古き掟の魔法騎士

　そこには、色も音もない。白と黒のモノクロームで構成された静寂の世界。

　真っ暗な空。降りしきる豪雨。辺りには平原が広漠と広がり、連なる丘陵が地平線を緩やかに隆起させる。地には無数の騎士達の死体が折り重なり、地平線の果てまで続いている。辺り一面に突き立つ剣や槍（やり）、戦旗達は、まるで彼らの墓標のよう。

　時折、空の裂け目から嘶（いなな）き漏れる雷光が、そんな墓標を闇より照らし上げる。

「……戦場跡……？」

　随分と、寂しい世界だと思った。

　生きとし生けるもののない、死んだ世界。時がその歩みを止めた、停滞の世界。

　だが、こここそが自身の世界なんだと、シドは不思議と確信できる──そんな世界。

　そんな破滅した風景の中に、ただ一人、例外があった。

「…………」

　白黒の世界の中、色を保った一人の青年が、シドの前に背を向けて佇（たたず）んでいる。

　綿毛のように柔らかな金髪、豪（ごう）奢（しゃ）なマントを纏（まと）った威風堂々たる背を持つ青年だ。

　シドが呆（あっ）気（け）に取られて、その背中を見つめていると──

「……シド卿（きょう）。……目を覚ましたんだね」

　不意に、青年がシドに背を向けたまま話しかけてくる。

　途端、男の胸中にこみ上げてくる不思議な感情。郷愁の念にも似た想（おも）い。

「その声は……お前、アルスルか？」

　そんなシドの問いかけに、その青年は、くるりと振り返った。

　憂うような表情を浮かべた青年の美しい顔立ちが、男の前に露（あら）わになる。

「久しぶりだね、シド……」

「ああ、アルスル。会えて嬉（うれ）しいぜ」

　もう随分と長い間、離れ離れだった友を前に、懐かしさで笑みを零（こぼ）すシド。

　だが、同時に戸惑うように、青年──アルスルへと問いかける。

「しかし、俺は……お前に討たれて確かに死んだはず。……なのに、なぜ俺はこんなところに居るんだ？」

　すると、アルスルはシドの問いに答えず、沈痛そうに表情を歪めて続ける。

「……ごめん、時間がないんだ。手短に話そう。シド卿、これから君に、現世に生き返ってもらい、二度目の生を生きて欲しい」

「ん？　なんだって？　二度目の生？」

「現世では、君が死んでからすでに一千年の時が流れている。そこで、その時代を生きる僕の子孫に、騎士として仕えて欲しい。……守ってあげて欲しい」

「……ふうん？　俺に、お前以外の王を、主君に仰げというのか？」

　すると、シドは目を閉じ、しばらく何かに思いを馳（は）せる。

　やがて、目を開き、少し寂しそうに目を伏せ、首を振った。

「や。すまんな、アルスル。……いくらお前の頼みでも、それはできん」

　そして、周囲の寂しい世界を遠い目で見回しながら言う。

「俺は二度目の生に興味なんてない。俺は、俺の人生を精一杯生きた。最期はあんなことになったが、それでも、俺は俺の騎士道を全うできた。悔いはない」

「……シド」

「それにさ……お前がいない世界で、俺にどうしろっていうんだ？」

　と、シドは肩を竦（すく）めて戯（おど）けたように言った。

