一章 かかしと妖精①

 正面から太陽がのぼる。生まれたてのの光は、やわらかく白いアンのほおを、明るく照らした。

 ぎよしやだいの上で、アンはづなにぎった。綿めんのドレスのすそから、すうっと冷たい風がきこんだ。質素ながらも清潔な裾レースが、わずかにれる。

 深呼吸して空を見あげた。

 昨夜ゆうべの雨が、大気のちりを洗い流したらしい。秋の空は、高くんでいた。

 今日は旅立ちの日だ。手綱を両手で握りしめ、前方を見つめる。

 道はぬかるみ、馬車のわだちがいくつも盛りあがっていた。

 自分は今から、この道を一人で歩き出す。不安ときんちようは、せた体いっぱいに広がっている。

 だがわずかな希望も、胸に感じる。

 その時だった。

「アン!! 待って、アン」

 背後から声がした。

 アンが乗る箱形馬車の背後には、ぼくな石造りの家々が点在している。ハイランド王国北西部に位置する、ノックスベリー村だ。この半年、世話になった村だ。

 アンは生まれてからずっと、母親のエマと二人で、旅から旅の生活をしていた。そのために半年もの間、同じ場所にとどまったのはノックスベリー村がはじめてだった。

 その村の方から、きんぱつで背の高い青年がけてくる。ノックスベリー村で砂糖菓子店を営むアンダー家の一人息子むすこ、ジョナスだった。

「わっ、やば!」

 首をすくめ、アンは馬にむちを当てた。馬車が動き出すと、背後に向けて手をふった。

「ジョナス! ありがとう。元気でね!」

「待ってくれ。アン。待って! 僕がきらいなの!?」

「そういう問題じゃないから──、気にしないで──」

 大声を返すと、息切れしながらジョナスがさけぶ。

「じゃあ、じゃあ、待ってくれよ!!」

「もう、決めたから。さよなら!」

 二人のきよは、みるみるはなれる。ジョナスはじよじよに歩調をゆるめて、立ち止まった。息を切らしながら、ぼうぜんとこちらを見つめる。

 アンは今一度大きく手をふり、再び前を向いた。

「見守っていて……ママ」

 今年の春先。元気と陽気がとりえだったエマが、病にたおれた。

 そしてその時、たまたまとうりゆうしていたノックスベリー村で、身動きがとれなくなった。

 よそ者のアンとエマに、村人たちは親切だった。

 エマの病が治るまで村に逗留するようにと、村人たちはすすめてくれた。ジョナスの一家など、彼女たち親子に半年もの間、ただで部屋を貸してくれた。同業のよしみだったのだろう。

 けれど。エマの病は治らなかった。半月前に、帰らぬ人となった。

『自分の生きる道を見つけて、しっかり歩くのよ。あなたならできる。いい子ね、アン。泣かないで』

 それがエマの、最後の言葉だった。

 そうの手配や、こつきようかいへのまいそう手続きなど。雑務に追われているうちに、かなしみは心の表面をすべるように流れていった。哀しいと思うが、大声を出して泣けなかった。

