第一幕 乙女の潜入②



「──ここじゃないか?」

 かおるの声と車が止まる振動しんどうで、はっとわれに返った。

 道路から林の中へ脇道がびている。木の板にすみで【黒鳥館こくちょうかん】と書かれた案内板がひっそりと立っているのを見て、緊張きんちょうがこみあげた。

「ちょっと待ってろ。屋敷やしきの前まで送ってやる」

「あっ、いいの! すぐそこみたいだから歩いていくわ」

 車をバックさせようとする馨を有紗ありさあわてて止めた。

 もし何かの拍子ひょうし烏丸からすまていの人に挨拶あいさるでもされたら一発でうそがばれてしまう。それはまずい。この優しい叔父おじは、おのれの兄たちのたくらみを知らないのだ。

「そうか? 遠慮えんりょしなくていいのになぁ」

 名残なごりしげに馨は見つめてきたが、気を取り直したのか「じゃあ荷物おろすぞ」とドアを開けて外へ出た。

 有紗も続いてドアを開ける。すような冷気が身体からだを包んだ。思わず襟巻えりまきの中に首をすぼめる。

「わあ、寒い」

「うん。冷えるな。はしゃぎすぎて風邪かぜ引くなよ」

「わかってます。子どもじゃないんだから」

「子どもだよ、俺にとっては。──ほら」

 小さな旅行りょこうかばんを渡され、有紗は礼を言って受け取った。これからはこの鞄だけが自分の味方だ。そんなふうに考えて、ぎゅっとむねきしめる。

「あとな、これも持っていけ」

「えっ? なあに?」

 ごそごそと馨が引っ張り出したのは大きな化粧けしょう箱だった。得意げに彼が開けたふたの中身を見て、有紗は驚きのあまりほおめた。

 あわい緑の、光沢こうたくのある布地。襟元にリボンがあしらってある。夜会用のドレスだ。

綺麗きれい……!」

「お嬢様じょうさま方が集まるなら、夜は晩餐会ばんさんかいとかあるだろうからな。おまえに似合うのを探すの大変だったんだぞー?」

 驚きように満足したのか、悪戯いたずらっぽく頭をなでられる。

 思いがけないおくり物に感激して有紗は馨に抱きついた。

素敵すてき! およめさんになってあげる!」

「ハッハッハ! それは無理だ! 俺は叔父おじでおまえはめいだから!」

「ええ、わかってる!」

 抱き上げてくるくると勢いのまま何度か回ると、馨はようやく有紗を地面に下ろした。

「楽しんでこいよ」

 笑顔で見つめてきた叔父の優しいまなざしに、一瞬いっしゅん胸がまる。つい何もかも打ち明けたくなったが、なんとかこらえ、こちらも笑みを返した。

「ありがとう。叔父さま」

 こうして見守ってくれる人がいるから頑張がんばれる。きっと大丈夫だいじょうぶだ。そう自分に言い聞かせた。

 馨に別れを告げると、有紗は別荘べっそうに続く道を歩き出した。

 背後でしばらく自動車のエンジンの音がしていたが、やがて遠ざかっていった。叔父に秘密がばれなかったことにほっとして、黙々もくもくと歩く。み上げぐつの裏が雪をんできしきし鳴った。

 林に囲まれているせいか、雪が解けずに残っている。いくつもわだちが走っているのを見ると、うたげの客を乗せた自動車が何台も通ったのだろう。

(……烏丸からすま侯爵こうしゃくって、本当に怖い方なのかしら)

 冬期休暇きゅうかに入る前に、烏丸侯爵については自分なりに調べた。その結果、耳に入ってきたのはおどろおどろしい話ばかりだった。

『烏丸家といえば、京都の陰陽道おんみょうどうの流れをくむ家柄いえがらなのですって。今でも式神がお屋敷中にいるそうよ』

『式神を使って婦女子をさらっているって聞いたことがありますわ。すごく色好みの方みたい』

『そうそう。烏丸ていに入ったはずの少女がいつになっても出てこなくて……そのまま行方ゆくえ知れずになったとか』

『西洋のお伽噺とぎばなしにあるでしょう。あれになぞらえて、〝青髭あおひげ〟と呼ばれているそうですわ。怖いですわよねえ』

 口々に噂話うわさばなしを教えてくれた級友たちを思い出し、思わずぶるっとふるえる。

(そんな怖い方の弱みなんて、どうやってさぐったらいいの……!?)

