1 えんぴつ事件(2)

 ◇◇◇◇

 海鳥は帰宅した。

 304号室の扉を開けて、玄関に入り、靴を脱ぎながら電灯のスイッチを入れる。まだ日没前とはいえ、窓がカーテンで覆われているため、あかりがないととても暗いのだ。

 玄関から進んですぐ右に、簡素な台所と冷蔵庫がある。左にはトイレと浴室・脱衣所が並ぶ。曲がらずにぐ行けば、ベッドとクローゼットと、後は丸テーブルくらいしか置いていないリビングに辿たどく。リビングの突き当たりに備え付けられた窓からは、隣のビルのコンクリート壁くらいしか見えないため、カーテンが開かれることはめつにない。

 このマンションの一室が、うみどりとうげつの生活空間だった。彼女は去年の春ごろから、ここで一人暮らしをしている。

「……ふぅ」

 海鳥は靴を脱いでから、一息ついた。「……ふぅぅぅぅぅ」そのまま、床に倒れ込む。

「……ふふっ、あはははははっ!」

 やがて、薄気味悪く笑い始めた。

「あははははっ! ああもうっ──興奮し過ぎて、死ぬかと思ったよ!」

 彼女はあおけのまま、かばんの口に手を突っ込んで、ごそごそと、やがて『何か』を引っ張り出した──紙袋である。国語辞典くらいの大きさで、セロハンテープで口が閉じられている。海鳥はテープをがして、袋を逆さにした。中身が落ちてくる。

 、海鳥はこうこつとした表情を浮かべる。

「……ああっ、! 奈良! 奈良ぁ……!」

 海鳥は鉛筆を握りしめ、いとおしそうにクラスメイトの名前を連呼する。

「しかしまさか、奈良があそこまで勘付いているとは思わなかったよ。一年生のときはまるで気付く様子がなかったから、油断した……」

 そのまま立ち上がることなくうみどりは、床をい始めた。「だけど。これが試験だったら、奈良は落第なんだよ? 100点満点で、5点って所だね」這って、冷蔵庫の方へと近づいていく。

「人間なんだから、ミスはする。しない方がおかしい」

 海鳥は冷蔵庫の扉に手を掛ける──一気に開く──そこにあったのは。

 整然と陳列された、数えきれないほどの鉛筆だった。

、五回くらいは、失敗することもあるってね」

 だらしなく表情を崩しながら、海鳥はようやく立ち上がる。

「ちょっと早いけど、ごはんにしようか。気分がいいし、それに鮮度が命だしね」

 冷蔵庫の扉が閉じられる。その後、海鳥は鉛筆を握ったまま、制服から着替えることもせず、台所の前へと移動していた。

「素材がいいんだから、シンプルでいいよね」

 あらかじめ炊いていた白米を、海鳥は炊飯器からよそう。そしてプラスチック製の箸と、か台所に置かれていた『鉛筆削り』を持って、リビングの丸テーブルへと向かう。

 足をだらけさせて座り、鉛筆削りをちやわんの上に掲げる。小型の鉛筆削りである。蓋をしなければ削った芯が外にあふれてしまう構造だが、海鳥によって既に蓋は外されており、しの状態だった。

 そして奈良よしの鉛筆を、削り始めた。

 鉛筆の削りカスが、白米に降りかかっていく。芯の先がとがり切るまで削る。それ以上削りにくくなると、机でわざと芯の先をたたき折って、また削りやすくする。その繰り返し。削りカスで白米の部分が見えなくなるまで繰り返し。最後に、机上に転がる黒鉛の欠片かけらをパラパラとまぶして、海鳥は満足そうに息をいた。

「やっぱり金曜日の夜は、奈良の鉛筆かけごはんに限るよ」

 いただきますをしてから、海鳥は、鉛筆の削りカスまみれの白米を、口の中へとかきこみ始める。

 黒鉛の何とも言えない苦味と、カスの部分のシャリシャリとした食感が口いっぱいに広がる。とてもはずだし、何より確実に身体からだに悪い。しかし当人は幸せそうである。もぐもぐ、とのように口を動かし、くだかれた鉛筆を喉の奥へと流し込んでいく。

「ふーっ。ごそうさま!」

 やがて1分ほどで平らげると、海鳥は満足そうな声を上げ、大きく伸びをしていた。

「そうは言ってもなぁ。春休みに、大分冷蔵庫の中身を消費しちゃったからなぁ。ハイペースですり替えたい所なんだけど……今日で警戒されただろうしなぁ。しばらくは控えるべきなんだろうな、やっぱり」

 しかし、いざとなれば『保存用』を切り崩せばいいだけなので、うみどりは言うほど慌てていない──彼女は盗んできた鉛筆を、おおよそ二種類に分けて保管している。『賞味用』と『保存用』だ。最初はどの鉛筆も『賞味用』であり、半分ほど食べた所で『保存用』に切り替わる。冷蔵庫に保管されている鉛筆の中で、最も古い『保存用』の鉛筆は、去年の五月に盗んだものである。

