一章 かかしと妖精②

 左右に小麦畑が広がる道を、馬車は進んだ。

 日が高くなるころに、ノックスベリー村の周辺で最も大きな町、州都レジントンにとうちやくした。

 レジントンは、円形の広場を中心にして放射状に広がる城下町だ。高台には、レジントン州を治める州公の城があり、レジントンの町を見おろしている。

 町中をゆっくりと馬車で進んでいくと、目の前に人だかりができていた。

 人だかりのために、道はふさがれている。

 かたをすくめて、ぎよしやだいを降りた。こちらに背を向けている農夫の肩を、軽くたたく。

「ねぇ、ちょっと。みんな、なにしてるの。道、ふさがってて馬車が通れないんだけど」

「いや……通ってもいいんだが。おじようちゃん。あんたあれをっ切る勇気があるか?」

「あれって?」

 農夫のわきの下をくぐるようにして、アンは人々が見ているものをのぞきこんだ。

 どろのぬかるみの中に、くつきような男の姿があった。背に弓をくくりつけ、こしにはちようけんをさげている。かわのブーツをはき、毛皮のベストを着ている。かりゆうどだろう。

「こいつ、この性悪め!!」

 狩人は声をあらげながら、何度も何度も、泥の固まりを踏みつけている。泥の飛沫しぶきがあがる。泥の固まりは踏まれるたびに、ギャッと声をあげる。

 よく見るとその泥の固まりは、人間のてのひらほどの大きさで、人の形をしていた。うつぶせているその背中からは、泥をはじくはんとうめいうすい羽が一枚生えている。

「あれは、妖精!? なんてひどい!」

 アンが小さく悲鳴のような声をあげると、農夫がうなずく。

 妖精は、森や草原に住む人間に似た生き物だ。大きさも姿も様々で多くの種類がいるが、背中に二枚の、半透明の羽があるのがとくちようだ。

 妖精にはとくしゆな能力があり、うまく使えきすれば、様々な仕事をさせることができる。

 王族や貴族、たちは、目的により、たくさんの妖精を使役していると聞く。

 しよみんでも中流の家庭には、家事を手伝わせる妖精が一人くらいいるものだ。

 ノックスベリー村のジョナスの家にも、掌くらいの大きさの、キャシーという名の妖精がいた。キャシーはジョナスの身の回りの世話をしたり、砂糖菓子の仕込みの手伝いをしていた。

「あの妖精狩人が使役してる、労働妖精だ。自分の片羽をぬすんで、げようとしたんだよ」

 農夫は声をひそめ、妖精狩人をそっと指さした。

 妖精狩人の手には、薄い羽がにぎられていた。泥まみれの妖精の背にある羽と、ついになっていた一枚だろう。

 妖精を使役するために、使役者は妖精の片方の羽をもぎ取り、身につける。

 羽は、妖精の生命力の源だ。羽が体からはなれても、妖精は生きていられるという。だが羽が傷つけられると、すいじやくして死ぬ。

 人間にたとえるならば、羽は心臓だ。だれしも心臓をわしづかみにされていれば、きようにおののく。心臓を握る者には、逆らえなくなる。

 だから使役者は、片方の羽をもぎ取ることで、妖精を意のままに動かせるのだ。

 しかし妖精とて、れいでいたいわけはない。使役者の目を盗み、自分の羽を取りもどして逃げようとする者は多い。

「いくら妖精でも、あの仕打ちはひどい」「あの妖精、死ぬぞ」と人々はささやきながらも、だれ一人動かない。

 アンはとなりの農夫や、周囲の男たちを見あげた。

「ちょっと、みんな! あんなひどい真似まね、とめなくていいの!?」

 しかし周囲の者は、自信なさそうに視線をそらす。

 農夫が弱々しく呟く。

可哀かわいそうだが。妖精狩人は、しようが荒い。仕返しがこわいし……それにあれは、妖精だ……」

「妖精だからって、なに!? ぐずぐずしてたら、あの子死んじゃう。いいわ、わたしが行く!」

 アンは農夫を押しのけて、一歩み出した。

「おい、お嬢ちゃん。あんたみたいな子供が、やめとけって」

「子供じゃないわ。わたしは十五歳。この国じゃ女の子は、十五歳から成人でしょ。わたしは立派な大人。ちゃんとした大人なのに、なぶり殺される妖精を見殺しにしたなんて、一生自分をじるわ。じようだんじゃない」

