの前、テレビの正面に座椅子が一つ置いてある。この部屋の住人とおぼしき老女は、その座椅子に腰かけていた。

 老女は白髪で、ニットの帽子をかぶっている。こたつに倒れかかりそうな姿勢だ。腰がだいぶ曲がっている。かなり小柄だ。

 紺色のブルゾンを着た刑事が、にらみつけるようにカワウソを見た。絵に描いたようないかつい顔だ。

「どうも」

 カワウソは頭を下げてみせた。あの刑事には前にも現場で会ったことがある。名前はぐれだったか、ぐれだったか。とにかくコグレだ。

 先輩が目をつぶって手を合わせてから、老女のそばにしゃがんだ。ガルムは先輩のすぐ後ろに立っている。

 先輩のガルムはあくまでもおおかみに似ているだけだ。肩がやたらとたくましくて、後ろ脚で二足歩行もできる。狼というより狼男といったほうが近いだろうか。人間に変身しようとしている狼男。その途中の形態。狼っぽい人間。ちょっと人間寄りの狼。この場では先輩とカワウソにしか見えていないはずだ。言ってみれば、狼男の幽霊。幻影。でも、幻じゃない。ガルムはちゃんと存在している。

 カワウソも老女を観察した。見るからに事切れている。ようは遺体だ。

 何でも、近所の友人がしばらく顔を見ていないと心配して、この老女宅を訪れた。しかし、応答がなかった。その後、よきよくせつあって友人が部屋に入ると、老女はすでにこの状態だったらしい。

「どうですかね」

 コグレ刑事が額の生え際あたりをボリボリきながら先輩にいた。

「やっぱりそちらの案件ですか」

 先輩は答えない。じっと老女の遺体を見つめている。

 コグレ刑事は腕組みをしてため息をついた。これ見よがしな、いかにもという感じのため息だった。そういう芸風なのだろう。芸風というか、人間性というか。

「……あれ、何なんです?」

 スーツ姿の別の若い刑事が、隣にいる年配の刑事に小声で尋ねた。

だよ」

 年配の刑事が吐き捨てるように短く答えると、若い刑事は露骨にいやそうな顔をした。

「ああ、例のやつですか……」

 そんなに嫌わなくてもいいのに。ダリア4のカワウソとしてはそう思わずにいられないが、警察関係者の気持ちも理解できなくはない。

 ある事件や事故がの可能性ありと見なされれば、生花店と呼ばれるカワウソたちのような部外者がしゃしゃり出てくる。

 警察はありったけの情報を生花店に提供しなければならないのに、生花店はそうじゃない。特定事案とは正確には何なのか。それすら大半の警察官は知らない。彼らが知らされているのは、生花店が内閣情報調査室内に設置されている組織だということだけだ。

 内閣情報調査室は、内閣の重要な政策に関する情報の収集、分析、調査を行う。内閣は言うまでもなく、総理大臣やその他国務大臣による行政の最高機関だ。内調こと内閣情報調査室は、内閣を補佐する情報機関。生花店はその一部だ。

 ようするに生花店は、この国のずっと上のほうに属している。

 当然、生花店は正式名称じゃない。特定事案対策室という立派な名前がある。立派かどうかは議論が分かれるところかもしれないが。

 特定事案対策室を統括する室長の次に偉い次長は警察庁からの出向者だし、警察との関係は浅くない。でも、幹部未満の警察官は花屋のことをあまりよく思っていないようだ。

 まあ、しょうがない。カワウソが警察官だったら、時々現れて現場を荒らす妙な連中に好意を抱いたりしないだろう。

「カワウソ」

 先輩が老女を凝視したまま手招きした。

「はい」

 カワウソは先輩の隣で片膝をついた。あらためて老女を詳しく見る。カワウソの左肩の上でオルバーが鼻を鳴らすような音を立てた。

 老女は下を向いている。七十代か。八十代だろうか。そのあたりの年代の女性はだいたいショートヘアだ。この老女もそうだった。襟足が短い。うなじがあらわになっている。

 首筋に傷がある。

 傷跡というよりも穴に見える。

 直径二ミリか三ミリの、小さな、黒ずんだ穴だ。

「……同じですね」

 カワウソが言うと、先輩は即座にうなずいた。

「ああ──」

 まだ老女から目を離そうとしない。

「みたいだな」

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