一章 かかしと妖精⑤

 心地ここちよいくらやみで、アンは夢を見ていた。

 いつもと変わらない、野宿の風景だった。

 アンは毛布にくるまり、エマは荷台に出入りして、いそがしく働いている。

 目の前にエマの姿を見て、ほっとあんした。安堵したついでに、熱いものがほおに一筋流れた。

『あらあらどうしたの、アン。どこか痛いの?』

「違うの。いやな夢を見たの。ママが死んじゃった、いやな夢」

『馬鹿ね。そんなこわい夢を見るのは、体調がよくないのね。熱をみてあげるわ』

 エマの冷たい指が、そっとアンの首に触れる。その指はほっそりしていて、常に冷たかった。けやすい銀砂糖をあつかう時、指先を水で冷やすからだ。

 その指がたまらなくいとしく、はかなく思えた。アンは思わず、冷たい指を握りしめた。

「ママ、お願い。どこへも行かないで!」



 そうさけんだ自分の声で、はっと気がついた。

 夢を見ていたのだと自覚した。しかしアンが握りしめた冷たい指は、現実だった。息がかかるほど間近に、シャルの顔があった。くろかみが、アンの頰に触れそうだった。

「な、なに!?」

 握っていた指を押し離して、ね起きた。

 ──これはまさか、例の高飛車サービス!?

 シャルはうっすら笑い、身を起こす。そのみは冷ややかだ。

 どうやら、シャル提案のサービスではなさそうだとさとる。

 ──いったい、シャルはなにを……? 彼は、今、首に……。

「今、首に……」

 そこでアンは、自分の首にかけられているかわひもが、えりからはみ出していることに気がついた。その革紐は、シャルの羽を入れた袋をり下げている革紐だ。

「シャル。もしかして……羽を、ぬすもうとしたの?」

「もう少しだった」

 悪びれることもなく、シャルは言った。

「やっぱり、盗もうとしたの? ひどい……」

「なにが?」

「言ったじゃない。わたし、シャルと友達になりたいと思ってたのよ。それなのに」

 アンは、シャルと友達になりたいと思っていた。それなのに。その気持ちを裏切られた気がして、かなしくなる。そのアンの目を見て、シャルはくすりと笑った。

「友達になりたい? 相手の命を握っておいて、お友達か?」

 その言葉に、アンははっとした。

「俺は、おまえに買われた。使役される者だ。友達にはなりえない」

 もしアンが自分の理想を実行しようとするならば、羽を返したうえで、友達になりたいと申しこみ、彼の協力をあおぐ。そうしなければならないはずだ。

 しかし羽を返してしまうのは、正直怖かった。だからアンは友達になりたいと言いながら、相手の命を握りしめていた。我ながら虫がいい。そんな関係で、友達になれようはずはない。

 羽を持っている限り、アンは使役者なのだ。

 シャルは妖精ならば当然そうするように、使役者から羽を取りもどそうとしただけだ。

 裏切られたと思ったり、哀しんだりするのは、おかどちがい。

 油断したアンが、使役者としてけなだけなのだ。

「わたしが、馬鹿なのね」

 軽くため息をつく。アンは自分の気持ちを楽にするために「友達になれればいい」と考えていたにすぎない。自分の身勝手さとおろかさに、気がついた。

「わたしは、ルイストンへ行かなくちゃならない。シャルに羽を返した上で『ルイストンまで守って』ってお願いするような、危険なかけはできない。だからあなたを使役するって心に決めたのに、どこかで甘さがあった。友達になりたいなんて、……馬鹿なことを言ってた」

 アンは目を閉じて深呼吸した。そして再び目を開いた。

「わたしがルイストンに無事にとうちやくできるように、協力してもらえれば羽を返す。そう約束しても、信用できないから盗もうとしたの? それともいっときでも、人間に使役されるなんていやだから、盗もうとした? どっちでもいいけど、これからわたしは油断しないから、そのことは覚えてて」

 無表情の妖精を見あげる。彼は何も答えない。

「ついでに言うと、それでもわたしは約束を守る。ルイストンに到着したら、羽を返す。そしたら今度こそあなたに、友達になれるかどうかくわ。それまで、わたしは、あなたの使役者」

 シャルはふんと鼻で笑って、背を見せた。彼の背で月光をはじく羽は、ざんにも一枚きりだ。

 夜空を見あげて、彼はうそぶく。

「月が綺麗だな」


   ◆  ◆  ◆


 ──しくじった。

 シャル・フェン・シャルは月に目を向けながらも、背後に横たわっているアンの気配を感じていた。きんちようが伝わってくる。この様子では、再び彼女が眠ったとしても、シャルの気配が近づいただけで目を覚ますだろう。今夜は再び、羽を盗むのは無理だ。

 だが、あせっていなかった。

 妖精狩人の手に落ちて、人から人に売られて。

 シャルは常に、使役者を殺して、げ出すことばかりを考えて過ごしていた。

 しかしそれは、容易ではなかった。人間どもはれいこくで、用心深かった。

 レジントンのようせい市場に売り出されてからは、できるだけ間抜けな人間に買われようと努力した。間抜けなやつが買ってくれれば、そいつを殺すか、もしくはそいつの目を盗み羽を取り戻して、逃げ出せるだろう。

 しかし戦士妖精を求めてくる客は、どいつもこいつも抜け目なく、冷酷そうだった。だから客が妖精商人とこうしように入るたびに、できる限りの悪態をついて客をおこらせた。

 今日は、どんな客が来るだろう。間抜けが来ればいい。そう願いながらぼんやりと座っていると、ふと鼻先に甘いかおりを感じた。銀砂糖の香りに似ている気がした。

 目をあげると、麦の色のかみをしたせた少女が、じっとこちらを見ていた。

 その少女が、戦士妖精を買いたいと言い出した。せんざいいちぐうのチャンスだ。

 アンが彼を買うと決めたしゆんかんには、内心笑った。

 妖精をお友達のように扱う、お友達になろうと、なにやら子供っぽいたわごとを口にしているむすめけんを血でよごすまでもない。これならば、簡単に羽を盗めるとんだ。

 しかし思いのほかアンはびんかんで、気づかれた。

 羽を盗もうとしたのだ。羽を痛めつけられるくらいのばつを、受けるだろうと思った。

 だがアンは、罰をあたえなかった。それどころか、ルイストンに到着したら羽を返すことを再度約束し、そしてその後に友達になろうと言った。

 不思議だった。何を考えているのか、わからない。しかし。

 ──何を考えているにしても、鹿だ。

 これほど甘い小娘ならば、チャンスは山のようにあるだろう。焦ることはない。

 七十年近く、人間に使えきされ続けてきたのだ。自由になるのが一日先になろうが、三日先になろうが、かまわない。

 ふとまた、甘い香りを感じた。ちらりと背後を見る。確かにアンの髪や指先から、その香りはする。思い出をげきし、官能をあおるような、銀砂糖の香り。

 シャルは無意識に、指をくちびるに当てた。遠い昔に知っていた甘い感覚。羽をやさしくでられる快感。優しい指。そのかんしよくを背筋に思い出し、我知らずいきれる。

 ──リズ……。

 背後で、アンががえりを打った。それにはっとして、唇から指をはなす。

 背中ごしに、ちらりとアンを見る。彼女は目を閉じていた。

『ママ、お願い。どこへも行かないで!』

 先刻、アンはそう叫んで目を覚ました。そのことに、ふと疑問を感じる。

 ──こんな小娘一人、旅をさせて。母親は何をしている?

 シャルの指をにぎった手は、いかにもたよりなかった。

 その感触が、なぜかくっきりと心に残った。

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