「知ってるだろ？　俺は生まれついての悪鬼だ。そんな俺に、剣を振るう意味をくれたのは、お前だ。お前がいたから、俺は騎士でいられた。お前がいてくれたから……」

　そして、シドはアルスルを真っ直（す）ぐ見る。

「とにかく、俺はお前だけの騎士だったんだ。俺はもう、お前以外の主君に剣を捧（ささ）げるつもりはない。……悪いが、このまま静かに眠らせてくれ」

　そう言って、シドが目を閉じようとする。

　が。

「だけど、それでも頼む、シド卿……僕は、君に縋（すが）るしかないんだ」

　そんなシドへ、アルスルが懇願するように言った。

「もし、君がこの愚かな僕を、まだ主君として認めてくれるなら、どうか、今一度の生を生きて欲しい。僕の子孫……今、君を喚（よ）んでいる子を助けてあげて欲しい」

「…………」

「本当は、僕も君をこのまま安らかに眠らせてあげたかった。それでも……あの子だけは守り抜かなければならないんだ……この世界のためにも」

「…………」

「忠誠を誓えとまでは言わない。ただ、守ってあげて欲しい。あの子はこの世界の希望なんだ。だから──……」

　そんな今にも泣きそうなアルスルを、シドはしばらく見つめて。

　やがて、ふと口元を歪（ゆが）め、薄く笑った。

「……おいおい、俺の主君ともあろう者が、そんな情けない顔すんな」

「シド……？」

「ははは。あい、わかったよ、親友。お前がそこまで言うなら、是も非もない」

　シドはにやりと悪戯（いたずら）坊（ぼう）主（ず）のように笑って、かつての主君を流し見る。

「お前が、俺にそれを望むなら──俺は己の全てをかけて、それを全うするだけさ。なぜなら、俺は、お前の騎士だからな」

「あ、ありがとう、シド……」

「だがな、アルスル」

　喜色を満面に浮かべるアルスルへ、シドは飄（ひょう）々（ひょう）と言った。

「悪いが、見極めさせてもらうぜ？　お前の子孫とやらが、本当に俺が騎士として剣を奉ずるに相応（ふさわ）しい王か否（いな）かをな──」

　────。

　その時。

　丘の上に立つ墓標に、一（ひと）際（きわ）強烈な稲妻が夜闇を真っ二つに切り裂いて落ちた。

　落雷の直撃を受け、轟（ごう）音（おん）と共に木（こ）っ端（ぱ）微（み）塵（じん）となる墓標。焼け焦げる大地。

　世界が真っ白に白熱して──

　やがて、その光が収まった時──そこには、稲妻の残滓を纏う人影があった。

　歳（とし）の頃は二十歳前後だろうか。黒髪黒瞳。瘦（やせ）肉（じし）ながら骨太の体（たい）軀（く）。簡素ながら古めかしい騎士装束を纏った男の人影が──

「さて──今（こん）生（じょう）の俺の剣の預け先は、どこかな？」

　そんなことを力強く呟（つぶや）いて、男──シドは目を開く。

　そして、バサリと外套（マント）を翻（ひるがえ）して、立ち上がるのであった。

「……えっ!?」

　突如、落雷と共に丘の上に現れた男の姿に、アルヴィンは忘我した。

　今のアルヴィンは全身を酷（ひど）く痛めつけられ、ジーザに胸ぐらを摑（つか）まれ、ぐったり力なく宙づりにされている状態だったが……この瞬間、何もかも全て頭から吹き飛んでいた。

