第二章 教官シド(2)

 ────。


 夜が──明ける。

 アルヴィンがシドとの数奇なかいこうを果たした後。

 アルヴィンはシドを連れ、だ薄暗い森の中を、朝の木漏れ日を頼りに歩いていた。

 そして、その道中、アルヴィンは様々な事情を語っていた。

「本当に……無理矢理起こしてしまって、申し訳ありません」

 アルヴィンが申し訳なさそうに目を伏せ、シドへ言う。

「王家には、古い口伝が言い伝わっているんです。〝王家の者の身に災いが降り掛かった時は、あなたを頼れ〟と、御先祖様……聖王アルスルの口伝と秘伝の魔法が」

 アルヴィンは、自分とシドの右手に刻まれた剣の紋章を交互に見つめる。その紋章には不思議なマナが満ちており、ほんの少し発光していた。

「なるほど。その魔法によって、俺は千年の死の眠りから叩き起こされたってわけか」

 アルヴィンの隣を歩くシドが、おどけたようにそう返す。

「しっかし……まさか、死人が蘇る魔法があるとはなー。さすがに信じられないぜ」

「恐らくは生前、アルスル様とシドきょうとの間に、なんらかのいにしえの魔法契約があったんだと思いますが……何か心当たりはありますか?」

「いーや、俺自身にはまったくないなぁ。過去の記憶もいまいち曖昧だしな」

「そうですか……」

 少し物憂げな表情のアルヴィンを尻目に、シドが続ける。

「しかし、お前を襲っていた、あいつはなんだ?」

「彼は、オープス暗黒教団の暗黒騎士です。闇の妖精神オープスを奉ずる禁忌の邪教団であり、かつて魔王が統治したという北の魔国ダクネシアの騎士団です」

「ったく、昔、散々叩き潰してやったのに、まーだいやがるのか」

 シドがあきれたように肩をすくめていると、アルヴィンが表情を苦くして続ける。

「近年になって、教団は急に活動を再開しました。どうやら、今までずっと地下に潜伏していたらしいんです」

「ゴキブリみたいな連中だな」

「教団は、魔国ダクネシアを復興させ、再び北の大地に魔王を立て、世界をその手中に収めようとしています」

「…………」

「彼らは世界の敵です。彼らの再活動は国家の一大事。今こそ国が一丸となって、連中と戦わなければならないのに……残念ながら、我が王国は足並みがそろいません」

「というと?」

「三大公爵家……すなわち、デュランデ公爵家、オルトール公爵家、アンサロー公爵家……我欲と野心のまま、この国を食い物にしようとする最低な人達がいるんです」

 アルヴィンが静かな怒りを込めて言った。

「このキャルバニア王国は、王家と三大公爵家によって支えられてきました。ですが、先王き今、王家は弱体化、キャルバニア王位は空白状態です。三大公爵家の現当主達は今こそ、自分らがこの国を牛耳ろうと、互いにけんせいし合っている有り様。

 現在は、王家との古き盟約に基づいて《湖畔の乙女》達が、王の代行を務めていますが、王でない彼女達の権限は限られ、公爵家の力を完全に抑えることはできません。

 今の王家の人間は僕だけ。僕が王位を継げば、三大公爵家の力を抑えて一つにまとめ、この国を守ることができます。しかし、この国の王は、代々伝統的に〝騎士王〟です。おきてにより、この国で王位を戴冠するには、騎士叙勲が必要なんです。

 キャルバニア王立妖精騎士学校……僕がそこを卒業し、正式な騎士叙勲を受けるまで後二年。この間、僕の存在が邪魔な三大公爵家は、なんとしても僕の騎士叙勲を妨害しようと画策するでしょう。そこでシド卿、あなたにお願いがあるんです」