 アンはしゃんと背筋をばし、ずんずんと妖精狩人の方へ歩いていく。

 妖精狩人は興奮しているのか、アンに気がつかない。妖精をブーツの底に踏みつけたまま、手にした妖精の羽を両手で握る。

「おまえの羽なんぞ、こうしてくれる」

「やめろよ、このやろう! やめろ!!」

 妖精はそれでも勇ましく、小さな手足をばたばたと動かして、泥をねあげた。キンキンした、かんだかい声でる。

 しかし妖精狩人の手はようしやなく、羽を引きしぼった。

 妖精は泥の中で悲鳴をあげる。

ぬす妖精なんぞ、殺してやる」

 羽を引きちぎろうと、妖精狩人の手に力がこもったしゆんかん、アンは妖精狩人の背後に立っていた。腰を落として、構えた。

「ちょっと、失礼!!」

 声とともに、ドレスのすそがぱっと撥ねる。アンは、妖精狩人のひざうらを片足で強くり飛ばした。アンのとくわざ、必殺、膝カックン。

 油断しきっていた妖精狩人は、がくっと膝が折れる。体のきんこうくずした。口を「お」の形に開いたまま、泥の道に顔からたおれこむ。

 うまたちがどっと笑うのと同時に、ブーツの底から解放された妖精が、ぴょんと跳ね起きた。アンは男の頭を飛びえると、彼の手からばやく妖精の羽をもぎ取った。

「てめぇ!!」

 妖精狩人がわめきながら、泥まみれの顔をあげる。

 アンは軽く飛び退いて、ぼうぜんと立ちつくす妖精に、取り戻した羽を差しだした。

「ほら。これ。あなたのでしょう」

 はっとしたように、妖精は羽をひったくった。泥にまみれた顔の中で、青い目だけは異様にぎらついて光っている。妖精はアンを見あげると、

「ケッ! 人間に、礼なんか言わないからなっ!!」

 き捨てるように言うと羽をかかえ、野次馬の足もとをけた。わっと声をあげて道をあける人々をしりに、妖精はしつぷうのような速さで町外れに向かって姿を消した。

 アンは肩をすくめる。

「まぁ、ね。わたしも、にくい人間の仲間だもんね」

「どうしてくれるむすめ!! 大事な労働妖精を、逃がしやがったな!!」

 ごついあごから泥水をしたたらせ、喚きながら妖精狩人が立ちあがる。

 アンはようせい狩人に向きなおり言った。

「だっておじさん、あの妖精を殺すつもりだったんでしょう。それなら、いなくなるのと同じじゃない?」

「なんだと!?」

 いきり立つ妖精狩人は、うでをふりあげた。

 しかし彼らを取り囲んだ野次馬が、いつせいに非難の声をあげる。

「だいの男が、そんな子供に手をあげるのか!?」

「その子の言うとおりだろうが!」

「あんた、ちょっとばんすぎるよ!!」

 野次馬の非難を受けて、男はひるむ。アンはおくすることなく、まっすぐ男を見あげる。

 低くうめくと、妖精狩人はあげた手をおろした。

「ありがとう。おじさんがやさしい人で良かった。こんな優しいおじさんなら、これからは妖精にも、優しくしてくれるよね。よかった!」

 いやみたらしくにこりと微笑ほほえみかけると、妖精狩人はおこっているような笑っているような、なんともいえない表情になった。

 アンは「じゃあね」と軽く妖精狩人にあいさつして、やんやとめそやす野次馬の間を抜けて馬車の御者台に戻った。ふんぜんつぶやく。

「まったく、頭に来る。ひどいことしすぎよ。妖精だからって、なんだっていうのよ」

 妖精は姿こそ、少し人間とちがう。だが感情と意思を持ち、人語を話す。人間と変わらないとアンは思う。そんな人々を奴隷のように使役することに、良心が痛まない方がどうかしている。