 そして彼女が背を向けているベッド、その収納スペースには、大量の新品鉛筆がストックされている。『すり替え用』の鉛筆である。新学期に入ったらすり替えまくろうと、春休み、近くの100円ショップでそろえたのだ。そういった意味でも、海鳥は肩透かしを食らったかつこうになってしまった。新学期が始まって、まだしか盗めていないのに。

「……悪いとは、悪いとは思ってるんだよぉ、

 ニタニタと、やはり気味の悪い笑みを浮かべながら、海鳥はつぶやく。

「でも、ごめん……どうしても自分を抑えられないんだ。私、うそけないからさ」

 ──ピンポーン。

 と、そこで唐突に、海鳥の部屋のインターホンが鳴らされていた。

「…………?」

 誰だろう? 海鳥は考える。宅配を頼んだ覚えはないし、彼女は近所付き合いなど一切していないので近隣住民ということも考えにくい。新聞のセールスか何かだろうか?

「……ドアスコープをのぞいて、面倒くさそうだったら居留守を使えばいいか」

 海鳥はそんな風に結論付けて、立ち上がり、玄関の方へ向かう。いらたしな足取りである。せつかくのおたのしみの、余韻の時間を邪魔されて、内心穏やかではないのだ。

「……え?」

 しかしスコープを覗いた瞬間、彼女の中から、そんな苛立ちはせてしまっていた。

 ドアの前に立っていたのは、頭からネコミミの生えた、半泣きの女の子だったからである。

「……えっと」

 落ち着いて、海鳥は少女を観察してみる。当たり前だが、実際にネコミミが頭から生えている訳ではなかった。そういう『服』だ。パーカーのフードの部分に、ネコのミミが付いている。随分と可愛かわいらしい服だ、と海鳥は素直にそう思った。

 それからフードの下、少女の髪を見て面食らう。髪型が奇抜だったのではない。やや癖っ毛気味の、ありふれた普通のショートカットだ──奇抜なのは、その髪の色だ。毛先まで真っ白け、一本残らず総白髪なのである。染めているのだろうか?

 そして何よりも、少女は半泣きだった。スカートの裾をまみながら、すがくような目でドアスコープを見つめて来ている。向こう側から室内を覗くことは、スコープの構造上出来ないのだが、それほどまでに切羽詰まっているということらしい。

「……ちょっ、どうしたんですか?」

 うみどりたまらずドアを開け、謎の少女に呼びかけていた。

「……う、うああ」

 果たして少女は、救われたようなまなしを海鳥に向けて、両肩を震わせる。

「……あ、あの、トイレを、トイレを貸していただけないでしょうか?」

「……ああ」

 その一言で、海鳥はおおよその事情を理解していた。

「わ、私、この階に住んでいる者なんですけど、鍵をくしちゃって……親はまだ帰ってこないし、この辺近くにコンビニもないし、もうどうしようもなくて……そ、それで」

「うん、もう分かったよ。大丈夫だから」

 海鳥は穏やかな笑みを浮かべつつ、少女にささやきかける。

つらかったね。よく頑張ったね。トイレ、貸してあげるから、どうぞ上がって」

「──! あ、ありがとうございます!」

 少女ははじかれたように頭を下げていた。そして相当余裕がないのか、駆けこむようにドアの内側へと入ってくる──まあ大丈夫だろうと、海鳥はドアを閉めながら考える。確かにこの部屋には、見られたら困るがある。しかし困るのは、あくまでも被害者ならに見られた場合だ。言ってしまえば、ただ鉛筆を冷蔵庫に入れているだけなのだ。よしんば見られたとしても、変わった人だと思われるだけだろう。そもそもトイレを貸すだけなのだから、冷蔵庫の中身なんて見られる心配もないのだが。

「え、ええと、ええと、それで、トイレは……っ!」

「ああ、ごめんごめん。玄関入ってすぐなんだ。今開けるね」

 海鳥は、玄関から見て左手に設置された引き戸を急いでスライドさせ、電灯のスイッチを入れる。

「はい、遠慮せずに使ってくれたらいいから……」と、そこで海鳥は、僅かに疑問を抱く。「……?」この少女はたった今、『自分はこの階に住んでいる者だ』と名乗った。しかし、こんな奇抜な髪色をした女の子が、本当にこの階に住んでいただろうか? いくら近所付き合いに無頓着な海鳥でも、ここまで人目を引く隣人、一度でも見かけたら絶対に忘れないと思うのだが……。「……って、あれ? それ何?」

 海鳥はぼんやりとした口調で、少女が握りしめている『それ』を指差して問い掛ける。

『それ』は刃渡りが10㎝ほどの、包丁だった。

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