 アルヴィンが改まって、シドを真っぐ見つめるやいなや。

「ああ、わかっている。安心しな。俺が、あらゆる悪意からお前を守ってやるよ」

 シドはあっさりと、そう応じてくる。

「ほ、本当にいいんですか……? シド卿」

 アルヴィンが目をしばたたかせて、シドの横顔を見上げる。

「その……仕方なかったとはいえ、僕はあなたを勝手に生き返らせたのに……?」

「〝騎士は真実のみを語る〟。それがきっと、アルスルの望みだろうしな」

「あ、ありがとうございますっ! あなたのような騎士がいてくれるなんて、僕、とってもうれしいですっ!」

 たちまち、喜色を満面に浮かべるアルヴィン。

 だが、シドは不敵に笑いながら、そんなアルヴィンへ冷や水のような言葉を浴びせた。

「だが──悪いが、俺がお前を守るのは、俺がだからだ」

「!」

 シドの指摘に、アルヴィンがはっとする。

「俺は別に、お前に忠誠を誓ったわけでも、お前の騎士となったわけでもない。あくまで俺の主君アルスルに、お前を頼まれたからだ。……わかるな?」

「…………」

「俺が、心から剣をささげたいと思えた相手はアルスルだけだ。要するに、俺はお前のことを認めていない。アルスルの子孫だからと甘やかす気はないぞ?」

 そんな厳しいことを言ってくるシドに、アルヴィンはたちまち消沈していく。

「そ、……そうですよね……シド卿はアルスル様の騎士ですもんね……あなたのような人に守ってもらえるだけでも、それは破格のことですし……はい……」

 どこかかなしそうに目を伏せて肩を落とし、しゅんと落ち込むアルヴィン。

 そんなアルヴィンを尻目に、シドはくっくっと含むように笑った。

「し、シド卿?」

「おいおい、アルヴィン。どうした? お前は王になるんだろう? 今は〝無礼者!〟と言って、俺に斬りつけてもいい場面だぜ? どこの馬の骨とも知れないの一騎士に、王たる者が何言われっぱなしになってんだ? くっくっく」