「な、なんだ……？」

　いよいよアルヴィンを……と舌なめずりしていたジーザも、突如現れた男に意識と視線を完全に奪われてしまっている。

「…………」

　当の男は、丘の上で何かを確かめるように手を握ったり開いたりしている。

　だが、やがて男は周囲を見渡し始め、アルヴィンとジーザの存在に気付く。

「誰だ、てめぇ!?　ど、どっから湧いて出て来やがった……ッ!?」

　そんな風に吠（ほ）えるジーザを無視し、男はアルヴィンと目を合わせた。

　そして、男が何か気付いたように目を細めた──次の瞬間。

　ふっ！　不意に男の姿が消えた。

「え──」

　刹那、アルヴィンの身体（からだ）が、がくんと引っ張られる。一瞬、アルヴィンの身体が無重力に捕まり、視界が激流のように流れる。

　気付けば。

「……大丈夫か？」

「あ……」

　アルヴィンは、男に横抱きに抱えられていた。

「な、何だ、今の動きは……ッ!?　は、速（はえ）ぇ……ッ!?」

　そんなことを叫ぶジーザは、十数メトル先にいる。

　男は、アルヴィンを抱えながらも、一分の油断も隙もなく、ジーザを睨（にら）み据えていた。

　そして──

「あ、熱っ!?」

　アルヴィンは不意に、右手の甲に灼（しゃく）熱（ねつ）の感触を覚える。

　見れば、剣を象（かたど）った紋章が、その右手の甲に熱を持って浮かび上がってきたのだ。

「俺を喚んだのは、お前だな？」

　すると、男が己の右手の甲を見せながら、アルヴィンへ言った。

　男の右手にも、アルヴィンと同じ剣の紋章が浮かび上がって来ている。

　アルヴィンはその紋章を通して、霊的な経絡（パス）のようなものが男と繫（つな）がるのを感じた。

「あ、あの……ッ!?　あなたは……ッ!?」

　男に抱き抱えられたままのアルヴィンが、あたふたと問いかける。

「ふっ、少年。人に名を問う時は、まず、自分から名乗るもんさ。違うか？」

「うっ……は、はいっ、すみませんっ！」

　恐縮そうに身を縮こまらせながら、アルヴィンが名乗る。

「僕は、アルヴィン……始祖アルスルの系譜、アルヴィン゠ノル゠キャルバニア……」

「アルヴィンか。……なるほど、なかなか良い名だ」

　すると、にやりと笑って、シドも名乗りを上げる。

「俺の名は、シド。シド゠ブリーツェ。偉大なる聖王アルスル第一の騎士」

「あ、あなたが、シド……あの伝説のシド卿……？　ほ、本当に……？」

　アルヴィンの誰（すい）何（か）に、シドはアルヴィンへ穏やかな笑みを向けてくる。

「ああ、そうだ。お前の喚び声に応え、推参した。……あいつは、お前の敵だな？」

　そして、十数メトル先で呆（あっ）気（け）に取られているジーザを、シドはちらりと流し見る。

「……う、うん！　敵……ですけど……」

「なら、下がってろ。早速、カタしてやろう」

　そう言って、シドはアルヴィンを下ろす。

　激しい負傷で足に力が入らないアルヴィンは、ぺたんとその場に腰を落とす。

　そして、シドはそんなアルヴィンを背に庇（かば）うように、前へ出た。

「俺がお前を守ってやる」

「あ、ありがとうございます……でも、その、あの……ッ！」

　シドの背へ、アルヴィンはどこか不安げに叫んだ。

「気を付けてください！　敵は暗黒騎士……とてつもなく強いんです……ッ！」

　だが、そんなアルヴィンを安心させるように、シドは力強く返した。

「ふっ、安心しろ。俺も結構強い」

　そして、アルヴィンを背に庇ったまま、ジーザと真っ直ぐ対（たい）峙（じ）するのであった。

「ちっ……」

　対するジーザが、警戒も露わに舌打ちした。最（も）早（はや）、軽薄な雰囲気は微（み）塵（じん）もない。冷酷に敵を殺害する戦士の目だ。

　だが、そんな視線を一身に受けて、シドは微塵も揺らがない、臆さない。

「てめぇ……一体、どっから湧いて出てきやがったんだ？」

　ジーザの言葉に、シドは沈黙をもって応じる。

「しっかし、それにしたって随分吹くなぁ？　あぁ？　シドだぁ？　そいつは、一千年前の伝説時代に活躍した騎士の名じゃねーか？」

「…………」

「無双の双剣を振るって、《三大騎士》も凌（りょう）駕（が）したっつー、最強の騎士──残虐非道にて冷酷無比、《野蛮人》シドを名乗るたぁ、さすがに自惚（うぬぼ）れが過ぎるぜ!?」

　そんなジーザの言葉に。

「はははっ！」

　シドがさも楽しそうに笑った。

「残虐非道で冷酷無比？　今、俺、そんなん言われてるのか？　こりゃ傑作だ！　歴史に名を残すは騎士の誉れだが、悪名というのもなかなか愉快な気分だ！」

「ハ！　いつまでも、吹いていろ──ッ！　喰らいて（イエーツ）・斬り裂け（スラーツ）！」