1 えんぴつ事件(1)

「泥棒だよ」

 は出し抜けにそう言った。

「泥棒に遭ったみたいなんだ」

「…………え?」

 うみどりは驚いて、机の中身をかばんう手を止める。

 とある県立高校の、二年生の教室。

 六時限目の授業が終わり、生徒たちがこぞって帰り支度を進める中で、二人の女子生徒だけが動きを止めていた。

 片方は奈良よし、短い髪の少女。

 もう片方は海鳥とうげつ、長い髪の少女。

「……えっと、泥棒?」

 海鳥は言いながら、抱えていた鞄を、ひとまず椅子の下へと仕舞い込む。

「いきなりどうしたの? 泥棒ってことは、何かないの?」

「ないんじゃなくて盗まれたんだよ」

 食い気味には、くたびれた声でかぶせてきた。

「……な、なんだか深刻そうだね。財布か携帯でもなくなった?」

 心配そうにうみどりは尋ねたが、奈良は首を振ってそれを否定する。

「財布? 携帯? ぜんぜん違うよ。私が盗まれたのは──

「え?」

「…………は?」

 奈良の言葉に、海鳥はしばらく黙り込んだ。ほおを引きつらせ、何も言えないという様子だった──が、やがてげんそうに眉をひそめて、

「……ちょ、ちょっと、奈良ってば、何言ってるの? ? 要するに、どこかで鉛筆をくしたってこと?」

「違うよ海鳥。ないんじゃなくて、盗まれたんだって」

 またも奈良は食い気味に被せてくる。海鳥は困り果てたように頬をいた。

「……いや、意味不明なんだけど。なに? なにかの冗談?」

じんも冗談なんかじゃないよ、海鳥。私は大マジさ」

 奈良は、なにやらうんざりしたように鼻を鳴らす──鳴らしただけで、その表情に変化はない。僅かも、一ミリたりとも、変化がない。。緩まない頬はろうで塗り固められたかのようだ。

 奈良よし。赤みがかった髪を首元の辺りでそろえた、線の細い、どこか冷たい雰囲気をまとった少女である。

「まあ、聞いてくれって海鳥……キミも承知の通り、私は根っからの鉛筆党さ。シャープペンシルなんて、そんな軟弱じゃない筆記用具は使わない。ただ鉛筆ってのは基本的に折れやすいから、しかも芯が折れちまうとどうしようもないから、常にペンケースの中にストックを切らさないようにしているのさ。きっちり、五本のストックをね。

 これは小学生の頃から続けている。そして私は物持ちが良い方で、自分の部屋でペンケースの中身を取り替えることはあっても、失くしたことはほとんどないんだ。高校に入学してからに限れば、それこそただの一度もね」

 だが、表情は乏しくとも、声音までもが冷ややかというわけではない。

 むしろ表情の無さと反比例するように、口調の方は軽やかである。よどみなく、情緒豊かに、彼女はしやべる。喋りたくて仕方ないという風に。

「……はあ? な、なにそれ?」

 一方、そんな奈良の説明を受けた海鳥の困り顔は、いっそうひどくなっていた。

「つまり、自分はこれまで一度も鉛筆を失くしたことがないから……だから誰かに盗まれたに違いないって、奈良はそういうことを言いたいわけ?」

 うみどりとうげつ。こちらは艶のある黒髪をおしりの辺りまで伸ばした、目元の優しげな、いかにも温和そうな雰囲気の少女である。ちなみに高校二年生の女子としては相当の長身であり、その目線の位置は、のそれと比較すると頭一つぶんほども高い。

「い、いやいや、流石さすがにその理屈はちやでしょ。奈良がどれだけ管理を徹底していたのかは知らないけど、筆記用具なんて普通に使っていれば落とすのが当たり前だし……そもそも鉛筆なんて、そんなどこの100円ショップでも買えるようなもの、誰もわざわざ盗むわけないし。盗まれるほどの需要がないってば」

「……まあ、確かにね」

 諭すような海鳥の物言いに、奈良は無表情でうなずいて、

「海鳥の言う通りさ。くさないように意識はしていたつもりだけど、なにかしらの抜本的な対策を講じていた訳でもないし……何より私には大量の鉛筆のストックがある。一本くらいなくなった所で、痛くもかゆくもないよ。だから、ただ鉛筆がなくなっただけなら、私も『あ、うっかりしちまったな』って思う程度だったろうね。

