一章 夜半の逢瀬③

「おい、清宗! 何が起き……」

 父はすのの上に倒れている清宗の姿を見た後、沙夜の方へと視線を移し、すぐ傍に玖遠がいることを認めるとその目を大きく見開き、叫ぶように声をあららげた。

「金色の瞳……!? もしや、あやかしかっ!? ──おいっ! 妖だっ! 妖が出たぞ!」

 父が築地の外に向かって叫べば、荒々しい足音と共に、初めて見る男達が門からやって来る。男達は父と沙夜達の間をへだてるように立ちふさがり、武器を構えた。

 武器のさきを向けられた沙夜は思わずびくっと肩をふるわせ、視線を逸らした。

「……はぁ……。俺相手にこれだけか」

 どこかあきれたように玖遠はつぶやくと、沙夜を支えながら立ち上がらせてくれた。沙夜は解けていた帯を急いでめたが、ふと不思議な感覚が胸にかんでくる。

 ……あれ? 清宗という人に触られるのはいやだと思ったのに、玖遠様に触られても嫌だと感じない……?

 それが何故なのか、沙夜には全く分からなかった。

「おのれ、妖め……。我がむすめねらった以上、生きて帰れると思うなよ……!」

 父は玖遠をにらんでいるものの、男達の後ろから前へと出ることはなかった。

「……ふ……はははっ……」

 父の言葉を冷やかすように、玖遠はかいげな笑い声を上げ、くちびるえがく。

「どの口が言っている?」

 玖遠が右手の指を鳴らしたしゆんかん、父達を取り囲むように出現したのは、先程と同じ青白い火の玉だった。ふよふよとゆうする火の玉は、父達をかくするように動いている。

「ひぃぃっ……!」

 武器を構えている男達は表情をゆがませながらも火の玉とたいしているが、その後方で守られている父はすでにこしを抜かしていた。

「どうやら、築地には妖けの術をほどこしていたようだが、全ての妖のしんにゆうを完全に防げると思っていたのか? あの程度の術しか使える者がいないというのに、本気でこの俺をち取れるとでも? ……ずいぶんめられたものだ」

 地をうような低い声を受けた父達は、血の気が引いた顔をしていた。いつも威張っている父のおびえた姿を見たのは初めてで、少しだけ胸の奥がすっとした。

「……この娘が気に入った。俺がもらい受けるが、文句は言わせぬぞ」

「へっ?」

 布のかたまりを持ち上げるような動作で、玖遠はいつの間にか沙夜を抱きかかえていた。

 とつぜんの行動に驚き、思わず玖遠を見上げたが、父をえる彼の視線は鋭いものとなっていた。自分が睨まれているわけではないのに、ぞくりと背筋が冷えたここがする。

「なっ……!? おい、待てっ!? その娘は……!」

 青白い火の玉に照らされている父の表情がいかりに満ちたものに変わっていく。何とか立ち上がった父は、玖遠に抱えられている沙夜に向けて右手をばしてくるが、火の玉にさえぎられ、前に進むことが出来ないようだった。

「くそっ……! ──おい、沙夜っ! お前は、わしのものだ! 全ての妖を根絶やしにしてでも、必ずお前を連れもどしてやる……! せいぜい、われぬようにしておけ!」

 父が沙夜を指差しながら吐いた言葉に、身体からだが震える。彼の瞳にはあきらめどころか、沙夜への強いしゆうちやくほのおが宿っていた。

 どこからかいてきた強い風が、沙夜達を包み込むようにまとわりつき、下から勢いよく吹き上げた。はっと気付いた時には、沙夜の身体は地面から随分とはなれており、視線を下方に向ければ、もがくように手を伸ばしている父の姿が見えた。

 自分の身体が空に浮いているのだと自覚した沙夜は驚きのあまり、玖遠の身体へとしがみついてしまう。

「ひゃっ……!?」

「おっと、落ちたら危ないから、暴れないでね」

 玖遠の言葉に沙夜はこくこくとうなずき返す。そしてもう一度、眼下に目をやった瞬間、それまで感じていたきようはどこかに吹き飛んでしまった。

 月明かりが照らすのは、ばん状に区切られているたくさんの屋敷だ。建物がずらりと遠くまで並んでいる景色は圧巻と言っても良いだろう。

 それだけでなく、いつもは限られた空しか見られなかったが、今だけは目に映る広々とした星空が自分と玖遠のみが味わえる特別なもののように感じられた。

「っ、すごい……」

 想像していたよりも外の世界は広く、そして美しいと思えた。ほかの人にとっては何気ないものかもしれない。それでも初めて見たこの景色を一生忘れることはないと思った。

「地上と気温がちがうと思うけれど、寒くはないか?」

「だ、だいじようです……」

 しかし、空中に浮いている仕組みが分からず、玖遠の方へと何となく視線を向ければ、彼は金色の目をどこか困ったように細めていた。

 沙夜はもう、玖遠が人間ではないと分かっていた。

「……ええっと、玖遠様は……妖、なのですか?」

 妖の見た目は獣だったり、形容しがたい外見だったりと様々な姿形をしていると聞いている。だが、目の前の玖遠は瞳の色と人間業とは思えないことをやってのける以外は、つうの人間と似た姿をしていた。

