第二章 かわいいランジェリーの作り方(3)

      ◆


 みずみおは責任感の強い少女だった。

 小学生の時に母が出ていって以来、多忙な父に代わって家事を担当して家を守り、高校に入ってからは本屋のバイトもこなしつつ、ふたつ年下の弟のめんどうも見てきた。

 そんな環境だったからこそ下着の悩みを誰にも打ち明けることができず、ひとりで抱え込んでいたともいえるのだが──

(一度協力を承諾したのににするとか、無責任すぎますよね……)

 ここのところ、ずっとモヤモヤしている原因は先日の恵太との一件だ。

(ブラの悩みを解決してくれたうらしま君には感謝してるし、相談していいって言ってくれてうれしかったけど……それとこれとは話が別といいますか……)

 なにしろ、その協力というのが──

(下着姿を見せるなんて、やっぱり無理ですよね……)

 彼に協力するならけては通れない道だ。

 世の中には露出趣味の持ち主もいるそうだが、あいにく澪は違う。

 普通の女の子にとって、男子に裸を見られるのはとても恥ずかしいことなのだ。

(そもそもわたし、浦島君のこともほとんど知らないし……)

 恵太がランジェリーデザイナーをしていることは聞いている。

 けれど、まだ高校生の彼がどうしてそんな仕事をしているのか、その理由までは知らなかった。

 断るにしても、もっと話を聞いてみればよかったかもしれない──

 そんなふうに再びぐるぐると考え始めた時だった。

「──澪ちゃん?」

「え……?」

 名前を呼ばれて顔を上げると、向かいに座った友人がこちらを見ていた。

「……いずみ?」

「ぼうっとしてたけど、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。少し考えごとをしてただけなので」

 ふたりがいるのは昼下がりのカフェのテラス席。

 泉はニットセーターにスカート姿、澪は白のブラウスにデニムのパンツを合わせた外行きのかつこうで、休日の今日は友人ふたりと遊びにきていたのだ。

「あれ、そういえばりんは?」

 テーブルの上には三人分の飲み物がある。

 なのに、座っているのはいずみみおのふたりだけだった。

「真凛ちゃんならお手洗いにいったよ」

「そうですか……」

 まったく気づかなかった。心ここにあらずにもほどがある。

「……ねぇ、泉? もしもですよ? もしも知り合ったばかりの男の子に、下着を見せてほしいって言われたら、泉ならどうします?」

「ええっ!?」

 その質問に驚く泉。

 盛大にほおを赤くした友人が、上目遣いにこちらを見る。

「澪ちゃんとうらしまくん、もうそこまで進んでるんだ……」

「どうしてそうなるんですか。浦島君とは本当にそういう関係じゃありませんから」

「そうなの?」

「そうなんです。この質問も知人から相談されただけなので、勘違いしないでください」

 これ以上、彼との関係を誤解されたくない。

 心苦しいが、そんなうそで予防線を張っておく。

「それで、男の子にそんなふうに迫られたら泉はどうしますか?」

「うーん……時と場合によるけど、基本的にはお断りするかな」

「まあ、普通はそうですよね」

 自分とおおむね同じ意見で安心する。

「ちなみに時と場合というのは、具体的にどんな状況ならOKなんですか?」

「えっ!? そ、それは、その……好きな人とそういう雰囲気になった時とか……ごにょごにょ……」

「泉って可愛かわいいですよね」

 顔を真っ赤にしてごにょごにょする友人が可愛すぎる。

 おっとりしていて、スタイルが良くて、体は大きいのに仕草は小動物みたいで。

 もしかしたら、三人の中でいちばん純情かもしれない。

「想像だけどね。迫られたその子も、相手のことを憎からず思ってるんじゃないかな」

「え?」

「悩んでるってことは、少なくとも嫌いなわけじゃないんだろうし」

「それは……」

 泉の言う通り、別にけいのことを嫌っているわけじゃない。

 最初はただの変態だと思っていたが、それは仕事に対して一生懸命なだけで、その言動に悪気がないことはわかっている。

 むしろ、下着の悩みを解決してくれたことには感謝すらしていた。

(モデルの仕事だって、興味がないわけじゃないですし……)