 だからこの場合は、何が盗まれたかじゃない──どう盗まれたかが問題なんだ」

 奈良は自分の机の中から、ペンケースを引っ張り出していた。そして机上に、われていた鉛筆を取り出して並べる。

「……ん? いや、五本あるよ?」

 果たして、指折り数えたうみどりの言葉通り、並べられた鉛筆の数は五本。

「そうさ、鉛筆はちゃんと五本そろっている──だからこそ、盗まれたんだと確信できる」

「…………?」

「まあ、まずは触って確認してみなよ。それで全部わかるはずだからさ」

 海鳥は促されるまま、五本の内から一本の鉛筆を選び、手に取ってみる。

「どうだい?」

「……特に変わったところのない、普通の鉛筆だね」

「そうかい。じゃあ次は?」

 首をひねりながらも、海鳥はやはり促しに従う──そして二本目で、眉をひそめていた。

「……なにこれ? なんか微妙にへこんでる?」

 それは、鉛筆の中腹部分。見ただけではまず分からない、触らなければ気付くことの出来ないような、かすかな凹みだった。

 海鳥はその後も、鉛筆を順々に確認していったが、最初の一本を除いて、すべて凹まされていた。凹みの場所はそれぞれ違うものの、触らなければ気付けない、というのはどれも同じだ。

「それね、私が凹ませたんだよ」海鳥が五本目を確認し終えるのを見計らって、は語りかけてくる。「硬いところに打ち付けてね。ほら、鉛筆って軟弱だからさ」

「……意味が分からないよ。四本を凹ませて、一本だけは凹まさない。何のおまじない?」

「そう考えると難しいのかもしれないけどさ。つまり鉛筆は、最初は五本とも凹まされていたんだとしたら、どうだい?」

「……はあ?」

 海鳥はしばらく言葉の意味が分からないという風に、首をかしげていたが、「──っ!」突然ハッとしたように、その顔をこわらせていた。

「気付いたようだね、海鳥」

 無表情で、満足そうに鼻を鳴らして、奈良は言う。「私は昨夜、ペンケースの中の鉛筆、五本全てに細工をした。触らなければ気付けないような凹みを、それぞれ異なる場所につけた。ちゃんと凹んでいたことは、一時限目が始まる前に確認している。だけどこの通り、だか一本から、凹みが消えちまった。れいさっぱり跡形もなくね。

 傷や摩耗が自動で修復される、なんて機能は鉛筆にはないよ、当然ね……だからこの鉛筆は、私の鉛筆じゃない。銘柄、長さ、芯のとがり具合が、元々の鉛筆と全く変わらないだけの、違う鉛筆だ。それなら私が凹みを付けた鉛筆は、一体どこに行っちまった? どうして私のじゃない、私のにそっくりな鉛筆が、私のペンケースの中にあるんだ?」

 奈良は無造作に一本を手に取って、その凹みをでる。

。私にばれないように、私の鉛筆を盗んだ人間が、どこかにいる。銘柄も、長さも、芯のとがり具合までそろえるなんて、正気の沙汰じゃあない。そんなことをする人間は正気じゃない。正気じゃないその泥棒は、私の鉛筆を、一体どうして盗んだ? 筆記用具を家に忘れて困っていた? まさか! 変態だよ! 特上の変態さんだよ!」

 は無表情で──心底気味悪そうな声色で、吐き捨てていた。

 対して、うみどりはぽかんと口を開けたまま、ぼうぜんと固まっている。

「最初はね、違和感だったんだ。つい一時間前に握っていた鉛筆と、今握っている鉛筆が、どこか『違っている』って感覚。具体的に、どこがどうとは言えないんだけどさ。もちろん気のせいだと思ったよ。そういうことは去年の後半に、五回くらいはあったけれど、気にしなかった。よしんばそんな変態がいるとしても、私に気付かれないようにそっくりの鉛筆とすり替えるなんて、到底無理だと思ったからね」

「…………」

「だから面白半分だった。正気の沙汰じゃないにしても、到底無理に思えるにしても──物理的に不可能って訳じゃあない。もしかしたら変態は、いるのかもしれない。物は試しで、確認してみようと思い立った。後で友達への、笑い話にでもするつもりでね。名探偵を気取って、わなを張ったのさ。気付かれる可能性は低いと踏んでいたぜ。常軌を逸してまで、私に気付かれないことに神経を張り巡らせている泥棒だ。きっと恐ろしく慎重な人間に違いない。だからこそ、犯行に及ぶ瞬間だけは、大胆にならざるを得ない。モタモタしていたら人目についちまうからね。目印を確認している暇は、ないだろう」