「……そうだよ。人間のような見た目をしているけれど、これでもようなんだ。……ずっと秘密にしていて、すまない……」

 玖遠は何かをぐっと飲み込み、それからし目がちに答えた。その反応から、聞いてはいけないことだっただろうかと思った沙夜はあわてて首を横にった。

「い、いえっ、そんな……。確かに驚いてはいますが、玖遠様は私を助けて下さいました。なので、その……ありがとうございます。助けて下さって」

 すると彼はふわりとやわらかなみを浮かべた。

「……もしかすると『妖』というだけで怯えられるかもしれないと思っていたから、こわがられなくて良かったよ。……おそれられるのは慣れているけど、沙夜に怯えられたら、十日以上はへこんでいたところだ」

 気が楽になったのか、玖遠の口調はいつもと同じように明るいものへと変わった。彼とこうやって顔を合わせても何も変わっていないことに気付いた沙夜は改めてあんした。

 やがて、彼は実家のしきから随分と離れた場所へと着地し、沙夜を下ろした。

「……沙夜。俺は君が助けを呼ぶ声を聞いて、思わずさらったけれど……。沙夜はまた、あの屋敷に戻りたい?」

 それまでとは一変して、玖遠は険しい表情で問いかけてくる。沙夜が清宗に何をされそうになったのか、察しているのかもしれない。

「わ、たしは……」

 すぐに答えない沙夜の様子をいぶかしげに思ったのか、玖遠はふっと表情をゆるめた。

「沙夜はどうしたい? 心のままに、言ってみるといい。俺は君の言葉で聞きたいんだ」

 あせらせることなく、見守るような温かな視線を受け、沙夜の心のこわりが少しずつ解けていく。何度か息を吐き出し、そして玖遠を真っぐ見つめ返しながら答えた。

「いいえ……。私は……あの場所に、戻りたくはありません」

 震えそうになった身体を沙夜はりよううでき締めた。もう春だというのに、ひどく寒くてたまらないのは気のせいではないだろう。

「たとえ、一人で生きていけるすべがなくても……あの場所にだけは……絶対に戻りたくはないのです」

「……」

 助けてもらっても結局、自分は父からげることは出来ないのだろう。父に囲われて生きてきた自分にはこの先をどのように生きればいいのか、想像さえつかないのだから。

 それでもきたいと思ったのは、心がこわれてしまいそうだったからだ。

 ……これ以上、心をみにじられ、不思議な力を利用されるだけの日々が続くなら……。私はきっと自分がどういう人間なのか、見失ってしまう……。

 意思を持つことが許されないならば、それは人形と同じで、「沙夜」という存在はいらないのではないだろうか。そう思ってしまえば、心さえも消えてしまいそうだった。

「──沙夜」

 耳に残る低くおだやかな声で名前を呼ばれた沙夜は、はっと顔を上げた。そこにはしんけんな表情で、自分へと手を差し出している玖遠がいた。

「君が二度とあの屋敷に戻りたくはないというならば……。このじようきようからけ出す方法を一つだけ、知っている」

「……?」

 沙夜がどういう意味だと言わんばかりに首をかしげれば、彼はふっと口元を緩めた。

「俺ならば、君が生きる上で不便なことがないように、住む場所だけでなく食事も衣服も提供出来るよ。さらに身の安全の保証も付いてくる」

 玖遠からの突然の申し出に沙夜は目を丸くした。何か裏があるのではとかすかに疑っていると、彼は人差し指を自身の口元にえつつ、金色の目をすっと細めた。

「ただし、一つだけ条件がある。……俺の、妻となることだ」

「えっ……」

 妻、という言葉に沙夜は思わず固まった。うかがうように玖遠の顔を見れば、彼は少し得意げな表情で言葉を続けた。

「こう見えて、俺は妖達の頭領を務めていてね。自分で言うのも何だが、立場はあるし、そこらのやつより腕が立つと自負している。……だから、沙夜が俺の妻になれば、直接守ることが出来るというわけだ」

「……」

「それに俺が管理している土地には人間が入れないように結界が張ってあるから、君をさがしに来るかもしれない父親からその身をかくすのに打って付けの場所だ。……どうかな?」

 玖遠の表情を見る限り、じようだんを言っているようには聞こえない。もちろん、彼が言っている妻とはつまりふうとしての意味だと理解している。

 ……私が玖遠様の……妖の妻に……?

