一章 かかしと妖精⑤
いつもと変わらない、野宿の風景だった。
アンは毛布にくるまり、エマは荷台に出入りして、
目の前にエマの姿を見て、ほっと
『あらあらどうしたの、アン。どこか痛いの?』
「違うの。いやな夢を見たの。ママが死んじゃった、いやな夢」
『馬鹿ね。そんな
エマの冷たい指が、そっとアンの首に触れる。その指はほっそりしていて、常に冷たかった。
その指がたまらなく
「ママ、お願い。どこへも行かないで!」
そう
夢を見ていたのだと自覚した。しかしアンが握りしめた冷たい指は、現実だった。息がかかるほど間近に、シャルの顔があった。
「な、なに!?」
握っていた指を押し離して、
──これはまさか、例の高飛車サービス!?
シャルはうっすら笑い、身を起こす。その
どうやら、シャル提案のサービスではなさそうだと
──いったい、シャルはなにを……? 彼は、今、首に……。
「今、首に……」
そこでアンは、自分の首にかけられている
「シャル。もしかして……羽を、
「もう少しだった」
悪びれることもなく、シャルは言った。
「やっぱり、盗もうとしたの? ひどい……」
「なにが?」
「言ったじゃない。わたし、シャルと友達になりたいと思ってたのよ。それなのに」
アンは、シャルと友達になりたいと思っていた。それなのに。その気持ちを裏切られた気がして、
「友達になりたい? 相手の命を握っておいて、お友達か?」
その言葉に、アンははっとした。
「俺は、おまえに買われた。使役される者だ。友達にはなりえない」
もしアンが自分の理想を実行しようとするならば、羽を返したうえで、友達になりたいと申しこみ、彼の協力を
しかし羽を返してしまうのは、正直怖かった。だからアンは友達になりたいと言いながら、相手の命を握りしめていた。我ながら虫がいい。そんな関係で、友達になれようはずはない。
羽を持っている限り、アンは使役者なのだ。
シャルは妖精ならば当然そうするように、使役者から羽を取り
裏切られたと思ったり、哀しんだりするのは、お
油断したアンが、使役者として
「わたしが、馬鹿なのね」
軽くため息をつく。アンは自分の気持ちを楽にするために「友達になれればいい」と考えていたにすぎない。自分の身勝手さと
「わたしは、ルイストンへ行かなくちゃならない。シャルに羽を返した上で『ルイストンまで守って』ってお願いするような、危険な
アンは目を閉じて深呼吸した。そして再び目を開いた。
「わたしがルイストンに無事に
無表情の妖精を見あげる。彼は何も答えない。
「ついでに言うと、それでもわたしは約束を守る。ルイストンに到着したら、羽を返す。そしたら今度こそあなたに、友達になれるかどうか
シャルはふんと鼻で笑って、背を見せた。彼の背で月光を
夜空を見あげて、彼はうそぶく。
「月が綺麗だな」
◆ ◆ ◆
──しくじった。
シャル・フェン・シャルは月に目を向けながらも、背後に横たわっているアンの気配を感じていた。
だが、
妖精狩人の手に落ちて、人から人に売られて。
シャルは常に、使役者を殺して、
しかしそれは、容易ではなかった。人間どもは
レジントンの
しかし戦士妖精を求めてくる客は、どいつもこいつも抜け目なく、冷酷そうだった。だから客が妖精商人と
今日は、どんな客が来るだろう。間抜けが来ればいい。そう願いながらぼんやりと座っていると、ふと鼻先に甘い
目をあげると、麦の
その少女が、戦士妖精を買いたいと言い出した。
アンが彼を買うと決めた
妖精をお友達のように扱う、お友達になろうと、なにやら子供っぽい
しかし思いのほかアンは
羽を盗もうとしたのだ。羽を痛めつけられるくらいの
だがアンは、罰を
不思議だった。何を考えているのか、わからない。しかし。
──何を考えているにしても、
これほど甘い小娘ならば、チャンスは山のようにあるだろう。焦ることはない。
七十年近く、人間に
ふとまた、甘い香りを感じた。ちらりと背後を見る。確かにアンの髪や指先から、その香りはする。思い出を
シャルは無意識に、指を
──リズ……。
背後で、アンが
背中ごしに、ちらりとアンを見る。彼女は目を閉じていた。
『ママ、お願い。どこへも行かないで!』
先刻、アンはそう叫んで目を覚ました。そのことに、ふと疑問を感じる。
──こんな小娘一人、旅をさせて。母親は何をしている?
シャルの指を
その感触が、なぜかくっきりと心に残った。