 奈良はそこで言葉を切って、一呼吸入れた。かなり疲れている様子だったが、やはり表情には出ない。

「事実に気付いたのは昼休みだ。がくぜんとしたよ。どれほど気持ち悪かったか、とても筆舌には尽くせない。泥棒……仮に『鉛筆泥棒』と名付けようか。やつこさんの変態性はちようきゆうだ。

 ちなみに、言わずもがなのことだとは思うけれど、これはキミをからかう目的で行った、自作自演とかじゃ決してないからね? そりゃあ確かに、私はそういう冗談大好きだけどさ。今回はマジだ。冗談であって欲しいと切に思うけれど、残念ながら大マジなんだ。こう見えて、中々にグロッキーなんだぜ、今の私は」

「…………っ! な、なにそれ……!?」

 と、ようやく海鳥は口を開いていた。いつの間にか、その表情からは完全に血の気がせている。たった今奈良から告げられた事実に、よほどの衝撃を受けているらしい。

「え、鉛筆泥棒って……つまり奈良は、そんな気色の悪いストーカーみたいな人が、このクラスの中にいるって言いたいの!?」

「残念ながら、その可能性は高いと言わざるを得ないよね」奈良はつまらなそうな顔のまま、悲しそうに息を漏らして、「私だってクラスメイトを疑いたくはないけれど……そんな神懸かり的な犯行が出来るのだとしたら、鉛筆泥棒はある程度、私と距離の近い人間に限られるだろう。それこそ、こんな風に人目を気にせず話していれば、うっかり犯人の耳に届いちまうかもしれないくらいには」

 は帰り支度を進める、大勢のクラスメイトを見回して、「だからこそ……これは……揺さぶりの意味もあるのさ。慎重であるということは、イコール臆病であるということだからね。私が犯行に気付いている、なんて話を間近でされて、平静を保てるはずがない。必ずボロを出す──ま、実際は帰り支度で忙しくて、誰も私たちの話し声なんて聞こえていないみたいだけど」

 アテが外れた、という風に肩をすくめて、いきを漏らす奈良。一方のうみどりなおもキョロキョロと、どこかおびえた様子で、視線を泳がせ続けている。

「犯人はこの中にいる。その事実に、気色悪さに、私は昼休みからこっち、ずっとぼーっとしていたんだけどさ……放課後前の今になって、ようやく落ち着いたよ」

 奈良は言いながら、依然として落ち着きのない海鳥の瞳を見据えて、

「そんなわけで、私は鉛筆泥棒を見つけ出そうと思う。海鳥にも、ぜひ協力してほしい」

「……え?」

「そんな得体の知れないストーカーが近くにいるとか、普通に不愉快だからね。存在に気付いてしまった以上、放置は出来ないよ。それに、今は鉛筆を盗まれるくらいの被害で済んでいるけれど、この先もそうだとは限らないわけだし」

 奈良はおつくうそうに息をついて、「とはいえ、この段階で先生に相談しても、まともに取り合ってはくれないだろうから──『お前の勘違いじゃないのか?』って言われるだけだろうから、私たちだけで何とかするしかないんだよね。自力で犯人を特定して、変態行為をめさせないといけない。まったく面倒なことこの上ないよ。そんな気色悪い変態のために、こっちの労力を割かないといけないなんてさ」

「…………はあ」

「だからこそ目撃証言が欲しいんだよ。海鳥、キミは私の隣の席だろう。どうだい? 昼休み、私の机の周りで、怪しい動きをしているやつはいなかったかい? あるいは、この鉛筆と同じ種類の鉛筆を、どこかで見たりはしなかったかい?」

「……うーん」

 尋ねられて、海鳥は思案気にけんまんでいた。何やら言葉を選んでいる風である。

「……ごめん奈良。悪いけど、力になれそうもないよ。犯人は見てないし、昼休み以降に、その盗まれた鉛筆とやらを見た覚えもないから」

「……そうかい」奈良は脱力した風に肩を落として、「残念だよ。まあ、そう簡単に尻尾をつかめる筈もないんだけどさ」

「……でも、奈良の言う通りだね。これはのっぴきならない事態だと思うよ」

 と、顔を青くしたままの海鳥は、ひとりでにうなずいて、

「今回はこれくらいで済んだから良かったけど、次もそうだとは限らない。ちゃんと対策を練らないとね……」

 そうブツブツとつぶやきを漏らしていた。その声音といい、表情といい、真剣そのものである。彼女なりに、級友であるの身に降りかかった怪事件について、一生懸命に考えを巡らせているらしい。

