2 でたらめちゃんは語る(2)

 ◇◇◇◇

「…………………は?」

 その気の抜けた一声が、でたらめちゃんの洪水のようなスピーチを聞き終えた直後の、うみどりの第一声だった。

「……はあ? なんですかその生返事? 私の今までの話、ちゃんと聞いていました?」

 トイレの便座にちょこんと腰を下ろしたでたらめちゃんは、そんな海鳥の反応を受けて、不満そうにほおを膨らませる。

「ちょっと、困りますよ、海鳥さん。人が時間を割いて説明しているんですから、ちゃんと聞いておいてもらわないと。まさかあんまり話が長いからって、よしさんの裸体の妄想にでもふけっていたんですか? まったく、これだから変態は始末に負えません!」

「…………いや、耽ってないけど」

 対して海鳥は、床に座り込んだまま、でたらめちゃんを見上げるようにして言葉を返す。

 先ほどまでと同じ、ここはトイレの個室内である。その窮屈極まりない空間の中で、海鳥とでたらめちゃんの二人は、向かい合うように座っている。本来なら場所を移動するべきなのだろうが、海鳥が腰を抜かしてしまっているせいで、それがかなわないのだ。

「……困るって、それはこっちの台詞せりふだよ。そんな意味不明なことをいっぺんにまくてられて、理解が追い付くはずないでしょ?」

「ほう、意味不明ですか。具体的に、私の説明のどの部分がお分かりにならなかったと?」

「な、何もかもだよ。あなたの言っていることも、あなたの存在そのものについても、私はさっぱり訳が分からないんだから」

 吐き捨てるように海鳥は言う。分かりやすく取り乱してこそいないとはいえ、その表情には、隠し切れないほどのしようすいの色がにじていた。

「……ねえ、本当におなかの方はなんともないの?」

 憔悴の原因は言うまでもなく、先ほどの包丁の一件である。海鳥の手には、でたらめちゃんの柔らかい腹部に包丁を突き立てる感触が、今もはっきりと残っていた。目の前に飛び散る血しぶき、強烈な血なまぐささ、なにもかもまぎれもない現実の出来事だった筈だ……が、当のでたらめちゃんは、

「ええ、もちろん大丈夫ですよ。肉体は完全に再生させましたから、傷跡なんて一つも残っていません。この通り、元気いっぱいです」

 そうはつらつと言いながら、自分でシャツをめくって、その腹部を海鳥にさらしてくる。そこには本人の言葉通り、包丁で刺された痕跡など欠片かけらも残っていなかった。まるで、さっき海鳥が目にした光景も、その手で味わった感触も、すべてうそだった、と言わんばかりに。

「…………っ!」そんなでたらめちゃんのすべすべのおなかを凝視しながら、うみどりは表情を引きつらせる。どれだけ有り得ないことだと頭で思っていても、こうして目に見える証拠を突き付けられると、納得せざるを得なかった。この少女は本当に一瞬の内に、自らの身体からだの傷を完璧に治癒してみせたのだ、と。

「……あんな奇跡まで見せたのに、まだ受け入れられませんか、海鳥さん? 私があなたたちと同じ人間ではなく、『不死身』のうそである、ということを」

「…………っ~~! あ、当たり前でしょ! そんなちやちやなことを言われて、すぐに『はい、そうですか』って受け入れられる方がどうかしてるよっ!」

 ぶんっ、ぶんっ、と、目の前の現実への理解を拒むかのように、自らの頭を何度も振り回す海鳥。

「だ、大体、『嘘は生き物』って、なにそれ!? う、嘘が生き物なはずないでしょ!?」

「そうは言っても海鳥さん。私がただの人間であるのなら、さっきみたいに傷を治すのは不可能だと思いますよ」

 そんな海鳥に対して、でたらめちゃんはあくまで冷静な声音で、諭すように言葉をかけてくる。「それだけではありません。これまでに起こった諸々の不可思議な点についても、私が普通の人間でないと仮定すれば、一応は説明がつけられます」

「……ふ、不可思議な点?」

「鉛筆泥棒の件、海鳥さんの個人情報、それから海鳥さんとさんが放課後の教室で交わしていた会話の中身。このような、通常の手段ではまず知ることの出来ないような情報についても──私が『人ならざる存在』であったなら、知っていても何も不思議はないでしょう。なにせ、『人ならざる手段』を用いることが出来るわけですから」

 悪戯いたずらっぽく言いながら、でたらめちゃんはめくっていたシャツを元に戻して、

「嘘は生き物、そして私は嘘なんですよ、海鳥さん。いい加減に受け入れてください。というか、さっき海鳥さん自身の目で『有り得ない光景』を見たばかりなんですから、信じる以外の選択肢なんて、そもそもない筈でしょう?」

「…………っ! それは、そうかもしれないけど……っ!」

「……まあ、分かりますけどね。いまだ理解が追い付かないという、海鳥さんのお気持ちは。人間が普通に生きていて、私のような存在と出会うことなんて、まずないでしょうから」

 でたらめちゃんは、ひとりでに納得したようにうなずいてみせて、

「そもそも嘘の〈実現〉というのは、そうめつに起こることではありません。当たり前です。あなたたち人間に毎日のようにかれる嘘が、いちいちそんな風に実体化していたら、この世界はもっと滅茶苦茶になっているでしょうからね。