 林が途切とぎれ、視界が開けた。

 目の前に、どっしりとした煉瓦れんが造りの門がある。【黒鳥館】とられたその向こうに、黒々とした影がそびえていた。

 黒くられた壁と灰色の石でたくみにきずかれたやかた。均等に造られた窓は菱形ひしがたをしており、美しくも奇妙きみょう印象いんしょうを感じさせる。三階建てのようだが、いやに大きく見えた。

 鉛色なまりいろの空の下、どことなく陰気いんき雰囲気ふんいきがただよう館を、有紗はごくりとのどを鳴らして見上げた。

(お屋敷からして早くも怖い……っ!)

 屋根に留まったからすたちがガアガアと鳴くのも不気味で、つい回れ右しそうになる。

『姉さん、本当に友達の別荘に行くの? 何かあったんじゃないの?』

 ふと、出かけぎわに心配そうにたずねてきた弟の玲弥れいやの顔が脳裏のうりに浮かんだ。

 いつもと様子が違うのを敏感びんかんに察したのかもしれなかった。家族にも同じように噓をついて出てきたのだ。

 ここでげ帰ったら、噓をついてまで来た意味がなくなってしまう。

(玲ちゃん、ごめんね。お正月を一緒に過ごせなくて、わたしもさびしいわ。でも待っててね。お姉ちゃまが必ず玲ちゃんを学校に行かせてあげるから!)

 心の中で弟にちかうと、えいっと気合いを入れて有紗は黒鳥館へと足を踏み入れた。


◆◆◆


 使用人のお仕着せは洋装だった。ここでは女中ではなくメイドと呼ばれるらしい。

 襟と袖口そでぐちだけが白い丈長たけながの黒のワンピースと、仕事中はその上に白い前掛まえかけをつけるのが決まりだ。

 すんなりと潜入せんにゅうに成功した有紗は、メイドとして雑務にいそしんでいた。

 この黒鳥館には今、年末年始を過ごすためおとずれた烏丸家の当主と、招かれた客人たちが滞在たいざいしている。彼らの世話をするのが仕事だ。同じようにやとわれた同世代のむすめたちもいて、その点では心細い思いをすることはなかった。

(問題は、どうやって烏丸侯爵の秘密にせまるかということだけど……)

 メイドという立場上、当主のそば近くに寄る機会はほぼないといってよかった。潜入して三日目、そろそろ動き出したいところなのだが、いまだに当主の顔すらわからない状況じょうきょうだ。

 洗濯物せんたくものの処理が終わったついでに、なんとなく当主の部屋があるらしき二階のほうをうかがっていると、にぎやかな声が飛んできた。

「あっ、ねえ、手空いてる? 雪かきしてるんだけど手伝ってくれない?」

 外套がいとうを着込んだ若い娘が玄関げんかんからホールに入ってくる。

 メイド仲間のミツだ。一足先に屋敷に雇われたという彼女は、有紗よりもいくつか年上の、話し好きな人だった。

「えっと。あんた、名前なんて言ったっけね。ごめんね、あたし忘れっぽくって」

 けらけらと笑う彼女に、有紗も笑顔で応じた。

「新入りの市川いちかわ有紗子ありさこです」

「あさこ? ああ、思い出した! 吉原よしわら様のごえんで雇われたとか言ってたね。可愛かわいい名前だよねえ」

 けたたましく手をたたくミツに、有紗は笑顔のまま、うんうんとうなずく。

 潜入する手筈てはず伯父おじたちが整えてくれていたが、もちろん六条家の名は出せないし、本名も名乗るわけにはいかない。堂々と偽名ぎめいを使って別人になりきっていた。

「そういえば、今なに見てたの? 面白おもしろいものでもあった?」

 不思議そうに言われ、どきりとする。二階をうかがっていたのを見られていたらしい。

「いえ……、当主さまは全然お部屋から出ていらっしゃらないみたいですけど、閉じこもって何をなさってるのかしらと思って」

 下手へたにごまかすとかえってあやしまれそうだと判断し、世間話のように答えると、ミツは納得したように大きくうなずいた。

「ほんと、変わった御方おかただよね。こんな田舎いなかでわざわざ正月を過ごそうっていうんだから何か目的があるのかと思えば、引きこもって気配すらないんだから。まあ、お客様がまだそろってないからかもしれないけど」