 そんなうみどりの姿を見て、奈良は無表情のまま、どこかうれしそうに鼻を鳴らしてみせる。

「……ふふっ。やっぱり、キミに相談したのは正解だったみたいだね、海鳥」

「え?」

「そこまで真剣に私の身を案じてくれる友達なんて、キミくらいだよ。鉛筆泥棒の件は、あくまでキミにとってはごとはずなのに、さっきからまるで自分のことのように思い悩んでくれているじゃないか。こんな良い友達に恵まれて、私は本当に幸せものだ」

「…………奈良」

 奈良の言葉に、海鳥は決まりが悪そうに視線をらして、

「や、やめてよ……私、そんな良いものじゃないってば。ただ、他人にうそけないから、思ったことが全部表情に出ちゃうってだけで」

「ああ、よく知っているとも。に一年間も友達をやってないからね──キミほど素直で正直な女の子を、私は他に知らないよ。顔を見るだけで、何を考えているか大体分かっちゃうんだもの」

 からかうような口調で、なおも海鳥をめそやす奈良。もはや言うまでもなく、その間も表情は、無表情のままで固定されている。

 表情豊かな海鳥とうげつと、どんなときでも無表情の奈良よし──どこまでも対照的な二人である。

「これでもう少し付き合いが良ければ、友達として完璧なんだけどね。海鳥ったら、私がたまに『外で遊ぼうぜ』って誘っても、ぜんぜん予定を合わせてくれないんだもの。毎週毎週、どんだけバイトのシフトを入れているんだよって感じ!」

「……あ、あはは。それは本当にごめんね、奈良。私のバイト先、ものすごく人手が足りていなくて、いつも殺人的に忙しいからさ。平日は学校がある分、土日とか祝日とかは、出来るだけ出勤できるようにしたくて」

「まったく、とことんまでお人よしなんだから、海鳥は。そんな店側の都合を、キミが気にする必要なんてどこにもないのにさ。なによりもつたいないってば。たった一回きりの高校生活を、そんなバイト三昧に費やしちゃうだなんて。

 ……ま、私は別にそれでもいいんだけどね。こうして教室で、キミといちゃつけるだけでも十分楽しいから」

 などと言いながら、奈良は片手を伸ばして、海鳥の長い髪を出し抜けにまんでくる。

「きゃっ!? ちょ、ちょっと、なにするの?」

「ふふっ、また放課後はキミと会えなくなるわけだからね。今の内に、この黒髪の感触をたっぷり楽しんでおこうかなって。

 私、一日に四回はキミの髪を触らないと、気持ちが落ち着かなくなるんだよね~。なにせ一年生のときから同じクラスで、ずっと隣同士の席で、毎日のようにキミの髪を触ってきたわけだからさ。キミと会えない土日なんかは、この黒髪ロングを思い出して切なくなるものさ。ある種の禁断症状ってやつかな」

「……っ! も、もう、毎度変な冗談やめてってば、奈良! 私の髪なんかで、そんな変な症状起こすわけないでしょ!? いつも言ってることだけど!」

「ははっ、今さらこれくらいでイチイチ照れるなって。私たち、昨日今日の付き合いじゃないんだから」

 などと奈良は冗談めかしたように言いつつも、しばらくの間、好き放題にうみどりの髪をもてあそんでいたが……やがて満足し切ったという風に、毛先を指先から離して、

「まあ、冗談はこれくらいにして──鉛筆泥棒の件については、じっくり進めることにするよ。最悪でも四月中に解決できるなら十分だろうさ。流石さすがに高校二年のゴールデンウイークに、こんな気色の悪い懸案事項を持ち越したくはないからね」

「……う、うん、そうだね」

 奈良に乱された髪の毛を整えつつ、海鳥も言葉を返す。

「正直私も、どれくらい力になれるかは分からないんだけどさ。ずっとこんな風に仲良くしてくれている奈良の一大事だし、手伝える範囲で手伝わせてもらうよ。もしもその鉛筆泥棒とやらが私の目の前に現れたら、この手でぶっ飛ばしてあげる」

「ははっ、頼もしいね、怖いくらいだ。流石は私の親友だ……そう言えば海鳥。世界で一番怖いもの知らずな泥棒って、何だと思う?」

「……? なにそれ?」

 尋ねられて、海鳥は少し考えてみたが、答えらしいものは浮かばなかった。

「ちょっと分からないかな。教えてよ奈良」

「パトカー泥棒」

 奈良は得意げに言い放つ。それは確かに怖いもの知らずだと、海鳥は閉口した。

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