 エマは今、ノックスベリー村の墓地のすみに眠っている。そう知っていながら、ぼんやりしたもやが心を満たしているように感じるだけだ。

 こまごました雑用が終わったのは、エマが死んで半月後。それと同時に、アンは旅立ちを決意した。

 三日前の夜。アンは世話になったアンダー家の人々に、旅に出ると告げた。

『アン。君が一人で旅を続けるのは無理だよ。君はこの村に残ればいいじゃないか。そして……そうだな。僕のおよめさんになる?』

 旅立ちの決意をしたアンの手を握って、ジョナスはそうささやいた。そしてやわらかな金のまえがみをかきあげると、微笑ほほえみながら、つやのあるひとみでアンを見つめた。

『ずっと、気になっていたんだ。君のこと』

 アンとジョナスは半年、同じ家にきした。だが親しく話をしたことは、ほとんどなかった。そんな相手にきゆうこんされるとは、思ってもみなかった。

 ジョナスの整った顔立ちの中で、青い瞳はとりわけきれいだった。南の国から輸入される、高価なガラス玉のようだ。

 好き嫌いを意識したことのない相手でも、その瞳で見つめられると、まどった。

 求婚されるのが、うれしくないわけはない。しかしそれでもアンは、旅立つことに決めたのだ。

 ジョナスに別れを告げると、ひきとめられると思った。だから早朝、こっそりと村を出ようとした。けれどやはり感づかれたのだろう。ジョナスは追ってきた。

「結婚……」

 ぼんやりと、口に出してみる。まるで自分とは、えんのない言葉に感じる。

 ジョナスは村で、女の子の人気を一身に集めていた。

 彼の家がゆうふくな砂糖菓子店であるということも、もちろん、人気の理由の一つではある。

 ノックスベリー村のような田舎いなかに住んでいても、ジョナスは、砂糖菓子職人のだいばつの一つ、ラドクリフこうぼう派の創始者の血筋にあたる。

 彼は、次期ラドクリフ工房派のおさに選ばれる可能性があるらしい。

 近いうちにジョナスは、派閥の長となるためのしゆぎようで、王都ルイストンへ行くのではないか。村では、もっぱらそううわさされていた。

 砂糖菓子派閥の長といえば、運が良ければ、しやくになる可能性だってあるのだ。

 そんなジョナスは、村のむすめたちからすれば、まさに王子様にも等しい存在だろう。

 それに比べてアンは、十五歳のねんれいにしてはがらだ。瘦せていて、手足が細くて、ふわふわした麦の色のかみをしている。行く先々で「かかし」とからかわれた。

 ついでに言うと、財産といえば古びた箱形馬車一台と、くたびれた馬一頭だ。

 裕福な金髪の王子様が、貧しいかかしに結婚を申し込んだ。夢みたいな話だ。

「まあね。王子様が、本気でかかしにこいするはずないもんね」

 アンはしよう混じりにつぶやくと、馬に鞭を当てる。

 ジョナスはもともとプレイボーイで、女の子には特に優しい。その彼が、アンに結婚を申し込む気持ちになったのは、彼女の身の上に同情したとしか考えられなかった。

 同情で結婚など、いやだった。それに王子様と結婚して、めでたしめでたし──そんなおとぎばなしのおひめ様が、生きがいのある人生だとは思えない。

 ジョナスは嫌いではなかった。だが彼と生きる人生に、りよくを感じない。

 自分の足で生きている実感をみしめる、そんな生活がしたかった。

 アンの父親は、アンが生まれて間もなく内戦に巻き込まれて死んだという。

 けれどエマは女一人、アンを育て、生きてこられた。

 それもこれもエマには、銀砂糖師という、立派な職があったからだ。

 砂糖菓子職人は、ハイランド王国の至る所にいる。しかし王家が最高の砂糖菓子職人と認めた銀砂糖師は、ハイランド国内にごくわずかしか存在しない。

 エマは二十歳はたちの時に銀砂糖師になった。

 銀砂糖師の作る砂糖は、つうの砂糖菓子職人が作ったものとは、比べものにならない高値で売れる。だが田舎の村や町に留まっていては、高価な砂糖菓子はひんぱんに売れない。

 王都ルイストンであれば、たくさんのじゆようがある。だが王都には有名な銀砂糖師が集まっているから、彼らとの競争に勝ちくのは大変だ。

 そこでエマは砂糖菓子を必要とする客を求めて、王国中旅をすることを選んだ。

 たくましくて底抜けに明るいエマが、好きだった。

 旅はこくで危険だったが、自分でかせぎ、自分の足で歩いているごたえがあった。楽しかった。

 ──ママみたいな銀砂糖師になれれば、てき

 昔から、ぼんやりそう思っていた。エマが死に、今後の自分の生き方を決めなくてはならなくなったとき、母親へのと尊敬が、決意となってアンの胸の中にいた。

 ──わたしは、銀砂糖師になる。

 しかし銀砂糖師になるのは、なみたいていのことではない。それもよく知っていた。

 毎年ルイストンでは、王家が砂糖菓子品評会をしゆさいする。銀砂糖師になるためには、その品評会に参加し、最高位の王家くんしようを勝ち取る必要がある。

 エマは二十歳の時その品評会に参加し、王家勲章をじゆされた。そして銀砂糖師と名乗ることを許された。

 砂糖菓子は、砂糖シユガー林檎アツプルから精製される銀砂糖で作られる。銀砂糖以外の砂糖で、砂糖菓子を作ることはない。銀砂糖以上に、砂糖菓子が美しいできばえになる砂糖は存在しないからだ。

 砂糖菓子は、結婚や葬儀、たいかん、成人と、様々な儀式で使われる。

 砂糖菓子がなければ、すべての儀式は始まらないとまで言われる。

 銀砂糖は、幸福を招き、不幸をはらう。甘き幸福の約束と呼ばれる、聖なる食べ物。

 ハイランドが、まだようせいに支配されていた時代。妖精たちは銀砂糖を使って作られた砂糖菓子をせつしゆすることで、寿じゆみようを延ばしたと伝えられている。

 銀砂糖で作られた美しい砂糖菓子には『形』という、神秘のエネルギーが宿るというのだ。

 人間が銀砂糖や砂糖菓子を食べても、もちろん、寿命が延びることはない。

 しかし妖精の寿命を延ばす神秘の力を、人間も、受け取ることができるらしかった。

 実際、美しい砂糖菓子を手に入れ食せば、たびたび、時ならぬ幸運がいこむのだ。ちがいなく、幸運がやってくる確率があがる。

 それは人間が数百年かけ、経験から理解した事実だった。

 王国が銀砂糖師という厳格な資格を規定したのも、そんな事実があるからこそ。

 おうこう貴族たちは、最も神聖で美しい砂糖菓子を手に入れ、自分たちに強大な幸福を呼びこみたいのだ。国のあんねいいのる秋の大祭のおりには、砂糖菓子の出来不出来で、国の行く先のきつきようが決まるとさえ言われる。

 今年も例年どおり、秋の終わりに、ルイストンで品評会が開催される。

 アンはそれに参加するつもりだった。

 毎年たった一人にしか許されない、銀砂糖師のしようごうだ。

 現在国内にいる銀砂糖師は、エマがくなり二十三人だと聞いている。

 簡単になれるものではない。

 だが自信はあった。だてに十五年、銀砂糖師の仕事を手伝ってないつもりだ。

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