「雪で到着とうちゃくが遅れていらっしゃるみたいですね」

「そりゃこうなるってもんだよねえ。招待するんなら帝都ていとのお屋敷にまねけばいいのに。お客様たちもいい迷惑めいわくだろうね。早くに着いたお客様たちもひまを持て余してらっしゃるしさ」

「そうですねえ」

 笑って相づちを打ちながら、有紗はふと違和感いわかんを覚えた。

(確かにそうだわ。わざわざ帝都から離れたところにお客人を集めるのは、何か特別な理由があるんじゃないかしら)

 一帯には多くの別荘があり、こんな雪の季節にも訪れている政財界人はいるらしい。馨の取材先もそうだ。しかし烏丸侯爵は変わり者で知られた人物だったはずである。帝都ならともかく、こんなひなびた場所に呼ばれて律儀りちぎにやってくるような付き合いの客がそんなにいるのだろうか?

「ミツさんは、もう当主さまにお会いになったんですか?」

 さりげなく探りをいれると、彼女は顔をしかめて首を振った。

「ううん。だって部屋から出てこないんだもん」

「どんな御方なんでしょうね。わたし、怖い噂を聞いたことがあるんですけど……」

「あ、あたしも聞いた! あやしの術を使うとか、財産を食いつぶす勢いで宝石を買い集めてるとかいうやつでしょ? なんでもその術のために宝石が必要とかで、すごい執念しゅうねんらしいじゃない。綺麗な指輪や耳飾りをしてた令嬢がさらわれて殺されたって話だよ」

 ひっ、と有紗は固まった。

(ま、ますます怖いんですけど……っ!)

 当主の人となりを探るつもりが、余計におそろしい人物だというのがわかっただけだった。そんな人の弱みなんて、本当ににぎることができるのだろうか。

「──ああ、そこのメイドさん」

 ふいに男の声が降ってきて、震えていた有紗は我に返ってそちらを見た。

 玄関ホールから二階へ延びる階段の踊り場に、若い男が立っている。

 濃いグレイの三揃みつぞろいに包んだ長身の体軀たいく、すっきりとでつけたかみ、彫りの深い整った顔立ち。どことなく外国の俳優を思わせる雰囲気があった。

 彼は階段を下りてくると、気さくな様子で話しかけてきた。

「部屋まで珈琲コーヒーを持ってきてくれますか。じゃあ──君にお願いしましょう」

 二人のメイドを交互こうごに見て、有紗ににっこりと笑いかける。外套を着たままのミツは屋外で仕事中だと判断したらしい。

「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」

 さっとメイドの顔に戻り、有紗はうやうやしく答える。ミツも丁寧ていねいに一礼し、こちらに目配めくばせしてから出ていった。雪かきは後でいいよ、ということらしい。

「新しく雇われたメイドさんかな。四年前にはいませんでしたね」

 呼び止められ、厨房ちゅうぼうへ行こうとしていた有紗は振り向いた。

「はい。三日前からおつとめしています」

「三日前か。だったら当然何も知らないでしょうね」

 楽しげに笑った彼を怪訝けげんな思いで見つめる。一人でうろうろしている彼のことはこれまでに何度か見かけたことがあった。この館へ来た時に、当然だが客人たちの名前などは教え込まれている。

(この方は確か、伏見ふしみさま……だったわね。銀行の御曹司おんぞうしだそうだけど……)

