二章 常夜桜①

 がいつも使っているしんじよは貴族のひめぎみの寝所とは言いがたい程にまつなものだ。古いたたみの上で、余った布で仕立てたぎだらけのころもかぶってているはずなのに、何だか今日はいつもと違って、温かな心地がする──そんなことを思いながら、まぶたを開いた。

「……え?」

 とつぜん、眩しさを感じた沙夜は何度かまばたきをする。いつの間にねむってしまったのだろう。

 沙夜がじろぎすると、すぐそばで何かが動いた気配がした。

「──ん? ……ああ、良かった! 目が覚めたのか……!」

 あんする声がひびき、自分をのぞき込んでくる顔を見て、沙夜の頭は急にかくせいする。

「っ……! く、おん様……?」

 きらきらと星がかがやいているように、喜びに満ちたひとみを玖遠は向けてくる。

 しかし、昨夜のことを思い出し、ずかしくなった沙夜は手元の布を引き上げ、顔を半分隠した。そこで沙夜は羽織がけられていることに気付く。

「昨日は本当にすまないっ……。沙夜が俺の手を取ってくれたことがあまりにもうれしくて、人間が妖力にれると不調を起こすことを失念していたんだ……」

 玖遠は両手をぱんっと合わせて、頭を下げてくる。

「い、いえ……。今は特に不調を感じませんし……」

 むしろ、久々にゆっくりとじゆくすい出来たくらいだ。沙夜が身体からだを起こそうとすれば、玖遠がすぐに手を伸ばして、背中を支えてくれた。

「あ……ありがとうございます……」

 こんな風に何気ないことで気遣われるのは初めてで、どうしていいか分からない。

「……ええっと、あの……。ここは……一体、どこなのでしょうか」

「俺が管理しているしきだよ。正確に言えば、都の貴族が山奥に建てたべつそうを長年放置しているから、勝手にとして使っているだけだけれどね」

 沙夜は周囲をぐるりと見回した。室内は沙夜が住んでいた小さな屋敷の造りと似ているが、所々は古くても全体的にこちらの方が明るく感じた。

「そして、今日から君が住む場所だ。ちなみにこの部屋は俺と君の寝所だから」

「寝所……」

 だが、沙夜はふと思い出した。

「あ、あの……。もしかして……私が寝ている間、ずっと……お傍に……?」

「もちろん、付きっ切りで沙夜を見守っていたに決まっているだろう? 俺のせいで君は不調を起こしたんだから。……それにもう、ふうになったんだ。君の夫として責任を持ってめんどうを見ていたから、安心して欲しい」

 何と返事をすればいいのか分からず、沙夜が困惑していると、彼は楽しげな口調で言葉を続けた。

「沙夜は寝顔も可愛かわいいね。……ああ、今夜からは毎日、君の寝顔を見られるのか。夫の特権というやつだね」

 ほがらかに笑う玖遠の予想外の返答に、沙夜は目を白黒させる。やがて、言葉の意味を理解したしゆんかん、身体の内側から熱が一瞬でき上がった。人に寝顔を見られるなんて、幼いころに寝かしつけられて以来初めてだ。しかも、見られた相手が玖遠だと意識するだけで、心が乱れてしまう理由が自分でも分からなかった。

 かべしで会話をしていた時よりも、玖遠の声が明るい気がする。今までとは少し違う気がして、沙夜がまどっている時だった。

「はいっ、そこまでですよ、玖遠様! あさの時間です!」

 少女の声が響き、だれだろうと思った沙夜は羽織を少しだけずらした。

 部屋の入り口に立っていたのは、夏虫色の衣を纏っている少女だった。ただし、つうの少女と違って、ふわふわとした白花色のかみの真上に白いけものの耳がぴょんっと立っている。

