第一幕 乙女の潜入③


◆◆◆


 夜中を待って、有紗ありさはそっと起き出した。

 屋根裏の使用人部屋にも、ホールの大時計のかねはかすかに聞こえる。先ほど鳴ったのは午前二時の鐘だった。さすがに館中やかたじゅうが寝静まっている時間だ。

 マッチをって蠟燭ろうそくあかりをつけ、メイド服のポケットから取り出した紙を広げる。伏見ふしみから話を聞いた後、出来る限りの時間と知恵を捻出ねんしゅつして書き出した館の見取り図だ。

(閉じこめておくとしたら、人目につかないのが必須ひっす条件だわ。となるとたぶん二階ではなさそう……お客様方がおまりだものね。一階にはそれらしき場所はなかったし、やっぱりあやしいのは三階かしら。でも離れの建物も捨てきれない……)

 一階は食堂やサロン、ホールといった客用の場所と、厨房ちゅうぼう洗濯室せんたくしつなどの使用人の領域とに分かれている。二階は客室とあるじの部屋。三階は未使用で、資料室という名の物置になっているようだ。

 難しい顔で見取り図としばしにらめっこしていたが、息をつくと、それをたたんでしまいこんだ。

(時間はあるんだもの。今夜から一つずつさがしてみるしかないわ)

 消えた令嬢れいじょうが今も生きているのか、それともすでくなっているのかはわからない。どちらにしろ烏丸からすま家がかくしているのだとしたら捜すという行為には危険がつきまとうだろうし、夜中に一人で探索たんさくするというのも単純に怖いと感じる。

 だがここまできたらやるしかないのだ。何かつかんで帰らなければ、伯父おじたちに報酬ほうしゅうを請求できないのだから。

(それに、その令嬢がお気のどくだし……。何より、そんなおそろしいことをやっている烏丸侯爵こうしゃくとがめられないなんて許せないもの!)

「悪はばっせられるべきだわ!」

 叔父おじゆずりの正義の記者だましいに突き動かされ、気合いをいれて身支度みじたくする。鉄のかたまりを入れて補強したみ上げぐつも、家から持ってきた各種薬包も万全だ。もし悪の侯爵と鉢合はちあわせした時にはこれらで応戦しなければならない。

(さあ、それじゃそろそろ──)

 いざ探索に、ととびらを開けようとした時だった。

 どこか──そう遠くないところで物音がしたのが聞こえた。有紗ははっとして息を殺し、耳をませた。

 屋根裏にあるのは使用人の部屋と物置くらいだ。メイドのだれかが不浄ふじょうにでも行ったのだろうかと思ったが、何か引っかかるものを感じた。

(逆側の階段を下りてる……?)

 屋根裏につながる階段は二つある。両端にあるため、メイドたちは目的によって階段を使い分けていた。不浄や風呂に行くには東側を、まっすぐ仕事に向かうには客室に近い西側を、というように。

 けれども今の足音は西側に下りていった。そちらからも不浄には行けるがだいぶ遠回りになる。こんな夜中にわざわざ選ぶとは思えない。

(なんだか匂うわね)

 自分以外に活動している者がいることに興味を引かれ、有紗は静かに部屋を出た。

 きしまないよう細心の注意を払って階段を下り、あたりをうかがう。三階の廊下ろうかの先に人影があるのを見つけ、足音を殺して尾行びこうした。

 見失わずに済んだのは、その人影があかりを持っていたからだった。遠いので誰なのかまではわからないが、人目を気にした様子ながらも迷いのない足取りで進んでいく。明確な目的地があるようだ。

 廊下の奥にある扉の前で人影は立ち止まった。開けようとしているのか、カチャカチャという金属音が闇をぬってひびいてくる。

かぎがかかっているから入れないのに。何が目的なのかしら?)

 三階があやしいと感じた時点でとうに有紗も確認済みだ。ただ、あの扉の向こうに何があるのかまではわからない。

(まさか、わたしと同じで消えた令嬢を捜しているわけがないし……)

 ──カチン、と小さな音がした。

 人影が扉を開けて中へ入っていくのに気づき、有紗は思わず口を押さえた。

(鍵をこじ開けた!)