「あ……ぅ……」

 たちまち恐縮してしまうアルヴィン。

 だが、シドはアルヴィンの頭に手を乗せ、くしゃくしゃとでた。

「察するに、お前は単なる護衛じゃなく、騎士としての俺が欲しかったのか? ん?」

「そ、それは……その……」

 こくん、と。アルヴィンは切なそうにうなずいた。

「ふっ、おかしなやつだな。普通、初めて会った騎士の忠誠を欲しがるか? まぁいい……そういうことなら、お前の王道を魅せてくれ」

 シドが穏やかな笑みを向けてくる。

「王たるお前の歩む道に、俺が心から剣を捧げたいと思える時が来たならば……お前の騎士になってやってもいい。……こんな《野蛮人》でよけりゃな」

 すると、アルヴィンはたちまち、表情をぱぁっと明るくした。

「は、はいっ! 僕、頑張ります! その時はどうかよろしくお願いしますっ!」

「こら。王たる者が簡単に頭を下げるな。それじゃ王冠なんて、すぐずり落ちるぜ?」

「あっ!? は、はいっ! ご、ごめんなさいっ!」

「ははは、こりゃ前途は多難だな、未来の我が主君候補見習い代理補佐殿?」

「そ、そこまでダメですか!?」

 がーん、と涙目になるアルヴィンであった。

 と、そんなやりとりをしながら、二人が森を進んでいると。

 やがて森が尽き、崖に面した場所に出る。二人の前で視界が一気に開ける。

「あ、シド卿。見えましたよ。あれがキャルバニア城です」

 アルヴィンが、地平線の辺りを指さす。

 崖上から遠く望む先、連なる山々の間に建造された巨大な城と、その周囲に広がる広大な城下町──それがまばゆい暁の光に輝いている。

 幾つもの城塔や城館、城壁で構成された巨大な城──キャルバニア城。

 その堂々たる威容は、とても美しかった。

「……キャルバニア城……か」

 シドが王城とその城下町を遠く眺めながらつぶやいた。

「あの城は、シド卿の時代からあったそうです。……なつかしいですか?」

「正直、昔の記憶が曖昧でよくわからん。ただ──」

 シドが、遠く尊い何かに思いをせるように目を細める。

「仕えるべき王が居て、肩を並べる仲間達がいて、守るべき民がいて……かつての俺の全てがあの城にあったんだろうな。今はもう遠い過去の話だが……」

 そんな風に語るシドの横顔は、どこか黄昏たそがれていた。

 そう、彼の主君や友人達はもう誰もいない。今の彼は独りぼっちなのだ。

 なんとなく心中を察したアルヴィンが、シドに寄り添うように立つ。

「寂しいですか?」

「さぁな?」

「ごめんなさい……」

「……ふっ、お前が謝ることじゃないさ」

 くしゃくしゃ、と。シドがアルヴィンの頭を撫でてくる。

「そうですか。ならば、せめて感謝させてください。古き良き伝説時代……強く、気高き騎士達が織りなした華々しい物語の世界……そんな世界の住人が今、僕の隣にいるこの奇跡に……今はただ、無限の感謝を」

 しばらくの間、アルヴィンはシドと共に、キャルバニア城を眺め続ける。

 だが、やがて意を決したように、シドへ向き直り、進言した。

「ねぇ、シド卿」

「なんだ?」

「実は……もう一つ、シド卿にお願いがあるんです」

 と、アルヴィンが何かを言いかけた……その時だった。


「アルヴィン!」


 多くの馬のひづめの音が、右方から段々と近付いて来る。

 見れば、キャルバニア王国旗を掲げて馬に乗った十数名ほどの兵士の小隊が、崖沿いの道を通って、アルヴィン達へ向かって来ていた。

 シドが警戒し、アルヴィンを背中にかばうようにさっと動く。

 だが、当のアルヴィンは、小隊の先頭で馬を駆る少女の姿を見るや否や、表情を明るくして叫んだ。

「テンコ! ああ、来てくれたんだね!」

 すると、アルヴィンの元に駆けつけた先頭の少女──テンコは馬を飛び降りるなり、アルヴィンへ飛びつくように抱きついてくるのであった。

「アルヴィン! ぐすっ……無事で良かった! ごめんなさい! 遅れてしまって、ごめんなさい! 肝心な時に何もできなくてごめんなさい!」

 テンコは、最上質の絹糸のような白髪をうなじでくくり、ややり気味な金色の瞳が特徴的な少女だ。としの頃は、アルヴィンとほぼ同じ、十五、六ほどである。

 亜人族セリアンの中でもひとと呼ばれる氏族の出身だろう。テンコにはきつねを思わせる長い耳と尻尾がある。だが、そんな容姿に野性味こそあれど野蛮さはなく、その他者を拒絶するかのような冷たい美貌からは気高さ──貴人の風格すら感じられる。

 アルヴィンと同じ従騎士スクワイアの正装に身を包んでおり、どうやら彼女も叙勲前の従騎士スクワイア──騎士見習いのようだった。

「僕は大丈夫だよ……心配かけてごめんね……」

 アルヴィンが涙混じりのテンコをなだめ、二人で抱きしめ合っていると。

「王子! よくぞご無事で!」

「さぁ、王城へ帰還しましょう!」

 周囲を囲む兵士達からも、そんな喜びの言葉が次々と上がる。

 しばらくの間、兵士達は皆一様にアルヴィンの無事を喜んでいたが、やがて当然の帰結として、アルヴィンの隣に居た異物の存在へと目が向く。

 不思議な存在感を放ちながら、泰然としているシドだ。

「皆、安心して。彼は僕の命の恩人だ。彼がいなかったら、僕の命はなかった」

 いぶかしむような視線がシドへ集まり始めると、アルヴィンはすぐに釈明を入れた。

「僕は、これから彼を客人として我が王城に招きたいと思う。皆、丁重にお願いするよ」

「お、王子がそうおっしゃるなら……御意に」

 兵士達はそう言って、特に疑うこともなくテキパキと帰還の準備を始める。予備の馬をアルヴィンやシドの元へと連れてくる。

 しかし、テンコだけは、いかにも怪しい風体のシドが気になって仕方ないらしく、チラチラとシドの様子をうかがいながら、アルヴィンへと耳打ちをしてくる。

「その……アルヴィン? あの人は、一体、どこの誰なのですか?」

「ふふ、そうだね。後で詳しく説明するけど、彼はね──」

 すると、アルヴィンは少し悪戯いたずらっぽく笑って、答えるのであった。

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