 本当にやりたくないならモヤモヤする必要なんかない。

 同時に、肌を見せるのが恥ずかしいのも本当の気持ちで──

(わたしは、どうしたらいいんだろう……)

 踏ん切りがつかない心は再び苦悩の迷宮へ。

 りんが戻ってくるまで、みおは延々と思考の迷路をさまよい続けたのである。



 その後、澪たちは最近できたばかりのショッピングモールに足を運んだ。

 漫画が好きな真凛に付き合って本屋をのぞいたり、いずみとペットショップの子猫に癒やされたり、三人でくたくたになるまでお店を見てまわった。

 友人たちと楽しい時間を過ごして、地元の駅に戻ってきたのが午後五時過ぎ。

「じゃあ、澪ちゃん。また学校でね」

「バイバイ、みおっち」

「はい、また学校で」

 家の方向が違うふたりと駅前で別れ、みおは帰路についた。

 休日だからか普段より人通りの多い街を歩き、バイト先の本屋を通り過ぎて、例のランジェリーショップの前で立ち止まる。

「そういえば、うらしま君の家ってこの辺でしたっけ……」

 モデルの話を断って以降、彼が話しかけてくることはなくなった。

 今は教室で顔を合わせてもお互い会釈する程度。

 約束をにした挙句、ひどいことも言ってしまったし、本気で怒らせてしまったのかもしれない。

「…………」

 飾られた下着から目をらし、なんとなく逃げるように歩を進める。

 そうして店が見えなくなるほど離れ、途中にある歩道橋を渡っていた時──

 澪の鼻先を、冷たいしずくかすかに打った。

「え……?」

 足を止めて顔を上げると、いつの間に雲が集まったのか、春の夕方とは思えないほど暗くなっていて──

 冷たい雫が再び、今度は無数の散弾となって地上に降り注いだ。

「うそっ、雨……っ!?」

 小降りだったのは最初の数秒で。

 あっという間に視界がにじむほどの土砂降りになる。

 突然の天候の変化に、傘の持ち合わせのない澪は慌てて歩道橋を渡りきり、見つけたビルの軒先に駆け込んだ。

「はぁ……助かりました……」

 幸い、一階の店舗は定休日のようだ。

 雨がやむまでしばし軒先を借りることにしよう。

 そんなことを考えながら乱れた髪を直し、視線を灰色の街に向ける。

「今日って雨の予報でしたっけ?」

 普段は欠かさずチェックするのに、最近はぼんやりしていたので確認し忘れていた。

 それにしても本当に酷い雨だ。

 なんとか雨宿りできたものの、一瞬で洋服がびしょれになってしまった。

「もう下着までぐっしょりですし──……ん? 下着?」

 その瞬間、澪の顔から血の気が引いた。

「あっ、やば……っ!?」

 今朝は天気が良かったから、薄手の白いブラウスを着ていたのだ。

 当然、水を含んだブラウスは盛大に透けてしまっていて、更に最悪なことに、今日の下着はワンコイン三人衆の中でも最もダサいベージュの綿100%ブラだった。

 とっさに自分の体を抱きしめたが、これでは胸元は隠せても背中やわきは隠せない。

 雨宿りしているうちはいいが、曇っているとはいえ外はまだ明るいし、駅周辺は通行人も多いため雨がやんでもこの状態では帰れない。

 タクシーを拾えるほどの持ち合わせは当然ないし。

 助けを呼ぼうにも父親は仕事で不在。弟は部活の練習試合だと言っていた。

 先ほど駅で別れた友人たちなら傘を持っているかもしれないが、ふたりにこの下着を見られるわけにはいかなかった。

「どうしよう……」

 目の前が真っ白になる。

 切羽詰まった状況に加え、寒さと不安で涙が出そうになる。

 うつむいたみおの視界の端に、男物のスニーカーが映り込んだのはそんな時だった。

「──あれ? みずさん?」

