教えられた辺りに来ると立ち止まり、ぐるりと見回す。
どこのテントで、戦士妖精が売られているのだろうか。
左のテントには、掌大の妖精が、籠に入れられて吊り下げられている。労働妖精として売られているのだろう。
右のテントには、小麦の粒のように小さな可愛らしい妖精が、ガラス瓶に入れられて、卓の上にいる。あの大きさでは労働力にはなるまいから、愛玩妖精だろう。子供が玩具にして遊ぶために売られているのだ。
そして正面の、つきあたりにあるテント。そのテントの売り物は、妖精一人だけだった。
テントの下になめし革の敷物が敷かれ、妖精がその上に片膝をたてて座っている。足首に鎖が巻かれ、地面に打ち込んだ鉄の杭に繫がれている。
その妖精は、アンよりも頭二つ分ほど上背がありそうな、青年の姿だ。
黒のブーツとズボンをはき、柔らかな上衣を着ている。黒で統一された装いは、妖精商人が、商品価値を高めるために着せたものだろう。妖精の容姿が際だつ。
黒い瞳に、黒い髪。鋭い雰囲気がある。陽の光にさらされたことがないようにすら見える白い肌は、妖精の特徴だ。
その背に、半透明の柔らかな羽が一枚ある。まるでベールのように、敷物の上に伸びている。
綺麗な容姿をした妖精だった。そこはかとなく、品も感じられる。
これは愛玩妖精に違いない。貴族のご婦人が、観賞用に高値で買い求めそうだ。
さらりと額にかかる前髪の下で、妖精は目を伏せている。睫に、午後のけだるい光が躍る。
その姿を目にしただけで、背がぞくりとするような、快感めいたものすら感じた。
──綺麗なんてものじゃない……。
その長い睫に引き寄せられて見つめていると、ふと妖精が顔をあげた。
目があった。妖精は、アンをまっすぐ見つめた。
何か考えるように、妖精はしばらく眉根を寄せていた。が、すぐに納得したように、呟いた。
「見覚えがあると思ったら、かかしに似てるのか」
そして興味をなくしたように、ふいと、アンから視線をそらした。
「し…し、失礼な……花盛りの、年頃の女の子に向かって」
妖精の独り言に、アンは握り拳を固めた。
「盛りも、たかがしれてる」
そっぽをむきながらも、妖精がずけっと言った。
「なんて言いぐさ──!?」
その失礼な妖精を売っているのは、妖精商人の老人だ。テントの横でたばこを吹かしていた。
アンが眉を吊りあげているのを見ると、妖精商人は、やれやれといったふうに口を開いた。
「悪いね、お嬢ちゃん。うちの商品は、口が悪い。通りがかりの人間に、だれかれかまわず悪態をつくんだ。気にせず、行ってくれ」
「気にするわよ! 余計なお世話かもしれないけど、こんなに口が悪くちゃ、愛玩妖精としては売れないわよ、きっと! 売るのを諦めて、逃がしてあげたら!?」
「こいつは愛玩妖精じゃねぇよ。戦士妖精だ」
アンは目を丸くした。これが教えられた、戦士妖精を売るテントだったらしい。
だが信じられなかった。
「戦士妖精!? 噓でしょう? どうみても、愛玩妖精として売られるほうが妥当だわ。わたし、戦士妖精を見たことあるけど。ものすごく大きくて、岩みたいにごつかった」
「これも戦士妖精さ。こいつを狩るのに、妖精狩人が三人も死んだってほどの、逸品だ」
不審もあらわな表情で、アンは腕組みした。
「さっきのおじさんが、不良品だって言ったわけよね。戦士妖精って言うけど、実は口の悪い愛玩妖精を売るために、戦士妖精だって言い張ってるだけじゃないの?」
「妖精商人は信用が第一だ。噓はつかねぇ」
アンは、妖精に視線を戻した。
妖精は再び、アンを見ていた。なにが面白いのか、薄笑いを浮かべている。
不敵な表情だ。確かに、おとなしい妖精には見えない。なにかやらかしそうな雰囲気はあるが、だからといって戦士妖精として役に立つほど、強そうにも見えない。
「わたし、戦士妖精が欲しいんだけど……この人以外、いないの?」
訊くと、妖精商人は首をふった。
「戦士妖精は、扱いがむずかしい。一度に一匹しか扱えないさ。わしが売っているのは、こいつだけ。ついでに言うと、この妖精市場で戦士妖精を売ってるのは、わしだけだ。六十キャロン北のリボンプールに行けば、戦士妖精を売ってる妖精商人が、もう一人いるがね」
「リボンプールまで遠回りしてたら、品評会に間に合わない」
親指の爪を嚙んで、アンは唸った。
「こら。かかし」
ふいに、妖精が口を開いた。アンはキッと妖精を睨んだ。
「かかしって、この、花も恥じらう十五の乙女。ワタクシのことかしら!?」
「おまえ以外に、誰がいる。ぐずぐず迷うな。俺を買え」
一瞬、アンはぽかんとした。
「……買えって……め、命令……?」
妖精商人も驚いた表情をしたあとに、腹を抱えて笑いだした。
「こりゃ、いい! こいつが自分を買えなんぞと言ったのは、はじめて聞いた。このお嬢ちゃんに一目惚れでもしたか? どうだい、お嬢ちゃん。こりゃあ買うしかねぇだろう。大特価で百クレスだ。この口の悪ささえなけりゃ、愛玩妖精として売りたいくらいだからな。愛玩妖精なら三百クレス出しても、欲しいって奴はいるはずだ」
「口が悪くなけりゃの話でしょ~」
しかし妖精商人が提示した金額は、確かに安かった。戦士妖精や愛玩妖精は数が少ないので、高価なのだ。百クレスは金貨一枚。それで戦士妖精が買えるのは、破格の安値だ。