 さきほどに清宗とけつこんさせられそうになった後だというのに、不思議といやな気持ちにはならなかった。

 しかし何故なぜ、自分を妻としてむかえようという気になったのか、その理由は分からない。沙夜のきようぐうびんに思い、同情してくれているのだろうか。

 頭をぎったのは父が常々言っていた、妖は人間を喰う存在だ、という言葉だ。

 ……この方を……信じていいのかしら……。

 顔には出さないものの、不安と疑心が混ざり合い、沙夜はなやみに悩んだ。このまま、彼の手を取らずに逃がしてもらっても、世間知らずな自分が一人で生きていくことは不可能に近いだろう。そして、すぐに父に見つかってしまうに決まっている。

 妖の世界に身をひそめるならば、父に見つからないのではないかと思ったが、「人間」ではないもの達に囲まれて生きることに不安がないと言えばうそになる。

 ……一体、どうすれば……。

 沙夜は玖遠へと視線を向けた。彼のまなしは変わらず真っ直ぐ、沙夜だけに注がれている。そして、やさしい表情で沙夜が選ぶ答えを待っていた。

 ふと思い出したのは、彼と共に過ごした穏やかな時間だった。おたがいの姿が見えなくても、づかう言葉をくれる玖遠の優しさを自分は確かに知っている。

 ……私は……玖遠様を信じたい。

 かつて玄と約束したことがのうを過ぎる。玖遠の提案を受け入れれば、玄との約束を破ることになるかもしれない。

 だが、実家で沙夜がどんなあつかいを受けていたか玄は知っている。優しい彼ならば、沙夜が実家から逃げることを許してくれるかもしれないと思い直した。

 決心した沙夜は背筋をばし、玖遠を見上げる。

「……玖遠様。ごめいわくをおかけするかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします」

 沙夜は白く細い手をそっと玖遠の手に重ねた。玖遠はどこか安堵するような穏やかな表情をかべてから、力強くうなずき返す。

「ああ、任せてくれ。俺がすべてをけて君を守ろう」

 月明かりがかすんでしまう程のまぶしい笑みをこぼしながら、玖遠は自然な動きで沙夜の指先に軽く口付けを落としてきた。

「こ、これは……?」

 沙夜が首を傾げれば、玖遠は小さくしようを返した。

「ただ、君へのちかいを示しただけだよ」

「なるほど……」

 妖達の間では普通の仕草なのだろうか。少しだけ、くすぐったいここがした。

「それじゃあ、まずは君に俺のようりよくまとってもらうよ」

「妖力を纏う、とは一体どのようなことですか……?」

「ん? ……ああ、そうか。人間達の間ではあまり知られていないことだったね。……妖が夫婦となる際にはお互いの妖力を纏わせて、周囲に自分の夫や妻だと示してけんせいするんだ。人間で言うところの結婚のしきに近いものだと思って欲しい」

 妖の結婚の儀式はあっさりとしているものらしい。やはり、人間と妖とでは習慣や文化がちがうのだろう。

「それと俺の妖力を纏っている間は妖術によるこうげきをある程度、防ぐことが出来るんだ。……まぁ、水や雪みたいな自然物による質量攻撃は防げないから、川に落ちたりしないように気を付けてね」

 玖遠の説明を聞きつつ、沙夜は何度か頷く。正直、妖力がどのようなものなのか、よく分からないが、とりあえず玖遠の妖力を受けてみることにした。

「少しずつ俺の妖力を纏わせていくけれど、痛みはないから気を楽にしているといい」

「は、はい」

 玖遠は沙夜の両手をそっとにぎめてくる。温かくもみような何かが、彼の両手からゆっくりと伝わってきた。

「っ……」

「沙夜っ?」

 だいに温かな心地が全身をおおっていき、夢の中にいるような気分におちいっていく。

 ……何だか、頭が……ぼんやりして……。

 上手うまく思考することが出来ず、意識が少しずつだが遠くなる。

「……沙夜!? 妖力を流し過ぎたかっ?」

「だい、じょ……」

 だが、きよせいを張ろうとした沙夜の言葉はそこでれた。まるで高熱が出たような状態の中、玖遠が沙夜を呼ぶ声だけがっすらと聞こえていた。

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