3. 朝凪海と天海夕(9)

「まさか朝凪が俺の部屋にお泊りなんて……」

 友達同士でどこかの家に集まって夜通し遊んだり話したりするというのは不思議なことではないが、それはあくまで男同士、女同士での話。男女の場合、それがたとえ恋人同士であったとしても敬遠すべきだろう。高一の子供ならなおさらだ。

 今の俺はというと、自室のドアを閉めた上にヘッドホンで音楽を聴いている防音仕様なので、外の様子はわからない。

 俺も風呂に入りたかったが、それについても母さんから禁止を言い渡された。母さんは『後から入って海ちゃんの残り湯を────』とほざいていたが、俺がそんなことをするとでも思っているのだろうか。

「朝凪の……」

 ほわん、と湯煙の向こうにいる朝凪の姿が脳裏に──。

「……いやいや、アホか俺は」

 おかしな想像をすぐにかき消し、ヘッドホンの音量をさらに上げる。

 最近テレビで話題になったらしい、恋愛ドラマの曲。良く聞いているロックバンドの曲だが、最近は、恋とか友情などをテーマにしたものが多く、昔のように鬼リピすることは少なくなってきた。

 ……ぼっちに恋だきずなだと言われても、俺にはよくわからない。

「朝凪は友達、のはずなんだけどなあ……」

 音楽のリズムに身を委ね、今一番好きなコミックを読んでいても、やはり頭に浮かぶのは初めてできた友達のこと。

 一緒にゲームをして、どう考えても健康に悪そうなジャンクフードを食べ、バカみたいな冗談を言い合って──コミュニケーション不全の俺と仲良くなってくれた女の子。

 朝凪のことはもちろん『友達』だと思っているし、できればこれからも良好な関係を築いていきたい。朝凪もそう思ってくれていたらいいな、とも。

 だが、普段は意識せずとも、今回のようなことがあるといやおうなく気づかされてしまう。

 朝凪海は、女の子なのだ。

 成績優秀で、品行方正で、天海さんと同様に目立つ容姿をしている『クラスで2番目に可愛い女の子』。

 そんな子が、今、俺の家の風呂に入っていて、これから寝間着に着替えて、俺の部屋で、俺のベッドで寝ようとしている──。

「……あれ?」

 そう考えると、どんどん心臓の鼓動が速くなってくる。

 さっき寝顔をのぞいた時は、毛ほども動揺することなんてなかったはずなのに。

(朝凪だぞ? 確かに美人だとは思うけど、表向きには猫かぶってて、本当は口を半開きにしてオッサンみたいないびきをかいてよだれ垂らすようなヤツだぞ?)