 烏丸家とどんな関係の人なのだろう。思わせぶりな言葉も気になってつい見つめてしまうと、なぜか彼のほうもじっと見つめ返してきた。

「ちなみに──君はどういった経緯けいいでこちらにお勤めを?」

 まさか客人である彼から突っ込んだことをかれるとは予想外で、有紗はどぎまぎしながら言葉を探す。

「え……と、吉原男爵だんしゃくさまのご紹介しょうかいでまいりました。お正月の宴のためにメイドを募集しているとのことでしたので」

「ふむ、吉原男爵のね」

「……あの、何か……?」

 もしかして素姓すじょうをあやしまれているのかと緊張したが、見つめていた伏見はそこで我に返ったように笑顔になった。

「ああ、失礼しました。四年前の使用人が集められているようなので、新入りさんがめずらしくてね。ちょっと興味があったもので」

 照れ笑いもさまになっている。有紗は不思議に思って彼を見上げた。先ほどから何度かその単語が出てくるが、なんなのだろう?

「四年前とおっしゃいますと……?」

「四年前にも同じ時期に宴が開かれたんですよ。この館で」

 メイドの出過ぎた態度を不快にとった様子もなく、彼はあっさりと教えてくれた。

「毎年恒例こうれいの行事のようなものでしょうか」

「いや……、あの時以来ですね。同じ面々が集まるのは」

「ご友人様方のお集まりなのですか?」

「ふふ。そんな楽しい会合ではないですよ。言うなれば……」

 気障きざともいえる仕草でかたをすくめた伏見が、内緒話ないしょばなしをするように顔を寄せてくる。ふわりと、香水のいい匂いがした。

「秘密の共有者たちの反省会──というところです」

(……秘密?)

 急に接近されて面食めんくらいながらも、有紗は驚いて見つめ返した。

〝共有者〟の中には烏丸侯爵も当然含まれるのだろう。その秘密というのが何かのかぎになるかもしれない。

 驚きに気づいたのか、彼は意外そうな顔になった。

「その様子じゃ本当に知らないんですね。あの話、だれにも聞いていませんか?」

「……? あの、何かあったのでしょうか? わたし、このあたりに来たのは初めてで」

 伏見は傍の大きく開いた窓へと目を向けた。玄関前のポーチとそれに続く庭が見えている。

「四年前──ちょうどこんなふうに雪の積もった日でした。招待客の令嬢が忽然こつぜんと消えて、行方ゆくえが知れなくなったという事件があったんですよ」

「消えた……?」

 そう、と伏見が深刻な顔でうなずく。

吹雪ふぶきの夜で、とても自分から出ていったとは考えられなかった。神隠かみかくしのような、不可思議な事件でね。身分違いの恋人との交際を反対されての覚悟かくごの家出だの、この屋敷のどこかで心中をはかって発見されずにいるだの、招待客の誰かに殺されただの様々な憶測おくそくが飛びましたが──真相はわからないままです」

 有紗は息をんだ。

 不気味な館に、不気味な噂のまとわりついた当主。怖い怖いとは思っていたけれど、まさか現実にそんな事件が起きていたなんて。

「じゃあ、その方は今でも……?」

「ええ、見つかっていません。四年経ってもね」

 そこで伏見は、ふっと表情をゆるめた。

「おや、怖がらせてしまったかな。退屈たいくつだったもので、つい口がすべってしまいました。申し訳ない」

「あ──いいえ!」

「そうですか? それならよかった。では、珈琲をお願いしますね」

 また話し相手になってください、とにこやかに笑って、彼は階段を上っていった。

 彼が階上に消えるまで頭を下げて見送ると、有紗は急いで厨房に向かった。

(間違いないわ。その失踪しっそう事件こそ、烏丸家の秘密なんだわ!)

 屋敷に入ったはずの少女が出てこなかったという、級友から聞いた噂話とも符合ふごうする。それにミツの話では、当主はあやしの術を使うらしいと言っていた。もしそれが本当なら、令嬢を神隠しのように消してしまうこともできるかもしれない。

(ひょっとして、その令嬢も烏丸侯爵の秘密を知ってしまったのかも。それで口封くちふうじされてしまった……? ううん、もしかしたら──)

 有紗は足を止め、ごくりとのどを鳴らして振り返った。

 消えた令嬢は、まだこの館のどこかに閉じこめられているのかもしれない──。

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