「え……?」

 聞き覚えのある声に顔を上げる。

 そこには雨の中、ビニール傘を差したけいの姿があった。

うらしま君……?」

 カジュアルなパンツにパーカー姿の同級生。

 そんな彼が、澪の姿を確認してめずらしく焦った様子を見せる。

「うわ、水野さんびしょれじゃん」

「あ、えっと……急に雨に降られてしまいまして……」

「ちょっと待ってて」

 そばにやってきた彼が傘をわきに置き、脱いだパーカーをかけようとしてくれるが、澪は胸元を隠したまま慌てて遠慮した。

「や、でも……浦島君の服が濡れちゃいますし……」

「そんなの気にしなくていいから。ほら」

「あ……」

 強引に彼がかけてくれたパーカーには当然ながら体温が残っていた。

 上着のおかげで、透けていた下着が隠れたことにほっとする。

「ありがとうございます。危うく残念な下着を誰かに見られるところでした」

「というか水野さん、俺があげた下着はどうしたの? 着替えもいまだに準備室でしてるみたいだし、一度も学校にしてきたことないよね?」

「それは……だって、ずるいじゃないですか」

「ずるい?」

「モデルを断っておいて、もらった下着を使うのはフェアじゃないですし……」

みずさんは真面目だね。そんなの気にしないでバンバン使えばいいのに」

 少し笑いながら言って、長袖のシャツ一枚になったけいが傘を拾い上げて振り返る。

「とにかく、そのままだと風邪引くし、うちのお風呂を貸すからいこう」

「え?」

「雨宿りしてたってことは、ここから家まで遠いんでしょ?」

「……まあ、少し」

 自宅のアパートまで徒歩だと三十分近くかかる。

 びしょれの状態で踏破するには厳しい距離だ。

「でもうらしま君、用事があったんじゃないですか?」

「コンビニにいくだけだったから問題ないよ。──ほら、こっち。傘に入って」

「じゃあ…………お邪魔します……」

 相合い傘が恥ずかしいなんて言っていられる状況じゃない。

 素直に傘に入れてもらったみおは、雨の中を歩いて彼のマンションに向かった。

 二度目の来訪だったが、またもご家族は不在のようで──

「今は誰もいないから気兼ねしなくていいよ」

 そう言って脱衣所に連れていかれ、浴室に入っていった恵太がなにやらパネルを操作して戻ってくる。

「お湯、すぐにまると思うからごゆっくりどうぞ」

「はい、ありがとうございます」

「着替えはあとでさきちゃん──妹のお古を持ってくるから」

「浦島君、妹がいるんですね」

「ああ、姉もいるよ。といっても、正確にはふたりともいとこなんだけどね。いろいろあって三人で暮らしてるんだ」

「そうなんですか……」

 三人暮らしということは、それぞれの両親は単身赴任とかだろうか。

 澪の家に事情があるように、浦島家にもいろいろと事情があるようだ。

「新作のサンプルでよければ下着も貸せるけど、どうする?」

「下着……」

「ノーパンで帰りたいならそれでもいいけどね」

「う……」

 ワンコインパンツの担い手といえども、澪だって年頃の女の子である。

 さすがにノーパンで出歩くガッツは持ち合わせていなかった。

「お、お借りします……」

「了解。できたばかりのスペシャルなやつをお持ちいたしますよ」

「…………」

 おどけるように言ったけいをジト目でにらむ。

「……うらしま君って、意外とSっ気があるんですね」

 彼が出ていく間際、せめてもの意趣返しにそんな台詞ぜりふを吐いて、ひとりになったみおはびしょれの服を脱ぎ始めたのだった。

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