 だからエマも、けして妖精を使役しなかった。

 妖精を使役しない。それがエマとアンの信条だった。だが───。

 アンはふと、暗い表情になる。

「……でも。……わたしもこれから……ひどいことするんだよね……」

 アンは再び、馬にむちをくれて馬車を進めた。

 町の中心部に来ると、遊んでいる数人の子供を呼び止めてぜにわたした。そしてしばらくの間、馬車を見張ってくれるようにたのんだ。子供たちは、快く引き受けてくれた。

 馬車を降りると、円形広場に向かう。

 広場には、テントが不規則に並んでいる。

 テントは、布にじゆうったものだ。独特のあぶらくささがある。そのテントの下には、食材や布や銅製品など、様々な品物が並べられている。市場だ。人でごった返している。

 つんとっぱくて甘いかおりで鼻をくすぐるのは、温めた葡萄ぶどうしゆを飲ませるテント。秋から冬にかけての、市場名物だ。

 かたれあうほど混雑した市場を通り抜けると、人通りの少ない場所に出た。

 そのいつかくかんさんとしていた。店はかなりの数出ているが、客がきよくたんに少ない。

 近くのテントに目をやる。

 つたを編んだかごが、テントの横木につるされていた。籠の中には、てのひらだいの小さな妖精がいる。背には、はんとうめいの羽が一枚。籠はずらりと、五、六個も並ぶ。籠の中に座る小さな妖精は、うつろな目でこちらを見ていた。

 そのとなりのテントには、子犬ほどの大きさの、毛むくじゃらの妖精が三人。首輪でくさりつながれていた。背には透明な羽が一枚きり、しおれたようにぶらさがっている。毛むくじゃらの妖精たちは、歯をむき出してアンをかくした。

 ここは妖精市場だ。

 妖精かりゆうどは、森や野原で妖精をり、妖精商人に売る。妖精商人はその商品となる妖精の片羽をもぎ取り、適当な値段をつけ、妖精市場で売りさばく。

 王都ルイストンへ向かうつもりならば、レジントンを経由すると少し遠回りになる。にもかかわらずこの町に立ち寄ったのは、この町の市場に、妖精市場がへいせつされていると知っていたからだ。

 アンは近くのテントに近寄ると、妖精商人に声をかけた。

「ねぇ。戦士妖精は、売っていないの?」

 すると妖精商人は首をふった。

「うちはあつかってねぇよ。そんな危なっかしいもの」

「じゃあこの市場で、戦士妖精を扱っている人を知らない?」

いつけんだけあるぜ。あっちのかべぎわのテントにいるじいさんが、扱ってるけどな。やめときなおじようちゃん。ありゃ、不良品だ」

「そうなの? まあ、とりあえず行ってみる。ありがとう」

 礼を言うと、歩き出す。

 妖精商人は妖精を、その能力や容姿によって売り分ける。

 大半の妖精は労働力として、労働妖精としようして売る。

 外見が美しいものめずらしいものは、観賞用として、あいがん妖精と称して売る。

 特にきようぼうなものは、護衛や用心棒に使えるので、戦士妖精と称して売る。

 アンは戦士妖精を買うために、妖精市場に来たのだ。

 これからアンは砂糖品評会に参加するために、ルイストンへ行く。

 ノックスベリー村やレジントンがある王国西部から、ルイストンへ続くかいどうは、ブラディ街道と呼ばれる。危険な街道だ。街道沿いにはれ地が続き、宿場町や村が存在しない。土地が貧しいために、食いめたすえにとうぞくとなるやからも多く、またじゆうも多い。

 エマとて、旅を続ける道中にはけて通った街道だ。

 南にかいして、安全な街道を選んでルイストンに向かう方法もある。

 しかしそれでは、今年の品評会には間に合わない。

 アンはどうしても、今年の品評会に間に合いたかった。それはひどく感傷的な理由からだった。自分でもわかっていた。けれど、その感傷的な理由にすがり、なにか目の前に目標をかかげていなければ、足もとがぐらつきそうだった。

 ──絶対今年、銀砂糖師になる。わたしは、決めたんだから。

 ぐっと視線をあげる。

 ブラディ街道を行くには、護衛が必要だ。

 けれど残念ながら、しんらいできる護衛はなかなか見つからないものだ。

 そうなるとせんたくは、戦士妖精しかない。妖精は、羽を持っている主人に逆らえない。護衛としては、最も信頼できる。

 今年、銀砂糖師になりたいという大きな望み。そのためにアンは、「妖精を使えきしない」という信条を曲げようとしていた。

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