 ある『条件』をクリアしなければ、嘘は〈実現〉を遂げられないのです」

「……ある『条件』?」

「ええ、その『条件』とは──」でたらめちゃんは、人差し指を一本立ててみせて、「たった一つだけです。ずばりそのうそに、『』という、強烈なおもいが込められているかどうか」

「…………『』?」

「ええ。人間は嘘をくとき、必ず『この嘘が本当であってくれたら』と思っています。どんな嘘だろうと、それは不変です。

 例えば仮病少年にしても、本当に病気になれたなら嘘なんて吐かず、堂々と学校を休むことが出来るわけでしょう? 嘘とは基本的にバレるリスクを伴うもの、そしてバレてはいけないものです。誰も好き好んで、そんなものを吐きたいとは思いません。もしも真実だけを話して暮らしていけるのなら、そんなに楽なことはないと誰しも考えることでしょうね」

「……そうなの?」

 不思議そうにうみどりつぶやく。元々からして嘘を吐けない彼女にとって、それはいまいちイメージのしづらい感覚である。

「そして、その想いの丈こそが、どういうわけか嘘を〈実現〉させるエネルギー源になってしまうのですよ。『これが本当になってほしい』が一定値を超えた場合に、嘘は〈実現〉を遂げるのです」

 と、そこででたらめちゃんは大きく息を吸い込んで、

「──そして、いざ嘘が〈実現〉してしまえば、一体何が起こるのか? それについても、まだ説明できていませんでしたね」

「……え?」

もつたいぶっていても仕方ないので、結論から述べましょう──〈実現〉した嘘は、『本当』になろうとします」

「…………?」海鳥は眉をひそめて、「『本当』になろうとする? どういうこと?」

「要するに、、ということですよ。

 例えば、『自分は病気だから学校に行かなくてもいい』という嘘を吐いた子供を、嘘は本当に病気にしてしまいます。『自分は不老不死だ』と嘘を吐いた者を、本当に不老不死にしてしまいます。『世界は今日中に滅亡する』と誰かが嘘を吐いたなら、本当にその日の内に、世界を滅ぼしてしまうのです」

「………………はあ?」

 海鳥はいっそう表情を険しくさせる。『なに言っているんだこいつ?』と顔に書いてあるようだった。

「……な、なにそれ? たかが嘘を吐いたくらいで、そんなことあるわけなくない?」

「いいえ、あるわけあるのです。それが〈実現〉した嘘の恐ろしい所なのですよ。どんな荒唐無稽に思えることでも、うそは例外なく本当に変えてしまいます。世界を『ねつ造』させてしまいます。たった一人の嘘きのせいで、本当に地球だって滅びかねません。そんな馬鹿みたいなことを本気で願える人間がいたら、の話ですけど」

「で、でも私、これでも十六年生きてきたけど、そんな天変地異みたいな出来事に出くわしたことなんて、一回もないんだけど?」

「それがそうとも言い切れないんですよ、うみどりさん。『世界が滅ぶ』はないにしても──例えば『乗り物が空を飛ぶ』なんかは、十分に吐かれ得る嘘でしょうからね」

「……どういうこと?」

「飛行機ですよ。飛行機は、人類の努力とえいによって発明されたものとされていますけれど、果たして本当に、飛行機を空に浮かべたのは人間だったのでしょうか?

 本来なら、鉄の塊が空を飛ぶなんて物理的に有り得ないはずだったのに……どこかの誰かが『鉄の塊は空を飛べる』という嘘を吐いて、、どうします?」

「……物理法則が書き換わる? な、なにを言ってるの? 飛行機が空を飛べるのは、確か、翼で空気の流れが下向きに曲げられて、揚力が発生するからで──」

「ですから、そのもっともらしい理屈こそ真っ赤な嘘なのかもしれない、と言っているんです。百年ほど前、初めて飛行機が空を飛んだとされている時代に、どこかの誰かによって吐かれた、ね」

「……まさか。そんなちやちや、有り得るわけ──」

「あるいはその嘘は、百年前と言わず、つい昨日吐かれたものなのかもしれません」

「……は?」

一昨日おとといまで飛行機なんてものはこの世に存在しなかった、という可能性もあるのですよ」

「…………??」

「いいですか? 仮に昨日、そういう嘘が本当に吐かれたとしましょう。嘘は〈実現〉を遂げ、世界を書き換えてしまいました。けれど世界が書き換えられた事実については、誰にも知覚出来ません。飛行機はずっと昔から、空を飛んでいたことになります。それに関連する様々な事象も、まるごとすり替えられ、二度と覆りません。誰も嘘のせいで世界がねつ造されたなんて、考えもしないでしょう」

「……世界がねつ造される? ただ嘘を吐いただけで?」

「もちろん、これはあくまでたとえ話です。飛行機が人間の手によって産み出されたまっとうな発明品なのか、それとも嘘の力によるでっちあげの代物なのかなんて、私には分かりません。ただ、嘘には『そういうこと』も出来るのだということだけ、理解しておいてください。

 海鳥さんが当たり前と思っている常識は、昨日誰かの嘘で書き換えられたものなのかもしれません。あるいは明日、また別の誰かのうそで書き換えられてしまうかもしれません。どうです? そう考えたら、たまらなく恐ろしくなってくるでしょう?」

「………………」

 確かに恐ろしい、とうみどりは思った(でたらめちゃんの言っていることが、全て真実だと仮定するなら、だが)。そんなものはもう、神の力だ。個人の都合で世界の法則まで書き換えてしまうなんて、明らかにじんを超越している。

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