第二章 教官シド(1)
アルフィード大陸北端部。
周囲を高く険しい山脈に囲まれ、地理的条件と霊脈の関係によって、年中地獄のような凍気、雪と氷に閉ざされた永久凍土の大地。
そんなこの地は、かつての伝説時代に《魔王》と呼ばれた一人の人間が統治していたという、魔国ダクネシアが存在した場所だ。
そして、そのかつての魔国の首都、魔都ダクネシア──今は生きとし生きるものは一人もなく、ただただ
その中央に、
全身にゴシックドレスを
人外の力と引き替えに人を辞めた者──魔人、そんな言葉がピタリと
されど、その人の形をした異形でありながら、頭部に頂いた王冠。その重厚なる威厳に満ちた様は、まさに〝王〟の風格があった。
「なんてこと! 失敗するなんてっ!」
王冠の少女は悔しげに表情を
「まったく、無能ですこと! オープス暗黒教団も存外、使えませんわぁ!」
「あらあら、勝手に教団の暗黒騎士を動かしておいて、また、随分な言い草ですわ」
すると、その玉座の横に、闇の中から影が
それは、漆黒のフード付きローブに全身をすっぽり包んだ魔女だ。
ローブの上からでもわかる、その
「何よ!? あなた達オープス暗黒教団は、私の忠実なる下僕でしょう!?」
「ええ、もちろんですよ? 私の
「なら、私が
王冠の少女は、くすくすと口元だけ笑う魔女へ、ヒステリックに叫んだ。
「せっかく、アルヴィンを殺すチャンスだったのにッ! あいつにだけは、生き地獄を見せてやらないと収まらないわ!」
爪を
「主様の、アルヴィン王子を憎むお気持ちは、よく存じあげておりますわ」
だが、そんな王冠の少女を
「ですが、今は王都にて件の計画を進行させている大事な時……目先の感情に流されての軽はずみな行動は、どうか今後はお控えくださいまし」
「だ、だって! だってぇ!?」
「ご安心なさいませ。その機会は、件の計画が成った後、いくらでも訪れましょう。主様とて、人に
「……ッ!?」
魔女のそんな
やがて。
「ふ、ふんっ! 確かにその通りだわぁ」
意外にも、王冠の少女は、ぷいっとそっぽを向き、あっさりと引き下がる。
「あなたの言うことに間違いはないものね。ごめんなさいね、少し軽率だったわ」
「さすがは我が主様……実にご賢明ですわ」
魔女は、意外と素直な少女を流し見て、妖しく
「しかし……少々気がかりなことが出てきましたわね」
「何がよ?」
「アルヴィン王子を救った、あの騎士について……ですわ」
魔女が唇にそっと手を
「今回、主様が王子へ差し向けたのは、暗黒騎士の中では低位の者とはいえ、弱体化しきった現代の騎士達には手に余る
すると、王冠の少女も疑問を口にする。
「そういえば、そうねぇ。あの森って王家の聖域でしょう? 本来、誰もいないはずの場所で、王子を援助する騎士が現れるなんて、あまりにも都合が良すぎるわぁ。……ねぇ、あなた……その騎士、誰かわかる?」
すると、魔女は再び口元を薄く微笑ませながら、答えた。
「……一人だけ、心当たりがございますわ」
「ふうん? 誰?」
「ええ。実は、キャルバニア王家には、とある古い口伝があるのです」
「……口伝? どんな?」
「シャルトスの森の奥深くに、とある騎士の墓標があり、始祖アルスルの系譜の血をその墓標に捧げることで、その騎士が再び眠りから覚める……そのようなものです」
「まさか、転生召喚の魔法……? かつて、死んだ騎士を
意外そうに目を瞬かせる王冠の少女。
「それで? その墓に眠る騎士の名は?」
王冠の少女の問いに、魔女は厳かに答えた。
「──シド。シド゠ブリーツェ。あの音に聞こえし《野蛮人》シド卿ですわ」
その瞬間、王冠の少女に激震が走った。
「な──ッ!? 《野蛮人》シド卿ですってぇ!?」
がたんと玉座を蹴って立ち、魔女を
「そんなこと、あるはずないわ! そもそも死人が蘇る魔法なんて──」
「──有り得ない、とは言い切れません」
興奮する少女へ、魔女がそっと冷静に返す。
「キャルバニア王家の始祖アルスルは、
そんな魔女の指摘に、王冠の少女が息を
「真偽はまだ不明ですが……その騎士が本当に、伝説のシド卿であり、アルヴィン王子の
「な、なんで……なんであの子ばっかり……ッ!」
がり、と。王冠の少女が激情を顔に浮かべて爪を嚙む。その毒のように滲み出る憎悪だけで人を殺せそうなほどであった。
「ふんっ! たとえ本物だとしても、そんな旧時代の騎士、私達の敵じゃないわぁ!」
「そういきり立つのは結構ですが。まずは真偽の確認こそが先決ですわ」
「その騎士が本当に、あのシド卿なのか……私達の脅威となり得るのか……まずはそこをはっきりさせましょう。現在進行中の件の計画……その〝仕込み〟の片手間に、私は、
「ええ、頼むわぁ」
「はい。全ては主様のため、私は、主様への全霊の力添えを惜しみませんわ……」
そう言って、魔女は笑った。
その一瞬、魔女が深く被るローブの奥底に、ちらりと
その瞳には、底の見えない闇と虚無が渦巻いているのであった──