 丸くて大きなやまぶきいろの瞳を沙夜へと向けると、彼女は明るいみを浮かべた。

「おはようございます、沙夜様っ」

「おはよう、ございます……」

「ご気分はいかがでしょうか? 朝餉は入りそうですか? 沙夜様は人間とのことですので、食べやすいようにと山菜のしるものをお持ちしました」

 少女は沙夜の傍まで寄るとその場に座り、両手で持っていたしきゆかの上へと置いた。

 折敷の上には、山菜の種類は分からないが美味おいしそうなにおいがしてくる汁物が入ったわんせられている。

「気分は……悪くはありませんが、ええっと……」

 迷うような視線を玖遠へと向ければ、彼は小さく苦笑しつつ、少女を手で示した。

「彼女はしらゆき。俺と同じようだよ。今は人間にへんしている状態だけれど……まぁ、うん、色々と妖術を練習中の身だ」

「えっ、もしかして耳が出ています?」

「さっきから、ぴょこぴょこ動いているぞ。あと、しつも出たままだ」

「ひゃぁっ、お恥ずかしい……。上手く人間の姿に変化出来たと思ったのに……」

 白雪はほおを赤く染めて、動いている耳を自身の手で押さえた。見た目は十二歳ほどに見えるが、仕草と表情が何だか可愛らしい子だと沙夜はひそかに思った。

「沙夜さえ良ければ、白雪を君の付き人にしようと思っているんだ」

「付き人、ですか?」

「君にとって、ここは知らない場所だ。そんな中で生活するとなれば、何かと不便なこともあるだろう。本当ならば俺が朝から晩までずっと傍にいて、世話をしたいけれど、『頭領』としての仕事もあるからね……」

 残念だと言わんばかりに玖遠は小さなためいきいた。

「俺の配下のあやかし達には君をめとったことはすでに伝えてあるけれど、人間をよく思っている妖は少ないからね。その点、白雪は人間に好意的だし、沙夜とも気が合うと思うんだ」

 しようかいを受けた白雪はにぱっと笑顔を見せ、よろしくお願いしますと頭を下げてきた。

「玖遠様のおよめさんならば、私にとっても大事な方に変わりはないですからね! しっかりとお仕えいたします。……あ、冷めないうちに朝餉をどうぞ! 味は保証しますよ。何せ、しっかりと味見してきたので!」

 朝餉をすすめられた沙夜は軽く頭を下げてから、両手でゆっくりと椀を取った。

「そういえば、玖遠様。くもさんが呼んでいましたよ。ほかの頭領から便りが届いているので、急いでかくにんしてもらいたいって」

「くっ……。後回しにしたら、八雲の小言が増えるんだよな……。……白雪、沙夜をたのんだよ」

「はい、お任せ下さい!」

 面倒くさそうな顔で彼は立ち上がり、すぐにもどるからと言って、部屋から出て行った。

「ふふっ、玖遠様がいつもよりごげんなのは、きっと沙夜様がいるからでしょうね。……あっ、おしやべりばかりですみません! 冷めないうちに朝餉をどうぞし上がって下さい」

 彼女の言葉におどろいたが、何故なぜ沙夜がいるだけで玖遠の機嫌が良いのか、その理由までは分からなかった。

 白雪に勧められて沙夜は汁物を口にふくんだ。うすあじだが実家で出されていた汁物とはちがって温かく、身体にゆっくりとやさしい味がみていく気がした。

「温かくて、美味しい、です……」

 沙夜のつぶやきに対し、白雪は安堵の笑みをかべた。

 もくもくと食事をしている沙夜を白雪がにこにことながめてくるため、少し食べづらかった。やがて食べ終わった沙夜は、久々におなかふくれる食事をれたことに、ほっと息を吐く。

「……ええと、白雪、さん……?」

「呼び捨てで結構ですよ! 敬語もいりません。私は沙夜様にお仕えする身なので」

「……白雪がこの汁物を作ったの? とても美味しかったわ。ごちそうさまでした」

「ご満足頂けて、良かったです! 作ったのは料理を担当している別の妖なので、そのようにお伝えしておきますね」

 すると白雪は身体をらし始め、まん出来なかったと言わんばかりに、ずいっと沙夜へときよめてくる。突然だったので、少しけ反るように驚いてしまった。

「沙夜様、沙夜様っ。お聞きしてもいいですか?」

 ぴょこぴょこと動いている彼女の白い耳が気になりつつも、うなずき返した。

「人間が食べる『お』には、油でげるものや、氷に甘いしるをかけるものがあると聞いたことがあるのですが、本当ですかっ?」

 きらきらと希望に満ちたひとみで白雪が問いかけてくる。どうやら人間の食べ物に興味があるらしい。

「……ええ、そういったお菓子があるのは聞いたことがあるわ。油で揚げるお菓子はきっと、『まがり』というものね。の油で揚げたものは、こうばしい匂いがするそうよ」

「ほわぁ、美味しそう……。……他にはどのようなお菓子があるのですかっ!」

 手のこうで出かけていたよだればやきつつ、白雪はさらひざを進めてくる。

「ええっと……」

 しかし、沙夜自身お菓子を食べたことなど、片手で足りる回数しかない。期待に満ちた瞳を向けられても、満足してもらえる回答は出来ないだろう。

 答えに詰まっていると低くおだやかな声が聞こえて、ちょうど玖遠が戻ってきたことに気付いた沙夜はほっとする。

「……こら、白雪。あまり、沙夜を困らせるんじゃない。あと、涎が出ているぞ」

 玖遠はやんわりと白雪をたしなめた。彼は沙夜がめぐまれた暮らしを送っていなかったと知っているからこそ、さりげなくづかってくれたのだろう。その心遣いを察した沙夜の胸はじんわりと温かくなった。

