3. 朝凪海と天海夕(10)

 結局その夜は妙にドキドキして寝付けなかった俺だが、だからといって次の予定は待ってはくれない。

 翌日の土曜日の早朝。俺は今、朝凪と一緒に彼女の家へと向かっていた。

「ごめんね、前原。お母さんがどうしても会いたいって聞かなくて」

「いや、こういうのは早いほうがいいし、俺もいつかは行かなきゃって思ってたから」

 朝凪の話によると、早朝、これから帰ることを伝えると、

『ついでに男の子のほうともお話したいから、一緒に連れてきて』

 と言われてしまったらしい。つまり、今回の俺の訪問は、朝凪家からのご指名なのだ。

 ……正直なところ、ちょっとだけ怖い。

「──ほい、着いたよ。ここがウチ」

「……おお」

 普段は歩かない道を行き、踏切を一本越えたすぐのところに、朝凪の自宅はあった。

 普通の一般家庭だと朝凪が言っていたとおり、外見は普通の一軒家だ。住宅街にある二階建ての木造で、広い庭の一角には家庭菜園があり、みずみずしいプチトマトが真っ赤な果実をつけている。おそらく朝凪のお母さんがやっているのだろう。

 玄関のインターホンを押してしばらく待つと、スリッパのぱたぱたという足音とともに、朝凪のお母さんがひょっこりと顔を出した。

「……た、ただいま帰りました」

「おかえり、海。……それから、いらっしゃい前原君」

「は、初めまして。前原真樹です」

「ご丁寧にどうも。私は朝凪そら、不本意ながら、そこの不良娘の母親です」

 うふふ、と穏やかに笑っているが、朝凪がいつか見せてくれたのと同じに、目は全然笑っていない。高校生の娘がいるとは思えないほどれいだし、穏やかな雰囲気をまとっているが。

 ……うん、この人には絶対逆らってはダメだ。俺の本能がそう言っている。

「まさか、娘の人生初めての朝帰りが、夕ちゃんとじゃなくて、クラスメイトの男の子とだなんて……前原君のお母さんから電話が来た時はびっくりしちゃったわよ」

「あの……本当にすいません。起こすつもりだったんですが、俺のほうも疲れてたのか、そのままぐっすり……」

「あら、前原君は悪くないのよ? 悪いのは、ぜーんぶ……男の子のお部屋でぐうすかと無防備に眠りこけちゃったうちの娘なんですから。ね? 海?」

「もう、それはだから昨日からごめんって……こんなところでお説教とか、他の家に聞こえたら恥ずかしいじゃん」

「昨日謝ったから許されるって問題じゃないの。今回は真樹君とさきさんがとってもいい人だったからよかったけど、もし、そうじゃなかったらどうするつもりだったの?」

「そ、それは……」

 そう。だからこそ空さんはこうして今も𠮟っているのだ。

 あまりにも正論すぎて、俺も朝凪も何も言い返せない。

 今まで門限がなかったのは、朝凪がこれまでずっと真面目な付き合いを心がけていたからだ。だからこそ空さんも娘のことを信頼していたわけで。

 今回のことは、その信頼を台無しにしかねないほどのことである。

 昨日はたまたま母さんが帰ってきてくれたから何事もなく済んだが、もし、あのまま二人起きずに朝を迎えでもしたら、間違いなくちょっとした騒ぎになっていただろう。

 何事もなかったから良かった、で済ませてはいけないことなのだ。

「ねえ海、私は別に遊ぶなって言ってるわけじゃないのよ? ただ、ちゃんとやるべきことをやって、心配をかけさせないこと。わかった?」

「……うん。ごめんなさい、お母さん。次からは絶対に気を付けます」

「……俺も気を付けます」

 俺と朝凪、そろって空さんに頭を下げた。

 今回ばかりはさすがに猛省しなければならない。俺たちはまだ高校生の子供なのだから、節度を守って行動しないと。

「よろしい。実はまだまだ言い足りないけど、それは家の中に入ってからね。……さ、前原君もどうぞ」

「は、はい。お邪魔します」

 来客用のスリッパに履き替えて、俺は朝凪家のリビングへ。

 ちょうど空さんも朝食の前だったようで、テーブルにはトーストやヨーグルト、それに色とりどりの果物が並べられていた。

「海、朝ご飯どうする? 一応、前原君の分も用意してるけど」

「前原の家で食べてきたから……じゃあ、果物だけもらおっかな。前原はどうする?」

「じゃあ、俺もそれで」

 空さんに案内されるまま、俺はリビングの椅子へ。ちょうど空さんと向かい合う位置で、その隣に朝凪が座った。

「……あれ? アニキは?」

りくは夜遅くまで何かやってたから、まだ寝てるはずよ。……お客さんが来ることは伝えてるから、多分降りてこないと思う」

「あ~……まあ、仕方ないね」

 朝凪家はご両親、朝凪、そして朝凪のお兄さんの陸さんの四人家族。お父さんは今日は仕事らしい。

 一応、お兄さんにも挨拶しなければと思っていたが、それはまた機会があれば。

「あ、お母さん。夕の家には、今日のこと……」

「天海さんの家には関係ないことだから、心配しなくてもしてないわよ。まあ、真咲さんからの電話があと三十分遅かったら連絡してたかもだけど」

 そういう意味でも間一髪だったらしい。改めて母さんに感謝しておかなければ。

「ねえ、それより前原君。ウチの海とはどんなふうにして仲良くなったのかしら? 海にいてるんだけど、『お母さんには関係ないじゃん』って、話してくれなくて」

「ちょ、お母さんっ……! ま、前原も、言う必要ないからね」

「ほら、こんな感じでね。せっかく娘が家に連れてきた初めてのボーイフレンドなんだから、そういうめ的なの、おばさんとしては興味津々じゃない?」

「え? 初めて……なんですか?」

 天海さんは頻繁に来ているだろうが、異性としては、どうやら俺が初めての男の友達ということらしい。

 朝凪は中学まで女子校なので当然かもしれないが、改めて『初めて』と言われると変な気分になってしまう。

「そっ……その話も関係ないんだからいいでしょ。ほら、前原もそんなおしゃべりおばさんの相手なんかしなくていいから。ほら、桃食べな桃。甘くておいしいから」

「あら、不器用なくせに自分でむいてあげるなんて優しいじゃない? 最近はあんまり家に友達連れてこないから心配してたけど、海も意外と隅に置けないわね。このこの~」

「だっ、誰がそうさせてんの! もう、お母さんのバカ!」

「前原君、海のこと、これからもよろしくね。こんな子だけど、根はすごく素直でいい子だから。あ、もし良ければ今度はこっちにお泊りする? それなら私が見てあげられるから安心だし……うん、いいアイデアだわこれ」

「あー、あー、もう黙って! 前原、私が許可するからお母さんの口縫い付けちゃって!」

「そ、そこまではさすがに……」

 朝から随分とにぎやかだが、普段一人で食事をすることがほとんどなので、こういう雰囲気も悪くないと思う。

 その後、話を聞きたがる空さんと秘密主義の朝凪の間に板挟みになって苦労しつつも、その空気感を意外に楽しんでいる俺がいた。

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