第二話 いよいよ訓練開始です!(2)

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 適性検査が終わり。今期のレンジャー学生として残ったのは、三十人集まった中で二十二人となった。男子学生の部屋は、いくらか風通しが良くなったけれど、それでもやっぱりむしむしと暑い。

「そんで、レンジャー小牧はなんて言ったん?」

 同じ部隊から来ている小塚こづかさんに訊かれ、「えぇっと」と手にグッと力を込めた。

「ニワトリを自分でさばけるようになりたいからですっ、て!」

 そう言った途端、「つまんねー」「ひっこめ!」とブーイングがとぶ。

 無事、レンジャー訓練の入校式を終えたあたしたちは、順番に教官と助教たちが集まる部屋に呼び出され、面接を受けていた。その中で、「どうしてレンジャー訓練を志望したのか」と訊かれるのだけれど、それがすっかり大喜利大会のようになってしまっていた。あたしは訓練のなかに組み込まれている生存自活で予定されている、ニワトリをさばく訓練のことを言ったのだけど、男子学生らの心にはまったく響かなかったみたいだ。

「教官らは、なんて?」

 むぅっと口を尖らせると、小塚さんが追い討ちをかけるように訊いてくる。あたしはがっくしと拳をおろした。

「ニワトリが準備されたら、世話係を任せるってぇぇえ……」

「マジか。それはレンジャー小牧、ご愁傷さまやなぁ」

 小塚さんが、笑いを堪えるような顔をして頷く。

 ただでさえ忙しい訓練の中で、ニワトリの世話まで──いや、問題はそれ以上に。

「あたし……自分でお世話する動物を、当日はさばかなきゃいけないんですかぁ?」

「うーん。まぁ、せいぜい感情移入しないように気をつけるしかないなぁ」

「ううぅ……そんなこと言ったって……キャサリン〜、デイジー……ッ」

「世話する前から、名前つけて可愛がる気満々かい!」

「まぁまぁ」と声をかけてきたのは、糸川三曹だった。

「そのときにはきっと、喉の渇きと空腹が酷すぎて胃が痛いくらいで、泥水だってすすりたいし草でも虫でも腹が膨れるものならなんだって食べたい気分だから。あんがい、大丈夫なもんっすよ」

「ううぅ経験者の言葉こわい……」

 笑顔で告げる糸川三曹に怯んでいると、がちゃりと音がして扉が開いた。

「あ! レンジャー志鷹おかえりっ」

 志鷹三曹が、目線だけであたしの声に応える。

「レンジャー志鷹は、なんて言ったんですか?」

 興味津々、といった感じで小塚さんが訊ねる。実際、クールな雰囲気のある志鷹三曹が、教官たち相手にどんなジョークを言ったのか、あたしも気になって仕方なかった。

 わくわくと見つめるあたしたちのことを見ようともしないで、志鷹三曹はきっぱりと言った。

「女にレンジャーは無理だと侮る男連中をぎゃふんと言わせるために、目指しました──って」

 途端、部屋のなかが静まり返る。笑うべきか、ただただ頷いて受け止めるべきか。迷ったあたしたちを代弁するように、糸川三曹が「おまえ、そういうとこだかんな」と、引きつりながら小声で呟く。

「そんなことより」

 志鷹三曹は、周りの声や視線を振り払うように手を振った。

一四時三〇分ひとよんさんまるから、課目教育を始めるから、直ぐに準備して集合するようにって」

「それって……」

 小塚さんが、慌てて時計を見る。

「あと八分じゃんっ!」

「待て待てそんな予定になってたかッ?」

「知るかッ! 絶対狙ってこのタイミングにしたんだろっ」

 完全に油断していた学生たちは、一斉にバタバタと荷物をひっくり返しはじめた。そしてもちろんあたしも例にもれず、慌てて自分の部屋へと、志鷹三曹と一緒に駆け戻ったのだった。


「全員、時間通りにそろっているな」

 教壇に立つおおとり教官が、にやりともせずに室内を見回す。長テーブルではみんな息をきらしながらも、(たぶん無駄だけれど)できるだけ平静を装っていた。

「この時間は、訓練管理としてレンジャーの心構えについて学ぶわけだが──そもそも、こうして各部隊から集まったきみたちが、ここで訓練を行うことにどういう意義があるかだ」

 言って、鵬教官はホワイトボードに「RANGER」と書きなぐった。

「レンジャーとは、自衛隊そのものの誇りであり、戦闘時の窮地においてもより遠く、速く機動できる隊員であり、他の隊員への模範であり、仲間と祖国を誰よりも重んじ、そして」