「はっ! 私ったら、美味しそうなお話で、つい……。沙夜様も、いするように聞いてしまい、申し訳ありませんっ……」

 白雪はごしごしと涎を拭きつつ、沙夜に頭を下げる。妖だというから、身構えていた部分もあるが、目の前にいる少女を見ているとそんな気持ちも薄れていく。

「ううん、いいのよ。あなたが楽しんでくれたのなら。……私はあまり美味しいものを知らないから、また今度、白雪が好きな美味しいものを教えてくれる?」

 相手を楽しませるための話題を持っていない沙夜が白雪にそうたずねれば、彼女はぱぁっと内側から光りかがやくような笑みを浮かべた。

「そんなことを言われたのは初めてですっ! 私が食べ物の話をすると、みなさんいつもめんどうそうな顔をするんですよっ!」

「……白雪は話が長くなるくせがあるからな」

 ぼそり、と玖遠が呟いていたが、白雪には聞こえていないらしい。

 彼女はうれしそうな表情で沙夜の両手をにぎめてくる。共通の話題で楽しめる相手が今までいなかったのが、さびしかったのかもしれない。

 視界のはしに映っている白雪の尻尾はぶんぶんと激しく揺れている。何だか、なつかれたような気もするが、それがいやだとは思わなかった。むしろ、心の奥がくすぐったかった。

「……まぁ、二人が仲良くなったようで良かったよ」

 玖遠はしようしながら、沙夜の視線に合わせるように膝を立てて座った。

「お喋りのじやをするようで悪いが、沙夜の体調が良いならば、さっそくしきの中を案内したいんだが……どうだろうか」

「私の体調ならば、もうだいじようです」

「では、私はお椀を片付けてきます。沙夜様、また時間がある時にお話ししましょう!」

 にこりと笑ってから、白雪は椀が載った折敷を持つと、先に部屋から出て行った。

「それじゃあ、俺達も行こうか」

 玖遠が右手を差し出してくる。沙夜がそっとれるように重ねれば、玖遠はぎゅっと握り返し、立ち上がらせてくれた。彼は顔色をうかがうように沙夜へと視線を向けてくる。

「ちょっと、きんちようしているね?」

 玖遠からの問いかけに、沙夜は正直に頷き返した。

「確かに妖達の中には人間をやつもいるけれど……。俺の守護領域──つまり、管理しているこの土地にんでいる妖達は人間を喰わないことを条件に、下に入っているんだ。……まぁ、そうじゃなくても、俺がだれにも君に手出しさせたりしないから、安心して欲しい。そのために、君を俺のそばに置くんだから」

 そう言って、不敵なみを浮かべる玖遠に頼もしさを感じた。そんな彼と目が合った沙夜の心臓はどきりとねて、げるようにうつむいてしまう。

「ん? 沙夜、どうかした?」

「ええっと、その……。まだ実感はないのですが、改めて玖遠様の妻になるのだと思ったら……何だか、胸の奥があわただしくて……変なここがするんです」

 まるで、何度も胸をたたかれているようで、気持ちが落ち着かない。

「あの、玖遠様。……世間知らずで至らない点もあると思いますが、どうぞ宜しくお願いいたします」

 もちろん、これから始まる未知の生活に不安がないわけではない。それでも玖遠と白雪が支えてくれるのなら、がんってみようと思えた。

 沙夜は自分よりも背が高い玖遠を見上げた後、しんけんな表情で頭を下げた。そして再び、視線を元に戻せば、そこには何故か片手で顔をおおっている玖遠がいた。何かにえるように小さくうなっている。

「……玖遠様?」

「いや、すまない。……思っていたよりも、俺の妻という言葉が胸にひびくなぁと思って」

 どういう意味だろうかと首をかしげていると、空いていた沙夜の手を玖遠がさっと引いて、その甲に軽く口付けてくる。

「っ! く、玖遠様っ? 何を……」

 昨夜と同じ仕草とは言え、何となくずかしさをいだいた沙夜が慌てふためいていると、玖遠は口元をふっとゆるめた。

「ただのあいさつだよ。……沙夜。こちらこそ、今日からよろしくね」

 玖遠から返されたのは目を閉じたくなるほどまぶしい笑みで、沙夜の身体からだいつしゆんにして熱がめぐっていった。

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