第一章 野蛮人の転生(1)
──妖精暦一四四六年。
アルフィード大陸中央に存在する、キャルバニア王国。
聖王アルスルを始祖とする王家が統治するその王国の首都、王都キャルバニア。
その北東、シャルトスの森の奥深くには、とある騎士の墓標が立っている。
そして
「……はっ! ……はっ! ……はっ!」
その日は、激しい嵐の夜だった。
暴風と
その馬の背に、一人の〝少年〟が
綿毛のように柔らかな金髪のショートヘア、澄んだ青玉色の瞳が特徴的な〝少年〟だ。
だが、女々しさ、頼りなさは
その姿は、キャルバニア王立妖精騎士学校の生徒──
「僕は……死ぬわけには……いかない……ッ!」
〝少年〟は馬にひたすら
「彼を……早く、彼を
焦燥の火に
人呼んで、《野蛮人》シド卿。
世に語り継がれる彼の姿は、残虐非道、冷酷無比。騎士道の風上にも置けぬ騎士。
だが、〝少年〟が幼い頃から父より語り聞かされた、彼の本当の姿は──
「…………」
今は、
その聖王アルスルを始祖とする、キャルバニア王家には、アルスルが直々に後世へ残したとされる、とある口伝が言い伝わっている──
〝我が子らよ。
〝
〝だが、それを恐るるなかれ。汝らには、汝らを守る騎士がいる〟
〝
〝汝らに災い降り掛かりし時、進退
〝彼の者の墓標に己が血を
〝我が忠実なる騎士にて臣下。我が最愛なる友の、真の名を呼ぶべし〟
〝彼の者は古き盟約に
──ふと、〝少年〟は我に返り、手綱を引いて馬を止める。
そこは
その時、ちょうど夜空に稲光が
大気を震わせる
だが、その白い極光は、丘の天辺に立つ何かに遮られ、その黒い影が無限に伸びて、〝少年〟に深い影を落とした。
「……あった……本当に……」
〝少年〟は半ば
それは、墓だ。
悠久の時を超え、今にも朽ち果てそうな墓が、丘の上にぽつんと寂しく立っている。
だが、
シド゠ブリーツェ。
古き歴史の中、良くも悪くも
「始祖アルスルより伝わる王家の口伝……転生復活の魔法……」
〝少年〟は腰の
左手が浅く切れ、血が滲み出してくる。
その己の血に
「すみません……安らかに眠るあなたを起こすべきでないのはわかっています。それでも……今の僕は、あなたに
手から滲む血は雨に流されつつも、墓石の表面に
「虫の良い話だとは思います……でも、今は、あなたの力を貸してください!」
〝少年〟は墓石の前に跪き、
「この斜陽の国を救うために! どうか、僕の呼び声に応えてください……ッ!」
そして──
「始祖アルスルの系譜、アルヴィン゠ノル゠キャルバニアが、ここに
〝少年〟──アルヴィンは、その名を唱えた。
今は、とうに失われし、彼の者を示す真なる二つ名を。
「|《閃光の騎士》《サー・シド・ザ・》
叫ぶと同時に──
夜天を塗り潰す闇を、世界の
幾条にも
白く
…………。
……やがて、その光が収まって。
世界に再び闇の
「…………」
祈りを捧げるアルヴィンの前には、何ら変わらぬ墓標のみがあった。
何も起きない。呼びかけに応じる者は誰もいない。
静寂。ただ豪雨が発する水の爆音のみが支配する、騒然たる静寂。
そんな残酷な現実を認識すると。
「……ふ、ふふ……だよね……あは、あはは……」
アルヴィンは、祈りの手を
「しょせん、口伝は口伝……死者が
どん……アルヴィンが、墓石に額をつけ、力なく墓石を
その時、後方で馬の
「ッ!?」
思わず立ち上がり、アルヴィンは振り返って身構える。
すると、見下ろす丘の麓には、アルヴィンの馬が哀れ斬り倒されていて。
「よう、アルヴィン王子サマ! さっきぶりだなぁ!? 元気カナー?」