 もともと鍵を持っていたとは思えない。それなら最初から使っていただろう。

 注意深く近づき、扉の向こうをうかがう。気配がないのを確認してから扉の向こうにすべりこんでみると、短い廊下があり、また扉があった。簡単に出入りできないよう二重扉にしてあるのだ。そして、二つ目の扉も鍵がこじ開けられていた。

(もしかして、この人……)

 意を決し、扉の隙間すきまからこっそり侵入しんにゅうする。中は暗かったが、目が慣れてくると、背の高い棚がいくつも並んでいるのがわかった。

 近くの棚に置かれた大きなきりの箱を見て、有紗は確信を深めた。きざまれた文字は高級磁器の産地を表している。六条ろくじょう屋敷やしきでも同じものを見たことがあるから間違いない。

 おそらく他の棚にも同様のものが収められているのだろう。ここは館の宝物庫なのだ。

 そんな場所に夜中にしのび込む者といえば他に心当たりがなかった。

(やっぱり、泥棒どろぼう!?)

 部屋の奥から物音がしている。お宝を物色しているのだろうか。後をつけられたとは思っていないようで、こちらに気づいた様子はない。

 ほのかな灯りの中で影が動くのを、有紗はうろたえながら棚のかげからうかがう。

(どうしよう!? 薬で眠らせてつかまえられるかしら? でも失敗したらげられちゃう。まずはなわを用意するべき? けど、縄を取りにいった隙に逃げてしまうかも……。だったら誰か呼びに……ああっ、だめ! それだとわたしがここにいる理由に説明がつかない! でもでも、みすみすお宝をぬすませるわけには──)

「何をしている」

 突然声がして、心臓しんぞうが止まりそうになった。

 背後に誰かいることにまったく気づいていなかった。血の気が引くのを感じながら有紗は振り返った。

 やみの中から、すっと長身の影が現れる。

 ランプの灯りに照らし出されたのは、若い男の顔だった。

 鼻筋が高く、作り物のように整った容貌ようぼうの──ひどく冷たい目をした青年が、じっとこちらを見ている。

「何をしているのかといている」

 声も氷のように冷たかった。その冷ややかさにも動揺どうようして、有紗はからからののどから声をしぼり出す。

「ち……違うんです。わたし、あの……尾行してて──」

「動くな」

 きびしい声とともに青年がまっすぐ腕をかかげる。その手ににぎられているものがピストルだと気づき、身体からだこおりついた。

 そんなものを向けられたのは当然ながら生まれて初めてだ。このままでは誤解ごかいされてたれてしまうかもしれない。なのに恐ろしくて言葉が出てこなかった。

 青年がわずかにまゆをひそめる。

「動くなと言ったのが聞こえなかったか?」

「ひっ! う、動いてませんっっ!」

 動きたくても動けないのにと、必死に言い返した時だった。

「──そんなに怖い顔しないでよぉ。この子が可哀相かわいそうでしょ」

 すぐそばで女の笑い声がして、有紗は思わず目を見開く。

 まさかと思いながら見ると、そこにいたのはよく知った人物だった。

「ミツさん!」

 黒のワンピース姿のミツが、みを浮かべて青年を見ていた。

 青年のほうも彼女を見据みすえている。先ほどの動くなという命令は彼女に向けたものだったらしい。

「ごきげんよう、烏丸の旦那様だんなさま。取引の指定日まであと一日あるはずだけど、ここで会ったのも何かのごえんかねえ」

 一瞬いっしゅん耳を疑い、有紗はまたしても目をむいた。

(烏丸の……旦那様!?)

 では、この青年が烏丸家の当主なのか? あの悪名高あくみょうだかき烏丸侯爵? 確かにいきなり拳銃を突きつけるような物騒ぶっそうな人物のようだが──。

 あんぐりと口を開けて固まる有紗をよそに、二人の間には剣吞けんのんな空気がただよっていた。

「取引の前に一仕事というわけか。盗人ぬすっと仲介ちゅうかいを頼むとは、まったく正気を疑う」

「盗人だなんて、ひどいんじゃない。お宝探索家と呼んでよ。あちらの旦那のこともそんなふうに言っちゃ気の毒だよ」

双方そうほうだまして逃げるつもりだったな」

「あらいやだ。仕事はちゃんとするったら。そんなに怒らなくてもいいでしょ? ここにあるお宝、どうせ烏丸家のものじゃないんだし。眠らせとくくらいなら少しゆずってちょうだいよ」