 自分の胸のレンジャー徽章を、拳でトンと叩く。

「ダイヤのように硬く、不屈の精神をもって任務を遂行する存在だ」

 それまでも、確かに静かだったのだけれど。部屋の空気がもう一層、しんと静まりかえった気がした。

 レンジャーであることを示す、レンジャー徽章。勝利の月桂樹に囲われ、世界一硬いダイヤモンドで象られたデザインのそれは、ここにいる学生全員の憧れで、目標だ。

 どちらかと言えば小柄な鵬教官が、なんだか大きく見えて、学生みんなして、身じろぎもできない。

「だからこそ、この訓練できみたち学生は、ひどく追い込まれるだろう。肉体的にも精神的にも極限まで磨り減らされる。それこそ、生き抜くかもしくは死ぬかだ。比喩抜きに、な。そしてそれが、原隊に戻ったとき──きみたちの力になる」

「っレンジャー!」

 あたしは思わず、その場で敬礼した。ハッとすると、学生全員が引きつった目で見ている。隣に座った志鷹三曹の目は、怖くて見られない。

 鵬教官は「元気が良いなぁ、レンジャー小牧」と平坦な声で呟くと、一つ頷いた。

「その意気は良し──が、話の邪魔をすんな。全員、腕立て」

「レンジャー!」

 言葉通り、全員がすぐさま椅子から降り、腕立ての姿勢をとる。

「まぁ、その返事もだな。すでに承知の通り、この訓練の要の一つだな。ここでは、教官と助教の言葉はなんだろうと絶対、だ。分かるな? レンジャー小牧」

「レンジャーっ!」

 あたしは腕を折り曲げて、身体を支えたまま叫ぶように言った。レンジャー五訓、なんてものもある。一、飯は食うものと思うな。二、道は歩くものと思うな。三、夜は寝るものと思うな。四、休みはあるものと思うな。そして──五、教官は神様と思え。

 床に落ちた影が動いて、鵬教官が頷いたのが分かる。

「そして、こうして学生全員で共に行動し、同じ責を負うっていうのも、レンジャーとして仲間を重んじることにつながる、必要な訓練の一つってことだ」

 ほんとだろうか──神様の言葉を、さっそく疑ってしまう。あたしはこれが終わったら、全員から殺されるんじゃないかという気がしてならないのだけれど。

「あぁ、そう言えば数え忘れてたな。──一」

「いぃちっ!」

 ようやく始まったカウントに、全員が声を張り上げる。「アゴは床につけろよー」と、あくまで穏やかな声が頭上でのたまった。

 カウントが五になったところで、「そしてなぁ」と、またゆったり教官が話し始める。

「仲間のなかでも、この訓練中、トイレの個室以外はずうぅっと一緒なのが、今隣にいるバディになるわけだ。実技もバディと組む。自分がヘマすれば、バディが大ケガをするかもしれない。逆に自分の命は、バディにかかってるわけだ。当然、一番辛いときに一緒にいるのもバディってことになる」

 その言葉に、思わず隣へちらっと視線をやると、あたしのバディはこれだけ辛い姿勢を強いられているにもかかわらず、冷静な顔で──そしてひどく冷たい目で相棒を見ていた。怖すぎて、急いでそらすけれど、視線がちくちくと刺さるように痛い。

「っつーわけでだ」

 いくらかざっくばらんとした口調で、鵬教官は告げた。

「残りの時間は、バディに対する理解を深めるための課題を行う。まぁ──あと何回か、腕立てしたらな。分かったか?」

 鵬教官のその言葉に、「レンジャーッ!」と、あたしたちは返事だか悲鳴だか分からない声を上げた。


「あ、レンジャー志鷹って、左目の下に泣きぼくろがあるんだ。良いなー」

「泣きぼくろって、オシャレっぽいよねー」と言うあたしに、志鷹三曹は「ほくろなんて、ないならない方が、ずっと良いに決まってるでしょ」とうなった。「それより」と、めずらしく難しい顔で、まじまじとこちらを見つめてくる。

「レンジャー小牧、あなたもしかして日焼け止めもふだん塗ってないの? 今のうちから気をつけないと、ほら、頬っぺた片方、ちょっぴりだけど色素沈着しかかってる。絶対ケアした方が良い」