 にもかかわらず、どうして俺は、朝凪の『女の子』を感じさせる場面ばかり思い出して、一人でこんなにも動揺して──。

「──わっ」

「おわあっ!?」

 と、耳元でささやかれた声に、俺は飛び上がらんばかりの勢いで驚く。

 横を見ると、俺の情けない姿を見て笑いをこらえている朝凪が。

「あははっ、もう、ちょっとおどかしただけなのに、なにそんな驚いてんの。今の前原、百均のおもちゃのカエルみたいに勢いよく飛び跳ねてたよ」

「あ、朝凪……ノックぐらいしろよ」

「む、したよ、何回も。前原がヘッドホンで爆音流してるからダメなんじゃん」

 いつもならヘッドホンをしていてもわかるのだが、色々な思考がぐるぐるとしていたせいで、そこまで気が回らなかったらしい。

「あ、そだ。寝間着だけど、おばさんのやつがちょっとサイズ合わなかったから、前原のスウェット借りちゃった。ごめんね」

「あ、まあ、別にいいけど……色違いで同じようなの何着もあるし」

「そ、よかった。これ、もこもこしてあったかくていいね。私も今度買おっかな」

 朝凪が着替えたのは、ネイビーのスウェットの上下だ。サイズも大きめかつゆったり着ることができるため、休日の俺はこの格好で過ごすことがほとんどだ。

 サイズが合わないと朝凪は言うが、母さんと俺の身長はそう変わらないはず……まあ、その点は深くかないことにしよう。

 今はダボダボのスウェットを着ているからわかりづらいが……朝凪は、胸のほうもそれなりに大きい。

 ……また余計なことを考えている。

「と、とにかく俺はリビングで寝るから。ベッドは好きなように使ってもらって──」

「あ、ちょい待ち」

「ぐえっ」

 せっかく気を利かせて俺が部屋から退散しようとしたのに、朝凪の手が俺の後ろ襟をつかんでそれを防ぐ。

「な、なに」

「いや、さっきまで寝てた上にお風呂入って完全に目がえちゃって。……ちょっとだけ話そうよ」

「……俺、母さんからお前と一緒の空間になるべくいないよう言われてるんだけど」

「ちょっとぐらいなら平気だよ。それに、もし前原が私のこと襲ったらちゃんと大声出すし」

「襲わないよ」

 母さんは有言実行の人だから、もし冗談でも朝凪に大声を出されたらお仕置きどころの話じゃない。

「ほーらー、前原ここ。隣に座ってもいいから」

「ここ元々俺のベッド……」

「今だけは私のベッドなの。……ほら、おいで」

 犬を呼ぶみたいに自分の横をポンポンとたたく朝凪。

「人が気を遣ってるのも知らないで……もう」

 まあ、大声を出されても困るので座るしかない。

 母さんに気づかれないか心配だが、朝凪と入れ替わりでお風呂に入っているらしいので、十分か十五分なら大丈夫か。

 肩が微妙に触れ合う距離感で、俺は朝凪の隣に腰を下ろした。

「はあ……まさか、前原の家にお泊りすることになるなんてね。こんな可愛かわいい女の子を連れ込んで、前原はなんて悪い男なんだ」

「元はと言えば朝凪が爆睡するからだろ。寝ちゃった俺も悪いけどさ」

「一理ある。まあ、女の子のくせに無防備すぎたよね。そこは反省」

 あはは、と苦笑する朝凪からふわりとかんきつ系の匂いが漂ってくる。俺も同じシャンプーを使っているはずだが、こんなふうになったことはない。

「ねえ、前原」

「うん」

「私たち、悪い子だね」

「……うん」

 不良も不良である。もし、この話が何かのはずみでクラスに漏れでもしたら朝凪のイメージダウンは避けられないだろう。

 もちろん、天海さんも朝凪に対して大きく失望するはずだ。

「なあ朝凪、ずっと考えてたことなんだけど……」

「……夕にこの関係を打ち明けようって?」

「うん。もしかして、朝凪も考えてた?」

「お風呂の時に、ちょっとね。まあ、いい加減限界だよね」

 今回の件で痛感したが、たとえ気を付けていても天海さんにはきっとどこかでバレてしまうだろう。天海さんだって、いくらなんでもそこまで能天気ではないはずだ。

 バレて謝る前に、こちらから謝ったほうがまだダメージは少ない。この関係を秘密にしようと提案したのは俺だし、そうすれば多少関係が悪くなっても、すぐに仲直りできるはずだ。

「夕には近いうちにタイミング見て話してみるから、前原はいつも通りにしてて」

「わかった。じゃあ、任せるよ」

 天海さんとは週明けの水曜日に遊ぶ約束をしているから、その時にでも謝れるよう準備しておこう。

 もし、それで天海さんに嫌われて、クラス中にこのことを言いふらされても、それは自分でいた種だ。受け入れるしかない。

「よし、この話はこれで終わり。……で、後は何話そっか? せっかくの機会だし、やっぱりここは定番のコイバ……あっ」

「……ふうん」

 こいつ、今絶対わざと話を振った。俺の引き出しにそんなもの入っているわけがない。

 引き出しにあるのは、まだ真新しい朝凪との思い出だけだ。

「ったく……そろそろ母さんも上がるだろうし、俺はもう寝るよ」

「もう、付き合いの悪いヤツ。んじゃ、今日はこのへんにしておいてあげよう」

「はいはいどうも」

 やっぱり朝凪は朝凪だ。俺に対してまったく遠慮のない、しかし、気の置けない友達。

 少し前にもんもんとしていたのは、きっと何かの勘違いだろう。

「あ、そうだ。ねえ、前原。最後に一個いい?」

「……なに?」

「前原、おやすみ。……へへ、改めて言うと、なんかこういうのこそばゆいね」

「っ……お、おやすみ」

 朝凪と別れた俺は、即座に今日の寝床であるリビングのソファに飛び込み、芋虫のように毛布にくるまって目をつぶる。

(ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、めっちゃ可愛いかもって思ってしまった……)

 浮かんできたのは、先程見たばかりの、朝凪の恥ずかしそうにはにかむ表情。

「……あいつも、あんな顔できるんだな」

 朝凪のせいで、今日の夜はもうしばらく眠れそうにない。

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