そして、黒
その騎士は剣を肩に
「そろそろ、鬼ゴッコはしまいにしようぜぇ? 王子サマよぉ?」
「暗黒騎士……ッ!」
「そうさ、オープス暗黒教団のジーザ様さ。恨みはないが、アンタを殺す者だ!」
男──ジーザは闇の幽馬からひらりと降りながら、おどけたように言った。
オープス暗黒教団とは、
暗黒騎士団と呼ばれる強力な戦力を有しており、殺人、誘拐、奴隷売買、麻薬取引……国内で起きる、あらゆる犯罪を裏で糸を引いていると言われる地下組織であった。
この日、アルヴィンは少数の供を連れ、公務で王都周辺地域の視察巡幸に出ていた。
その時、突然、襲撃してきたのがこの男──暗黒騎士ジーザだ。
ジーザのその圧倒的な武力の前に、供の者はあっという間に全滅。
アルヴィンは、命からがら逃げ出すしかなく……そして、逃走の果てに今に至る。
「さぁて、鬼ゴッコはしまいだ。そろそろ覚悟を決めな? アルヴィン王子」
軽口だが、ジーザは、身の凍るような圧と殺気を、アルヴィンへと叩き付けている。
「依頼人はアンタの命を所望している。
そう宣言した、次の瞬間。
ジーザは獲物を追う肉食獣のような速度で丘を駆け上り、アルヴィンへと迫ってくる。
そして、その勢いのまま、下から斬り上げた。
逃げる暇もなく、アルヴィンは
激しく
「──きゃあっ!?」
そして、アルヴィンの
「ん?」
そんなアルヴィンを見下ろしながら、ジーザが何かに気付いたように首を
「お前……今、なんか、女みてえな声出したな……?」
「……くっ!?」
アルヴィンはすぐに
だが、ジーザはそんなアルヴィンを、まじまじと
雨で
「…………」
しばらくの間、ジーザはアルヴィンの身体をジロジロと
だが、やがて何かを確信したのか、ジーザは野卑な笑みを浮かべて言った。
「あー、ひょっとして、王子サマ? お前、まさか、そういうことか?」
「な、何の……ことだ……ッ!?」
いかにも何を言っているかわからないという風に、
だが、今の一瞬、アルヴィンの表情に
「ひゃははははっ! 驚いたぜ!? こりゃあ
「……ッ!?」
「だが──お前をブッコロする前によぉ? 色々と愉しめそうだなぁ、おい?」
その瞬間、アルヴィンを見るジーザの目が、表情が──変わった。
残酷な暗殺者の目から、極上の獲物を狙う
自分を見て舌なめずりしてくるジーザの目と姿に、アルヴィンは本能的な恐怖と生理的な
「クッソつまんねぇ任務かと思ったが、思わぬ役得があったぜ! ひゃははははっ!」
「……く、ぅ……ッ!?」
これまで気丈だったアルヴィンの身体が、どうしようもなく震える。
自分の目と鼻の先に、死よりも
だが、それでも……諦めるわけにはいかない。
「ぼ、僕は……」
震える手で
それが、より深い絶望と残酷な最期をもたらすことになろうとも。
自分は──戦わなければならない。
誓ったのだから。この国を守ると。変えると。
今は
「……ぅ、う、ぁああああああああああああああああああ──ッ!」
自分の弱き心を
アルヴィンは、丘の上の男へ向かって、剣を構えて駆け出すのであった──
────。
──何も、なかった。
今の今まで、その男には、何もなかった。
何かを感じる心や身体もなければ、何かを思考する意識もない。
無。闇。零。空。白。虚。
そういった概念となって、その男は、虚無の中を永遠に
だが、不意に誰かに名前を呼ばれたことによって、そんな虚無の男に変化が生じる。
──シド──
その
〝我〟が形作られる。
気付けば──
「……ん? ここは?」
その男──シドは、奇妙な空間に立っていた。