 ふざけたように言いながらも、銃口を向けられていることにあせりはあるようだ。ミツの視線がちらちらと扉をうかがっている。逃げ出す隙を探しているのだ。

 しかし青年の構えに隙は微塵みじんもなかった。

「指輪を渡せ」

「ふふ。どうしようかねえ」

 もったいつけるように笑い、ミツがふところから何か取り出す。

 小さな布袋だった。見せつけるようにして中から取りだした指輪におどけた仕草でくちびるを寄せるのを、青年は苛立いらだったふうでもなく、じっと見ている。

「……そこの君」

 口調くちょうの変化に気づき、呆然ぼうぜんとしていた有紗ははじかれたように彼を見た。

「わ、わたしのことでしょうかっ」

「そう、君だ」

「ななななんでございましょうっ?」

「すぐに出ていってくれ」

 一瞥いちべつもくれることなく青年は言った。あくまで用があるのはミツであり、有紗にはまったく興味がないようだった。

(ええ、言われずとも!)

 ますます物騒ぶっそうな事態になりそうだ。頼まれなくても居座るつもりはない。

 しかし退散しようと後ずさりかけた瞬間、すばやく首に腕が回された。ピッと空気をいて喉元に太い針のようなものが突きつけられる。

「ひぇッ」

「残念ねえ。悪いんだけど、もうちょっと付き合ってくれる?」

 悪びれない調子で笑うと、ミツは青年に目をやった。

「さあて。さすがの旦那も、罪もないメイドを見殺しにはしないでしょ? あたしだってそんなことしたくないし。ちょーっといいものをくれたら、それを持って大人おとなしく帰るよ。二度と目の前に現れない。どう?」

 逃げ出すための人質ひとじちにするつもりらしい。青年が無表情のまま黙っているので有紗は戦慄せんりつした。あっけなく見殺しにされるのでは、という予感がよぎる。

(じ、自分でなんとかしないと! なんとか……落ち着いて考えるのよ!)

 二人の会話から推察すると、双方は何かの取引をしようとしていたようだ。それにはミツが持っている指輪が関係しているらしい。青年が指輪を手に入れたがっているのは明らかだった。けれどミツが裏切ったのかなんなのか、取引がうまく行かなくなってしまっている──というところか。

(あの指輪が鍵なんだわ。ここで当主さまにおんを売っておけば、それをもとに近づくこともできるんじゃないかしら。調査もしやすくなるかも……!)

 すばやく計算し、有紗はそっと視線を動かす。

 自分をらえている腕と、握られた太い針、ミツのもう一方の手にある指輪。

 彼女の意識は青年のほうに向いている。人質の少女に反撃はんげきされるとは夢にも思っていないだろう。

かおる叔父さま直伝じきでん──悪漢あっかんおそわれた時の対処法、その一!)

 頃合いを計り、太い針を握った指を両手でつかんだ。関節かんせつとは逆側へと思い切りげてやる。ギャッと悲鳴があがり、拘束こうそくしていた腕がゆるんだ。

(今だわ!)

 指輪を持った手に有紗が飛びかかるのと、青年がはっとしてさけんだのは同時だった。

せ!」

「この……ッ、小娘こむすめ!」

 逆上したミツにかみをわしづかみにされる。涙が出るほど痛かったが、むしゃぶりついたまま離さなかった。そのままみ合いながら床に倒れ込む。

「離せって言ってるんだよッ」

「嫌っ! そっちが離して!」

 指輪が自分のてのひらに転がり込んできたのを感じた。すかさずこぶいを作り、指に絡めるように握りしめる。

(やったわ! これで烏丸侯爵に恩を売れる──)

 すぽっ、と指輪が指にはまった。

「……えっ?」

 途端とたん身体からだから一気に力が抜けた。

 意識が薄れていく。ミツの罵倒ばとうする声が遠くなっていく。

(何、これ……)

 たまらず床にくずおれ、視界がぐるりと回った。

 激しい物音と怒号が飛びい──、

 青年がこちらをのぞきこんでくる。

 それまで表情を見せなかったのに、なぜだか今は驚いたような顔をしていた。

「なぜ……君がここに──」

 上ずった声が耳をかすめたのを最後に、あたりは真っ暗になった。

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