「ねぇ、あなた。自分から買えって言うからには、戦士妖精として自信があるの?」
訊くと、妖精はちらりと目を光らせてアンを見あげた。
「俺に、なにをさせたい」
「護衛よ。わたしはこれから、一人でルイストンへ行くの。その道中を守って欲しいの」
妖精は、自信ありげに微笑する。
「わけない。ついでにサービスで、キスくらいしてやってもいい」
「そんな高飛車なサービス、いらないわよ! しかも大切なファーストキスを、サービスなんかで奪われたら、たまったもんじゃない」
「お子様だな」
「悪かったわね! お子様で!」
できるならば、もっと真面目でおとなしそうな戦士妖精がいいに決まっていた。しかし、リボンプールまで遠回りしている時間はない。アンは決断した。
──仕方ない!! 多少、口が悪くたって、贅沢言ってられない。
ドレスのポケットに突っ込んであった、麻袋を取り出す。その口を開き、銅貨の中に紛れた唯一の金貨を握る。
「おじいさん。この妖精、買うわ」
「へへ、思い切ったね。お嬢ちゃん」
商人は黄色い歯を見せて笑った。アンが金貨を差し出すと、妖精商人はその金貨をとっくり検分して受け取った。そして首にかけていた小さな革袋をはずす。
「じゃあ、羽を確認しな」
妖精商人は小さな革袋の口を開けると、中から掌ほどの大きさにたたまれた、透明な布のようなものを取り出す。その端を持って一ふりすると、たたまれていたものがはらりと広がる。
アンの背丈ほどもある羽が、目の前に現れた。
光線の加減によって、七色の光を弾く半透明の羽は、触れるのがためらわれるほど美しかった。折りたたまれていたにもかかわらず、布のように、皺やよれがない。手を伸ばしてそっと触れると、絹に似た感触がした。そのなめらかさに、ぶるりと震えがくる。
「これが、彼の羽?」
「そうさね。証明してやろうか」
言うなり妖精商人は、羽の端と中程を握ると、引き絞るように力を込めた。その途端、テントの下にいた妖精が呻いた。
妖精は体を抱えるようにして、全身を強ばらせていた。歯を食いしばる。
「やめて!! わかったから、やめて!!」
アンの言葉に、妖精商人は力を緩めた。
妖精の体から力が抜け、地面に片手をつく。彼は顔をあげると、妖精商人をぎらりと睨む。
妖精商人は羽を折りたたみ、元の袋に戻すとアンに手渡した。
「これを肌身離さず、首にかけるんだ。とにかく、気をつけなよ。この袋があんたの手から離れたら、妖精は、なにをしでかすかわからねぇよ。わしのしりあいで、使役していた戦士妖精に羽を取り戻されて、殺された男がいる。戦士妖精は凶暴だ。凶暴だから、戦士妖精として売れるんだ。羽を取り戻したら、ただ逃げ出すだけじゃすまねぇ。使役者を殺す可能性が高い」
「でも眠るときとか、どうすればいいの? 寝首を搔かれたりしないの?」
「眠るときは必ず、羽を服の下に隠して、抱いて寝るんだ」
「それで、平気?」
「考えてみな。自分の心臓を、鷲摑みにしている相手だ。殺した拍子に、そいつがギャッと力を入れて、心臓を握りつぶされたら……。特に妖精の羽は脆いからな。怖くて滅多な真似はできねぇ。羽を握られてるってことは、妖精の本能に訴える恐ろしさだからな。今のこいつの苦しみようを、見ていたろう」
確かにあの苦しみかたを見れば、おいそれと手出しはできないと思える。
相手を恐怖と苦痛で支配することを実感し、妖精を使役することへの憂鬱感が増した。
「気をつけなよ。特にこいつは、今まで買われようとするたびに、この顔から想像もつかねぇ悪態を吐きまくって、客を怒らせて売れ残ってるような奴だ。こいつがお嬢ちゃんに買われようとしてるのは、なんの気まぐれかしらねぇが、奇跡だ」
「この人、そんなに厄介なの!?」
「買うの、やめるかね?」
アンは少し考えたが、首を横にふる。
「リボンプールに行く時間は、ないもの。買うわ」
「なら、いいかね。羽は、気をつけて扱うんだ。こいつに絶対、取られないようにしな」
アンが頷くと、妖精商人は、妖精の足から鎖を外しにかかる。
妖精は刃のような薄笑いを浮かべて、妖精商人に囁く。
「待ってろ。いつか、殺しに来る」
「そりゃあ、いいな。楽しみにしているよ」
物騒な挨拶を受け流すと、妖精商人は鎖を外した。
妖精は立ちあがった。長身だった。陽を受けて虹色に輝く羽が、膝裏まで伸びている。
「とりあえず。わたしは、あなたを買ったから。よろしくね」
アンが言うと、妖精は綺麗な顔で微笑んだ。
「金貨を持ってるとは、景気がいいな。かかし」
「かかしって呼ばないで! わたしは、アンよ」
アンと妖精のやりとりを聞いて、妖精商人は不安そうな顔をした。
「お嬢ちゃん、本当にこいつを使役できるのかい?」
「使役できるさ。なあ、かかし?」
と、答えたのは当の妖精だ。馬鹿にしたような顔で見おろされ、アンはさらに怒鳴った。
「アンよ! アン・ハルフォード! 今度かかしって呼んだら、ぶん殴るから!」
「……大丈夫かね」
妖精商人の呟きに、アンは妖精を睨みながら、鼻息も荒く答える。
「ええ! 大丈夫よ。心配しないで、おじいさん。さあ、あなたは一緒に来て」