「え、ほんと。あんま見られると恥ずかしいんだけど……」

「なに言ってるの。見なきゃ描けないでしょ」

 そう言って、志鷹三曹は自分のノートをシャーペンで軽く叩いた。

「バディに対する理解を深めるための課題」とは、なぜか向かい合って似顔絵を描くことだった。絵心は母親のお腹のなかに置いてきてしまったので、あたしのノートは室内をぐるぐる回っている鵬教官どころか、志鷹三曹にだって見せられないシロモノになってしまっている。

「えっと……似顔絵描いたら、なんでも良いからお互い、最低三つ質問するんでしたっけ」

「質問、ねぇ……」

 志鷹三曹はそう呟くと、形の良い眉毛をきゅっと寄せた。

「コイバナ系はNGで。訊いたらつぶす」

「大丈夫ですっ! あたしも恋愛系は特に語れることないしっ」

「なんでナチュラルに、わたしも語ること自体がないって決めつけてんの。失礼じゃない?」

 どうやら、このあたりの会話はなにを言っても地雷原でしかないみたいなので、素早く切り上げることにする。

「じゃあ、好きな食べ物とか」

「……なんか小学生の自己紹介みたい」

 文句を言いながらも、志鷹三曹は「そうね」と軽く首を傾げた。

「好きな食べ物ねぇ……おごってもらって嬉しいのは『時価』ね」

「え、なにそれ。美味しいの?」

「たいてい美味しいわ」

 きっぱりと志鷹三曹が頷く。「へぇえ」と、ノートに「志鷹三曹 好きな食べ物:じか」と書き込んだ。

「えーっと、あたしは焼肉ですね!」

「あぁ。好きそうな顔してるものね」

「えっ、それってどういう顔ですか?」

「鏡見れば」

 言われて、思わず口を尖らせるものの、手を動かしている志鷹三曹はこれっぽっちも見ていない。あたしは追及をあきらめて、残りの質問を消化する方に頭を向け直した。

「あ、年齢は。あたし、二十四です」

「誕生日は来た?」

「はい! 昨日でした」

「昨日!? ふぅん……」

 志鷹三曹のメモする顔が、微妙に険しくなる。

「レンジャー志鷹は?」

「二十四。……誕生日はこれからだけど」

「あ、じゃあ一歳先輩ですね!」

「うるさい」

 志鷹三曹の顔が、険しいを通り越して真顔になったので、慌てて黙り、ノートに答えをメモした。力の加減を間違って、シャーペンの芯が折れる。新しいのを早めに補充しようと思ったけれど、どうにも見当たらない。

「あとはーそうだなぁ。将来の夢とか」

「あなた、どこまで小学生から育ってないの」

「え、レンジャー志鷹、将来の夢ないですか?」

 きょとんと訊ねると、志鷹三曹は「え?」と困った顔をした。

「そう言われても……今が将来、みたいなものだし。どっちかと言えば、目標ね」

「なんなんです? 目標って」

 ぐいっと身を乗り出すあたしの頭を、志鷹三曹は嫌そうに押し返してくる。

「なんであなたに言わなきゃいけないの」

「だって、そういう課題ですし」

「そうだけど、嫌。他の質問でも良いでしょ」

「じゃあ、なにか質問あります?」

「別にないわよ。あなたのこと、別に特別知りたいとも思わないし」

 ひそひそと言いあっていると、鵬教官がこちらを向いた気がして、あたしも志鷹三曹も瞬時に姿勢を正した。

「そうね。じゃあ、誕生日にしておきましょう。レンジャー小牧の誕生日は、昨日だってさっき聞いたし」

「あ、はい。レンジャー志鷹は?」

「十一月三日」

「じゃあ、訓練の終盤ですねぇ」

「まぁ。それまで、お互い残ってればだけど」

 つんと、志鷹三曹が呟くのとほとんど同時に、「そこまでっ」と鵬教官が声を張り上げた。

「以上で、この時間は終わりとする。最後に、自分のノートをよく見ろ」

 言われた通り、みんながノートに視線を落とす。書いてあることは分かりきっているけれど──教官が見ろと言うなら、見るものなんだ。

 それこそ小学生の頃から成長していない書き文字が、ノートの上をうねっている。それと、へたくそあたしな似顔絵。

「きみたちが今、へたくそなりに描いた、その似顔絵な。お互い、よーく見合って描いたか?」

「忘れるなよ」と。鵬教官が、室内の全員を見回した。

「──その顔が、この訓練中きみたちが、一番守らなきゃならない相手の顔だ」

「以上」と、締めくくられる声を聞きながら、あたしは改めて、自分のノートをまじまじと見つめた。

 へたくそが描いた志鷹三曹の顔は、線が歪んでいて、ちょっといじわるげに笑っているように見えた。

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